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教室で教えるということ
教室で教えるということ (JUGEMレビュー »)
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桜もいろいろ

写真は名城公園の二日前のもの。昨日はさらに膨らんでいたので、今日明日には咲き出すでしょう。

知性のない日本文化論が横行しているので、桜もいろいろあることを知っている必要がある。この公園にも四季桜があって、スリーシーズンしぶとく咲いている。寒緋桜もあって、2月には開き出す。今も少し咲いている。桜=入学式シーズンではなく、日本の昔からの風景でもなく、ソメイヨシノも長く咲く。パッと咲いてパッと散ることなく長く咲くのである。

 

少し前に弘前城と桜のポスターが実際と違うと取り下げになったニュースが流れていたが、弘前城は桜の名所100選に入っているようだ。だがここも、三橋さんに教えてもらったことだが、1882年に植えられたとされ、以前には桜はなかった。
弘前に限らず、全国的にソメイヨシノ的風景は明治中盤以降に植えられはじめた。近代から現代の風景だ。間違っても昔からの風景という趣旨の発言をしてはならない。無知の証明となる。
あるいは食の事例でもそうだ。
和食というと一汁三菜のイメージだろうが、これも1960年代に成立した食事の風景で、その前もその後も異なる風景が一般的だ。和食といえば、米に魚、出汁、味噌あるいは醤油のイメージだろう。だか、これらも日本固有ということはない。醤油は東南アジア由来、米も順次北上したとされる。味噌も同様だ。起源で考えると、大豆は日本が原産地とは言えない。味噌の製法の伝播も日本起源というわけではないとされる。類似の食物が世界にも存在している。過去の日本地域に住んだ多くの人々は、偏食で、いわゆる「和食」を食べてこなかった。
そもそも固有であったり、起源であったり、純粋だとなんでもありがたがることに意味はない。
こと生物が生き延びるという観点だけをとれば、ハイブリットの方がよいらしい。だがこれも種として生き延びるという観点だけで、個体にはあてはまらない。
知性に欠けた単純化はしてはならない。暴力でしかない。
平和は知性とともにある。


 

| 社会 | 06:49 | comments(0) | - |
教科書検定から見ると政治教育省

昨日24日は、教科用図書検定調査審議会が開催され、初めての道徳科の教科書の結果が公表された。他には高校の教科書検定の結果も公表され報道されている。

結論から言えば、教科書は政府の政治宣伝媒体という性格を強めたということだ。

 

朝日新聞から引用しよう。

「しょうぼうだんのおじさん」という題材で、登場人物のパン屋の「おじさん」とタイトルを「おじいさん」に変え、挿絵も高齢の男性風に(東京書籍、小4)▽「にちようびのさんぽみち」という教材で登場する「パン屋」を「和菓子屋」に(同、小1)▽「大すき、わたしたちの町」と題して町を探検する話題で、アスレチックの遊具で遊ぶ公園を、和楽器を売る店に差し替え(学研教育みらい、小1)――。

いずれも文科省が、道徳教科書の検定で「学習指導要領の示す内容に照らして、扱いが不適切」と指摘し、出版社が改めた例だ。

おじさんを修正したのは、感謝する対象として指導要領がうたう「高齢者」を含めるためだ。文科省は「パン屋」についても、「パン屋がダメというわけではなく、教科書全体で指導要領にある『我が国や郷土の文化と生活に親しみ、愛着をもつ』という点が足りないため」と説明。「アスレチック」も同様の指摘を受け、出版社が日本らしいものに修正した。

 

道徳では、議論する道徳と言われたが、実際は特定の道徳に対する見方が決まっているお話しがかなり並ぶようだ。もっとも奇異な検定と目されているのが、パン屋では日本文化が伝わりにくいと和菓子屋に書き換えさせた事例。パン屋だと日本文化でなく、和菓子屋だと日本文化というのは古い固定観念だ。和菓子と言えば茶道だが、お茶はそもそも輸入植物だ。

