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教室で教えるということ
教室で教えるということ (JUGEMレビュー »)
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ネットで読めるあやうさ

各大学とその図書館は、紀要や研究報告書の類いを急速にネットで読めるようにしている。

学会紀要も多くの学会が同様にネット上に公開を順次行っている。学会紀要の場合、たいてい一年遅れの公開だが、かなり読めるようになってきた。無料公開のところも多くある。
国立国会図書館も著作権の切れた本が順次公開されている。古い著名な人の本が読めるのは誠にありがたい。地方にいると希少本や会員でない学会誌を読むことに労力とお金がかかったが、容易になった。
また大学のイベント企画のようなものの報告書の中に、まれに参考となる議論が紹介されていることがあって、そうした資料を見つけやすくなった。
他方で、大いに語弊があるだろうが、見つからない方がよい水準の資料もネットに上がってしまう可能性も拡大した。入門したての人は、そういう区別がつかない時期には、だまされる可能性も高くなったと言えよう。誤解の多い論文に遭遇する頻度も高くなった。
良い論文、良くない論文と渉猟する人には便利なのだが、一つ二つでわかった気になりたい人々には、ほんとうは沢山資料があるのに、目にしやすいものに左右されて終わってしまう。良くない論文に出会う可能性もずっと高まっているので、誤謬や不正確な把握も拡散しやすくなっている。時が経てば問題点の指摘が生まれるのは学問研究の性格上仕方がない側面がある。欠陥はあろうとも、その時なりにきちんと主張している論文もしかしある。自分の論文は、当然、欠陥の多い側に属するが、修正を重ねていきたいと思う。
リポジトリーで公開された論文を読む作法として、執筆者が誰か、各学問分野でどこに位置付いている人かぐらいは確認しておく必要がある。
| 暮らし | 00:31 | comments(1) | - |
忘れられて残る暮らし

がっかりはしても、むなしさで満たさないでほしいものです。

「太平洋戦争末期の沖縄戦で住民83人が集団自決した沖縄県読谷(よみたん)村の自然壕(ごう)「チビチリガマ」が荒らされた事件で、器物損壊容疑で逮捕された沖縄本島中部に住む16〜19歳の少年が「心霊スポットに行こうと思った」などと供述していることに対し、沖縄では怒りやむなしさが広がった。」と毎日新聞。

 

チビチリガマには30年近く前に行ったことがあります。懐中電灯をもって入ると、小さな遺骨がなお散在している一画もありました。

前にも一度触れたことがありますが、初めて沖縄を訪れたこの時(1990年頃)、学習会を行っている近くで高校生が暴力団に射殺される事件が起きた時でした。

そんな争いをしている場合じゃないだろうにと思った記憶があります。その後も、こうした遺跡が破壊される事件は何度も起こっています。

 

いつもささやかなきっかけで失敗するのが人。人やものとの交わり方を知らなすぎたための行為。

どんな交わり方が期待されるのか、示し続けて行くしかないのが継承の事業というもの。とりわけ記憶という忘れ去られる社会法則が一方に存在する問題領域であれば、諦めと空しさこそ乗り越えていくべき最大の課題としていく必要がありましょう。

 

忘れられてなお残るものを編み出していくのが暮らしというものでしょう。私は、派手なイベントに期待していません。記憶の澱の一つにはなるかもしれませんが(そういう澱のつくり方にあまり賛成ではないのです)、ささやかな暮らしの振る舞いに織り込まれていくことの方に期待を寄せたいとおもいます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 暮らし | 07:38 | comments(1) | - |
小学校教員採用ランキングの手法

アエラdotの記事に小学校教員になった人数を大学別にランキングしてあった。

前職の愛知教育大学が289人で1位。

現在の勤務先の中部大学が44人で76位とある。

 

このランキングの意図は、「早期から教員養成に力を入れている。これらの地域では、私立大学出身者がしっかり教員ネットワークを築いている、つまり、“でかい顔”ができる、ということだ。」という辺りにあるようだ。

でかい顔というのが意味不明だ。この中身の取りようによっては、これを書いた人の品位に疑問の余地がなくはない。そういう文体だ。「力を入れる」で並べられている辺りの善し悪しがある。

