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自己無責任論
大塚英志が「自己責任だ!」という側は、当の言った側の責任を棚上げした自己無責任論だということを言っていた。(『護憲派の語る「改憲」論』角川書店)
携帯灰皿を持って公園を歩いている人を見て、あたっているなと思った。吸い殻は自分で処理しているけど、一番問題な煙は自己責任が放棄されてる。
あてはまりすぎるとこわい。

だから、この自己責任論という自己無責任論の場合も、ちょっと考えないといけない。
例えば、自己の責任も考えて、他者の責任も考えればいいんでしょ!みたいに理解すると違ってきそうだ。
それとはちょっと違って、「あいつの自己責任ジャン」という場合、言った側が責任を果たしているかどうかを意識しながら言っていない場合、そういう反省的意識を持っていない場合に大塚の指摘を当てはめるといいのだ。
「自分の責任を果たしてから他人のことを言いなさい」みたいな言い方も違うと思うのだ。これは、自分だけ反省しろと言って、人のことを批判させない議論封殺の論法だ。こんなのも認めることはできない。

このニュアンスの違いはっきり書けてないかもしれない。(これは、自己責任)
| 社会 | 07:30 | comments(0) | trackbacks(0) |
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