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教室で教えるということ
教室で教えるということ (JUGEMレビュー »)
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見方・考え方の内と外

月曜に送稿した原稿は、「見方・考え方」に関するもの。

 

学習指導要領の各教科等の目標部分に機械的に「見方・考え方を働かせて」と入った。

 

働かせる「見方・考え方」とは何か、と答申や中教審系本をみると、客観的に存在する「見方・考え方」を指していると思われるものと、学習者の内部で思考活動のレベルのことを指していると推量できるものとがある。この区別を明確にしていない。

この部分に深く関与したと思われる心理学者の奈須は、明らかに後者を想定している。だから、初心者のスキーマと熟達者のスキーマの違いの心理実験の結果を持ち出してくるし、思考活動としての比較や関係づけの話題を持ち出してくる。

他方、答申類には「教科の本質に関わる見方・考え方」という用法が何度も出てくるが、その説明には「「エネルギーとは何か。電気とは何か。どのような性質を持っているのか」のような教科等の本質に関わる問いに答えるためのものの見方・考え方、処理や表現の方法など」とあり、客観的に定式化できる知を前提にしていると読むことができる記述もある。

 

「関係づけ」る思考活動は、言語に媒介されるので、知識として定式化できる。知識というのは命題なので本来関係づけるものとも言える。原因と結果のようなものを想定してもらうといい。その間をつなぐ理由付けが関係づけで客観的に定式化できる。その意味では見方・考え方は客観的・外在的に示すことができる。

 

内面の思考活動のレベルでの説明をみると心理活動の要素としての比較や分析と総合のような言い方になって、内容が関係なくなる説明に出会う。内容がなければ何にでもあてはまるが、それでは意義がなくなる。

こうして、混乱を極めることになるだろうと思われる。

 

そこで、客観的に定式化できるレベルで、それが理解される学習を構想したらというつもりで原稿は書いた。上記のことをあからさまに説明するにはスペースが足りなかったので「そっと」示した程度だが、それが趣旨。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 教育 | 07:24 | comments(0) | - |
重要用語の選択について

歴史分野が新聞等で何回も取り上げられて話題となったが、高校における重要用語の選定問題。

検討がとりわけ求められているのが歴史分野と生物分野で、歴史分野は任意の阪大グループ中心だが、生物分野は学術会議の中にこの問題に関する分科会がおかれて、昨年の9月28日に報告「高等学校の生物教育における重要用語の選定について」という議論のまとめが公表されている。

http://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/pdf/kohyo-23-h170928-1.pdf

以下がその報告の中心だ。

 

生物科学分野教育用語検討小委員会は、現行の高等学校生物の教科書の調査と、インターネットを駆使した頻度分析、そして生物教育用語集の理念を踏襲した作業を行って、最重要語254語、重要語258語、併せて512語を、高等学校の生物教育で学習すべき用語として選定した。今後の高等学校生物教育における用語使用の指針としたい。

  選定に当たっては、学習すべき主要な概念とのつながりを重視し、用語の変遷があったものについては、原則として学界での一定の定着があったものを採用することにした。国際的に確立している用語を優先するため、可能な限り英語との一対一対応を取り、英語での使用頻度を重視した。また、この機会に複数の同義語の統一や、混乱のみられる用語の呼び換えも提案している。

  本報告は、重要語リストに選定しなかった用語を、教科書で使わないとか、高等学校の生物教育の現場で教えないことを求めるものでは決してない。重要語として教科書中ゴシックで扱われる語を減らそうというのが小委員会としての提案である。最も重要なねらいは、生物学が暗記科目ではなく、思考力を大きく刺激する魅力にあふれた学問であるというメッセージを送ることにある。

  なお、今回の報告は、用語の固定化を目指すものではなく、学問の進展と研究者・教育者からのフィードバックをもとに、継続的に改訂されていくべきものであると考えている。

用語が2000を越えていて、生物が暗記科目と見なされ、弊害が著しいという問題意識のもと議論されたらしい。

ここには、いくつかの根本問題がある。

誰が選定するのか?

