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教室で教えるということ
教室で教えるということ (JUGEMレビュー »)
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看取りー見取り

介護と医療の世界で「看取り」という言葉が使用されるのは理解できる。

しかし、教育の世界で「看取り」時に「見取り」という言葉を使用する一群の人々がいるのだが、私には違和がある。

 

看取りは、国語辞典の類いでは「病人のそばにいて世話をすること。また、死期まで見守り看病すること。看護。」という意味だ。

看取りを見取りに漢字を変えても違和感は消えない。
看取りは、病人の世話をすることとなっているが、子どもは病人か?
字の当て方でニュアンスの違いがある。
ネット上の辞書にある様々な字の「みる」の語義の部分を私が分類すると以下のように解せられる。
〇覲个砲茲辰董∧の形・色・様子などを知覚する。
内容を理解する。
B減澆魍稜Г垢襦
と獣任垢襦I床舛垢襦
ァ福峇任襦廚箸盻颪)悪い事態にならないよう、気を配って世話をする。 
Ψ亳海垢襦
これらの「みる」のうち、「みとり」はい發靴はイ琉嫐だろう。
すると、どうも、悪い事態にならないように世話をするというニュアンスが前面に出る。
しかし、教育の場面で想定すれば、悪い事態かどうか決まっているわけではないだろう。
子どもの今を分析すること、もしくは子どもの今の認識状態を理解ないし把握することを指すということだろう。
世話・ケアをするというと、教師の側に飲み込んでしまうニュアンスがある。分析ぐらいが一番中立的ニュアンスの言葉だろうか。見た後に何らかの対応が想定されているわけだが、そうした応答は、状態が悪いからとは限らない。そう思うのである。
自分からは「みとり」と今後も使わないだろう。
| 暮らし | 06:44 | comments(0) | - |
研究会の案内ーリマインダー

リマインダーとして研究会の案内と私の役割の記されたメールが事務局から届いていた。

「こういうのをかっちりとよくやるなあ」と思う。

数時間前に、無関係なものを関係づけた一文を見て、なぜこのような誤りもしくは思い違いが発生するのか?と思っていた事柄があったので、きわめて対照的。

 

不注意で本を買ってしまった。鷲田の本だと思ったら、監修に過ぎない。家に帰ってから気づいた。しかしこれは戦略だろう。なぜなら、鷲田の名前だけ浮かび上がる目立つ帯がつけられている。しかしまあ、目次を見ると読んでもいい気がする小見出しが並んでいた。

 

人が間違うのは、脳内におけるイオンの発火は単一ではなく、関連情報が多数同時に発生するためらしい。しかもその発火はイオンの量によって変動するらしいので情報を得た時とそれを後に想起した時とでは変化するらしい。ともかく間違いは・誤りはやむを得ないのだろうが、それにしても雲泥の差という事態は回避しうるとなお信じて研究をしたいと思う。

 

日本教育方法学会 第21回研究集会 開催要綱
日時:2018年6月10日(日)13:30−16:30(受付13:00〜)
場所:大阪教育大学天王寺キャンパス 西館1階第一講義室
※アクセスについては、下記をご確認ください
https://osaka-kyoiku.ac.jp/campus_map.html

テーマ:教育実践研究におけるデータとは何か−データの収集と考察の現在−
趣旨
教育方法学にとって、授業実践や教育実践という総合的営みのどこに焦点を合わせて、いかなるデータをとるかは研究の成否を分ける基本問題です。臨床的な研究にとって、研究課題の設定とそれにふさわしい実践データの収集と分析は、基礎的作業です。地道な作業ですが、この分野にも理論研究からの影響であったり、データ収集の新たなアプローチが試みられたりするようになってきております。
そこで、意欲的に研究データの開発とアプローチの革新を試みている会員に報告をお願いし、それぞれのアプローチを交流・検討することを通じて、教育方法学研究の新たな前進や実践の従来の見方の革新につながることを期待してこの研究集会を企画いたしました。このことを通じてベテランにとっても若手にとっても研究データを取り扱う作法を振り返る契機にしたいと考えました。多くの会員の参加を期待いたしております。

司会者:池野範男(日本体育大学) 西岡加名恵(京都大学)
提案・発表者
坂本將暢(名古屋大学) 工学的アプローチによる教育実践データの分析と意義
中坪史典(広島大学) 映像や写真を介して教師(保育者)の多声的な語りを収集する:文化を反映する教育(保育)実践を描き出す試み
八田幸恵(大阪教育大学)生徒のノート・作品・成果物を公刊し授業研究への多様な人々の参加を促す:教室における目標と評価の豊穣化のために

 

 

 

 

 

 

 

