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教室で教えるということ (JUGEMレビュー »)
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子どもの読書政策について

文科省内に「子どもの読書活動に関する有識者会議」というプロジェクトがあり、配付資料の一部が公開されている。

その「論点まとめ案」は、議論してきたけれど、妙案はないという文書と読んだ。

http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/shougai/040/shiryo/attach/1398330.htm

 

小学生はよく読んでいて、中学生、高校生と学年が上がるに従って激減していく。

「1か月間に1冊も本を読まなかった「不読者」の割合(不読率)は小学生5.6%,中学生15.0%,高校生50.4%」と毎日新聞の調査が引用されている。

大学生の場合、本の冊数調査ではないが、一日の読書時間が24分。(大学生協連調査2017年)新書程度で、6時間かかるとして月2冊が平均となる。

という実態に対して、方針は、一番問題の高校生に対する策がない。まとめ案には次のようにあるのみだ。
「高校生の多忙な生活において他の時間との関わりを考える必要があるが,高校生の放課後の時間については,学習やメディアの時間が大きな割合を占めている。このような高校生が読書をするきっかけを作り出す必要があり,これについては,友達等からの働き掛けが有効であることが分かっている。したがって,友達等の同年代の子供同士で本を紹介したり話合いや批評をしたりする活動が有効であることを認識して具体的な取組が行われることが重要である。」
原因と対策が対応しない。
高校生は多忙で読まない。多忙の要因は?と追求しない。勉強と他のメディアの比率が高いのはなぜか?とは追求しない。
原因を追及しないで、批評活動が有効だからそれを行う、となる。
批評活動はしたらいいが、目標に遠く及ばない状況は改善しないだろう。
原因の解明はこのプロジェクトの責任じゃないが、原因と対応しない方針を出しても、多忙感を生み出すだけじゃないか。子どもにもそれに取り組む学校や行政にも。
私は、急ぎの原稿が終わって、日常がもどって専門外の本を読む時間が増加した。

 

| 教育 | 08:32 | comments(2) | - |
高校歴史用語の削減について

朝日新聞が高大連携歴史教育研究会の第一次案を報道した。

http://www.asahi.com/articles/DA3S13226347.html

上杉謙信の図像を掲載して、消える?のような報道をしている。

これは上記団体の第一次案ですぐに消える話しではないのだが、大学入試に限った話しなのか、歴史系教科書の用語全体の問題なのかがはっきりしない。入試限定なら一部に賛同できなくはないが、歴史教育における用語の使用全体に関わる話しであれば、賛同できない提案となる。

 

以下が高大連携研の削減理由にあたる文書だ。

 

「高等学校における歴史系教科書の用語膨張の原因には、大学入試で細かい用語 の暗記力を問う問題が出続けていることの影響も大きいわけで、用語の精選は教科書だけ でなく、大学入試の出題用語の精選と並行して行う必要があることを意味しています。
なお、量的増加以外に、従来の「用語の暗記」は2つでの点で、質的に深刻な問題を含 んでいます。第一にそれらの用語について、基本的な流れや時代の特色とその個別具体例 などの階層分けが明示されないため、生徒たちはたとえば「フランス革命」もその中の各 事件の名前も重要度を区別せずに、平面的・羅列的に覚え続けることです。第二は、従来 の「用語」が人名・事件名など固有名詞や事実に関する用語に偏っていることです。フラ ンス革命を理解するために不可欠な「市民革命」などの歴史・社会に関する一般概念や、 資料から歴史を考察するために必要な「一次史料」などの方法概念には、「用語」の扱いを 受けていない(索引や用語集に立項されていない)ものがきわめて多く、それらをどこま で授業で用い習得させるかについては、何の基準もありません。これを語学にたとえれば、 必要な文法用語や基本文型の選定を一切せずに、ただ覚えるべき単語の数だけ増やしてい る状態に等しいのではないでしょうか。」