 

ランキングは単純に人数を基準に多い少ないとしている。これが問題だ。

例えば、1位の愛知教育大学と現在勤務先の中部大学では一学年の学生数が違う。愛教大は600人以上が小学校免許を取っていく。中部大学は70人から80人だ。母数を無視してランキングしてもどうかなということになる。だいぶ入れ替わるだろうと思う。

 

それでも私学の岐阜の聖徳は一学年400人足らずで229人だから比率が高いと言える。

その養成システムは、教採をめざした講義やセミナーが多いといわれる。形ばかり合わせさせる授業のやり方や採用試験対策的講義にマナー講座がかなりあると言われている。

これが「従順な学生でいい」という人もいれば、「即戦力的で、長い目で見るとだめ」という二つの評価を採用した側の声として聞くことが何度もあった。実は、今年も聞いた。

 

勤務していた所の学生や卒業生はたくさん知っているが、聖徳の卒業生はほとんど知らないので世間的評判通りなのかどうかのデータがない。教育する側の話しは、知り合いもいるので一部は事実だ。現在の勤務先も採用対策的な取り組みがいくつかある。前の職場でも講義時間以外にいくつか実施されていた。それらの取り組み内容は形式張ったものが多かったので私の視線は冷ややかだったが、採用試験の仕組みや評価のまなざしの平均的な所を知っておく必要が現実的にはあるだろうとは思う。だが過剰にやっても無意味だ。面接対策を受けると学生の言うことが皆同じようになって、意味がない面接となる。もうなっているとも言えなくもないかもしれない。訓練を受ければ受けるほど、ほんとうのことは言わない。

 

また、即戦力的な講義をする人がいるのも事実だが、原理的な考察や世界の動向とつながらない場合は、皮肉なことに実際の教育には役立たないこともある。他方で、理屈ばかりで現場で役にたたない講義がダメという議論がある。この「役立つ」という意味をどの射程でとらえているかで、評価は変わる。目先の技術を持っているという射程の人には、原理や考え方は役に立たないだろう。教育は流行とは違うと考えて、子どもの成長を視野に入れたいと考える人は、マニュアルばかりの技術には意味を見いだせないだろう。

 

私の分野からすると、小手先技術論は偏見的原理を持っていることが多いので、それを見抜ける力をいくらかもって卒業してほしいものだと思う。

ともかくランキングはあてにはならない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 暮らし | 07:28 | comments(0) | - |
対談の適当さ

対談というのは、相互作用をその場で引き起こすものらしい。

遠山啓の行った対談本がある。

『遠山啓との対話教育蘇生をを求めて』太郎次郎社には、永井道雄、村井実、遠藤豊吉にはじまり、先頃亡くなった大岡信まで11人との対談が並んでいる。

対談の長さもいろいろで、私が名前を知らない松田徳一郎との対談は短い。短いから、その人の主たる主張と思われる話しを再現しているだけだから、一つの見識として賛否はともかく主張として聞いておくことができる。

 

しかし、永井道雄との対談などは、ひどい内容だ。

当時の文部大臣だが、学者上がりなのだが、いい加減すぎる内容を語っている。いい加減とは、良い加減という意味ではなく、思いつきや何の根拠もないことを語っているという悪い方の意味のいい加減だ。

永井は東京高師時代は立派な人も輩出したが、東京教育大になってからはダメになったという趣旨の発言をしている。その後、東京教育大は筑波大学になるから、生きていたら何というのだろう。こういう予断と偏見は他にも並ぶが、当時の文教政策にかかわる話になると更に笑ってしまうような話しが登場する。

共通テストを実施するようになるので、「二次試験ではかなりおもしろいことができる。」などと言っている。現実の進行を見るとわかるようにそうはならなかった。マークシート方式と筆答方式に分離しただけで、序列化に何の影響もない。推薦入試という枠組みが広がったが、これは「周辺」であり続けている。難関大学はごく一部という意味で周辺であり、そうでない大学は比率が高いが明白に「周辺」という位置づけだ。

 