 

| 暮らし | 07:13 | comments(0) | - |
学びをデザインする子どもたち

秋田喜代美・和歌山大学教育学部付属小学校著、東洋館出版社、2000円と税金。

付属学校がよく刊行するタイプの実践記録集といえばそうなのだが、珍しく通読できた。

 

記されている実践は、少し短めのためにエッセンスの叙述になっているが、「学びをデザインする」という意味がいくつかの記録からは読み取ることができる。子どもが自分の課題や述べたいことをどうすると理解したり証明したりできるかなどと考えることを指すらしい。教師の側としては、そういう学びの意識へと子どもを誘うことを意味するらしい。そのために「みとり」という言葉を多用している本だった。

いわゆる近年台頭してきている「授業のデザイン論」かなと思ったがそれとは違うもののようだ。

 

実践そのものとしては、1から9までの数字を書いたカードを全部使って10になる足し算をつくるという課題の記録が後の議論と関わって読んでおく必要がある。ただ、8と9だけは一枚でそれ以外は2枚ずつ用意されているという不自然さが気になった。

 

2年生の「かさ」で容器を二つ短く見せて、どっちに多く水が入るかという問いで、子どもたちを授業に集中させていくやりとりの部分、「長く見せてほしい?」などと子どもとやりとりするのが教師だが、集中させるためにという意図が前面に出てくると、私はどうも評価しない。戦略的すぎ。その場で乗せていくということと戦略的ということのあいだは天地の違いがあると見ている。

 

この本でおしまいに、秋田喜代美と佐藤学の対談が文字おこしされている。論として賛同できる部分、賛同できない部分、言い回しとしてどうかなという部分などがある。

子どもの関係を見るという点は賛同する。

教えあいと学び合いという対比の部分は部分的に賛同しない。問うことは、応えることとセットであり、応えることは問いかけだからだ。

本の主張を日常用語に置き直していたり、特定場面とつなげて言っている部分があるので、その意味でお二人の授業のイメージを掴むのに役立つかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| | 06:55 | comments(0) | - |
専門教育と普通教育は別

小学校から中学校の教育は普通教育。

普通教育とは、すべての人のための共通の一般的・基礎的教育のことをさす。個人もしくは「国民」に必要とされる教育のことで、普通教育の対となる言葉は専門教育ないし職業教育。

高校の教育は普通科は普通教育、専門学科は専門教育と普通教育を行っている。

 

この二つは、教育として共通性もあるが、根本的に異なる点がある。

専門教育はダメなものはダメという点にある。学習者が理解しないでも「まあいいか!」ということが原則としてない。

適当につくったネジでは困る。使えない。

適当に覚えた看護の技法では困る。命に関わりケアとならない。

普通教育は、学習者に対して温室的保護機能が働く。「お試し」ということがある。その世界を垣間見ることに意義があることが多い。だから最終的にできないことがあってもいい。

 

順次熟達していくということはあるにせよ、一定の水準以上の知と技を使えなければ専門教育としてはどちらかの失敗であり、教える側に主因があろうと、学習者の側に主因があろうと不可となる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 教育 | 06:28 | comments(0) | - |
管見

管見の言葉をそう多くはないが、何度か使用した記憶がある。

どこに書いたかは記憶がないが、使ったと思う。

 

出典は、荘子に由来し、「管を以て天を窺う」から来るらしいが、これまた原典を読んだことはない。
視野が狭く、わずかな見聞で、勝手に類推して自分勝手な判断を下すこと、という意味が基本で、なかなかきびしい。だが、そう言うことで謙遜した言い回しというニュアンスも現代ではある。

 

むつかしいのは、どの水準を超えると管見と言わないのかという点である。かなりデータを集めて、詳しい考察を加えている場合にもその言葉が使われていることがあって、管見と非管見の境はよく分からない。

 

この言葉を使う人は、少なくとも、管見ではわからない世界が当該領域にあることを知っている必要がある。管見かどうかわからない人が、管見というのはおかしいからである。

あるいは、管見ではわからないほどの事柄を自己の内に何か一つは持っている必要があるだろう。それと比べて謙遜して用いる言葉だからである。管見というしかない事柄で満たされた人が、管見というのは奇妙と言える。熟知した世界があって、そこまでは知らない世界にコメントする位置関係が必要だろう。

 

そう考えると、謙遜しているようで、そうでもない言葉とも考えられる。

 

そこで自己を振り返ってみると、その言葉を使う資格があったかどうか怪しくなる。

管見の限り、そう言えるだろう。

この用法はあっているだろうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 暮らし | 06:29 | comments(0) | - |
TALIS調査のシンポから

