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空虚な抽象から実のある抽象へ

どんな先生になりたい?

「信頼される先生」

「話しやすい先生」

「子ども目線の先生」

などといった言葉が返ってくる。

そこで、「どんなことをすると信頼されるの?」といくらか問いを変える。さらにハッキリと経験を聞く意図で、「どんなことをしていた人が話しやすかったの?」とか、「何をどうしていたので子ども目線なの?」と聞く。

過去の経験を聞いているのだが、そこを想定していない場合には後が続かない。

 

よくありがちな「信頼される教師」など言葉はソフトだが、中身がない。

信頼は単なる言葉では得られない。何をするか、何はしないかなのだ。具体的な行動とつながらない人を子どもが信頼するはずがない!という趣旨の説明をする。

 

個別に体験としてどんなことがあったと聞くと、進路相談に長いこと乗ってくれたなどの話になるのだが、ついつい空虚な抽象語でわかった気になってしまうようだ。どこで身につけたのか、抽象語を言っておけばいいという見方が見える。

 

抽象的な言葉を使えばいいわけではない。反対なのだ。具体的な出来事で語れることこそまず必要なのだ。

 

その後に、抽象語につないで実のある抽象語となる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 教育 | 06:46 | comments(0) | - |
どうなる日本の教員養成

日本教師教育学会編、緊急出版どうなる日本の教員養成、学文社、1400円と税金。

週末の理事会で入手した。

昨年の12月4日に早稲田大学で開催したシンポジウムの記録である。

会場は、200名あまりで満席状態であったとある。

 

これは、2015年12月に中教審が教員養成に関する答申を出して、免許法も変わることとなっている。その答申と教員養成の改革の方向をどう見るかに関する議論がそのまま本となっている。口語なので読みやすい体裁だ。

 

報告者は、福井大学の教職大学院を事例とした松木健一報告から始まっている。わたしは、この報告にはあまり賛同しない。

 

続いて坂井俊樹報告は、社会科教育を専攻する研究者の視点から、教科に関する科目と教職に関する科目の区分の撤廃を問題とし、教育実践力を狭く捉えることを批判している。

 

油布佐和子報告は、日本の改革動向と海外の改革動向の違いを例示しながら、答申は現場・体験主義に陥っていると批判する。この辺りは、私も賛同する見方。

 

最後に登壇した浜田博文報告は、教師教育の学的研究の見地から、答申が教員養成に教育学研究の知見を踏まえようとしていないと批判的に論じている。

 

最後に会場からの意見を含めた総括的文章が掲載されている。

何が問題かを口語で鮮明にしてくれる一冊で読まれるべき4月の本。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

| | 06:35 | comments(0) | - |
コアとモデルの間

昨日、わかったことが見出し。二つは近いが違う。

 

コアとは、核のことだが、現在進められている教員養成におけるコア・カリキュラムの導入の動向。先日公開された3月までの配付資料のありかを示しておいた。要するに、教員となるために必要な科目は教員免許法で決められているのだが、その科目の内容の柱を決めようという話し。その案が公開されたわけである。

 

これは、教員養成だけでなく、医学・歯学・看護学の領域でも進められている。

 

ところが、医学歯学看護学等は、モデル・コア・カリキュラムと呼んで、「モデル」が前に付く。この違いが教員養成のコア・カリキュラムとでは大きい。医学等ではモデルなので、カリキュラムを作成するのは、各大学となる。

だか、教員養成の場合は、示す主体がハッキリしていないが、各大学を拘束する形となりそうなのである。医学等の場合、その内容は、学問の発展にしたがって変化することが日常的に想定される。だが、教員養成の場合、そこがひどく遅れそうだ。また、統制機能に国家介入してくる恐れが医学系よりずっと強い。

 

コアとモデルの違いは、さらにあるという報告がなされたが、それはまた別の機会に。

 

 

 

 

 

 

 

 

| 教育 | 06:40 | comments(0) | - |
効力感という魔物

波多野・稲垣シリーズの著作の一つに『無気力の心理学』中公新書があった。1980年代のはじめに刊行されたもので、効力感が生まれる原因をコンパクトに紹介してくれていた。

行動主義的刺激=飴とムチも問題だが、無気力も問題となっていた時代であった。

その後、叱咤激励の手法は変わった。多様化したという方がいいかもしれない。

 

飴とムチも残り、成果主義も残り、PDCAもその一つだし、心理操作手法も多様に組み合わされるようになった。それらの中に残り続けているのが、効力感だ。

 

人は、何らかできないことや失敗体験を抱えると、それをカバーしたり、成功に導いた手法に賛意を示したり、よい方法だと思ってしまう。ここには、確かに物事を理解したり、うまく進める知や技があることがある。

