CALENDAR
S M T W T F S
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
31      
<< December 2017 >>
                                 
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
教室で教えるということ
教室で教えるということ (JUGEMレビュー »)
岩垣 攝,子安 潤,久田 敏彦
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
ARCHIVES
CATEGORIES
                
仕事は65%も変わらない

中教審答申の関連資料などにも登場する未来予測のひとつが20年で現在の仕事の65%が変わるというデータ。

このデータが、「知識を覚える学習ではダメで、使いこなせることが重要だ!」という趣旨の根拠に使われています。いわゆる知識基盤社会論を支えるデータのようです。

 

しかし、その未来予測はどうも怪しい。

私がほんの少し調べただけなので、根拠のあるデータだという証拠を具体的に示唆していただければ修正します。

 

どこが怪しいか。

65%という数字の根拠が見つからないことが一番怪しいのです。

 

日本で紹介されているのは、中教審の出典では、アメリカのニューヨーク市立大学のキャシー・デビッドソンとなっています。2011年8月にニューヨーク・タイムズのインタビュー記事で述べたとあります。その記事は以下のサイトで読めます。
https://opinionator.blogs.nytimes.com/.../education.../...

 

ここには記事の書き出しに65%という数字が書かれていますが、根拠となるような研究上の註もついていません。

この記事を引用する山内祐平の記事にも根拠は示されていません。

別のネット上の示唆によると、キャシー・デビットソンの著書にある註によれば、米国労働省の下記の報告書が元らしいのですが、そこには変わる分野があるという指摘はあるのですが、働く場所に関わる章を読みましたが65%という数字は書かれていません。
https://www.dol.gov/.../herman/reports/futurework/report.htm

この報告書は、1999年の5月1日に署名されているので、すでに18年が経ちました。(引用者たちは、2011年を基準にしているという可能性はあります。どこを基準にして言っているのかもよく分からない点でも問題です。)
この報告書が基だとすると、あと3年で65%が変わらないと予測は間違っていたことになります。

65%も変わったでしょうか?その数字に近づいているでしょうか。
そうはとても思えません。

 

65%という未来予測に根拠がないとすると、これを根拠とした知識基盤社会論や覚えるのではなく使えなければならない、という主張は怪しくなります。1つのデータの怪しさだけですから、それらの主張のすべてがひっくり返るわけではありませんが、それを持ち出した人の怪しさを指摘しても不当ではないというところまでは言えそうです。

 

見逃しているでしょうからご指摘いただければ幸いです。

65%という数字の研究的根拠があれば知りたいものです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 社会 | 07:08 | comments(1) | - |
緊急対策の本気度?

教員の働き方が過酷ということで緊急対策が発表された。

http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/079/sonota/__icsFiles/afieldfile/2017/09/04/1395249_1.pdf

【緊急提言】3項目

1.校長及び教育委員会は学校において「勤務時間」を意識した働き方を進めること

2.全ての教育関係者が学校・教職員の業務改善の取組を強く推進していくこと

3.国として持続可能な勤務環境整備のための支援を充実させること

 

もう少し具体的な方針も書いてある。

事務処理をする人をいくらか増やすとか、

部活指導員の配置をすすめるとか、

ないよりはあった方が良いと言えばいい施策が並ぶ。

 

ただどれも、具体的数値が登場しない。行政的には数字に表れないと何も変わらない。

これでは改善は微々たるものに留まるだろう。

 

また、計算が合わないものもある。

小学校授業時間が一時間増える分手当てするという。

しかし、変だ。

現状で60時間以上の残業教師の比率が高いわけだから、増えた分の手当てでは何ら改善しない。

小学校の算数でわかる計算だ。

今日確認した文科の概算要求では、小学校専科指導に必要な教員の充実 +2,200人と2中学校における生徒指導体制の強化に必要な教員の充実 + 500人だ。学校現場における業務改善に11億だという。

これでは全く足りない。

 

 

文科には「主体的で対話的で深い学び」をしてほしいものだ。

 

本気に考えているとは思えない。予算編成の時期だ。政権の崩壊時期に関わるだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

| 社会 | 06:37 | comments(0) | - |
動員されず

今日は9月1日。

今年はとりわけよくない雰囲気が動員されよう。

首都大はオリンピック期間中休講とし、学生を半強制的に『ボランティア』に動員すると。

現実的意味をほとんど持たないミサイル避難訓練のアップ写真。

自殺が多い日だと「学校行かないで」キャンペーン。

 