どこが決定するのか?

どの語が重要用語か?その基準は?

指針とあるが、どのように取り扱うことになるのか?

という問題である。

 

選んだ人々は、生物学の各分野を公平に代表しているだろうか?政府の審議会を見ればわかるように公平でないことが多い。学術会議の場合もメンバーの選定の公平さをいかに担保するかは課題だ。

上記は学術会議の分科会が用語を選んで決定しているが、それ以外の人々は指針を勝手に決められても納得できないということは考えられる。文科省が勝手に決めるなどということになるともっと納得できない可能性が高い。だから、決定は文科省が関与しない形で公共的性格の組織でなければならないだろう。また、その取り扱いや適用の範囲はさらに検討がいる。

「選定しなかった用語を使わないとか、教えないという意味ではない」とあるが、微妙な問題がそこにある。歴史の場合にみられたナショナリストや受験に毒されている人が坂本龍馬が選定されないと騒ぐような現象はどうでもいいが、適用の範囲については、報告とは別の発想もあり得る。「考える生物学教育」にしたいとあるが、そのためには多様な用語が豊富に用いられる方がよいと考えられる。暗記に走るのは、用語の多さゆえかどうか疑問が残るからである。入試制度と問題の形のためではないか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 教育 | 07:34 | comments(0) | - |
分断と制限の体のつくり学習

小学校4年の理科で「人の体のつくりと運動」を学ぶ。内容は、次の二つ。

(ア) 人の体には骨と筋肉があること。
(イ) 人が体を動かすことができるのは,骨,筋肉の働きによること。

 

5年では「動物の誕生」が取り上げられる。内容は次。

(ア) 魚には雌雄があり,生まれた卵は日がたつにつれて中の様子が変化してかえること。
(イ) 人は,母体内で成長して生まれること。

上記については制限がかけられている。

「4) 内容の「B生命・地球」の(2)のアの(イ)については,人の受精に至る過程は取り扱わないものとする。」

 

6年でも「人の体のつくりと働き」が取り上げられる。包括的表現の箇所を引用すると下記。

人や他の動物について,体のつくりと呼吸,消化,排出及び循環の働き に着目して,生命を維持する働きを多面的に調べる活動を通して,次の事 項を身に付けることができるよう指導する。

 

何でこんなにばらばらに3学年にわたって学習するんだ。表に見えやすい筋肉からという理屈は成立しないだろう。同じ四年で磁石や電気の回路が取り上げられている。電気が付いたり消えたりは見えるが、見えない電気を扱っている。骨と筋肉だけで運動は成立しない。神経系をはじめ人は全体的生命体だ。

また、受精に至る過程はなぜ扱わないかは、以前から指摘されてきたように性については教えないという非科学的な保守思想に支配されているためと考えざるを得ない。

 

こんな分断と悪弊を続けていて、小学校学習指導要領理科の目標には「自然の事物・現象についての問題を科学的に解決するため に必要な資質・能力を次のとおり育成することを目指す。」(77頁)とある。

問題を科学的に解決する資質・能力はこの作成者にも必要かもしれない。(以上、全部「新学習指導要領」から引用)

 

個々の内容についての検討が広く行われる必要がある。小学校道徳科の教科書の改訂がもう始まっているように、すべての内容についての検討が議論の俎上にあげられるべきだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 教育 | 07:49 | comments(0) | - |
珍しく『教育学研究』

先日到着した教育学会の紀要『教育学研究』84巻第4号が面白かった。

『教育学研究』は、年4回発行されるが、総合学会ということで関心のあまりない論文掲載率が高い。専攻分野に近い論文が掲載されても手堅いなと思うことはあっても、「参考になったな」ということは、数年に一つ二つ。そういうイメージなのだが、珍しく読んだ。今の私の関心とかみ合う部分があった所為だろう。