だが、手法や方法が普遍的によいということはほぼない。一定の条件の下でのみ有効であるに過ぎないことが多い。

 

困難を抱えれば抱えるほど、限定的に有効であった手法を神の位置に持ち上げてしまう。

その一つが効力感とともに持ち出されると危険性は極めて高くなる。

「要するに正しい答えはなに?」にはじまり、「必ずうまくいく方法はないんですか」と聞きたくなる心性に魔物が住んでいる。

この魔物に汚染されると、問いを失う。

問いを失うと、人として生きることが難しくなる。

 

効果ばかり追求する志向は危険そのものと言える。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 教育 | 06:44 | comments(0) | - |
教育と軍事

教育勅語を教育に利用する動きがある。

体育に武道を持ち込み、さらに中でも銃剣道を取り上げることを公認する動きがある。

 

どれも教育が軍事と関わってきた歴史と同じだ。

教育を軍事に動員するものだ。

 

近代学校の目的の一つは読み書きのできる身体をもった近代兵士の養成にあった。

教育はそれに奉仕させられた。

そんなことがあっていいはずがない。

教育は平和のために、子どもの未来が開けるように行うものでありたい。

無謀な国家のためではなく、幻想に惑わされない知を育てるものでありたい。

 

教育を何かの手段にする考え方からそもそも訣別する必要がある。

まずはシンプルな原理に立ち返って判断する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 社会 | 06:42 | comments(0) | - |
教職コアカリの不穏

教職課程のカリキュラムの検討が終盤へ向かっているようだ。

4月にパブコメで、そこを過ぎると具体化がさらに進むスケジュールとなっている。

 

問題はいろいろあるが、医学・歯学・看護学などのコア・カリの導入同様に進行しているが、どうも拙速にすすみそうなこと。

 

コア・カリキュラム案が以下のアドレスに示されているのだが、問題の一つは、科目が増えていること。

http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/shotou/126/shiryo/__icsFiles/afieldfile/2017/04/12/1384154_1.pdf

例えば、「総合的な学習の時間の指導法」なんてのがある。

進路指導も教育相談も独立して並んでる。こそっと増やした感がいっぱいだ。

 

さらに、それぞれの柱がなんだがいっぱい目標並べてる。

私が今年担当している教職論の目標がすごい。

以下が科目の全体目標で、読点ごとに内容の理解目標が並んでいる。

「現代社会における教職の重要性の高まりを背景に、教職の意義、教員の役割、教員の資 質能力及び職務内容等について理解し、教職への意欲を高め、さらに適性を判断し、進 路選択に資する教職の在り方を理解する。」

例えば、それらの一部を示すと、「到達目標: 1) 教職観の変遷を踏まえ、今日の教員に求められる役割を理解している。 2) 今日の教員に求められる基礎的な資質能力を理解している。」などと書いてある。

理解しているといいね!と一般的に言えても、必須の位置づけになったらたいへんだ。これをクリアできる学生はいるの?という感じさえしてくる。

検討会の委員でさえ、それらを理解していると言える項目がいくつあるの?と言いたくなる。わかってないから研究してきたんじゃないの?

と検討会の委員の顔を思い浮かべてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 社会 | 06:20 | comments(0) | - |
フクシマ原発いじめ

昨日文科省が公表した数字によれば、福島県から避難している子どもへのいじめ認知件数は、129件で、そのうち原発事故に起因するものは4件だったとしている。

http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/29/04/__icsFiles/afieldfile/2017/04/11/1384371_2_2.pdf

これは1000人あたり、10.9件で、全国平均の16.5件と比べて少なく、この数値は信頼が難しい。

一部報道でも隠れた件数はずっと多いのではないかと記している。(全国平均も信頼できない数値なのだが。)

 

これには相当の根拠がある。転校生はいじめに遭う確率が一般に高いこと、いくつかの避難者への聞き取り調査報告でも、いじめがしばしば語られている。にもかかわらず、今回の数値が低い。それはなぜだろうか。

横浜の事例など、「原発いじめ」の場合、明らかになると公式には対応をしなかった側が集中砲火を浴びる。批判されて当然ではあるが、立ち直れないほどの批判が殺到する。トカゲのしっぽ切り状態も生まれる。こうした事態を避ける機制が働いたのではないかと想定される。もう一つは、そもそも福島から避難してきていると明らかにしていないのではないか。学校の一部のものは知っているとしても全体には明らかにしていない。そのために、統計上の母数は多いが、福島由来のいじめという基準で調査すると減少する。この二つが推測される。
そもそもこうしたことが起こるのは、福島原発被害にたいして歴代の復興大臣の失態が示すように、災害対策をまともに行おうとしない政府の後ろ向きが見えることにある。また、再稼働をひたすら追求する電力会社が力をもっているという構図が存在しているからである。国と電力会社は福島災害の加害者であるにもかかわらず、反省をしていない。被害者をやっかいなものとみる見方が隠然と存在しているからである。
事故に責任がある政府と電力会社こそが批判される社会とならなければ、フクシマ原発いじめはなくならない。
| 社会 | 06:17 | comments(0) | - |
難しいのに

