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教え合いをつくる

研究会で個人的に一番参考になったのは、「教え合いって、できる子ができない子に教えるだけで、できない子は教えられっぱなし」という指摘と対策。

確かに、「教え合い」というと対等に仲良くやっているように見えるが、通常「できない」子は教えられっぱなしとなって、教える側に回ることはほぼない。この固定的関係を時々でも壊すことには意義がある。人の見方を豊富化する契機の一つと考えられるからである。

 

授業のなかに「教え合い」に類似したことを考えている議論を思い起こす。

協同学習論も教え合いと言っていた。たぶん一番強調していたような印象が私にはある。しかし、教えるだけで「合い」はないことが読んだものや見たものはほとんどであった。

学習集団論は問いによって複数意見が出るという方向で、意見交換が中心で、「教え合い」はあまりなかった。状況が違うのかもしれない。

学びの共同体論は、「聞き合う」といって、そこから話し合う。厳密に言うと「教え合い」とちょっと違うのかもしれないが、自分の見方を教えあうことにはなっていく。ただ、聞いて内容があるかどうかは、やはり出来具合に左右される要素が避けがたくある。

 

報告者は、合唱で、教えられっぱなしにならないように、子どもごとにとりわけ「ターゲットの子がきたらその子にだけ教えて、後で他の子にその子の所に聞きに行くように言う」と述べていた。

ここでポイントは、「できる」子も知らない内容・不確かな内容であることが一つはポイントだ。

もう一つは、そういう子どもを見る目、子どもと子どもの関係を見る目がないと、これはできない。

 

「教え合い」を美しいだけの言葉と見なし、実態は教えられっぱなしという冷静なまなざし。何もしないでは固定的見方は変わらないという課題意識。そこに一つの対応策を考える教師というものの位置取りがある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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