遠山も同じだ。数教協の創始者でいつも立派なことを言っていたかというと、そういうことはない。教育学部の大学院に入れるには3年間の現場経験が必要だなどと適当なことを言っている。現場経験があると教育がわかると思っている。遠山は科学主義の側に一般に属していると思われているだろうが、この辺りは経験主義そのものだ。また、3年ということに何の根拠もない。

遠山の科学主義は、「術」「学」「観」に現れていると思うが、教条的な科学主義とは異なる要素を持っていた。とはいえ、暴論だ。対談から40数年の推移は、議論の正当性を打ち砕いている点も多々ある。

 

それぞれのテーマについて堅実な一つの主張をリードしている点を認めながらも、粗が目についた。そこで思ったのが、対談は適当すぎるおしゃべりに堕することもあるということ。対談の相手に影響されることもあるようだ。どういうつもりで向き合うか、準備をきちんとしているか影響されるようだ。

人の名前でイメージされる通りかというと、そんなことはない。
一貫していることはなく、それなりに調べた世界に限られるということだ。

 

| 暮らし | 07:29 | comments(1) | - |
あいちの教育集会

愛知の民教連の合同の研究集会が開催されます。

詳しくは、右の写真を拡大していただくとわかります。

朝日新聞にコメントを寄せた塩崎さんの講演が午前はメイン。

明日のテーマはなんでしょ?

 

日時:9月9日(土)9時30分受け付け、10時スタート

場所:日本福祉大学東海キャンパス(名鉄太田川駅前)

参加費:1000円(学生無料)

講演:塩崎義明(全生研)

小学校と中学校などの分科会

国語や算数などの講座が午後にあります。

 

 

 

 

 

 

 

 


 

| 暮らし | 06:29 | comments(0) | - |
電子版で読む

原稿を書いていると、本が増える。

これがセオリーだった。

先行研究やデータを確認する必要があるので、どうしても本が増える。

現在進行中の原稿も、持っていない本を探しながら、読みながら裏付けをある程度取ってから文字にするので、数冊増えた。

 

ただ、今回は、増え方が少なかった。

理由は、オープンアクセスとなっている大学の紀要類がいくつか読めたことが一つの原因。

ただし、正直言って、ヒットしてしまった何人かの論文の水準は使えないレベルで、基本文献を読んでいなかったり、論点を知らずに書いているものがかなりあった。

他方、私がお名前を存じ上げている人のものはさすがで、この差は歴然としていた。本になっているものの元を読めたりして特にお二人の論文は参考になった。

 

また、使えたのは国立国会図書館の電子化された本。

大正期の峰地光重の本が電子化されていて、古本屋をめぐったり(古本屋をめぐったが)著作集を借りに行かなくて済んだ。他にも関連書籍を読むことができた。

 

著作権が切れているものは電子化されてきているらしい。戦後すぐのものも著作権が切れているはずだが、まだ電子版はないらしかった。ともかく本がいくらか増えずに済んだ。

 

ただ、パソコンを見続けることになるので、目はひどく疲れる。朝からやっていると、もう夕方には見えづらい。

見る目がないと誤解も広がる。

また、初学の頃に書いた論文も拡散する恐ろしい時代となった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 暮らし | 07:21 | comments(0) | - |
106条

郵便が実務的に送られてきた。

開封すると筒。

賞状のようなものが入っており、学校教育法106条の規定により認定するとあった。

 

条文を知らなかったので確かめた。

「第百六条大学は、当該大学に学長、副学長、学部長、教授、准教授又は講師として勤務した者であつて、教育上又は学術上特に功績のあつた者に対し、当該大学の定めるところにより、名誉教授の称号を授与することができる。」

 

そういえば、春にメールがあった。

とはいえ、どんな功績があったかと思い浮かべようとしたが、大学にとっての功績という観点で「特に」思い浮かぶことはなかった。

 

個人的には、研究を続けるようにと先生に言われ、求めに応じて書いてきただけだ。

いや、一度だけ自分から投稿した論文があるが、それ一回だけだ。他は、文字通り依頼原稿や投稿するように促されて書いてきた。

感慨を持つ人もいると聞いたのだがそうはならなかった。

「特に」思い浮かぶことはなかったが、管理職以外の人々や学生にはお世話になったことをいくつか思い出した。

今まだ終わらない原稿が心の多くを占めてしまっている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 暮らし | 06:59 | comments(0) | - |
TWITTERの規約変更から

アクセスするとTWITTERの規約が10月2日から変更になると表示。

変更部分がどれなのかわからなかったが、気になったのは以下の部分。

 

「twitterおよびその関係会社がこれら情報を保管、処理、使用するために米国、アイルランド、および/またはその他の国々に転送することを含め、これら情報の収集および使用(プライバシーポリシーの定めに従って)に同意することを理解しているものとします。」

 

もっと限定すると「米国、アイルランド、および/またはその他の国々に転送」の部分。

1.なぜ米国と名指しされる?