「しょうぼうだんのおじいさん」というのもモノを知らない検定官と教科書執筆者が現実離れした記述を呼び起こしている。地域消防団は通常年齢の規定を持っており、役割柄おじいさんは団員とならない地域が多い。

これは一例にすぎず、思い込みの日本文化論が示すように、特定の徳目項目を意識したお話しで構成されているらしい。学習指導要領以上に国家主義化が進む仕組みがここに見られる。

こうした単純化が一つの徳目で総合的な行動を選ぶ単純な人間を育てることになる危険を生んでいる。それは、知性を欠いた道徳という古くからの批判が該当してしまいそうな事態だ。

あるいは高校の教科書でも、政府見解ばかりを載せさせる検定意見が付いたと報道されている。これらの事実は、今回の検定が政権党の政策宣伝の場として教科書や学校が位置づけられていることを示している。

文科省が政治教育省に看板を付け替えたかのようだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 社会 | 06:56 | comments(0) | - |
「社会に開かれた教育課程」のホントの狙い

ほとんど問題にしている人がいないようだが、大問題なのが、「社会に開かれた教育課程」というスローガン。

 

中教審答申では、「よりよい学校教育を通じてよりよい社会を創るという目標を共有し、社会と連携・協働しながら、未来の創り手となるために必要な資質・能力を育む」方針のことと説明されている。

通常の取り組みは、学校協議会等で地域の意見を聞いたり、一緒に活動することなどが例としてあげられている。その部分だけを見ると何も問題がないかのようだ。

 

だが、私は明らかにそういう非政治的に捉えることは間違っていると考える。

昨日、豊橋市議会は予算特別委員会で、「家庭教育支援条例」を可決した。中日新聞は次のように報じている。「子育てに行政や地域の積極的な関与を求める議員提案の「市家庭教育支援条例」を賛成多数で可決した。最大会派の自民党が提案しており、二十九日の本会議で可決される。県内の自治体では初の制定だが、賛成する方針の会派からも「公権力の家庭への介入にならないか」と懸念する声がくすぶる。

■親らに努力義務

条例案は、地域のつながりの希薄化などを踏まえ、子育てで孤立しがちな親に、行政が必要な対応を取るための根拠とするのが狙い。理念を記す条例で、具体的な施策は盛り込まないが、努力義務として市や保護者、学校、地域に子どもの健全な成長のための支援を要請する。二〇一六年末時点で同様の条例を定めているのは岐阜、静岡など八県と石川県加賀市、長野県千曲市などだ。」(中日新聞3月24日付け)

自民党政権は、同様の法律の制定を目指している。これと対応するのが中教審答申と新学習指導要領のこのスローガンだ。

二重に問題なのだ。国家による家族のあり方に関する特定の考え方・行動の仕方の強制を学校を通じて行ってしまうルートの問題が一つ。逆に、豊橋の条例が一部政党から持ち出されたように、地域の側が教育に特定の見方を強要してくる問題がもう一つだ。

ほんわかした言葉も、「夫婦相和し」など今話題の森友学園が幼稚園児に唱えさせていた教育勅語に含まれている。

こうした動向とつないで捉えることが必須だろう。

 

 

 

 

 

 

 

| 社会 | 07:12 | comments(0) | - |
教育における偏向とは何か

話題の方が「皆さんが偏向している」とか「教育勅語の暗唱の何がいけない!」などと語ったと報道されている。この方は、教育における偏向と個人の「思想」の区別ができていない。

 

一人一人は、必ず小さい子どもも含めて皆それぞれ思想を持っている。持っている思想は、皆それぞれ同じでないという意味では個性的で偏っていると言えなくもない。だから、「皆さんの方が偏っている」という言い方は、この意味では自分が偏っていることを証明しているだけの無意味な発言となる。皆自分と同様に偏った思想を持っているからである。

 

