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教室で教えるということ
教室で教えるということ (JUGEMレビュー »)
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出欠をめぐる攻防

今週で前期の講義が終わる。

 

明治期後半から昭和期前半の小説などを見ると、講義をさぼった話しや子規のようについて行けない講義(つまらない講義というべきか)のエピソードが出てくる。最初、大学は、一つの科目でも不合格となると留年だったので、講義の合否は死活問題だった。

敗戦後の大学風景では、マスプロ化が進行して、名前を呼ぶと別人が応える代返などが横行し、出席と欠席をめぐる風景は軽薄に流れた。

10年以上前になるだろうか、出欠を学生証をかざして読み取らせる機械が一部の大学で利用されるようになる。

最初は、講義の初めだけ読み取らせていたが、読み取らせてそのまま居なくなる学生が出て、講義の終わりにももう一度読み込ませるようになる。

すると、また一部の出欠が気になる学生は、読み込みを別人に依頼をするなどということがあるらしい。

するとこれをさせまいと、テストの頻度を高くする教授がいるらしい。

 

マスプロ化以降の風景はとりわけ滑稽に見えて仕方がない。

 

出欠に命をかけて、厳密に管理しようする大学、すり抜けようとする学生。

「ほんまにあほらし」と阪田寛夫なら言うに違いない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 暮らし | 06:57 | comments(0) | - |
スローガンの我田引水

スローガンが無内容なときにスローガンに乗って解釈した本を見かけて「あれまあ」と思った。

一冊ではなくて、日本海側、関西、関東にも我田引水を大手書店で見つけた。

「ALはこうすればいい!」というマニュアル本だ。自分の言っていることが「主体的な学び」「対話的な学び」「深い学び」なんだという趣旨の文言をみて志の丈を想像した。

 

そう考えてしまうのは、学習指導要領の改訂に関する中教審への諮問が2014年11月。

すぐの2014年12月の教育課程部会では、現在の教育課程の構造化に関するイメージ図の元になるものが配付資料として提出されて、「何ができるようになるか」「何を学ぶか」「どのように学ぶか」の三角形が示され、ALは「主体的・協働的な学び」となっていた。
ALへの批判が始まると、2016年7月の審議のまとめ案では「深い学び、対話的な学び、主体的な学び」と使用する言葉が変わった。
2016年12月の中教審答申では順番が入れ替わって「主体的な学び、対話的な学び、深い学び」となって流布している。順番が入れ替わったのは、8月の教育課程部会の時である。
このスローガンは、高等教育のALという言葉を初等中等教育に語感だけで持ち込み、形式主義という批判にあわてて「深い」をくっつけたにすぎない。学問的根拠があって使用されている言葉ではない。ころころと変遷してきたのである。

だからこのスローガンをめぐる言葉の詮索をしても何も出てこない。転がるだけだ。

 

これを自身の知っている研究の言葉に置き換えて説明して時流に乗ろうとしている本に見えたわけである。

 

世の教師はそんなものを求めているのだろうか。違うと思う。学生が教師たちにインタビューしてきた報告によれば、「楽しい授業」「力のつく授業」をしたいと語っていたという。「時流に乗りたい」などとは誰も言っていない。

 

 

 

 

 

 

 

| 暮らし | 06:59 | comments(0) | - |
銀河鉄道の夜の見方

これまでに何度か取りあげ、先日の大澤本にも銀河鉄道の夜の読みが取りあげられている。その議論のごく一部について、さらに備忘録的に記しておきたい。

 

銀河鉄道の読み方としては、幸せ探しの旅にでて、みんなのために生きることが幸せだというごくごく当たり前の普通の読みがある。

そうではなくて、生きる目的や幸せを見つけたものから順に銀河鉄道を降りていくことに注目し、ジョバンニはみなを助けようとするが自身の目的地や自身の幸せは何であるかわからないで終わる所にテーマを読むものがある。つまり、人生の目的はわからないがその旅に出ようという読みである。

他方、カムパネルラが石炭袋の孔を指して「あすこがほんとうの天上なんだ」と言いそこにお母さんがいると言っているように、幸せとは到達点としての死を意味し、人生の目的を見つけたものがそれぞれの天上にたどり着くことができるという(宗教的な)見方もある。

 

大澤本は、ジョバンニとカムパネルラが「いつまでも一緒にいようね」といった直後に、振り向くといないシーンを取りあげて不在の関係について語っている。関係のない関係という着想を語っている。

 

だが、宇宙論的に見ると、関係のない関係はない。揺らぎから小指の先ほどの宇宙が誕生し、何度目かの誕生と消滅から宇宙が生まれたという弦理論からすれば、関係のない関係はない。関係のない関係はないが、何億光年と離れたものとの関係はないに等しい。その比喩として考えれば、社会における人間は、関係のない関係に包まれていると言える。この無関係の関係の把握が銀河鉄道の夜だという。

文学の読みとしては面白くはない落ちだが、絶対的離別としての死というものの唐突さをジョバンニとカムパネルラの会話に見ることができる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 暮らし | 08:07 | comments(0) | - |
空気の入れ替え。

