CALENDAR
S M T W T F S
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
31      
<< December 2017 >>
                                 
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
教室で教えるということ
教室で教えるということ (JUGEMレビュー »)
岩垣 攝,子安 潤,久田 敏彦
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
ARCHIVES
CATEGORIES
                
主権は「民」にある

日本の仕組みを天皇制という観念の下にあることを意識させようとする反民主主義的な報道が、NHKをはじめ各局の報道番組で流されたようだ。憲法に象徴としての天皇について記述されているが、憲法の三原則は主権在民・基本的人権の尊重・平和主義にある。

この問題に関連する教育問題が教育勅語問題。

日本教育学会が「教育勅語の教材使用問題に関する研究報告書」をHPに公開した。
http://www.jera.jp/wp-content/uploads/2017/12/201712kyouikutyokugo-houkoku.pdf

 

教育勅語を資料として取り上げるのではなくて、その精神へと教育することが可能であるかのような193国会における政府答弁等があるが、それは誤りであることを戦後の教育勅語をめぐる法制ならびにその内容の側面から明らかにしている。

多くの資料もそのまま掲載されているので参照いただきたいものである。


世界の趨勢は、特権階級や特権的制度の廃絶に向かっている。カレンダー業者が気にする元号の呼称問題ではなく、天皇の治世を示すこととつながる元号使用は民主主義に反する制度の問題である。

個人の尊重と民主主義の社会であってほしいもの。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 教育 | 07:16 | comments(0) | - |
2017師走に

本日の主題とタイトルは関係がありません。

 

推薦入試が終わり、来年のシラバスを書き込む締め切りが近づき、今年もおしまいの気分が湧いてきた。

年の変わり目を旧暦におく留学生は、その辺の感覚が違うらしく、そういう感慨はないと言っていた。

 

職場が変わって迎える師走は、だいぶ違う時間進行となっている。現在の勤務先は前期を春学期といい、後期を秋学期と呼び、名付けも違う。講義の持ち方、決定の仕方などわからないことが多い。先日は、7学部全教員の業績一覧の冊子が配布されていた。もらっても使い道がないのだが、それらの数を様々にグラフ化したもっと厚い資料冊子もついていた。無駄にみえた。

 

移民とPISA調査をクロスさせた本にあるが、PISA的リテラシーの差は、親の社会的階層格差、ホスト国の言語と文化的類縁性の遠近、社会的支援の格差に大きく左右されるとある。これらの格差要因は、量的に並べると、日本の学生にも当てはまる点がありそうだ。

 

来年度の研究室を決める「ゼミ決め」というのが昨日から始まった。学生が各研究室を訪ね歩くのが慣行らしく、テーマなどを聞く。個別に学生の話を聞くと、不安げな様子が見える。ゼミを知らないという一般的不安はどこでもあることだが、自分への不確かさがある気がした。その前に目を通していたレポートにも、自分の主張への不安が記されているものがいくつか目についた。

根拠のない自信は西野カナの歌と違っていらないが、もう少しキッパリと言えるように育っていってもらえるといい。他方で、どうしてそうさせることになったのだろうと心当たりがあるのだが、改めて「そんな風に思わせてはダメだよね」という思いと共に問いが浮上した。SGHの優秀校がいわゆる進学校で、なんと差別的なお金の支出をしていることかと資料を眺めたあとの感慨。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 暮らし | 08:01 | comments(0) | - |
板書って重要?

教育実践の中で、板書はどの程度の意味があるのだろう?

教育方法学研究の中でこれこそ重要だという位置づけの人を知らない。他方で、何の意味もないという人も知らない。
黒板などの教具に関する歴史研究は少ないけれどもいくらかある。
板書についての実践本も少ないがいくらかある。実践家の叙述の一部に論及しているものは多数あるが、その手法・技能が他の教育手法との関係でどの程度の意味を持っているのかに関する研究的論及は少ない。たいていが印象に残るようにする工夫として語られることが多い。中には見栄えを言っているだけのものや、形式を絶対化してどんな教科のどんな単元でも同じにさせようとする形式主義でしかないものもある。
例えば黒板。一度に多数の子どもを教える手段としての意味が大きく、一斉教授という近代学校の性格そのものという指摘は歴史研究の本にあったと記憶する。誰が作ったかは知らないが、黒板が学校に設置されたのはヨーロッパが最初というのが定説で、米国を経て、1872年に日本にスコットが大学南校に持ち込み、これがまもなく全国の小学校に普及したとされる。
一斉教授の近代学校というのは、黒板に文字を書いて、それを一斉に読んだり、書かせたりというところから始まり、使い方は多様化したし、色はクロから緑に変わっても、電子黒板になっても基本は提示という点で変わらない特質だからである。
冒頭に戻って、板書はどの程度重要なんだろうか。
経験的に後生大事にする人がいて、その形式が整っているかどうかですべてを判断してしまう勢いの人もいる。
不要だとは思わないが、必死になるほど重要だろうか?
教材そのものの理解や学習活動の構想や、指導の言葉の方が重要ではないだろうか。
それらの補助的役割に留まるのではないか。
だから、予定された発言が紙に書いてあったり、予定の構造図がパソコンに取り込んであったりすることも多いのではないか。
授業をうまく板書に配置していく人たちがいるが、そうする必要が子どもにとって必要な時もあるだろうし、そうでないときもある。
また、こうした板書の技術はいつ学ぶべきだろうか。
大学在学中に何時間もかけて学ぶ意味は今のところ見いだせない。
電子黒板やICT機器が普及すればするほど板書の技術に時間をかける意味は低下すると思われる。子どもに見せたいものとその提示の仕方の再利用が簡単になるからだ。取り込んでおけばいいのだから。
コアカリに例だとしても論及するほどの意義はないだろうに!(ここが一番述べたかった結論)
| 教育 | 06:42 | comments(0) | - |
隙間からすきま

