CALENDAR
S M T W T F S
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
28293031   
<< October 2018 >>
                                 
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
教室で教えるということ
教室で教えるということ (JUGEMレビュー »)
岩垣 攝,子安 潤,久田 敏彦
RECOMMEND
ARCHIVES
CATEGORIES
                
<< 誰と向き合う | main | 改訂された放射線副読本 >>
問いに応える

今日から本格的に講義が1つ始まる。この起源は、軽さを前に出していたようだ。改善を続けたようだが、まだ課題があるとオリのときに聞いた。問いと応えをどうつくるか、そこに課題があることは間違いない。

 

先日拝受した本は、Q&A方式で端的な問いに短く答える形式で編集されていた。

コンパクトで問いの中心に簡潔な解が用意されていた。この端的さと簡潔さが1つのメリットだ。

その反対に教育学で有名と言えば、問いと答えの間の重要さを大田堯は何度も語った。間の豊かさを教育に求めた。

 

問いが設定できれば半ば解けたようなものといったのは確かマルクス。

本質的な問いを立てなければ解けない。こういう角度の問題もある。

 

問いと応えの間も、さらに応えの不完全さ、未完性とでも言うのだろうか、それらも重要だ。むしろ完全性よりもその未完性が私は重要だろうと思う。

 

最近よんだ文章では、是枝監督になる弔辞。

「人が死ぬとは、その存在が、普遍化することだと考えています。私は母を失った後、逆に母という存在をあらゆるものの中に、街ですれ違う、あかの他人の中に、発見できるようになりました。」と一応の解を与える。普遍化させることができたといった後から否定していく。「母を失ってあなたと出会ったなどというこじつけは、正しくないかも知れない。けれど母を失ったことを、何とか作品にしようとしたからこそ、希林さんと出会えたことは間違いないのです。」間違いなく出会ったが、なお正しくないかもしれないとその不完全さを含めている。

 

こうして問いへの不完全さや未完性は、その後に続く者へ参入を許し、歓待する仕掛けなのではないか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 教育 | 07:37 | comments(0) | - |
スポンサーサイト
| - | 07:37 | - | - |
コメント
コメントする