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類型化の罪

道徳科教科書シリーズのその3。

学校図書の1年生用に灰谷健次郎の「誰も知らない」がある。

まりこは特別支援学校の6年生、2百メートルを歩くのに40分かかる。言葉を正確に発音できない。その歩く姿を見て通りかかりの人が「何を楽しみに生きているのか」などと言う。だが、まりこは猫や蜂や松葉ボタンの不思議と交流する。その間、色んな人々が通り過ぎていく、と記して終わる物語だ。

これに問いの例がつけられている。まりこが気がついていることは私たちはきづかないことなのだろうか、まりこに聞かせたくない言葉を吐く人と、声をかけてくれる人たちはどんな気持ちでまりこをみているのかなど。

一つ目の問いの方がまだよりよいと思うが、人の見え方を決めてかかる問題点を浮上させるお話しに位置づけられている。

 

ところが、このお話しに続くのが面白いことに、「日本人の自覚 言葉の壁は「日本舞踊」で乗り越えた」という麻生菜穂美の文である。そこでは日本について説明できることが重要とされ、「「人を思いやる心」。私たちがとった行動は世界中から称賛されました。」(p.18)とある。そして、「伝統文化」を誇りに思えといって、大切したいものを書かせることになっている。

まるで、「日本人」だけが、人を思いやる国籍の人のようだ。例示された踊りや風景が日本にだけあるかのようだ。「誰も知らない」では偏見のかたまりだったのではないか。

 

類型化してとらえさせる物語は、欠陥を露呈させる。

ここにはものの見方の強制が露骨に存在している。

日本舞踊というと古代から営々と続いてきたかのような錯覚に陥るが、近代の創作で、源流といっても歌舞伎から生まれたとされる。だから400年足らずの踊りの一部に過ぎない。

事実の歪みとともに、一部が全部にすり替えられている。虚偽を含むと言えなくもない。

 

二つのお話しが矛盾するとも言える。麻生のように思い込んでいる人も確かにいる。だから、誰も知らないに登場する偏見の塊の人も確かにいる。二つを対比して検討すると、社会の問題点が浮上するように思われた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 教育 | 06:53 | comments(1) | - |
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コメント
また、表記にミスがあった。訂正。
ホントに熱くなるらしい。あともう少し。
| KOYASU | 2018/07/11 9:23 AM |
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