紅葉もかなり落下して、青空エリアが広がった。漢字の字画で埋まった「隙間」がひらがなの「すきま」となった。これから3ヶ月の冬。

「冬構え」という物語りがあったことを思い出す。ストーリーは忘れたが、葛藤を片方に抱えながら、玄冬の迎え方を問うものだった。

ネットで住所を調べると固定電話の番号が表示されるサイトがある。試しに検索して表示された番号に電話をしてみると留守だったが、正しかったらしく翌日電話があった。行方不明者リストに名前があることを伝えながら、たわいのない近況の交換から元気そうなことが読めた。
今年の冬は何をしようと久しぶりに考えた。
広がったすきまを青空で埋める行き方もあるだろうが、実務的な作業と次の課題設定のための作業で埋める行き方もありそうだと思い至る。放置したままの作業課題がかなりある。住所録の整備のような単純作業から、研究に関わる実務などなど冬にふさわしいものを選びたい。

 

 


 

 

 

 

| 暮らし | 07:10 | comments(0) | - |
教職コアカリキュラム公表

文科はかねてより小出しにしてきた「教職コアカリキュラム」の中身を公式に昨日公表した。

下記サイトに二つの文書が入っているので参照されたい。

http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/shotou/126/houkoku/1398442.htm

 

この基本問題は、教員養成の講義の内容を過度に統制する点にある。

科目によって濃淡がいくらかあるが、時の教育政策に影響されすぎた「コア」となっている。一番濃厚なのが「学習指導要領」の取り扱いがひどく強調されている。私の担当科目で言うと、カリキュラム・マネジメントが今回強調されるようになったのでそれが一つの柱になっている。カリキュラム・マネジメントは、その内容においては無内容で、融通無碍であるために独裁を生みやすく、視野を狭くさせる手法なのだが、柱に位置付いている。

 

教職論も相変わらず「教職の意義」が強調されている。教職の意義に燃える管理職や教師ほど現在の教育のブラック化をもたらすと指摘されているのだが、知らないかのようだ。

 

すぐにこれが課程認定申請に影響を与える。コアカリに従ったように見える文書が山積みされる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 社会 | 06:51 | comments(0) | - |
思索の残り

研究会や学会の配付資料、内輪の研究作業用メモ、講演や講義の資料がいろいろ堆積していた。

なお自分の研究用資料となりそうなものと、もう役に立つことはないと思われるものとに大別。今回の山は2003〜2005年頃のものが多かったが、内容的に何が課題とされていたかというと、一つはジェンダー問題、もう一つは鍛錬論的学力論の批判に関わるものが多かった。それから2学期制などの授業時間確保策。

 

何を残して、何を廃棄するかは微妙な問題。ここで廃棄すると二度と見ることができないものが悩みどころ。出版される前の前提となる原本資料類、授業記録類、研究会で検討事項となった関連資料は、貴重なのだが、今後利用するかどうかを指標にした。結局、半分にしか減らなかった。

 

報告書として作成された冊子も同様に二区分。概要説明型の報告書は、多くの場合価値が低い。データそのものを所収してある報告書が価値が高いのだが、全部が入用というわけではない。この辺りが悩みどころとなった。抜き出したが区分できてないままに多くがなった。

 

思い出的資料というのもある。仕事の観点では必要ないが、自身の思索と係わっていたり、世代が上の方々の講演記録・自作配付資料など肉声が聞こえてきそうな資料がわずかにはさまっていた。

 

何を残すかは、何が残すに値するかに依存するようだ。追求課題となりうるか、その価値があるか、ずっと問いかけながら選別。

悩んだ割に、廃棄は20センチあまりの高さに留まった。

 

紀要類は廃棄にしよう。J−Stageのサイトを覗いて見たが、探しにくいだけで持っている必要度は低い号が多いことを確認した。タイトルがあやふやでも何となく探すには本文まで視野に入る紙媒体がいいが、不要な論文が多く場所をとるというデメリットが廃棄に傾かせる。

思索の内容まで捨て去る気分がしてくるので、まだ実行できないでいる。

 

残す価値のある思索とはなんだろう?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 暮らし | 06:59 | comments(0) | - |
金太郎飴