駅員として電車をストップさせ、所定の行動を取らされる人もいよう。

町内会役員にあたっているので動員される側になる人もいよう。

やむを得ないことはあろう。

 

だが、テレビ報道に認識と感情を動員されないでいることはできる。

にもかかわらず、「自分で判断する」と決意した人の多くは、操作する側が期待した認識と感情になる。

なぜなら、自分で事実を調べたり、カウンター情報にアクセスする人は少ないからだ。

「自分の意見」だと思っている人もまた、そこにどれほど「自分」の独自性があるか振り返る必要がある。

 

カウンター情報、事実を探す努力だけが自分のモノ化や数値化を回避させる。

動員されず。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 社会 | 07:20 | comments(0) | - |
圧力にみえる

全国学テの結果が報道されて、そのデータの中身を仕方なく読む。

 

学校質問紙と児童質問紙のクロス集計のところに次のような記述がある。

項目は、「主体的・対話的で深い学びの視点による学習指導の改善に関する取組状況,学習評価の在り方」に関連して、話し合い活動を行ったか、探求的な学習を行ったかを集中的に聞いている。

これに対する学校の回答は、当てはまるが数%〜30%前後、ほぼ当てはまるが40%〜50%前後の項目が多い。対応する子どもの回答がチェックされて、さらにそれが子どもの成績と連動して以下のような記述として記されている。

 

調査対象学年の児童生徒に対して,前年度までに,学級やグループで話し合う活動を授業などで行った(39)」と考えている学校の方が,「5年生まで〔1,2年生のとき〕に受けた授業では,学級の友達と〔生徒〕の間で話し合う活動をよく行っていたと思う(小 57,中 59)」の質問に「当てはまる」と回答している児童生徒の割合が高い。」

 

この指摘は、圧力として作用している。

圧力は二つある。

一つは、学校が適当に回答しても子どもの回答があるから適当に回答しちゃダメだといっている。

二つは、クロスにそれなりに信頼度があるから集計結果の結論というか、調べる前から決まっている結論、すなわち例えば「授業で話し合いを行っている学校の方が成績がよい」のだからそういう授業をとにかく行えという圧力だ。
だがだ。
その割に、B問題、とりわけ新聞でも報道されているように、「応用力に課題」とか「考え方の説明苦手」などという事実がある。すると、話し合いや探求活動をすればよいとは言えそうもない。それをしたくてもできない条件もありそうだ。
そういうことは、こんな調査をしなくてもわかっていることだ。
圧力さえ無駄と言える。

 

| 社会 | 07:19 | comments(1) | - |
部活ほどほどが高学力とかやめたら

部活の時間が1−2時間が高学力などと分析するのはやめたほうがいい。

部活と全国学テ的「学力」との因果関係を証明する前に、関係があるものとして語られている。

無関係の関係かもしれない。

 

また、仮に因果関係があったとしても、成績のよい子の暮らしに合わせさせていくと、すべての子どもの暮らしが同じになってしまう。そんな社会は最悪だ。

 

長時間部活が問題だという議論がメジャーな空気の中で取り出された数値でもあろう。長時間部活が教師にも子どもにもよくないというデータに使えるわけだが、ご都合主義的に数字を操作している感は否めない。

 

朝日新聞の報道は規範意識の数値化を批判的に報道していたが、全国学テ関連調査が道徳の教科化の結果、評価が始まり、その記述の指標に使われるだろう。それが子どもの内面の評価の基準にされていく恐れが強い。こうした設問を政府が実施するのは間違いだ。

回答しない選択肢が社会に設定されるべきだろう。要するに実施しないということだ。ずっと前から言っているように、もったいない税金の使い方であり、子どものランキング、学校のランキングに使って脅迫材料になるだけだ。

  *

      *

              *

                       *

  *

      *

              *

                       *

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 社会 | 07:32 | comments(0) | - |
時代遅れの子どもの見方

学校の規則や慣行について朝日新聞が「地毛証明書」「無言給食」などを例に学校のルールを考える記事を掲載している。

 

http://www.asahi.com/articles/ASK815T7FK81UTIL04X.html?iref=comtop_8_08

 