http://www.kodairen.u-ryukyu.ac.jp/pdf/selection_plan_2017.pdf

用語の膨張が機械的暗記を促進しているというわけだが、削減しても機械的暗記という問題は残り続ける。これが解決しない。

異なる方向の授業は時代の流れや言葉の階層分けが鮮明になるように、かつ歴史・社会の一般概念をと述べていて、それは重要だと賛同するが、これらを学ぶには歴史用語を様々に使用することになろう。ここで使用された歴史用語と入試用歴史用語を区分することは難しい。教科書統制や授業統制として作用する恐れが強い。趣旨のように機能しない恐れが多分にある。歴史・社会の一般概念そのものの位置づけも論争的性格を強く持つ。学術会議が文科とかつて専門用語の統一を試みた過去がある。いくつかの分野は一応作成したが、多くの分野は立ち消えとなっている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 教育 | 06:19 | comments(0) | - |
続く政権の不道徳

「大人は子どもの見本」と思っている大人は困っている。

「父の背中を見て育つ」と信じている人は困っている。

「ウソをつくと閻魔様に舌を抜かれる」と言って来た人も心配している。

 

まじめな教師も困っている。

道徳教育を進めたいと思っている教師は困っている。

「正直」「誠実」さを語る人々にこそ欠けているからである。

本当の「友情」は友達の不正に黙っていないと道徳科教科書にあるのだが、安倍ー加計どちらも言わない。

 

一群の徳目が適用されるのは、市井の人たちだけなのだろうか。

そうであるなら、なぜそうなのか。

 

これがどうにも説明がつかない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 教育 | 07:31 | comments(0) | - |
道徳の徳目項目の不思議

研究室の窓から見えた紅葉。

これから徐々に葉がなくなっていく。

学内に食堂は3カ所かと思っていたら違った。

コーヒーチェーン店のような所をあわせると8カ所?あった。

ただ私好みでないメニューであふれている。

 

集中的に道徳科問題。

学習指導要領の「道徳科」の徳目項目は、大きく4つに区分され、それぞれに略称で記すが、次のような項目が配置されている。。

 

A 主として自分自身に関すること(善悪、自律、自由と責任、正直、節度、個性、希望と勇気、真理)
B 主として人との関わりに関すること(親切、感謝、礼儀、友情、寛容)
C 主として集団や社会との関わりに関すること(規則、正義、勤労、家族愛、伝統と文化、愛国心、国際理解)
D 主として生命や自然,崇高なものとの関わりに関すること (生命、自然愛護、畏敬、生きる喜び)

 

不思議な把握がかなりある。

例えば、自律。これは自分自身に関することだろうか?

自律は、依存する他者がいて自律があるから、自分自身に関することではなくて、Bなのではないか。また、依存も重要だといわれているのだが、それはない。

正直も同じで、「自分に正直に生きる」という把握もあるが、他者がいるから正直が問題になるのではないか。

また、自由と責任は対で考えられている節があるが、責任は自由の対概念ではない。

Cの項目こそ、自分自身に関することではないか。自分がそれらをどう捉えるかではないか。Dの生きる喜びもAではないのか。

不思議な分類だ。

また、これらしかないかのようだ。もっと大事なことがあるようにも思われる。

ないのは、権利、民主主義、それから。

 

 

 

 

 

 

 

 

| 教育 | 00:07 | comments(0) | - |
白玉しるこー悩まなくていいこと

白玉しるこは、中学校の道徳科用読み物。

お店で注文したものと違ったものが出てきたとき、間違いを言うかどうか悩む話し。

これで多角的に考えることがねらいだそうだ。

 

そんなこと悩む話しか?!