新人教師の教育係となって20校あまりの学校を回ったベテラン教師が「どこに行っても金太郎飴のような実践になっている」と指摘。

新人教師の授業だけでなく、経験年数を重ねた周辺の授業・学級を覗いた感想である。

 

さらにこの教師は、教師となって2・3年目以降、子どもに書いてもらったことに応答しながら教育を進めてきたので、金太郎飴になりようがなかったと言う。金太郎飴実践は、一人ひとりの子どもが何を言おうと何を思い描いていようと、所定の内容を所定の手法で所定の活動をさせて所定の結果を生んだことにするフォード主義の現代版だ。

そこは、人が教え学ぶという教育だけがない。

 

金太郎飴という言葉を引いたら、元禄飴が起源で、意外に遅く明治期に作られたとあった。信頼度の低いネット辞書からだから断定できないが、金太郎飴実践というのは、近代教育と共になのかもしれない。それにしても、同じ実践をしていては教育にだけはならない。同じでないものを生む仕組みを考えるのが教育実践研究と教育学研究なのだということをはっきりとさせたいものだ。

 

 

 

 

 

 

| 教育 | 07:43 | comments(0) | - |
人生はシネマティック!

第二次世界大戦が始まってまもなくのイギリス。

国策プロパガンダ映画を作成する会社にライターとして働くことになったカトリン。

ダンケルクからの英軍の撤退作戦に協力した双子の姉妹をモデルとした映画を作るように英国情報省から依頼され、戦意高揚を目的とした様々な要求に応えながらシナリオを改訂していくお話し。

 

ダンケルクは、フランスに侵攻したドイツ軍と闘う英軍・仏軍が追い詰められて対岸の英国本国に敗走することになる地名。ベルギー国境に近い付近。この撤退作戦が成功することによって、また、敗退が戦意高揚につなげられたらしく、英軍の反撃につながったと言われている。先日読んでいた『イギリス現代史』にも論及があった。

 

プロパガンダ映画の制作なので、情報省の要求とそれへの対応の部分を見るとコメディだが、それを制作する人の側にとってはシリアス。

 

いくつかの映画や小説の有名な台詞が配置されているなと思ったが、特定は私の教養ではできなかった。ただ、死に生を支配させないというシェークスピアにもあった類似の台詞を反芻して映画館を出た。

 

 

 

 

 

 

 


 

| 映画 | 07:29 | comments(0) | - |
振り返り概要

長く参加してきた会の集まりで区切りをお題に話しをするように言われて話したこと。

 

1 研究は、単一的(統一的)世界の把握をめざし、単純な見方をしているところから出発した。

 

2 それを徐々に転換してきた。とりわけ単一的な見方ではなくて、捉え返さなければならないテーマとしては集団観と科学観となった。

 

3 それらの過去のとらえ方の中それ自体に、積極的側面と否定的側面とがあった。この捉え直しを進めている。

 

4 どの時期にも個別の実践を検討し続けるサークルに継続的に参加し捉え直しの契機を得てきた。

 

5 それらの研究テーマと活動をずっと継続しつつ、知らない外部にも参加して、新たな視点を得てきたようだ。

 

以上、考えながら話したこと。

 

振り返りばやりで、一日数回振り返る動向は間違っていると改めて思った。前にも述べたように、振り返る前に前に進めだ。上記は約40年以上の期間のことを指している。研究対象の期間は、それよりさらに長い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 暮らし | 07:25 | comments(1) | - |
イギリス現代史

長谷川貴彦、岩波書店、780円と税金。

 

イギリスと言えば、ずっと単一国家だと長く思っていた。長い名前を持つ連合国家だと知った後も、その違いは古代から中世までの話しで、近代以降はたいして違わない、多少の文化的差違だと見なしてきた。それが、スコットランドの独立が耳目を集めた昨今、また移民問題との兼ね合いでシチズンシップの教育が日本では話題となったこととの関係で読むこととした9月刊行の新書。

 

長谷川になる本書は、1940年代の叙述から始まる。現代をいつからとしているかは重要なポイントだ。そこに拘って記していないが、出発点と断定している。

本書の大きな特質は、文化史が大きな位置を占めていることである。政治や経済の動向とその規定因を中心に論述するよくあるスタイルとかなり違う。政治や経済、チャーチルやウイルソンといった政治家の政策も簡潔に並べられているが、例えば伝統的な労働者像とは異なる労働者=民衆的個人主義の登場を日常の文化や行動スタイルとともに描き出している。そのために私にとってなじみのないわからないポピュラー文化の言葉がところどころに登場する。例えば、「マージ・ビート」とか知らず、検索を何度もしながら読むことになった。

 

政治の局面では、スエズ危機が世界の盟主からのイギリスの凋落の決定的局面だったとある。私はもっと前だと思っていた。こうした見方の違いをいくつも見いだしたが、後半は急ぎすぎであることと、ロンドン中心の叙述となっていることは否めない。ただ、素人の私には格好の現代イギリスの解説書だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| | 06:50 | comments(0) | - |
<< | 2/484PAGES | >>