どの事例にも共通する変さは子どもを見るまなざしが管理統制・拘束するまなざしばかりの規則・慣行で、それが批判の対象となっていること。他の意図が感じられない規則だ。

地毛の色に統制し、地毛の色をしていれば善の証明になると思っている。

無言給食に無言清掃も統制の意味しかない。

万引きしない宣言に到っては都教委の子どもを見る目が犯罪者扱いになっている。

統制のまなざしばかりが見える。

 

そのまなざしは、まなざす者に返ってくる。

強制・監視する者として子どもに見られることになる。

 

こうして指導は成立しなくなる。子ども自身に意欲的に取り組んでほしいという願いは永遠に成立しなくなる。

強制する者からの誘いは、裏があると考えるようにならざるを得ない。

今の時代は、そういう子どもの見方の変化を期待しているのだろう。

 

新聞記事で唯一説得力のある反論は、「学校だけを責めるな。社会が要求している」というものだ。この反論の発言者は、学校のおかしさを容認させたいのだろうが、論理としてはそういう反論にはなっていない。おかしな社会の側も変えようという議論にもなるからだ。

例えば、いつの頃からかリクルートルックが黒ずくめの服装となった。それにあわせた対応で埋まっている。しかし、ほんの少し前の時代にはなかった服装だ。黒い服装をしていればよいと見ているのは社会の側だが、黒い服装をしていても多くは採用されない。

 

これだけ批判的まなざしが発生している学校の慣行は、すでに時代遅れとなっていることを記事が証明している。

慣行は変えられる運命にある。

現在の慣行を普遍的なもので後生大事に守らせるなどと言う馬鹿げた位置づけをしないことだ。

必ず変わる。

 *

   *

       *

             *

                      *

 *

   *

       *

             *

                      *

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 社会 | 07:16 | comments(0) | - |
事実を取り出す

私の部屋にはチェルノブイリ子ども基金のカレンダーがある。

このカレンダーはよくできている。

そう思う一番の理由は、矛盾しそうな二つを事実に基づいて提出し、同時に主張しているからである。

 

2年前にベラルーシを訪問した時に、ミンスクやゴメリそれからナデジダでお会いした何人かの方々がそこには映っている。

チェルノブイリ原発の放射能を浴びて被爆したことが原因の甲状腺がんの手術をした人、その人が今では30歳代となって家族をつくり子どもと映っている月のカレンダーもある。

他方では、被爆の影響で体調不良が続いている人、生まれた子どももガンの人の写真、あるいは祖母と水浴びをしている写真を撮ってからしばらくして亡くなってしまったと説明書きのある月のカレンダーもある。

つまり、放射線を浴びたり、甲状腺ガンの手術を受けたからといって、結婚できないとか子どもを持てないということはないことを事実としてはっきりと示す。他方で、断固としてその放射能被爆の影響が今も続いていることもはっきりと示す。

そういうカレンダーとなっている。

 

「もう影響がない」と帰還困難地域を危険なままに解除してしまったり、「風評だ」と不備を隠してしまうことをしていないのである。事実をそのまま提示する努力がカレンダーの構成に見ることができるのである。

不都合なことを示さないのではなく、率直に広く提出する。このことがほんとうに大事だと福島に行って帰ってきて思う。

 

とりわけ「隠蔽体質内閣」がこのところ続く中では誠に大事だと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 社会 | 06:45 | comments(0) | - |
愛知の教員育成指標案

「愛知県教員育成指標」の案が示されて、パブコメになっている。

 

教員版と校長版、養護教諭版、栄養教諭版の4つが示されている。

残念ながら項目数が多い方に属するものとなり、多い割に項目の一つ一つは包括的でごたごたした文で項目間の重複を感じさせる。

以下のサイトアドレスから中身を読むことができる。なお、グーグルの教員版のアドレスは間違っていてたどり着けない。

http://www.pref.aichi.jp/soshiki/kyosyokuin/sihyou-an.html

 