間違いというしかないだろう。

 

多角的に考えるべきほどの問題ではない。

注文と違った商品がくれば値段も違う。

不自然なお話しだ。これに付き合わされる中学生は気の毒だと思った。

土田というこの記事を書いた人は、ウエッビングという手法を紹介したいだけで、中身を考えていないのではないか。

 

同様に、中身を考えずに手法だけと思われる記事はけっこうある。

例えば、西川という人も「学び合い」のやり方を紹介したいだけに見える。こちらもなぜか多角的に考えることばかりが強調されている。多角的な考察そのものは登場しない。不思議な一致に見えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 教育 | 07:30 | comments(0) | - |
道徳科の手法の硬軟

土曜日に道徳科の実践動向を検討する。

一時間もしくは二時間続きの構成が多い。

お話しを読むタイプと状況設定体験型に二区分される。

 

特別に感じ悪い系には二つある。

表だって感じ悪い系と内面「そんな」系。

 

内面「そんな」系とここだけで名付けた事例。

黒柳徹子の文書が使われる。(道徳科の教科書にも黒柳の文書は採録されている)

結核性股関節炎だった幼少時代。回復した後,同じ病気に苦しむ同年代の女の子の姿が見えると思わず隠れる。それを見た父親が「かわいそうだと思うなら,隠れないで,行ってお話ししてあげなさい。」と言ったエピソードだ。

普通のこれまでの授業は、私の行動や父親の言葉の意味を話し合うというのが従来のよくある進行。

 

内面「そんな」系は、今の私が過去の私に父親の言葉の意味をどうつたえます?という設定でやってみるというもの。

 

自己をどの程度相対化できるかという点で、ストーリーを創作できるタイプの子どもはまだいい。

しかし、そうでない子にはひどく自己を言葉で拘束することになる。

他人の事例とはいえ自身を晒させられる。「そんな。やだ」という感じ。

公共的場面で表明する事柄ではない。

物語における意味の詮索にとどめなければ危ない。

これは柔らかなタイプ。

 

堅いタイプは「とにかく全部で道徳やるぞ」と書いてあった。

無内容なのにハード。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 教育 | 06:59 | comments(0) | - |
理想の教師像を列挙してはならない

昨日は、カリキュラム学会の理事会でお茶の水女子大学へ。

来年の学会の課題研究のテーマ等を決めた。報告者等はこれからだがまずまずよいラインナップだと思う。ということで来年は旭川に行くことになろう。

 

午後は、学び続ける教師を育てる試みがその像とともに4人から報告された。学部における養成、教職大学院、学部と大学院と教育委員会との連携などの事例を素材に報告があった。

 

今進められている教職コアカリの統制でしかない単純さがもたらす問題性。与えられたメニューの消化しか念頭におけない考えない教師としてトレーニングされてしまった教師の存在。あるいはそういう学校文化の存在が一方に示されていた。

ここで、対抗軸として、学び続ける教師の理想を教師の活動の各分野で描くと、一方できわめて多くの項目が必須項目として計上されてくるということが見えた。それを厳選したつもりでも項目数は増えて、「あれもこれも欠かせない」と見なすことになるらしいことがわかった。これが各地の教育委員会設定の教員スタンダードの項目数の増大を引き起こすらしいことが聞いていてわかった。

他方で、「理想の教師」に必要な項目をあげていくことが必ずしも望ましいことではないということに気がついている報告は、理想のポイントの数を減らし、その表現の仕方を抽象化するように試みていると読める報告があった。

理想の教師のよい点を調べて数え上げて列挙する研究をしてはならないのだ。列挙されたポイントをクリアする教師は誰もいなくなる。仮にいたとしても、何の特徴もない、どこにも良さのない教師にしかならない。

このことに自覚的になれないと、つまり教師不信で凝り固まった程度に応じて教員スタンダード(教員指標)は項目が増大すると言えそうだと思った。

 

昨日の報告事例は教育1月号に書いた内容で切れると思うと同時に、指標を増やすとなぜダメなのかに気がついている人が理由に多少の違いはあるが、他にもいることを見つけた気がする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 教育 | 07:46 | comments(0) | - |
道徳科への対応を考える

正確には「道徳科へのクリティカルな対応を考える」という報告を来週末に行う。

 

