CALENDAR
S M T W T F S
   1234
567891011
12131415161718
19202122232425
262728293031 
<< August 2018 >>
                                 
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
教室で教えるということ
教室で教えるということ (JUGEMレビュー »)
岩垣 攝,子安 潤,久田 敏彦
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
ARCHIVES
CATEGORIES
                
<< 現実の問題にこそ道徳が潜む | main | 久しぶりに >>
内と外をみる

昔、城丸氏の話しに警察官と教師は、覗くのが好きだ。

警察官は、犯罪者ではないかと疑い、本当に更生したのかと覗きたがる。

教師は、子どもが心からの反省をしたかどうかを知りたがる。

そこで、反省文を書かせる。

しかし、内面はそう簡単にはわからないものだと述べ、わからないけれど最善と思われる働きかけをするものだ、と述べていたことを思い出す。

 

別の文脈で、日本軍の上官は兵隊に向かって「精神が入っていない」と暴力を振るった。軍と学校は、儀礼など形を制定したが、形が制定されると今度はそこに精神が入っているかどうかわからないので、「精神が入ってない」と責め立てた。こうして無限の忠誠を求めるようになるという批判を展開していたことを思い出す。

 

この罠にはまりやすいのが権力者なのだ。

 

内面と外面は同じでない。同じではないが、一定の連関をしていることは間違いない。しかし、そこにはずれがあるものだ。ずれがあってよいのではないか。

課題にしたい目の前の行動的な選択をどうするかを優先するということでよいのではないか。内面からすっかり生まれ変わるような変わり方を期待すべきではないのではないか。

「責め立てる」アプローチは、「道」が好きな過去の「求道者」たちでおわりにしたい。

 

そんなことを思いだした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 暮らし | 07:32 | comments(0) | - |
スポンサーサイト
| - | 07:32 | - | - |
コメント
コメントする