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教室で教えるということ
教室で教えるということ (JUGEMレビュー »)
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短歌は最強のアイテム

千葉聡、岩波書店、860円と税金。

岩波ジュニア新書のシリーズの一冊。

実は、別の本を探していた。

副題に「高校生活の悩みに効きます」とあって、高校の短歌の教育に関する本かなと手にしたままカウンターで購入手続きをした。

 

開くと全く違った。国語教師ではあるが、現在の勤務校の生徒とのおしゃべり・対話の実践記録だ。転勤してきた最初の挨拶、学級通信を毎日発行して、読まれなくなった話し、名前の呼び方の話し、部活生徒との話し、どれも突っ込みすぎずに関わっていく。

それぞれのエピソードの合間に短歌が引用されたり、自作の短歌が織り込まれている。それが短歌であることによって、一つ一つの話題(エッセー)の意味を読み手に想像させる。

話しをしてくれない生徒の話題の後に次の一首が引用されている。

信じない信じられない信じたい投げつけられたトマトのように

(三原由起子『ふるさとは赤』)

 

著者の連句の中の二首も引用しておく。

 

「プリントを配るよ」と言うと「え?ぷりん?」と寝ぼけまなこで言う奴がいる

 

教師とは幻 みんなが去ったあと教室に一人影を落として

 

熱血教師などとあるが、そういう雰囲気は文章からは伝わらない。まっすぐだが、生徒の声を聴いている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| | 07:54 | comments(0) | - |
高校生活指導205号

初めての公園。

どこからどこまでが範囲かよくわからない。

記事は、写真と無関係。

 

高生研編『高校生活指導』205号、教育実務センター、1200円と税金。

特集1は、学校に「もうひとつのあり方」をひらく。

高校が息苦しい場所となっていることが、時原報告やスマホ指導の状況からよくわかる。朝登校するとスマホをクラス単位で回収する学校がかなり存在し、それに対する生徒の従順さと教師の従順さが耐えがたい暮らしにくさを一方でつくっている。画一的統制を当然と思ってしまう教師の大量出現、スマホを持ってこなかったことにして提出しない生徒が出現すればそれへの対応が必要となることなどがリアルに示されている。

一番リアルな報告は、トラブルメーカー・Y子の行動と生活に関するもの。すさんでいてとりつく島もないような関係がよく見える。教師と子どものやりとりがごちゃごちゃと記されている。DVにさらされている子と諦めずによくつきあっていることがよく分かる。

「もうひとつのあり方」ははっきりとは見えないけれど、問題点がよく見える。

 

特集2は貧困問題。

こちらは課題が鮮明で、もうひとつのあり方は見える気がする。実態報告も中西新太郎や武信三恵子らの論考からも現代の課題が鮮明だ。国家と地域の行政が無策で何よりも追いついていない。

 

息苦しい中で、どこで息をしている?共に息する場所はどこにつくれる?と問うと、特集1の執筆者たちは加筆するかもしれないと思った。

 

 

 

 

 

 


 

| | 07:11 | comments(0) | - |
数的教員採用動向

H29年度の教採の状況が文科から発表された。

文科の資料を以下短縮した形で引用する。その結果に対する私の所感は青字で記す。

 

採用者総数は31,961人で、前年度に比較して、511人(1.6%)の減少。
この採用者数では過酷労働の改善につながらず、採用者約3万2千人自身が過酷労働となっている。

採用者数の内訳は次のとおりである。

・小学校 15,019人(2.2%増)
・中学校 7,751人(6.4%減)
・高等学校 4,827人(5.5%減)
・特別支援学校 2,797人(1.7%減)
・養護教諭 1,328人(0.5%減)
・栄養教諭 239人(14.9%増)

 

選考における競争率(倍率)は、全体で5.2倍。

・小学校 3.5倍(0.1ポイント減)
・中学校 7.4倍(0.3ポイント増)
・高等学校 7.1倍(0.1ポイント増)
・特別支援学校 3.8倍(0.1ポイント増)
・養護教諭 7.4倍(増減なし)
・栄養教諭 7.6倍(0.1ポイント減)

 

受験者数、採用者数が多いのは大都市部。

競争率(倍率)が高い県市は九州・東北地域に多い

競争率(倍率)が低い県市は、次のとおりとなっている。

1 富山県 3.4倍
2 広島県・広島市 3.8倍
3 茨城県 3.8倍
4 静岡市 3.9倍
5 山口県 4.0倍

 

