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研究会案内その4

愛生研の学習会案内です。

 

私が報告する予定となっています。その報告タイトル候補が以下。

 

道徳科教科書の論議から

教科書は部分的にしか見られない時期なので、入手可能な公表されている資料に限定されます。月が変わるとすべて見えるので、データ的に少々不満が残りますが、各教科書会社が公表しているデータはすべて見ました。学年別の目次と教材一覧とが異なっている会社があった。たぶんミスだろう。

 

副題は以下にしようとメモしてある。


「考える道徳」の技(偽)法と課題

 

場所:名古屋市南生涯学習センター(JR笠寺駅下車500m)
日時:5月28日(日)13:00〜16:30

 

知性を働かせない主人公が登場する教材として評判の高い「手品師」が高学年の教科書のほとんどに掲載されている。なぜだろう。

非民主的な野球チームの監督が登場する「星野君の二塁打」を載せている会社もある。民主社会にふさわしくないという宇佐美寛の批判があるのだが、これに反論できている人と実践をしらない。

2つの素材だけで反知性主義と独裁政権にマッチさせたというつもりはないが、まだそんなのを載せているんだという感想は持たざるを得ない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 教育 | 06:58 | comments(0) | - |
虚構の真実性の崩壊

来週の日曜日に「道徳科」について報告を行う。

今年ということがあるので、初の教科書を素材に話しをしようと思う。

 

8社が検定申請をして「合格」となった。

その過程でお話しについてパン屋がうどん屋に変えられたり、消防団のおじさんが「おじいさん」に変えられたりといった変更が加えられたと報道されている。

 

お話しを使うという点で、国語の場合では考えられない変更だ。文学作品を勝手に改作するなどあり得ない。子どもの作品を用いる場合でもありえない。実際は、漢字をひらがなに変えたり、一部修正が加えられたことがなくはない。だが、お話しの基本構造が変わってしまう今回のような変更はあり得ない。

 

それでも「道徳科」では変えてしまった。これが意味することを素材の側の力に焦点を当てていうと、虚構の真実性を奪うことによって、作品もしくは言葉の力を崩壊・喪失させたということだ。そう考える。

つまり、作品であるお話しは、虚構だが虚構として必然を持っていることによって、伝えるべき世界がそこにあった。しかし、その虚構としての必然を不自然な改作によって奪った。そのために虚構が持っていた真実性が失われ、単なる虚偽となった。

「おいしそうなくりのまんじゅうをかってだいまんぞく」とあるが、それはウソだということであり、「まちのことや、はじめてみたきれいなわがしのことを、もっとしりたいとおもいました。」というのが全くのデタラメな思いだということを露わにしたのである。

 

手を入れられた作品は、虚構の真実性を崩壊させていることが明らかになった。すると、そこで意図された徳目項目、伝統文化などの愛国心に連なる信念が危ういものであることを露わにさせたと言える。

 

では、手を入れられていない作品は真実性を保持しているのか?わたしは、徳目項目に射抜かれることによって、作品の保持している虚構性がゆがめられてしまう可能性が上昇していると読む。いかがだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 教育 | 07:04 | comments(0) | - |
考えないままの道徳

今回の「特別の教科道徳」は、「考える道徳」というスローガンが世間に振りまかれている。

道徳の検定教科書を作成した各会社の説明にもその言葉が並ぶ。

 

しかし、できあがった検定教科書からは、それをくみ取るのがむつかしい。

 

例えば、朝、人がであっている絵が提示されていて、「こんなときなんていえばいいのかな?」とある。

考える余地があるだろうか?挨拶をする以外に応答は期待されていない。

 

「黄色いベンチ」の上でおもちゃの飛行機を飛ばしてベンチを汚してしまった二人。もうこの後の展開はどのように聞こうと結論は見えている。

 

どこに考える余地があるだろう。

 

パン屋が和菓子屋に変わったことからも分かるように、細部まで教科書作成者や文科省の意図ははっきりしている。和菓子だと日本風でパン屋だとそうではないという固定観念の塊=「思い込み」でつくられている。

 

取り上げられた作品の中には、元はそうでなかったものがないではない。だが、教科書として編修されて、教科書の頁がふられると意図は考える余地のきわめて少ない作品に変貌をとげてしまっている。

それは、権力が正解を定めることによって変質するのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 教育 | 06:42 | comments(0) | - |
引き込むひとり芝居

ひとり芝居といっても、舞台俳優のそれではない。

落語の演じわけ。それほどうまくなくていいのだろうが、教師にもそういう語りを授業などに入れる人がいる。

教師の場合、私が直接見たことがあるひとは、演技としては大げさすぎて不自然なことが多い。だが、わかりやすいと言えばわかりやすい振りの人が多かったように思う。

 

先日取り上げた山崎さんの記録にもそれがある。

大森貝塚を発見したモースの写真を黒板に貼って、

「これはだれだ」

「日本人じゃないな」

などと授業を始める。

 