昨日は、OECDのTALIS調査の一つの「初期教員準備調査」に関するシンポに参加した。

内容は、直接に若手教員の調査結果の報告ではなくて、教育政策と実践におけるエビデンスとは何か?が最初の主題。写真のような三角形モデルを示していた。

データとエビデンスを区別するという点は「そりゃそうだ」と理解したが、報告者のこの三角形モデルには賛同しないなあという印象を残した。系統的にレビューされたもの(L1)とランダム試験や準実験研究(L2)だけがエビデンスとして認められ、ケース・スタディ(L3)や個々の意見(L4)はダメだという。それって臨床的世界を理解していないように思われた。

ただ一人、Emily Raineyという方だけが、このプロジェクトを含めて調査の枠組みに対する批判的視野を持っている発言をしていたように思われた。
他に使えそうなデータは、左の写真。
教師の自律性とネットワークと知識を三角形にして、サイズと歪みを見せている。日本は、ネットワークと知識はまあまああるけれど、自律性が低いというのが写真の右下にある。
自律性が高い国はイタリア、デンマーク、フィンランドなど、反対に低いのがMYSってマレーシアかな?韓国、上海、シンガポール。東アジアの国ばかりだ。
バランスがとれているプロフェッショナリズムが高いのが、ポーランド、エストニア、ニュージーランド、ロシア、イギリス。
知識重視は、フランスとベルギーなど。
自律性が低い日本について、ここ30年あまり自律性が極度に低いと思い続けていたのでこれは納得。
なお、このシンポの宣伝では、日本の通常のシンポと違って議論すると書いてあったが、そうは思えなかった。用意されたクエスチョンに順番に答えていくだけのことで、そこの進め方を見たかったので、そうでもないな感。
多忙は続く。

 


 

| 教育 | 07:07 | comments(0) | - |
もう一つに何をみる

地域で一番早い夏花火。

もうすぐ梅雨となって暑い夏。

先月の15日の中教審初中部会の配付資料に高等学校の学習指導要領の改訂の特徴をまとめたものがある。
そこに、「・オリンピックやパラリンピック等の国際大会は、国際親善や世界平和に大きな役割を果たしていること、共生社会の実現にも寄与していることなど、スポーツの意義や役割の理解(保健体育)、障害者理解・心のバリアフリーのための交流(総則、特別活動)」とある。
どの階梯の学習指導要領にもオリ・パラが取り上げられている。
教材としてなら理解できるのだが、そして体育になら理解できるのだが、そこを越えて「改訂の特徴」の一項目にまでランクが上になるのは理解できない。
オリパラなのに、スポーツの意義は三番目に記されていて、一番目は国際親善だ。この順番に不純な意図を読む。
あらゆる物事に、もう一つの意図と姿を見つけようとすることは騙されない知恵とも言うが、そういう消極的な位置づけではなくて、事実の多元性を真としてみることなのだろう。色に色なく電磁波の感応に過ぎない。けれども、その感応が色として多彩でもあるとしるともう一つ別の世界が立ち上がるように思われないだろうか。


 

| 暮らし | 07:03 | comments(0) | - |
ナゴヤ歴史探検

名古屋市教育委員会発行、ぴあ、830円と税金。

 

名古屋の市立中学校に配付される副読本ということでチェック。

井沢元彦が特別監修とあったのでよくない本となっているのではないかと推測したが、想像したほどではなかった。

縄文から市電の整備まで、想定よりは事実を記す内容項目が多かった。

 

しかし、井沢の巻頭言はやはりよくない。徳川吉宗と宗春を比較して、宗春の経済政策が優れていたなどと断定して、「愛着がわき、誇りがもてる」といってしまう。誇りを持つために歴史を学ぶわけではないのだが、そう断じてしまうのは井沢の思い込み。

 

縄文から古代はその点、何がどこにあるという存在と、存在に関する説を記すものとなっている。

 

信長の記述の付近は、怪しさがかなり混じっている。

『信長公記』の記述が本当であるかのように記してあるために、信長などが偉かったという論述があちこち入り込むことになっている。

以後も、所々歴史的評価の言葉や『名古屋城の天守の方が大きい」とかお国自慢的文章が散見される。

近代の人物紹介には同様の要素がより強く入って、プラスイメージだけが記されるトーンとなっている。だが、大正期以後の記述はまた事実を並べる方向におおよそなっている。

記述のダメさの象徴は、一番最後の「本丸御殿の復元」の頁。本丸の復元が歴史を未来に伝えることになるかどうか。他の遺跡の保存の方がより重要だろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| | 07:19 | comments(0) | - |
四天王寺大学で

講義終了後に、藤井寺にある四天王寺大学で新学習指導要領とわたしの大学の授業について90分あまり話しをした。

勤務先の学生の様子からはじめて、新学習指導要領の特質とその特質に対応した教育をするのではなく、その後にやってくる変化を自分の目で捉える参考にいくらかはなると期待して授業を位置づけたいという流れ。強引に関連させた話しといえばそういう話し。