受験者、採用者における女性の比率について(第4表、第5表)

(1) 受験者 43.1%(0.7ポイント減)
・小学校 52.4%(0.7ポイント減)
・中学校 39.0%(1.0ポイント減)
・高等学校 31.5%(0.5ポイント減)
・特別支援学校 56.7%(1.1ポイント減)

(2)採用者 52.7%(0.4ポイント増)
・小学校 60.2%(0.6ポイント減)
・中学校 44.0%(0.5ポイント増)
・高等学校 37.1%(1.3ポイント増)
・特別支援学校 63.7%(0.5ポイント増)

どの学校種も合格者の比率は女性の方が高い。

 

学歴別の採用率(採用者数を受験者数で除したものを百分率で表したもので、受験者の何%が採用されたかを示す。以下同じ。)は次のとおりとなっており、国立教員養成大学・学部出身者が他の出身者に比べて高い率で採用されている。

・国立教員養成大学・学部出身者   32.1%(0.8ポイント増)
・大学院出身者   18.8%(0.2ポイント増)
・一般大学・学部出身者   17.0%(0.2ポイント増)
・短期大学等出身者   11.0%(0.6ポイント増)

地域ごとに違いがあるとはいえ歴史を反映している。

3万2千に何人上積みされているかが、教育行政が機能しているかどうかの指標となる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 社会 | 06:58 | comments(0) | - |
論理と内容

野矢茂樹『論理トレーニング101題』産業図書というよく読まれている本がある。

この本には、論理は接続詞に注目すればいいとか、文の構造や論証の筋道のことなのだということが例題付きで解説されている。

例題は、説明用に鮮明なものが選ばれている。しかし、面白いものとそうでもないもの、解答が易しいものとかなり考えてしまうものとがある。例えば、接続詞の問題は比較的易しいが、逆とか裏とか待遇の問題は少々難しい。

 

問93の以下のような文章のおかしさに気がつかない人は多いのではないか。

「子どもの作文のためのマニュアル本はたくさん出されています。ところが、作文ほどマニュアルのないもの、マニュアルとは相容れないものもないはずです。マニュアル通り書かれた作文なんて普通の人間なら気持ちが悪くて読む気も起こらないでしょう。なぜなら、それらは、ともすれば現在の大人の価値観で評価されることを目的にして書かれているからです。あるいは、考えることよりも、表現することを重視しているからです。そこから出てくる子どもらしさを装った作文、あるいは、既に大人の評価にへつらうことを知った「うけねらい」の作文なんて見るだけで気分が悪くなります。」136頁(出典は工藤順一『国語のできる子どもを育てる』講談社現代新書)

 

野矢は、「優等生的に書いちゃだめだ」というマニュアルもあり得るとか、「どんなマニュアルもダメ」ということかとか、「自分の感じを大事に」というマニュアルもあり得るけど、それもダメということか、などと論理の欠陥を指摘する。あるいは、好き勝手に書いた作文がいいのか?など訳のわからない文章だと指摘していく。

論理を検討すると確かに欠陥が見えることがある。その意味で、論理を意識して行くことは有益なことである。だが、工藤のような主張は、子どもを理想化して捉えるよくある主張ということを知っていると、その批判もできてしまう。芸術分野の議論によくあるパターンなのである。その意味では、論理に関する知見と共に内容に関する知見から批判することもできる。

 

もう一つ例を挙げると、問18には、日本人が集団の規範に従う傾向があって、秩序指向性が鬱病になりやすい性格を形成し、それで日本人には鬱病が多いなどという文章が挙げられている。問題自体は、この文章中の不適切な接続表現を指摘するように求めているだけで、確かに不適切な接続詞がある。だが、例題文の日本人論には内容的に妥当性を欠く点もある。例えば成人期以降に鬱病が多いのはその通りなのだが、日本人に限ったことではない。人の性格によって鬱病になりやすい性格があるとしているが、性格が原因であるかのような表現だが、それは原因のレベルをどこに求めるかで専門家の間でも見解が分かれる部分があったりする。これは論理の問題ではなくて、事実の問題である。

 

だから、論理と事実は車の両輪として捉える必要がある。

論理と内容と共に吟味する必要がある。そうでないと、論理的だが内容が間違っていることが発生しうる。

 

なぜ、これを主張したかと言えば、汎用的スキルに過剰に期待する主張を批判したいためである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 教育 | 06:40 | comments(0) | - |
ネットワーク化の不便