教師が「この人は誰でしょう?」

と質問で授業を初めてもいいのだろうが、そうではなくて答えの方を教師が言い始める。

山崎さんの場合は、答えを言って、子どもの興味の向きどころを指示している。

こういう授業への引き入れ方があるんだなと感心する。

 

解が問いとなる教授行為だ。なるほどと思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 教育 | 07:06 | comments(0) | - |
研究会案内その3

日本教育方法学会主催の研究集会です。

 

テーマ:「特別の教科 道徳」への対応を検討する

日時:2017年6月10日(土)13:30〜16:30(受付:13:00〜)

場所:慶応大学三田キャンパス 西館517教室

 

司会者:梅原利夫(和光大学) 子安 潤(愛知教育大学)

提案

  松下良平(武庫川女子大学) 「道徳科の可能性と課題」

  塩崎義昭(浦安市小学校教諭)「批判的学びの道徳の授業実践」

 

これは、新に教科書がつくられ、8月には各地で教科書採択が行われますので検討すべきテーマということで企画しました。従来の道徳教育を変えるんだ!といわれていますが、はたしてどこがどう変わるでしょう。どんな向き合い方があるでしょう?という企画です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 教育 | 06:11 | comments(1) | - |
LGBTの教育はいつでもどこでも

過日のこと。

LGBTを取り上げた教育を構想する途中経過を発表する学生が、照れがあったのだろうが「僕はまっとうな側」と発言しました。

私は「あらら」と思いました。

LGBTの問題を取り上げるときに、多数派と少数派にそれぞれ「正常」と「異常」を割り振るのが一番の問題点なのに、そこをスルーしてただいろんな人がいるとだけ捉えていたようです。

当然、それだと線引きを行うことで当事者を傷つけ、差別してしまうことになるという話しをしました。

こうした問題は、意図的に取り上げつつ、他方ではいつでもどこでも取り上げることが必要だと思います。

 

本日朝日ネットニュースに以下の記事がありました。

http://www.asahi.com/articles/ASK586T95K58UTIL05P.html?iref=com_alist_8_08

 

「中学生でもまだ早い」などの昔からある「寝た子を起こすな論」など両論が記事となっていました。

世間に取材すれば両意見があるでしょうが、実体上と研究上は「寝た子を起こすな論」は破綻しています。政府の青少年の意識に関する調査でも、すでに悩みを抱えていることが明らかだからです。

橋本紀子らの調査研究でももう自明のこと(「日本の中学校における性教育の現状と課題」ならネット上で読める)となっています。

 

どうして50年60年も前のゆがんだ認識のままなのかと言えば、もうはっきりしています。差別の意識構造をそのままに放置してきたからです。だれがかって?それはもう、まずは、誰でもが思い当たる部署です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 教育 | 07:21 | comments(0) | - |
教師の3つの生きがい

教師調査のデータを見た学生による教師の働きがいの上位3つ。

・子どもの成長に関わることができる。

・将来の子どもの活躍が楽しみである。

・自身を成長させ続けることができる仕事。

教師が上記3つを生きがいにしているらしいとまとめていた。

 

内閣府の調査などを見ると、自分の仕事の働きがいについて「ある」と応える人は、半数以下となっていることが多い。それに比べると教師は、働きがいがあるとする比率が高い。

あると応えることが強いられている気もするのだが、高い方の職業である。むかしは「でもしか」の職業の1つだったのだが。

学生も働きがいがあるという方向で応えることを暗黙の内に期待されている影響があるのかもしれないが、上記のような回答が多い。

 

そこで、まじめな私としては「大丈夫だろうか」と学生に不安になる。

例えば、特別有名になるわけではなく、普通の人として暮らしていく場合が多い。それも困難なことも多い。社会的な意味で将来子どもは活躍しないかもしれない。いや、病気などで活躍できないかもしれない。

教師も自身を成長させることを事実上諦念してしまう人もいる。成長させようと言うばかりで、実際にはマンネリになってしまうこともある。

20代30代前半で亡くなってしまった卒業生の教師の話し、子どもも課題山積で困難を抱えて暮らしている実例を紹介した。

それでもなお、「子どもの成長」や「社会での活躍」を生きがいとするのか?素朴に捉えているだけではダメなのではないか?順調に生きている側面ばかりを見てよかったとするとらえ方をやめて、さらにもう一歩先へ進める把握を期待したい、と述べて終わりにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 教育 | 07:15 | comments(0) | - |
差別言辞・ヘイトスピーチの形成と修正過程

サッカーはこのところ差別発言や行動が連続して発生している。

問題を訂正する努力をしている点で、何もしていない競技団体より優れていると思うが、続発するのはやはりどこかに問題がある。

京都のラーメン店でのヘイトでは、客のヘイト発言を止められなかったとして若干の休業を責任としてとるようだ。

 