研究会の名称:全生研セミナー
会場:獨協大学50周年記念館

行き方:東京メトロ日比谷線・半蔵門線直通東武スカイツリーライン「獨協大学前<草加松原>」西口より徒歩5分(公式案内にはそうあるが、5分ではグランド付近まで)

日時:2017年11月11日(土)16:00〜18:00

どうぞご参加ください。

 

「道徳科」の教科書を書いている人たちの本が並びだした。それらの実践動向を批判的に検討することを主要な課題として報告しようと今のところ考えている。

そのために、決して買いたくはなかった本を買っちまった。読むことに積極的な価値がある本を読みたいものだ。実践を事実として書いてあれば、ひどい本の中にもどこかにいいところはあるかもしれない。微かな期待を持たないわけではない。

 

今月は学会業務が多く、まずは東京へ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 教育 | 06:07 | comments(0) | - |
歴史的思考ー中身をどうぞ

歴史地理教育11月号に歴史的思考力を育てるという問題意識の実践の報告がある。

報告の冒頭にALとコンピンテンシー論への論及があるが、それらに関係なく、歴史を考える力を知識を獲得させていくことと関わって育てることは重要という点では、首肯する。

 

問題は、報告の最後に実践を振り返って書いている部分だが、その力を育てたのかどうかである。

ロシア革命の2時間あまりの事例で世界初の社会主義国家がなぜなにを願って誕生したのか、その誕生の理由を農民・労働者・知識人・兵士の四つの立場を想定して考える授業を構想している。

ロシア革命の概要を説明した後、4つの立場の人にとってどうだったかを調べ、4つの出来事に対する態度をグループごとに話し合って報告するというものである。

短い時間でかなり忙しい構成だが、あり得るよく考えられた実践構想と言えるだろう。

 

問題は、文末に自己評価があるのだが、「歴史的思考力」を育てたのかどうかがわからない点にある。

根拠となるデータとしては「知識が必要だ」という生徒の感想文のみなのだ。残念ながら、実践の事実が示されていないので、育てられたのかどうかわからない。

 

わからない原因は、歴史的思考力とはどんなものを指すと考えているのかを先に提示することが一つ。

もう一つは、生徒の思考過程がわかる言動が最後の感想ではなくて提示されることである。

この二つが、示されないとはっきりしない状態は続くだろう。

 

前に由井の議論を取りあげて歴史的思考の中身についてほんとに少しだけ触れたことがあるが、言語化するとひどく大まかにしか描けない現状がある。しかし、その歴史的思考の中のいくつかはきわめて論争的であったりする。

そうした現状は他の教科でも同様ではないか。それぞれの実践者が歴史的思考の中身を示し、かつ学習者の言動を提示していく作業を繰り返すことがまず必要だ。そういう意味で中身をどうか示して議論を、と言いたい。

簡単に決着をつけない方がいいと思われる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 教育 | 07:29 | comments(0) | - |
資質・能力概念の膨張について

バラの実。

ツタ薔薇なのでアーチに沿ってなっている。

しだいに実が堅くなったようだ。ツタ薔薇の性質に即している。

 

昨年12月の中教審答申の言う「資質・能力」概念そのものに関する論考がほんとに少ない。概念を気にせずに、答申の主張を反復しているものがやたらと多い。

 

私は、従来の能力概念に収まらない要素を含み持たせるために、「能力」に「資質」を足したのではないかと推測している。国家主義的「態度」、人間の「性向」、「知識」も「技能」も「資質・能力」に含めた文章が答申にある。

 

資質・能力が人間の中に実体としてあるわけではないのに、あるかのように信じているような文章にかなり出会う。そんなものはない。考え出した側の構想(幻想)が資質・能力になっているだけだ。

 

ないものをあるかのようにいうことをウソという。だがそのウソこそ、人間の本質としての構想力でもある。だから、仕分けし、始末することも必要だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

| 教育 | 06:57 | comments(0) | - |
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