教諭版の学習指導の第一ステージには次の項目が並ぶ。

・適切な発問や読みやすい板書、意図的な環境の構成などの基本的な授業力を身に付け、児童生徒の主体的な学びを引き出す指導力を培うとともに、個に応じた指導を行おうとする。
・児童生徒の実態を把握し、授業のねらいを明確にして教材教具の工夫をするなど、事前の教材研究の大切さを理解して授業をする。
・他の教員から学ぶなど自分の指導を改善しようとする向上心をもつ。

 

発問や板書と具体的な事柄の書き出しが授業力という包括的な言い回しに着地し、主体的な学びを引き出す指導力とさらに包括的表現となり、できれば「個に応じた」方がいいみたいな弱含みな表現。授業力と指導力の包含関係が分からない。個に応じるとの関係も不明だ。次の項目は教材研究のことらしいが、独立しているところを見ると、教材研究と授業力や指導力は関係ないらしい。

つまり、項目内での言葉の相互関係がよく分からない。よく分からない方がいいとも言えるし、ご都合主義的に悪用される危険もあるとも言える。ともかく、要するに変だろう。

 

同じく学習指導の第三ステージでは、次の項目となっている。

・高い専門性を基に、周りにある教育資産や新しい指導方法を効果的に取り入れ、他の教員の模範となる授業を行う。
・学力向上や授業改善、授業評価などの視点を常にもち、学年や教科の授業改善をリードする。
・学校全体の学習指導上の諸課題を把握し、校内の教育課程や授業づくりについて改善の視点で考え、組織的に実践を進める。

 

教育資産は教育資源の間違いだろう。ほぼ「改善」のオンパレードだ。だが、冷静に考えれば、第一ステージに書かれた「基本の授業力」あるいは「指導力」で十分じゃないだろうか。

子ども理解という枠組みが別にあるが、学習指導とも重なっている。

「子どもを理解しながら教材研究に基づいた授業を実施する」で要するに十二分ではないか。

 

一覧表づくりは担当した人にとって大変だったに違いないのだが、表を埋める発想がごたごたを引き起こす。問われているのは教委のマネジメント力かもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 社会 | 06:06 | comments(0) | - |
政治性は多層的

米国のボーイスカウトの集まりで問題な大統領が政治的な演説をしたために「ボーイスカウトの活動の場に政治」を持ち込んだことが批判を呼んでいるという記事があった。

かなり偏見に満ちた話しをしたようだ。

 

だが、大統領を呼ぶ時点でボースカウトの政治的意図が読める。社会的認知を狙っていることは明らかだ。団体内的に異なる意見の人々が多いために不都合だったということだろう。

 

そもそもボーイスカウトは、1908年に植民地であった南アフリカでイギリスの軍人ロバート・ベーデン=パウエルによって創立された。植民地での生活を植民する側の視点からその必要が構想された点は否めない。

 

政治的というのは、国家レベルの政党間の政治だけではない。宗教・性・民族・階層など集団を構成するものの間に存在し、重なり合っている。支配的なグループと少数派との間に存在している。自身が所属していると意識している集団ばかりではない。他者に勝手に分類されてしまっている(幻想の)集団であることも多々ある。

 

そう考えると、政治的発言批判は一面的で、そうした政治家を呼ぶこと自体を止めることを視野に入れるべきだし、ボースカウトの歴史を反省的に捉える作業からはじめるべきではないか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 社会 | 06:51 | comments(0) | - |
安倍・加計隠し

一昨日は、蓮舫辞任。明けた昼には籠池聴取、夜には稲田防衛相辞任の速報が流れた。

 

これは終末のワイドショーで安倍・加計問題の報道量を削減させる情報戦略だろう。

そのことによって夏を乗り切ろうという世論操作だと推測した。

 

大手新聞・テレビ局がそこに動員される。

さらに追加の小ネタが配信されるだろう。

 

問題は、それで収束するのかどうかだ。

それらでだまされていくのかどうかだ。稲田の辞任で済むような話しではないだろう。安倍込みで議員辞職・疑獄事件であり、そういう社会システムの問題性の追求へと向かわねばならないだろう。

 

鶴見俊輔の評論集に『像が消えた動物園』というのがある。タイトルの評論は3頁あまりと短いのだが、出来事のなかに何を読むのかが知。本日の書き出しは、何の知もなくそのままを書いた。他に書きようがなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 社会 | 08:09 | comments(1) | - |
<< | 2/122PAGES | >>