まだ壊れてはいないが一台のデスクトップはいつストップしてもおかしくないほど時が過ぎた。

代替えしようと新しい一台の梱包を解くと、接続コードは電源とUSBが一本だけで、マニュアルもサイトアドレスを記した紙が一枚。

 

旧いデスクトップの設定を接続コードでつないで読み込ませようと思っていたらすぐにはできないことがわかった。

 

確かに別の読み込ませ方があるわけだが、接続ジャックの形状が変わっている。たまにしか利用しない部分はいつもいつも不便に感じる。前と同じように直接つなげられる手法も残しておいてほしかった。

多岐にわたるパスワードの設定もまことに面倒。

 

面倒なので、壊れるまで使い続けることにしようかと思案中。切実感が違って取り組める気がした。

 

本職の仕事だけをしたいもの。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 暮らし | 07:35 | comments(4) | - |
矛盾をなぜ放置できるのか

京都の研究会における報告は、興味深いものであった。

詳細は、ご本人からそのうちどこかに発表されるに違いない。

9条の改憲案をめぐって、3項に自衛隊を位置づける案が自民党筋で検討されている。実践はこれをめぐって、論点を調べ、各政党に質問し、生徒による立ち会い演説会(生徒が調べた内容を報告)を開催し、模擬国民投票を行った実践が報告された。

 

詳しく学ぶ前の高校生の意見分布では、3項に自衛隊を位置づける案に賛成がかなりあったという。これは、現在の自衛隊をそのまま追認するだけの把握らしい。それは、次の理由からであるらしい。

厳密に考えると現状は違憲かもしれないが、災害時には必要だし、安保法が成立しているとは言え他国の戦争に本格的に巻き込まれていないし、北朝鮮のミサイルは心配だからいいんじゃないか、そういう把握らしい。

 

しかし、予想される自民党案をまじめに検討すると、戦力と実力組織とは両立するのか?等々、数々の疑問が発生するので、模擬投票の結果では、3項を追加する案への賛成は減少するようだ。だが、それでも模擬投票の結果は、過半数には届かないものの高い支持率であったという。

そこで、私には疑問が残った。

戦力不保持と実力組織の両立は論理的にありえないと思いながら、なお3項追加論を支持できてしまう高校生が相当数いることである。他にも論理的に一貫しない把握が多々ある。論理的に一貫した判断をするなら、9条を維持するか、9条を廃止するかのどちらかでなければおかしい。だが、高校生の相当数が論理的一貫性を放置できてしまう。なぜ放置できてしまうのか?そういう疑問である。

 

事実を探求し、論理的に物事を考える力を育てることが市民教育には欠かせない。そうでないと、世論操作が行われると、それにすぐ乗ってしまうことになる。恐ろしい事態はすでに発生しているのではないかと思われる今日、論理的矛盾に気づく知性を育てることは、焦眉の課題、そう思えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 教育 | 07:17 | comments(0) | - |
「いろんな人」の発見

80年代だったが横湯園子氏の著作にある。突っ張りらしき風体の生徒と電車で一緒になると、「同じ空気が吸えない」ので息苦しくなって途中下車しないではいられなくなる不登校の生徒の話である。よい子として育ってきたため、「悪」をゆるすことができないという話しから、人の見方をいかに多様に豊かにしていくかと話しは続いたと記憶する。

その頃同時に、辺り構わず制服のままで座り込んでしまう中高生たちの存在も見られた。いまは、いちいち『注意』アナウンスが各所で入るので、表では減少したように思われる。

 

ともかくいろんな人がいるのだという発見がその頃からの私の驚きの一つとなった。おそらく心理主義の時代で内を見るまなざしに毒されていた私が、外をみるトレーニングを内を見ながらはじめたのかもしれないなどと今なら考える。

 

もっとずっと後になって、オカルトブームの後だったが人の細胞の数が60兆だったか、それを原子の数に置き直す話しを誰かから聞いたことがあって、こうした物質に変換していくと差違が消滅していく不思議な感覚というか、ものの見方に到達した。その後、それらを含む宇宙の誕生物語はその見方をさらに拡大した。ほんの少し前のことだ。

 

社会的な同一と差違、同一性と格差が同時に存在しているという見方が、人や社会のレベルから自然のレベルにも拡大した。ささやかな出来事への一喜一憂が巨大な世界とつながっているように時々見えるようになった。

 

