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<< 制度化すると疲弊する | main | 高校学習指導要領の移行期の領土 >>
自分事よそ事

「主体的学び」が強調され、学習内容について「自分事」として学ぶようにとりわけ強調されるようになった。

どの教科にもこのスローガンとの関連が意識されている。とりわけ、社会科には「現在の自分たちの生活と過去の出来事との関わりを考えたり」などと記述されている。同様に「生活科」や「道徳科」などはひどくこのことを強調する傾向がある。

 

以前から、「よそ事」として対象を捉えることには否定的な授業論が広く存在してきた。とりわけ社会的な問題になっていることについては、「よそ事」ではなくて「自分事」として捉えているような表現を子どもがしていると高く評価する見方が存在してきた。しかし、それでいいだろうか?

 

何でも自分事と捉えるようなことは、あってはならないと私は考える。自分自身の立ち位置がむしろふらついている証拠ともいえる。何事にも自分からの距離はあるのであって、全てが自分に直結しているなどという把握は、むしろ物事を正確に把握できていないことを示している。

何にでも自分事であるかのような表現を無理にさせる事態も想定される。かつて、国家に操られる人間の創出の手段であった教育は、「自分事」と捉えているかどうかを強要し、「精神が入っていない」と責め立てた。同じことを繰り返してはならない。

むしろ冷静に自分との距離をとれることこそ教育にとっては成果というべきである。

 

自分自身のことについてさえ次のような指摘がある。

「ポイントは自分の事を他人事のように捉える事」(ベテルの家の9月3日のツイートより)

 

自分との関連を考えるということは、自分事のように見るまなざしと、よそ事として捉えるまなざしの双方を必要としている。時に一方の側であったとしてもそれを否定しないことが現今では重要だ。見方の強制が頻発する時代に必須だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 教育 | 07:21 | comments(4) | - |
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| - | 07:21 | - | - |
コメント
まあ、軽々に判断はしないのがいいかもしれないが、一つの考える角度にはなるだろう。
| KOYASU | 2018/09/04 1:29 PM |
本文には加筆しないが、ここに書けば、過去の論争の一部は解ける点があるように思った。直接は安井実践をめぐる議論。
| KOYASU | 2018/09/04 1:28 PM |
さらに加筆。
| KOYASU | 2018/09/04 1:27 PM |
表現をちょっと補足。物事には、当事者と非当事者、距離の離れた第三者という違いがあるもの。
| KOYASU | 2018/09/04 7:52 AM |
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