2.同様にアイルランドと名指しされる?

3.その他の国々はついでか?

4.この規約は、プライバシーポリシーの定めに従ってとあるけれど、ポリシーだからポリシーを変えれば何でもしてよいことになる。

 

推論。

国名が挙げられているところが怪しげ。特定の国家への情報提供と関連しているのであろう。

また、すべて情報は収集され、それが利用されることに同意しなさいということであろう。

 

結論。

よって、情報として収集されていることを理解した上で内容を記すことに一層慎重にとなる。

すると、おかしなことにTwitterの規約の結論と同じところに落ち着く。

「同意することを理解しているものとします。」の規約を読む前と読んだ後の違いは何かというと、TWITTERへのまなざしの変化ということになる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 暮らし | 09:00 | comments(0) | - |
中村雄二郎によせて

四角の折り紙を対角線で半分に折って、できた二等辺三角形の頂点を底辺に合わせて折り、これを一度開いて、二等辺三角形それぞれを折り目に合わせて折る。すると、細長い6角形ができる。これを二つ作って、折り目をつけて、それぞれに組み合わせると写真のような立方体ができる。斜めの折り目の方向を間違えなければ、上側を押すと折りたたまれて四角い座布団のようになる。

二つの立方体を接着すると直方体になり、さらに上から押すと回転して小さく折りたたまれる。

位相の不思議。

 

中村雄二郎が亡くなったという。

術語集、魔女ランダ考、共通感覚論などを読んだ記憶がある。

読んだきっかけは、私の先生のパトス論の話題を理解するためだった。ただそれは、きっかけで、80年代に、理性と感性、認識と感情の関係についての古い枠組みから抜け出す必要があって、それを考える際の議論の一つとして読んだ。古い議論は、とりわけ感性への考察が弱く、位置づけが間違っているのではないかと考えていた。そうしたときに、中村の議論は面白そうに思われた。しかし、読んだことのある人はわかるように、具体的事例に論及した下りほど理解するのは難しかった。

中村の議論で私にとっての世界が開かれたわけではなくて、その後少し時間と読書が必要だったが、ものの見方としては参考になった。

 

 

 

 

 

 

 


 

| 暮らし | 08:45 | comments(0) | - |
教育学会にて

金曜日から本日までが教育学会。

初日は、今期最後の理事会に参加。土曜は、わたしも科研のテーマで共同研究の発表。午後はシンポを聞く。
これから午前中は、司会をして、午後は課題研究に参加することになる。
私たちの研究発表は、三石さんが研究の経過、坂井さんが原発あるいは水俣の教育実践を素材に見地の異なる生徒と教師の事例から当事者との関わりを生み出すことの重要性、山田さんは探求活動へ誘うこと、私は事実を確かめることと事実であれ価値判断であれデータの意図を意識化することについて報告を行った。
いくつかの発表も聞いたわけだが、シンポは取り組みの概要紹介的であったため、米国の教員組合の取り組み情報としては参考になったが、今ひとつ期待とは違った。
先行理論研究との違いを意識した報告であるとよかったのに惜しかった。
問題の設定も重要で、別の発表だが、中教審などの行政文書の枠組みとの関連で自己の研究や実践を検討するものがあったが、そういうことはしてはならない。行政文書は普遍的文書などではなく、すぐに変わって消えていく枠組みにすぎない。別の学的枠組みのまなざしを設定して、世界をとらえないと混乱するだけだったり、迎合するだけとなる。
今日は、興味深い報告を聞くことができることを期待したい。
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| 暮らし | 06:15 | comments(0) | - |
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