月曜は、二コマ。

今年も感想を書いてもらいながら講義を進める予定。

 

今週が第一回目。教職入門というタイトルが付いているが、私の配付資料には「教師論」と記して配布。

オーソドックスに講義の目的と内容を示し、私の自己紹介と学生10人の自己紹介(全員やると飽きる)。名前と出身地と関心事を話してもらう。スポーツや趣味などの他に、ミサイル攻撃や北朝鮮のミサイル発射などを関心事とした学生が想定より多かった。

10人終わってから、何に関心を持つかが教養と述べた戸坂潤の説明を補足。

続いて、教師という仕事の特質を他の仕事と比較してどこにあるかを書いてもらって発表。合間に「考えなさいと言われて困ったことない?考える基本は、分類すること」などといいながら特質を空白に書き込むように言う。10人あまりに発表してもらう。それぞれの学生の書いた意図を確かめながら論評していく。塾講師との違い、子どもに関わるなどという指摘が多かった。
それらを聞いた後に、そもそも専門職の歴史的起源、資格制度、自律的権限、自己統制権限を持つことを説明し、日本の教師の置かれた不十分な状況から専門職として確立しているかどうか断定できないことなどを補足。
感想には、専門職なのかどうか初めて考えましたといった記述が一番多かった。次いで、私の話は「難しいのに不思議と聞き入った」という趣旨の感想が続いた。一人だけ「眠かった」とあった。4月だから肯定的に書いている側面はあるだろうが、悪くはない反応と受け取る。「難しいところはどこ?」などと感想に私のコメントを10人あまり記して来週返す予定。
ナビの示す道ではなくて、思い描いたコース通りに初めて帰宅できた。
| 教育 | 06:17 | comments(0) | - |
「深い学び」って深くない

いま、学校現場では「深い学び」に関心が集まっているらしい。

学校現場によく出入りしているAさん、情報が集まるBさん、議論の経緯に詳しいCさんが語り合っている。

 

Aさん:「横文字はだいぶ消えましたね。CBにAL。それでいまは「深い学び」ですね。」

Bさん:「たしかに。それどうすればいいのかが関心事になってますね。でも、その意味詮索してもつまらないですよね」

Cさん:「そうそう。主体的で対話的な学びのついでにつけられただけですよね。」

Bさん:「話し合いしておけばいいみたいな動向の軽さに対して、ちょっと足されただけ。」

Aさん:「すると、学習論として学問的規定や背景があるわけじゃないわけですね。DEEP LEARNINGという学習論があるけどそれらとは関係がない。」

Bさん:「だから「深い」という言葉のニュアンスとは逆に、軽い言葉ですよね。」

 

そんな雑談を創作してみた。

(Aさん、Bさん、Cさんには実在のモデルが存在しますが、キャラクターと発言は創作されています。)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 暮らし | 07:17 | comments(0) | - |
第20回中間研究集会

日本教育方法学会では第20回研究集会を開催します。

昨日が常任理事会で準備状況を報告し終えたので広報が目的の記事です。

 

テーマ:「特別の教科 道徳」への対応を検討する

 

趣旨:3月には「特別の教科 道徳」初の教科書検定の結果が公表されます。同時に各地で副読本の改訂も進んでいます。教科書や副読本が出そろうなかで、道徳の教科化の姿が具体的形となりつつあります。新学習指導要領の告示とあいまって、道徳教育全体の見直しが学校でも進むと考えられます。そこで、道徳教育の現在をどう見るか、どのような実践が模索されようとしているのかを議論する目的で研究集会を開催します。

 

日時:2017年6月10日(土)13:30〜16:30(受付:13:00〜)

 

場所:慶応大学三田キャンパス

 

司会者:梅原利夫(和光大学) 子安 潤(中部大学)

 

提案者:松下良平(武庫川女子大学) 「道徳科の可能性と課題」

    塩崎義昭(浦安市小学校教諭)「批判的学びの道徳の授業実践」

 

(会員以外にも公開される予定です。)

 

 

 

 

 

 

 

 

| 教育 | 06:31 | comments(0) | - |
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