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絶対の排除

今日は長崎忌。

 

思い込みによる絶対は、その外側にいる者には喜劇に見える。山根と田中とあったからアンガールズの話題かと思ったらミニ独裁の喜劇ニュースだった。より重要な政治や社会問題から目をそらす政権と広告会社の戦略らしい。

 

絶対と言えば、私にとっては西田哲学。この絶対的矛盾的自己同一というとよく分からないのだが、西田哲学の影響を受けたというその時代の人の具体例を思い浮かべると、どんなことを問題にしていたのかがわかる。戦争まっただ中、教育勅語は天皇のために死ぬことを最高の価値としていた。それができるかどうかを当時の青年は議論していた。いろんな想いが内にある中でそれをできるとする心境に立とうとしていた。当時の小説や回想録にたくさん登場する。

「自己は自己を否定するところにおいて真の自己である」などと言って、思いの方か行動の方かどちらかは人によって違うようだが、無になれると思い込んで出撃していった。それで戦争協力の哲学に戦中はなっていたが、「全身全霊をかけて事柄に向き合うこと」への肯定的把握は、職業の違いを越えて支持されやすい。政治的立場を越えて支持される精神として、戦後も、そして今も支持する人々がひどく多い。西田哲学だけをそうした時代精神の起源にするつもりはないし、それは俗流解釈だという人もいるだろうが、西田哲学をいくらかかじった当時の人々の具体的把握の一つにあったということは間違いないと思う。

そういう誠実さを信条とした人々は、しばしば行動と思想とが不可分につながっていると捉える。この捉え方を私はまちがいだと見なす。行動の仕方を基準にしようと、思想の側を基準にしようとどちらでもいいが、二つが不可分につながっていると捉えると、どうにも変わりようがなくなる。

 

この心情の人が教育の世界にこれを適用すると、一生懸命であることが重要と見なす人は、休むことやサボることが一切悪となる。すべてを一貫させたくなる。被教育者にこれを適用すると、子どもは批難の対象となる。追い込むことになる。

他方で、すべてを一生懸命に取り組み、すべてを一貫させようとする人は、すぐに壁にぶつかる。そうならない現実が出現するからである。すると途端に反対の思想と行動に転換していく。悪い意味の「いいかげん」「適当」「その場しのぎ」「ご都合主義」に転換する。ミニ独裁者を見るとそれがよくわかる。

 

一つの原理ですべてを説明したり、行動の基準にするようなことはしてはならない。

いつも複数の、時に矛盾する考え方や事態の中で、複数の思いに囚われながら暮らしていく。いくつかを捨て去り、いくつかを残し、いくつかを拾い集めて暮らしていく。

そういう中に教育も位置づけ直さないと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 暮らし | 07:20 | comments(1) | - |
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コメント
また助詞を間違えていた。文の途中で方針が揺らいだらしい。
修正。
| KOYASU | 2018/08/09 8:55 AM |
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