東京都議選の結果で空気はかなり入れ替わった。

安倍政権の横暴と政治の私物化は、極まっていた。しかし、数の暴力で当たり前が通らない。そのことが閉塞感のようなものを生みだしていた。

だが、都議選の結果は、自民党の惨敗に終わった。

政権の揺らぎが報道されている。どれほど揺らぎ、崩壊のテンポをどの程度速めるかは分からない。けれども、揺らがないように見えた政権が揺らぎ、崩壊するかもしれないという期待というか推測が一挙に広まった。

 

ただ、残念ながら躍進したのは、一番と二番がある差別主義者の集団だ。小池も惨敗した自民党員であることに変わりがない。だから、都ファは、この空気の入れ替わりを読めない可能性が高い。

すると、日本全体の空気は少なからず入れ替わったが、東京は汚れたままの空気となる可能性がある。

 

しかし、全国の空気はかなり入れ替わった。

代わりに入ってくる空気が汚れていないわけではない。昨日からとにかく蒸し暑い。今日は台風も接近する。空気の入れ換えはさらに続けないと、染みついた汚れや臭いはなかなか落ちない。

 

一つのことで、すべてと判断する行き方には賛同しない。人はだまされやすい。

直接には安倍政治や東京都の小池批判だが、それ以外の世界も指している。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 暮らし | 06:12 | comments(0) | - |
終えて休み

体育同志会の原稿を書き上げて、目の前の原稿締め切りがいったん消えた。

このところ終わると次の締め切りが気になって、暮らしのリズムから映画を見ることや、周辺的読書が消えていた。

某学会の課題研究の報告依頼を断って、日常を取り戻すための準備。

 

冷感スプレーを背中にかけて出かけた。日常を復活させようとCD屋さんに。そろそろ日本にも到着した頃だろうと先週発売のミニアルバムを探す。続いて本屋で数冊。

ところが、これらを見終わると、もう特にどこに行かねばと言うことはなくなった。

 

映画館もチェックしたが、どれも旬をすぎている。映画の旬は、調べ上げる中で構築されるものなので、封切られたばかりかどうかは二番目だ。調べ方が十分でないので旬がない。

 

日常を取り戻すにも時間がかかるのか。

メールの作成からぼちぼち日常へ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 暮らし | 07:40 | comments(0) | - |
嘘と真実の言葉

これほどに嘘が並ぶと言葉に信頼を寄せて生きているものにはつらい。

 

稲田は「防衛省、自衛隊、防衛相としてもお願いしたい」を撤回したが、公職選挙法違反との指摘にたいして「誤解だ」と繰り返した。聞いた側の誤解で違反でないと反復した。どこに誤解の余地があるのかという質問にはついに答えなかった。

 

二階は「落とすなら落としてみろ」と述べて、これまた反省もせずに記者を脅し質問に答えない。

 

管は、「怪文書」発言について「一人歩き」とこれまた、自分の発言であったにもかかわらず、自分以外が使用した言葉にしてしまった。

 

下村は、200万をもらいながらそれをひとりあたり20万以下を理由に違法でないとし、加計との関係も隠す。

 

安倍は、加計にだけ便宜を図ったことを隠す意図としか思えないが、他の大学にも認可するといってみせる。本当にそうするかどうかは誰も見届けないと見くびっているに違い。

 

言葉に真実を持たない人々が政権にいる。驚くべき事態だ。

シモーヌ・ベイルが亡くなったとフランスのニュースは時間をとっている。街のユダヤ人狩りでナチスの強制収容所おくりとなり、生き残って中絶を合法とする法律を成立させていった。保守派だったが、この法律に反対する極右を小さなナチスの親衛隊にすぎないといい、これらとたたかったと報じている。

 

言葉は真実も嘘も伝える。だから、語られた言葉の中に真実を探さねばならない。

嘘と真実を探し続けるには、言葉にこだわり、言葉と事実をつきあわせていくしかない。

では言葉を事実に還元できるかというと、それはできない。言葉は、事実を含んで内外に豊かに広がる。

そういう言葉の使用をしていきたい。

 

 

 

 

 

 

 

| 暮らし | 06:53 | comments(0) | - |
「ほー」と思ったこと

教育実習から帰った学生に、「人に話せる私の失敗」というタイトルで話しをしてもらうところから講義を始めた。

そのやりとりの中、とにかくたくさん褒めることを書いた本を読むよう進められた学生の行った所は、細かな規則がいっぱいある学校。4月に子どもに一度言えば済むことを一年間ずっと規則にしてしまうという指導と管理の取り違えがあるわけだが、そこに「たくさんほめることがいい」という教師がいるんだなと思った。

その意味。規則がいっぱいの所は、きっと取り締まりの言葉でいっぱいだろうなと思っていたことが一つ。これはあながち間違ってはいないが、それとは違うことが必要だと思う教師もいるのだなということ。