 

教師論の4月から7回目までレジュメと講義の配付資料の一部をそのままつかって自分の授業の趣旨を話した。

教師論で精神論を語るのではなく、教師の置かれた状況をたえず社会のなかに位置づけ、それがどう見えるかを学生に聞き、見え方には複数があることを示すように資料は配置していること。また、個人の教師の声も聞こえてくるように構成しようとしていることを話した。

 

会場には、教育学部以外の方にも参加していただいていると後で聞いた。

受け止め方はどうなのかはうなずいてくれている人もいたけど、全体としてどうかは心の中を読めないわたしにはわからない。

 

 

 

 

 

 


 

| 教育 | 07:42 | comments(0) | - |
校長版教員育成指標をクリアする人

愛知県の教員育成指標の校長版が以下で、素養の部分を除いてコピー。

これらをクリアする人を見たことがない気がする。

4月1日から実施と規定されていたので各地で公表されはじめた。しかし、なぜか校長版は公表していない地域が目立つ。そうした中で愛知県はきちんと公表している。

 

国や県、市町村の動向を視野に入れ、時代の流れや地域性を考慮しながら、自校を取り巻く環境の特性を認識するとともに、教育課題を把握する。

教育活動の目標や方針、重点目標を定め、具体的な学校運営の企画・改善につながるようなビジョン(到達目標の明確化、実現プロセスの明示など)を示す。

教育目標や方針、重点目標について、学校評価や自己評価を分析し、課題に対して新しい改善策を企画する。

時代が求める学校の在り方を常に模索しながら、必ずしも慣例にとらわれない新しい発想に努める。

市民感覚・民間経営感覚に学び、その考え方、手法などを必要に応じて活用する。

教職員に対する面談や授業観察とともに、教頭などとの情報交換を常に行い、教職員の現状把握に努める。

分担した教職員の業務を見守るとともに、状況を把握し、支援・助言しながら的確に評価する。

教職員の持ち味や新しいアイディアを積極的に引き出し、学校運営に生かす。

主任などを中心に教職員の協働性を育むとともに、OJTを推進し、経験の浅い教職員の育成に努める。

教職員が協働して教育活動を推進するために、職員会議などで具体的な考えを示す。

教職員の能力・適性を的確に把握し、一人一人の教職員が意欲をもって活動できる機会や職務を与え、組織を運営する。

組織運営を適切に行うことにより、職場環境を適正に保ち、教職員の心身の健康に留意する。

児童生徒の安全確保という視点から施設管理に努める。また、児童生徒のための教育環境整備という視点から備品等の充実に努める。そのために予算の計画的・効率

的な執行に努める。

事務職員との日常的な連携に取り組み、情報共有に努める。

児童生徒の安全確保を最優先とし、教育活動における学校安全についての重要性を全教職員に常に意識させる。

学校安全マニュアルの遵守と事故・事件の事例を基にしたマニュアルの改善を図るとともに、必要に応じてシミュレーションなどに取り組む。

学校の危機管理(事前・事後)について、校内組織と関係諸機関との調整を迅速に図り、的確に判断し、指示をする。

家庭、地域、関係諸機関に対して学校の教育方針等について発信する機会を確保し、明確に説明責任を果たす。

家庭・地域からのさまざまな要望を的確に把握するとともに、地域社会との協力体制を構築し、地域資源を教育活動に生かす。

 

項目はいっぱいだが、現状を正確に認識し、運営のとりまとめをし、提案をするようにという三つのようだ。

そんなにたくさん要らないだろうと思われる。

 

並べられた項目の内で特に以下は、うまくやっていける校長がきわめて少ないのではないか。

○教育目標や方針、重点目標について、学校評価や自己評価を分析し、課題に対して新しい改善策を企画する。

文科省から配付される文書からして同じ台詞のコピーが目立つが、県教委の文書もそのまたコピーが目立つのに、「新しい改善策を企画」できる人は極希となろう。

○時代が求める学校の在り方を常に模索しながら、必ずしも慣例にとらわれない新しい発想に努める。

これも上と同じ。慣例にはそこそこに囚われる必要もあって、たんに横暴な校長が現れるだけに終わる可能性なしとしない。

○分担した教職員の業務を見守るとともに、状況を把握し、支援・助言しながら的確に評価する。

学校のあらゆる分野に精通した校長などどこにもいない。その自覚の方が重要だろう。
○教職員が協働して教育活動を推進するために、職員会議などで具体的な考えを示す。

民主主義を尊重することなく、協働と推進の目的のために具体的な考えを示せるのだろうか?

 

あれもこれもできる校長がスタンダードならば、ほぼすべての学校は、足らないことばかりとなろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

| 社会 | 07:19 | comments(0) | - |
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