こんなことが起こるのは、右翼政治家やテレビに登場する多数の右派評論家・右派タレントらによる扇動発言が蔓延している影響が大きい。下品な日本自画自賛番組の蔓延も差別言説を醸成している。

 

差別やヘイトの仕方には3通りある。

A:面と向かった差別言説・行動をとる自覚的差別主義者によるもの。日本会議に集う人たちの多数派。

B:無自覚に日本や日本人を称えることで、それ以外を下位におとしめるもの。Aはこの手法を自覚的に利用するが、無自覚な者もかなりいる。「器用な日本人」「日本人が活躍している!」などと言ったり書いたりできてしまう無自覚な人。

C:「普通」や「正常」といった基準を設定することで、それ以外をおとしめるもの。これも無知と無自覚に起因している。

 

こう並べると、差別とヘイトの仕掛けが見える。

1:自分を何らかの集団に所属させて、そこに所属する者としない者に区分する。

2:所属集団の多数派・慣行・幻想を本質化し、ランキングする。

 

確かに自分がその一員がどうか怪しいことも多いのだが、それは疑うことができないひと。

本当に多数派かどうかは分からないが、幻想かもしれないのだが、そうだと思い込んでいるひと。

 

これを解きほぐす営みの研究が20世紀末に行われたのだが、今もう一度出発させなければならない。そこで課題は、今はそこに何を付け加えなければならないかという点だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 教育 | 07:15 | comments(0) | - |
外の世界へ

ゴールデンウイーク前半は原稿を書いて、中盤からは報告書を書いていた。後半はまた原稿を書いて、気分転換は映画ぐらいで長い時間を椅子に座って時がたつ見込みだ。

 

10日くらい前に届いていたのだが、子どもとの8日間の出来事を綴った教師からのメールを読む。

出来事・子どもの振る舞いは外の目から描かれ、その読み取りは内から分析的な解釈が示されている。その読み取り方から、「苦戦中」とあったが、子どもがトラブルを頻発させているけれど、子どもは「教師が理解してくれているな」という時を通過していくたびに落ち着いていくに違いないと思った。

 

ただ、そうした関心事で学級が展開すると、教師も子どもも少々息苦しくなる。人と人の関係は連続的性格を持つので、ドラマとはいえ関連性の強い内向きとなるからである。

この点で、教科の学習は外の世界へ突然連れ出す。海底の熱水の噴出する近くで生命が誕生したらしいなどという話しをしていたかと思うと、フィボナッチ数列の一種の松ぼっくりを見つけて同じ比率で傘が規則的に並んでいたり、それが黄金比らしいといっていたかと思うと、ナショナリストは歴史を偽造したがるがウィーン・フィルはナチスに協力加担した歴史を直視する勇気があるらしいなどと。

脈絡はないが、目を開く学習へ参入させてくれる可能性がある。

突然世界が開けるような機会となるかもしれない。

 

近年の教科教育は、そういう世界へ開くという意識が希薄であることが多い。内容絶対主義を越えてきたかと思ったら、内容抜きのシステム論やデザイン論ばかりが流行るようだ。

不思議そのものに関与することがもっとあっていい。

 

そういう意味で外の世界へ歩み出すことなのだが。私は外に出ないかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 教育 | 07:44 | comments(0) | - |
定義された範囲の内外

今日は憲法記念日。

最近は、世論調査も操作されているらしく、世論忖度調査と名前を変えるらしい。

 

さて本題。

PISAの読解の問題にインフルエンザの案内文にあるのは以下の4つのうちのどれかを選ぶ問題がある。

A:冬体操のクラスが毎日開かれる。

B:勤務時間中に予防接種が実施される。

C:参加者に少額の手当が支給される。

D:医者が注射をする。

の四つ。

 

正解はBだと思って資料を配付した。

すると、Bの「勤務時間中」にというのが問題文にないと学生が質問してきた。そして、書いてなくても推測で選ぶならDも注射するかもしれないから正解ではないかという。

 

えっと驚きながら資料をみる。回答の採点基準には勤務時間中とあって、Bが書いてないのは、印刷ミスだった。

 

ともかく、確かに注射するかもしれないが、しないかもしれない。だから「医者が注射する」と断言しているDは情報の抽出としては誤り。

単純に書いてないからと削ってしまうよりこの学生の推測は悪くないが、論理的帰結としては誤りとなる。

 

この時の出来事から考える。

定義された範囲内で結論を引き出す作業を学校はよく行ってきた。PISAの問題も同様だ。

だが、定義されきらない状態での帰結を推測する課題がもっとあってもいい。

AIによる曖昧検索に近い課題?

いや、それ以上の曖昧さの中から決定することがあっていいだろうと思いながら研究室に戻った。

 

元の資料が一部間違って作成されていたのは発見だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 教育 | 07:03 | comments(0) | - |
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