ここで問題は、学校の目標や内容あるいは教育の方法が社会的に許されないものであるという点にある。

それぞれの社会は、土台となる規範や法を持っている。自由と平等を掲げる近代社会は、諸個人の様々な自由を承認しているが、誰かに従属させられること、強制されることを認めていない。強制を認める自由を承認していない。まして、公共的機関である学校にそれを認めていない。

だから、天皇のために死ぬことを最高の価値とした教育勅語は、今日の社会では認められない考え方となっている。これは、日本国憲法、その他の法律でも規定されている。国会でも議決した事柄である。そういう日本であることを国際的にも宣言し、承認を受けてきた。この原理と規定から外れているのは、「森友学園」の側であって、こうした場合に、偏向しているという言葉を使うのが通常の用法である。

したがって、「教育勅語の精神である日本が道義国家を目指すべきである」と稲田は答弁したが、とんでもない発言だ。教育勅語に現代に通用する道義は存在しない。孝行を直接には挙げたようだが、子が一方的に親に尽くすという考え方は、そこに上下関係を持ち込んでおり、子への強制・忍従を前提にしている。どのように親との関係をとるかは、それこそそれぞれの自由ではあるが、教育勅語のような不自然な関係は今日の社会では認められない関係と言うべきである。

 

教育は、そうした社会的合意の上に営まれ、その合意にしたがって教育活動を行う。そこから逸脱することは認められていない。そういう意味で教育はいつでも保守的な営みとされる。この合意は、社会的であるために、社会が変われば合意の中身も変わる。それは、法の形で決定されていることもあれば、社会的に広く承認されているという形のものもある。そうした中身が教育の公共性と呼ばれる。そこからの逸脱を偏向と呼ぶことが世間ではある。教育学では偏向という言い方はあまりしない。公共性のどの部分と関わるかによって教育の中立性や教育の公正性などと使うことが多い。「偏向教育」ということがあるが、これは教育する側がつまり国家や学校が一方的な見解を押しつけることを指す。こうした言葉の使い方からすると、それにあてはまるのはどちらかは明白と言うべきである。

 

教育勅語をよいものとする一部の人々がいるが、その成立と内容と歴史的役割をよく学ぶべきである。勅語を大切という人がなぜ虚偽をたくさん製造し、人を欺き続けるのか。そこには「國法ニ遵ヒ」とあるのだが?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 社会 | 07:41 | comments(1) | - |
道徳の教科化でいじめがなくなることはない

道徳の教科化でいじめがなくなる!という説を昨日読んだ。

 

「これまで文部科学省が「道徳教育をきちんとするように」と言うと、現場は「一生懸命やっている」と答える。でも、子どもたちは荒れ、いじめの問題は待ったなしだ。友情・信頼、公正・正義について一生懸命学び、きちんと身に着いていればいじめは起こるはずがない。いじめに対応できない道徳教育は意味がない。」

http://mainichi.jp/articles/20170227/ddm/013/100/066000c#csidx89b30d1359696b48ac1c00f9b18dc26 
Copyright 毎日新聞

 

貝塚茂樹という人が述べている。なんか名前に記憶があるなと思ったが、所属も違うので別人らしい。

友情以下を学ぶといじめは起こらないという。

そういう説をいじめ研究をしている人からは聞いたことがない。いじめ構造論にはいくつかあるが、いじめを行ってしまう側の抱える問題は多岐にわたるのであって、道徳の不足だけが原因という論は聞いたことがない。

研究者によってどこを打ち出すかは違いがあるが、近代学校という構造、競争主義、貧困、現代の拝金主義などが社会的に存在し、そこに家族関係、友人関係、学級における関係が重なって起こるとみるのが研究結果だ。

どんなデータや因果関係から貝塚という人はいっているのだろう。「いじめは起こるはずがない」と主観で述べているだけと読んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 社会 | 07:36 | comments(0) | - |
全国学テ問題の偏り