 

冒頭の水木論文は、普段ならパスするタイプの論文なのだが、「学習観の転換と経営管理主義の行方」と題されて、いわゆる目標管理批判の近年の動向が気になって読んだ。論文中の「そうだね」と思った論理は、中教審は「教科の本質」「学びの本質」と23回使って(最近はこういうのを機械で数えさせるので昔と違って楽)、中教審は「「学びの本質」という正解があることを暗に示し、中教審は知っているという形式になっている。正解のない世界でどうすればよいかの正解を私たちは知っているので、あなたたちは受容せよ、という形式になっている」という下り(7頁)。中教審が知っている正解が正解のない世界で正解かどうかわからないという趣旨の文章を私も昨年書いたのだが、中教審の文書に即した批判の書き方として「いいね」と読んだ。

 

さらに面白いと思ったのが斎藤里美の「人工知能とエンハンストの時代における「学ぶ意味」と「学力」」。エンハンストというのは、ここでは能力増強、AIタイプのロボットスーツをイメージするといい。最近、中教審は、「何ができるようになるか」が知っていることより重要だと主張しているのだが、斎藤はそこを現代の人工知能の研究の動向から批判する。人が学ぶのは、何かの「役に立つ」と「教養となる」という二つの動因があることをまず先に紹介する。時代ごとに二つの動因の影響やそのとらえ方は異なるが、ともかくあることを確認する。そこに人工知能の研究が加わると、「役に立つ」側面はどんどん人工知能のアシストを受けるように変わっていくと推測している。すると、人間が従来のように「できるようになる」必要度は低下するだろうというわけである。そうだとすると、今の方針は?というわけである。未来予測の内閣府の懇談会報告の検討も興味深いものであった。私がコンピテンシーベースではなくて、教材ベースにと『人間と教育』96号に書いたわけだが、それとも通底する部分が内閣府の報告書にあった。

 

水原論文もシニカルに事態をとらえ、田上論文も私とは枠組みが全く異なるが、見ている事態のひどさは共通すると読んだ。

2月締め切りの原稿で図書紹介する同じ本が取り上げられていたので、それは読まなかった。
有意義な昼下がり。

 

 

 

 

 

| 教育 | 07:02 | comments(0) | - |
折る回数は10回

折る回数は10回。以下の画像は順番。

単なる輪切り。
正方形になって1回目。
四角を半分にして三角。2回。


三角を小さい四角に。3回目。

 

 

 

 

 

 

 

正方形の対角の部分を引っ張る。4回。

 

 

 

 

 

 

 

裏側を同じように引っ張ると右の形。5回。

 

 

 

 

 

 

できた長方形の端を中に、中を端にした所。一度折っています。で6回。

 

 

 

 

 

 

長方形の真ん中を離して広げると、右の写真。7回。

 

 

 

 

 

 

 

裏側も引き出すと三角形。8回

 

 

 

 

 

 

 

 

 

三角形を広げると右の写真のように四角。9回

 

 

 

 

 

 

 

四角形の対角線の部分を開く。10回でひっくり返る。

 

よって、私のカウントでは10回でひっくり返る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 


 

| 教育 | 00:06 | comments(0) | - |
カリキュラム学会研究会の案内:高校における探究科目の導入と課題

公式の案内は別に近日あるはずです。報告者は、「探求」や「歴史総合」の研究や実践を積み重ねて来られた方々、SSHやSGHの指定校の経験を有する方々です。

探求や探求系科目に関心のある方にはお奨めの企画です。まもなく高校の学習指導要領案が示されるはずで、そのことと深く関わっています。

 

2018年カリキュラム学会中間研究集

主催:日本カリキュラム学会

 