何の話しか不明な人も多いでしょうが、佐藤慎司・佐伯胖編『かかわることば』東京大学出版会を読んでいて思ったこと。内容と直接関係がないのだが、その本はピアジェの実験の否定が語られていて、エンガージメントなどのキーワードが記されている。それらの言葉との昔の出会いとつなげざるを得なかったようだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| - | 08:33 | comments(0) | - |
英語教育の危機

鳥飼久美子、筑摩書房、780円と税金。

「はじめに」に現在の英語教育への危機感がよく表れている。英語を使えなければダメだ、英語は英語で教えなければダメ、話せる英語でなければだめだ、などの主張こそが英語教育をダメにし、この間の英語教育改革方針こそが英語の学力を低下させている、と主張が鮮明だ。

この間の英語教育改革とこれからの新学習指導要領における小学校英語や中学・高校の英語教育方針が、1章と2章で検討される。そこに上述の方針がなぜ間違いかがまとめられている。1英語で授業が目的化されるのは本末転倒だ、2生徒は十分に理解しない、3内容が浅薄になり知的関心を喚起しない、4英語を言葉として分析する機会を奪う、5社会文化的な状況におけるコミュニケーションを考える機会を奪うと整理している。

続けて、英語教育理論としての批判的検討が展開されている。複言語主義の理念なしにCEFRを導入したこと、レベルわけとcan doの理解が誤っていることを指摘している。今導入されようとしている民間試験の問題点についても簡潔に指摘されている。

 

このところ広まっている主体的な学習だと称する取り組みが、子どもも大学生も育てることにならないという主張にも賛同する。むしろ本を読むことに負荷をかけた取り組みを基礎とし、その上にコミュニケーションを丹念に積み上げていくことという大枠は、英語教育に留まらない方針として賛同したいと読んだ。

英語教育関係者に留まらず、読んでおくべき年明けの一冊。

 

 

 

 

 

 

 

 

| | 07:23 | comments(2) | - |
尻冷やし地蔵

勤務先近くにある尻冷やし地蔵。

春日井市のHPには、次のようにある。

「江戸時代初期[正保4年(1647年)]の銘があり、市内で最古の地蔵と思われる石仏です。かつては台座の下から清水が湧き、水で尻を濡らしていたことからこの名があります。

敵に追われた手負いの武士が清水で傷口を洗いのどをうるおしていたところ、追手に発見され討たれてしまいました。その霊を慰めるため、その清水の上に建てられたのが、このお地蔵であるといわれます。

毎月24日は地蔵様の命日で大勢の人のお参りがあり、また、1月24日には初地蔵、8月24日には子供相撲が行われます。」

いつ頃のことか、敵とは誰かは不明で気になるところ。

 

この地蔵の由来に引っかけたお話しがネット上にあり、その作成者の名前に卒業生の名があった。若い頃のことだ。作成の中心ではなかったようだが、民話の創作などに携わっていたとは知らなかった。

 

地域の出来事や自然についてもう少し知っておくようにしたい。何の意味があるかはまだわからない。そこに人がいたなととりあえずわかっただけ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| - | 07:35 | comments(0) | - |
科学の体系性の意味

NHKが金印の真偽をめぐるシンポの話題をアップしていた。

金印の偽物説の根拠をよく知らなかったので、短い記事だが参考になった。

 

所で、歴史に限らず、未確定もしくは異説のある事柄は多々ある。確立しているとされる説も多々ある。確立しているとされる説を真理として位置づけるが、時にそれが真理の座から滑り落ちることがある。完全に偽となる場合と、条件付きとなる場合とがある。ニュートン力学は条件付きで真理の座に今も就いている。

 

いろんな科学論があるので、真理の基準は色々ある。例えば、反復性とか再現可能性は欠かせない一つ。それらの一つに体系性ということがある。真理は孤立して存在しない。周辺の事柄との関連をいつもつけることになる。周辺の事柄と整合的な関係を持つ。逆に持たせるように事柄を把握するということも起こる。関連づけの見方自身が一変するようなことも時々起こる。これをパラダイム転換などという。こうしたことを含めて科学の体系性という。

 

科学が体系的というのは、興味深いことだ。一つの事実の把握の違いが体系を変えることもある。他方で、未確定の事実を抱えながらも一応、仮に、体系として成り立っていることも暫定的に認知しようということでもある。このパラグラフの中に無数の論争が入り込む。まことに興味深いことである。

 

ここを単純化する議論は恐ろしい事態を招く。昨日の権威主義や委員会を重視する見方などなど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 教育 | 07:53 | comments(0) | - |
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