中日新聞が、2015年4月の全国学力テスト中学校国語B問題の解答が偏っているという記事を2月5日付記事で、以下のように報道している。中略で紹介する。

「【あなたは、二〇二〇年の日本は、どのような社会になっていると予想しますか。また、その社会にどのように関わっていきたいと思いますか】

こんな質問をされたら、どう答えますか?  中略 「東京五輪・パラリンピック組織委員会のホームページ」「日本の人口推移のグラフ」「生活を支援するロボットの開発」について資料が示され「八十字以上、百二十字以内」の解答が求められた。

◆十人十色を認めず

答えは十人十色になるのが一般的な感覚だろう。だが、これには“正解”がある。文部科学省が示す正答例はこうだ。

「オリンピック・パラリンピックの影響で様々なスポーツに注目が集まるだろう。今後増えていく高齢者もスポーツに関心をもつと思われる。そのような社会に、私は、スポーツ関連のボランティアをすることで積極的に関わっていきたい。」

「おそらくオリンピックの開催に向けて技術開発が進み、様々なロボットが開発されています。私は、そのような社会に関わっていくために、大学で科学技術に関する研究をしたいと考えています。」

他に「若者の代表として努力し、オリンピックでメダルを取る」「今よりも安全で性能が高いロボットを開発する仕事に就きたい」など、計六例の模範解答がある。

「正答例は、要するにテストを作った大人が思い描く『良い子』の事例じゃないですか」」

 

条件をつけることで未来像を一定の範囲内におさめさせることを合法化して、一部の解答だけを正解にしている。文科省による将来像の強制と言える。

 

実は、昨年の小学校国語B問題でも偏りのある設問と正答が出されている。

スーパーの店長が「地元の農産物が大好評」と言っている後に、インタビューアの準備したメモ「地産地消についてどのように考えているか」を基本とした質問を書き出すことを求めている。

情報を取り出して書き出す課題とすることだから問題がないと思う人もいるだろう。

だが、ここには偏りがある。

それは、地産地消という農水省起源の運動の片棒を担がせていることにある。

地産とは、どの範囲までを地産と呼ぶのか?仮に、狭い範囲を地産と規定し、それにこだわると飢餓・栄養不良が発生する。通常、同一県内の範囲を地産といっているが、これでも偏った食生活となる。また、地元だから品質が良いというわけではない。多少の新鮮さが売りとなる商品もあるだろうが、安全というわけではない。地産地消は食料自給率を一部分的に高めたい側の政治の産物だ。だから、これを推進する農水省は、同時に農産物の輸入自由化を推進してきた。

小学校5年の社会で農業の学習を通過した後であるにもかかわらず、こうした矛盾を問いただすことは想定されていない。準備メモを持ち出すことでそうした理性を排除している。

店長は地元商品が大好評と言っているのに、「地産地消をどう考えているか」とだけ聞くなどと言うのはトンチンカンな質問だ。むしろ、「外国産品も売っていますが、地産地消を推進というのは矛盾ではないですか?」と聞ける知性をなぜ正解例としないのか?

 

この間の一部の行政主導の運動を宣伝する役割を学テに担わせている。この年度は、早寝早起き運動も取り上げられていてきわめて説教くさい問題が連続している。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 社会 | 06:51 | comments(2) | - |
思惑はどこまで見えてる

週の前半、「思惑」は元名大生事件に振りたいようだった。だが、「思惑」は失敗だった。そっちを見てもらえず、稲田の情報隠しや戦闘行為という言葉をいかにごまかすかに関心が向いてしまった。

 

今日の「思惑」は、ABとTの宣伝。朝からテレビと新聞は「うまくやった」と誇大広告する時間を製造している。

この「思惑」は世間、そう社会ではなくて世間はどれほど意識しているだろう。

 