テーマ:高校における探究科目の導入と課題

趣旨:2018年3月に高校学習指導要領の答申が発表され「考え判断する教育」への転換の一環として、「理数探究」「日本史探究」「世界史探究」「総合的な探究の時間」など、探究をキーワードとした科目が導入される。それらの科目をカリキュラムにどう位置づけるのか、各探究科目の内容や指導方法、生徒に意味ある探究学習は何かなど、課題が山積している。導入に向けての課題を整理し、探究科目に関する考え方や、実施している高校での実践内容・工夫・課題を聞きながら、カリキュラム創造の方向を考え合うことを目的に研究会を開催する。

 

日時:2018年3月18日(日)14時~17時(受付 13時30分~)

場所:お茶の水女子大学共通講義棟1号館301室

 

報告者:
石川久美教諭 (名古屋大学付属中学高校)
坂井俊樹教授 (開智国際大学教育学部)
玉谷直子教諭 (お茶の水女子大学附属高校)
林 尚子教諭 (和光学園高校)

趣旨説明:高橋亜希子 (南山大学)
司会:子安 潤 (中部大学)

 

公開研究会として開催されますので、非会員の方も参加できます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 教育 | 07:09 | comments(0) | - |
見方・考え方について

タイトルを課題とした原稿の締め切りが近づいた。

 

中教審による規定は比較的簡単なものに幸い留まっている。細かく勝手に行政が定めることほど迷惑なことはない。

この点に関しては、要するに、教科の基礎概念には物事を捉えていく見方・考え方があり、個別の知識や事柄を一貫してとらえる観点のことだとしている。これには、教科等に固有なものと、教科を越えたものとがあるとだけ指摘している。

これを受けて学習指導要領の各教科等の目標の出だしに、見方・考え方に関わる目標が機械的に配置されている。書き方の形式的な画一性にはびっくりさせられたものだ。どこか不自然な文章が並ぶ。

 

とはいえ「見方・考え方」の内容を除けば、それらの枠組みとして「見方・考え方」があることについては間違ってはいない。

 

だが問題は、二つある。

一つは、見方・考え方には、観と深い関わりがあるものがある点だ。

人間観や宇宙観あるいは言語観などなど微妙な問題をはらんでいる。そこで、その中身として何を想定するかは問題だ。その見方・考え方が妥当かどうかという問題がある。数という概念一つをとっても、記号と考えるのか実体と考えるのかそれら二つ以上と考えるのか、把握に違いがあった。地域概念も同様だ。

 

もう一つは、観をどう教えるかという問題である。中教審は気にしていないそぶりだが深刻だ。

特定の概念に単純化して、つまり知識のように観を教えるのか、観となるように教えるつもりで取り組むのか、子どもの思想信条の自由を担保した教育を念頭に置くのかで天地ほどの開きが生まれる。

 

この二つがまだ話題になっていない。「見方・考え方」の一覧は比較的抽象度を高く記してある。そのことだけが救いだ。実体が姿を現したときには問題が深刻になっているときだろう。

 

観を鍛えよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 教育 | 06:37 | comments(0) | - |
論文指導

日本教育学会から、若手研究者向けに論文指導のワークショップを開催する案内メールがきた。

参加できる人は、30代までの教育学会会員だけなので私は無理。3月17日(土)に東京大学で開催される。

次の文が目的の説明。

「本ワークショップでは学会がカバーする研究領域の多様性を踏まえて7つの研究分野を設定しました。各分野で顕著な業績を挙げている研究者の方々にアドバイザーを担当していただき、若手会員との双方向的な議論を通して、学会誌への投稿に向けた指導をしてもらいます。前回のワークショップ以上に実践的な内容になっているため、30代後半までの幅広い若手会員の参加を期待します。この企画を通じて、若手会員が気鋭の研究者による研究のノウハウや考え方に触れ、教育に関連する様々な学会における投稿論文の質の向上と投稿数・掲載数の増加につながれば幸いです。」

査読に通る論文について午前中はパネルが開かれるようだ。

 

