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責め立てる道徳科教科書

道徳科シリーズの5か6。

 

全国で中学校教科書採択が続く。

どの教科書会社も似たり寄ったりであることは、出だしを見るとわかる。挿絵は違っても同じことが書いてある。

見事に同じだ。ここに日本の支配された教育をみる。道徳科で学ぶことと学び方について同じことが書いてある。

 

若干の濃淡がでるのは、教材文。

どの教科書会社も同じ傾向だが、子どもの内心を責め立てる。

あの谷川俊太郎の詩でさえ責め立てる道具に使われてしまう。

学研みらいの中三に「ありがとうの深度」が採用され、「あなたのありがとうにはどんな思いが込められていますか?」と問われている。問われているようだが、どんなときも「ありがとう、と言おう」ということになっている。

 

続く向田邦子の「ひとりを慎む」ではもっと露骨だ。自堕落ではいけない!と迫る。

 

山本敏晴のように世界で活躍し、余命がゼロとなっても渡部成俊のように力強く生きよと続く。

 

道徳科の教材となったとたんに、子どもの内面を責め立てる圧力に変身する。

谷川の「ありがとうの深度」も様々なありがとうがあるという発見をした側から読むのと、感謝をしなさいという規範の前に立たされて読むことの決定的な違いがそこにある。

この違いに気づかないものは永遠の不幸の前にいる。

永遠の不幸から逃れるには、規範の前に立つのではなく、暮らしの中にいるしか術はないだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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