今日は、博士課程のセミナーが一日中続くために、「思惑」がほとんど届かない。無理矢理届けられる「思惑」に世間はどう反応するかが私の関心。

ところで「思惑」の「惑」の字は、まどうという意味で、惑星という言葉が当てられたのはフラフラするように見えたからだと天文学の本にあった。すると、「思惑」それ自体がフラフラするものということか。

他方で、仏教の言葉では、正道のさわりとなる煩悩のことだそうだから、揺らすことが簡単で、あてにならないものが「思惑」となる。あてにならないものに持って行かれることが恐ろしいと思う寒めの朝。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 社会 | 07:38 | comments(0) | - |
軍事と教育

政府は来年度予算に100億を超える軍事研究予算をつけていると報道されている。軍事研究予算が飛躍的に増大している現実がある。

学術会議は、軍事研究に協力しないことをこれまで基本方針としてきた。

それは、軍国主義時代の日本の大学と科学技術研究がこれに従属し、戦争に加担したという反省を土台としている。

後に戦後日本の物理学会をリードし、ノーベル賞を受賞する人々を育てた坂田昌一は、「戦争中に日本の科学者がとった態度への深い反省なしには、いかに世界の平和を唱え、人類の福祉を叫んでもそれは単なる空文に終わってしまう」と記した。

いま、学術会議はこの問題について議論を重ねている途上にある。その結論にかかわらず、軍事と教育の関係の問題も検討をしなければならない状況が先に見えるように思う。

 

というのは、平和を希求する人間を育てることが使命とされる教育(憲法前文などの諸規定)だが、教育もまた戦争に動員されてきた歴史がある。戦争遂行政府の言いなりとなって、こどもたちを死に追いやってきた教育があった。教育の目的、教育の内容、教育の方法すべてが戦争に動員された。

今、教えている内容等が戦争遂行の目的とは違って、平和を希求する人間を育てることになっているのか点検する必要がある。いやそれだけでなく、軍事と関わる教育がどこにあったか/あるかを明らかにする必要もある。政府見解ばかりを書き込む学習指導要領・教科書のような構成と非自立的教育制度でいいのかなど、検討課題は多岐にわたりそうだ。

作業課題の一つとして位置づけて行きたいと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 社会 | 06:51 | comments(1) | - |
先進と後進の関係

先進国たるフランスは、後進国たるマダガスカルを文明化する権利がある、と1885年当時の首相フェリーが国民議会で述べたという。

 

この論理は危険だ。

先進たるゆえんの自由・平等・博愛に価値があると思う者を屈服させる。

 

だが、それらに価値があるとして、他国や外部に対しては、「自由・平等・博愛」をフェリーの演説は認めていない。なんたる矛盾。

 

先進が正しいとしても「後進」がそれにしたがわなければならない理由はない。

これは、思想の問題だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 社会 | 07:26 | comments(0) | - |
第三期教育振興基本計画について

教育振興基本計画の第三期方向が固まりつつあるらしく、概要などの資料が公表された。

 

概要版などは言葉だけをみると目新しさがない。だが、概要・トーンといったものを見ると、「夢と希望」「誰もが活躍できる」といったなんだか気持ちだけ賑やかな言葉が並ぶ。

そうした中で、私が一番気がかりなのは、以下の言葉だ。

「1 教育の使命 改正教育基本法の目的・理念を踏まえ、「教育立国」の実現に向け更な る取組を進めていく必要」という最初の部分。危惧を覚えるのは、とりわけ教基法の目的・理念を踏まえの部分だ。教基法の目的と理念に並ぶ言葉を見ると、がっかりするのである。そんなものより、人の尊厳こそ大事でしょ!と思うのである。

 

教育振興基本計画など見たことがない人が多いだろうし、抽象的な計画なんだからたいしたことないと思う人もいるだろうが、これが教育の各機関を強く拘束するのである。

だから、気をつけないと今まで以上にお国第一主義に陥っていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 社会 | 19:58 | comments(0) | - |
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