教育学会の教育学研究に掲載される投稿論文の掲載率、年度によって異なるが、だいたい1割台だったと記憶する。私の所属する教育方法学会も二割台、カリキュラム学会もそんなところ。教師教育学会もその辺りか。私は、一般にきびしい学会に所属している気がする。

 

博士課程院生にとって全国学会の学会誌に掲載されるかどうかが、博士論文を執筆できるかどうかの基礎条件となっている。だから、きわめて重要な問題。学会誌の論文は、投稿論文に研究的価値がなければならない。二番煎じではない、ユニークさが研究に求められる。それで掲載率はどうしても低くなる。

 

基礎的ノウハウを担当者は語るらしい。

基礎的ノウハウは研究目的の設定、先行研究の収集と批判、自前データの収集と分析の3局面に分類できるだろうが、二時間あまりで可能なのかどうかわからない。若手の研究者自身の論文に即してではないので、「身に染みて」理解することにつながるかどうかもわからない。この辺りが難しいところなんだろう。

 

七人の方々はこのところ各分野で活躍している研究者たち。ノウハウに新しい変化があるのかどうかは知りたいものだと思う。

もう少し続きを書きたいがタイムアップ。

 

 

 

 

 

 

 

| 教育 | 07:46 | comments(0) | - |
わかるについて

昨年、気になった報道で放置していたのが、半数の子どもが教科書の内容がわからず、15%の子どもは教科書そのものが読めていないという報道。情報学研究所の報告をニュースにしたものだった。

読解力を判定するテストを開発したというものであった。テストそのものよりも、「読解」の構造をどのように把握しているのかに関心があったからである。どうするとわかるのか、わかる条件について教育は関心を向け続けてきた。ただ、その研究は細分化しすぎて全体構造を把握しにくくなってきていた。そういう中で、テスト化する必要から単純化は避けられないとしても、全体像を掴むには便利で参照する場合の信頼度が高い研究だろうと思われた。

 

新井氏の研究グループの仮説は以下の11が読解を支えるという仮説に基づいている。だから他にあるかもしれない。

以下引用。

https://www.s4e.jp/process

1. 文節に正しく区切る。(例:私は学校に行く。→私は/学校に/行く。)

2. 係り受けの構造を正しく認識する。(例:美しい水車小屋の乙女。→美しいのは「乙女」である)

3. 述語項構造や接続詞を正しく解析する。(「誰が」「何を」「どうした」のような構造を正しく認識する)

4. 照応関係を正しく認識する。(例:私はハンカチを落とした。それを彼は拾った。→「それ」は「ハンカチ」である)

5. 日常生活での経験や伝聞から得られる常識と、小学校における学び等から得た知識と、簡単な論理推論によって、未知の用語の意味を実世界に関する知識の中に位置づける。(語レベルのマッピング)

6. 日常生活での経験や伝聞から得られる常識と、小学校における学び等から得た知識と、簡単な論理推論によって、未知の関係や概念の意味を実世界に関する知識の中に位置づける。(文構造レベルのマッピング)

7. 既存の知識と新たに得られた知識に対して、論理推論を働かすことにより、実世界に関するさらなる知識を獲得する。

8. 得られた多くの情報間の重要度を適切に付与する。特に、与えられた観点において、また問題解決の上で必要な情報を適切に取捨選択する。

9. 同様のことを、図やグラフ等、ほかの論理的表象手段についても実行できる。

10. テキストと図やグラフで表していることの同一性を実世界の意味を介してチェックすることができる。

11. 以上の各処理において誤りがないかをメタな視点からモニタリングして修正する。 

 

わかってもらうためには、1から11の分析と総合の活動を内容に応じて学習者に行ってもらう必要があることになる。

2の係り受けの構造は難しい。日本語は、美しいのが乙女ではなく水車小屋の可能性があるからである。

あるいは、説明事例にあったが、「私は、岡田と広島に行った」の文構造と「私は、岡山と広島に行った」は同じだが、意味が全く異なると理解できるかどうかは、岡山や広島という地名と人名に関する知識が必要となる。

