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誰と向き合う

紹介されたサイトに子どもたちが大人に抗議している記事があった。

スマホを見ていて子どもと遊ばない大人に抗議してデモをハンブルクで行ったというもの。

確かに、時々子どもが他のことを要求しているのに無視している、いや無視どころか眼中にない様子に出くわすことがある。子どもと話し子どもと遊べというわけで、もっともな要求だ。

https://courrier.jp/news/archives/138011/

 

誰と向き合うかは、日常生活ばかりでなく、研究上も重要だ。

誰とは特定の人の場合もあるし、現実のどこを見るかという場合もある。誰・どこを見るかは決定的だ。描かれる世界がまったく違ってしまう。

いつ向き合うかその適時性のようなこともあるだろうが、現実にはこれはなかなか選べない。頻度が高い場合でも、偶然に任されているのではないかと思うことも多い。よい機会を逃すこともあるし、偶然にやってくることもある。しかし、どこに関心を向けているかで変わる、そう思うのである。
何が言いたいかっていうと、研究過程を定式化しても、関心を持たない者には選べないし見つけられないってこと。
| 社会 | 06:38 | comments(0) | - |
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