他方で、たくさん褒めるという教育方針について、褒めて乗せてしまうという方針は人の見方として誤りを含んでいると私は考えている。人を個人として尊重していない場合がある。そこには操るという思想が入り込んでいないか?と見なしている。

 

その後、出かけた大学図書館に「教えるとは希望を語ること、学ぶとは誠実を胸に刻むこと」というアラゴンの詩の一節が垂れ幕に書かれていた。知り合いのお父さんの翻訳した本だったので「ほー」と思った。

教えと学びに当てる言葉を、いろいろ入れ替えることをやってみると楽しそうだ、と思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 暮らし | 07:55 | comments(0) | - |
久しぶりの研究会

大学を移動したのでおしまいにした研究会だが、別のところで開く。

今度は別の大学に勤めることになったメンバーの研究室を借りることになった。

私は勤務の都合で、開始時間に間に合わないが、出かけてみようと思う。

 

実践を中心に置いたこうした研究会は、学会のような場とは違って欠かせない。

また、学校などが開催する実践検討とも違う場として私は、重要な存在だと考えている。

 

学会的研究会は、データや主張の普遍性を広く問いかける場として貴重だ。だが、そこにしか出向かない人を信じてない。実践と研究との接点がこの分野としては欠いているから。

 

他方で、学校に沢山出向く人がいる。それらの地域的集まりのようなものに出かける人がいる。切断している人よりはいいのだが、学校内の検討会やその地域版にしか行かない人も信じていない。時流に合わせて特定のパターンを普及して歩いてることがあって、それは研究じゃないから。

ここは多様な人がいて一概に言えないのだが、一つ一つの実践をそのたびごとに正面に据えて、考えようとするかどうかで別れるのかなと思う。

 

今度の集まりが続くかどうかは分からない。

始めたら終わる。

時々参加できるといいなと思う。また、新たなメンバーたちによる新たな提起が生まれてくることを期待したい。

 

 

 

 

 

 

 

| 暮らし | 07:05 | comments(0) | - |
実習生の授業三態

実習生の授業は、その指導教員の授業づくりとの合作だとつくづく思った。

 

一つ目は、グダグタの授業となった。指導教員は「この辺面白いよ」と誘うタイプだが、それを事細かく言わないタイプのようだ。実習生は、それを汲み取って細かく気にするタイプではなかったので、誘うところを子どもと一緒に活動してしまうので、他の多くの子どもたちが視野に入らなくなってしまう。

 

二つ目は、子どもの一挙手一投足が細かく指示されている。プリントを渡すときでさえその振る舞い方が指定されているようだった。授業もそうした指示を漏れなく踏襲するように気遣われていた。きわめて堅い進行の授業となった。

 

三つ目は、それほど細かく指示されているわけではないが、自由に発言するように促される日常があるらしい。高学年だったがフランクだが崩れてしまってはいない。課題がもう少し面白いといい授業と言えそうな感じになっていた。

 

私の見方としては3番目が一番いいが、2番目の人はどこかで何かあったのではないかと推測した。実践的な力量は高いのだが、教育観が堅すぎるのが惜しい。緩やかに見られるようになるとだいぶ変わるに違いない。

 

学生にとって、どのタイプの指導教員が学びがいがあるかは、分からない。

思うところがどれほどあるかに依存する。

実習が終わって学生が大学に戻ってくるので、講義が再開してしまう。残り少ない回を何で埋めよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 暮らし | 00:07 | comments(0) | - |
実践研究のトレンド見えた

岡山と言えば、今や加計。

加計がなぜ獣医学部の新設かといえば、子がその分野の研究をしているためなんだと聞いたが、本当かどうか分からない。そうなら獣医師が不足かどうかは関係ない話しになる。

本題。
しばらく前に受け取った教育学会理事会の議事録にあったプロジェクト研究のテーマをみて思ったことの一つは、「そうその辺不明だよね」だった。つまりコンピテンシーの形成論。存在論的に語られてばかりで、形成論は希薄と浮薄だったからだ。
そして昨日。
いくつかの発表を聞き要旨集録をみると、資質・能力の一覧づくりとカリマネが「霞3丁目志向」のトレンドらしいことが分かった。
一覧づくりは、要素に分解してしまいたがるので、不自然な一覧になる。「自分の成長」についてというと、社会的な課題と関係ないかのように分類していく。しかし、社会に触発されて自身の生き方を考えたりするのが普通だが、そういう風には考えない人々が多いらしく、不自然がいろいろとあるようだった。
また、内容論がないと、「戦国時代の武将たちの誰が現代の首相にふさわしいか?」などという過剰に非歴史的な課題を設定できてしまったりする。人物の史実を必ずしも踏まえず、現代の課題も策定せずに意見交換しても歴史学習としては意味不明に思われた。これも「コンピテンシーベースの」「AL」志向の「深い学び」のなせる技かなと推量された。
反応動向を軌道修正して、有意義な授業をつくり出す方向に。
| 暮らし | 00:11 | comments(0) | - |
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