ともかくこのテストは分野が限られているとは言え、「わかる」にとっての基礎構造のかなりの部分をカバーすると考えられそうだ。

 

以下の六つ、この視点がわかるの基礎構造にあるとみているようだ。

「係り受け(DEP)」―― 語句の間にある「修飾する」「修飾される」関係の理解
「照応(ANA)」―― 指示語や省略された主語が何を指しているかの理解
「同義判定(PARA)」―― 二つの文が同じ意味かどうかの判断
「推論(INF)」―― 論理や常識を使って文章を読み解けるか、文章で書かれていない部分(省略されている部分)を理解できているか
「イメージ(REP)」―― 文章と図表が対応しているか
「具体例(INST)」―― 定義と具体例が対応しているか  ※具体例の問題は、さらに「辞書問題」と「数学」に分かれるそうです。

 

ところで、この調査研究で興味深いのは、読めない原因についてである。

国語が得意かどうかと本調査の能力値との間に相関は特にはない。また、読書が好きかどうかとも相関はなかったと報告している。

 

相関がなかったのは、性別・得意な科目不得意な科目・一日の学習時間・スマートフォンの利用時間・読書の好き嫌い(5段階)・好きな本のジャンル・今月読んだ本の冊数・新聞購読の有無・通塾・習い事などもない。能力値と意味のある相関があった項目は特に見当たらないという。社会学者は、上記項目と社会階層は相関し、それらは学力と相関するとしばしば指摘してきた事柄だ。学校によっては、必死の読書運動をしたり、抑圧的スマホ禁止を掲げているが、読解とは相関しないとすると、なんのためとなりそうだし、偏差値こそ上げようともなりそうな結果で、次のように述べている。

 

「にもかかわらず、進学できる高校の偏差値との相関は0.8です。つまり、生活・読書・学習習慣とは関係ないのに、進学できる高校を決定するような能力値だということです。」中学で能力値が上がるという点で知能テストとも違うと指摘している。

 

注目しておきたい研究。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 教育 | 07:19 | comments(2) | - |
事実と全体性

今日ぐらいは振り返った方がいいのだが、刊行された書籍についてだけ振り返る。

 

・『高校生活指導』203号に「批判的アクティブ・ラーニング論」

・『福島第一原発事故後の現実の中で多様な価値観を認め合う教育をめざして』という科研報告書に「授業づくりと中立性の原則」「リスク社会における原発教育の創造」を加筆採録した。

・『体育科教育』2017,4に「巻頭エッセイ」。

・『あいちの子育てと教育と文化2017』に「新学習指導要領の批判読み」。

・『歴史地理教育』867に「初期社会科の見方の転換に学ぶ」

・『教師教育研究ハンドブック』に「教員養成カリキュラムの改革」。

・『日本教師教育学会年報』第26号に「教育委員会による教員指標の『スタンダード化』の問題」。

・『人間と教育』96号に、「膨張する資質・能力論を教材研究ベースへ再構築する」。

 

奥付の年月で区切ると以上の8件の9論文だと思う。

他に同人的会誌に書いたものもあった。

 

新学習指導要領と教師教育に関連するものが多い。それぞれに新たに資料・データを探索して勉強になった。

ALに対する見方をはっきりさせたと思う。教育目標・教育内容・教育方法を切り離してしまう見方を一貫して批判してきた。考慮事項程度に言い訳する論じ方は、結局、切り離している。事実や真実を歪めた教育内容政策が露骨に進行した年でもあった。教育は、全体を視野にいれた方針が必要条件だ。

もう一つは教育のスタンダード化の問題で、日本のスタンダード化はアメリカのマネだが、そのマネ方は異常だ。信じられないほどの画一が現れる。日本の教育の悪弊の究極の形態。

 

自由と平等のもとで真理を探究する教育が期待だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 教育 | 09:36 | comments(0) | - |
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