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ウソで育つ道徳性

10月8日の朝日記事。左上がよくできた記事の部分。

要するに、二宮金次郎を取り上げた「道徳科」教科書では、小さいときから読書に励んで、10代の時に工事の人にわらじを寄付し、菜種の収入で勉強したと書いてあるが、ウソもしくは根拠のないお話しであることが記されている。

読み書きを学んだのは10代後半で、それ以外は証拠のない創作話しが事実だというわけである。二宮金次郎の話は、かつて自力更生運動に動員され国家への奉公話などに利用されていった歴史を抱えている。

 

これは一例で、かぼちゃのツルも外へ伸びることが生物としては自然なのにそれがいけないかのように描かれている。手品師も約束を守ること以外は選択してはならない行動と判断となっている。このあり得ない不自然が並ぶ。

 

こうした虚偽で道徳性は育つのか?

これに対しては、事実を知ったら道徳性が崩壊するだろうと考える。ならばだまし続けるという人がいるだろうが、それは無理というものだろう。危険なのは、事実を知るまでの期間である。

 

では、事実に即した個人のお話しが採用されていた場合はどうなのだろう?

物語が真実性にあふれ、文学性において優れた作品が並べられていたらどうだろう?

 

この場合にも道徳性に一定の影響を与える可能性があるとしても、限定的なものに留まる。

道徳性を規定するのは、現実の人間関係と社会関係であって、情報知が主要な側面となる物語には限界がある。自律的行動をとおした検証を経ていないからである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

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