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勉強のしすぎ問題

勉強のしすぎ問題は、先日発売された『教育』8月号に書いたのだが、その意図を読み取ってもらえているだろうか?

この問題に気づいたきっかけは、3月のカリキュラム学会の研究集会における教師の報告にあった。探究学習が広がる中で、生徒が多くの時間をかけ、学習のバランスを欠いてしまうこと、教師も対応が大変なことが語られた。

この時は、探究学習だけの問題と受け取ったのだが、新学習指導要領全体の問題なのだと間もなく気がついた。教科内容を減らさず、全教科で探究的性格の授業が始まったら大変なことになることが見えた。

無理なのである。

 

また、学習時間調査などを見ると、このところ少し時間が増加傾向を示している。これは時間数にすると少ないために勉強しすぎという印象を与えないようだ。また、子どもの偏差値階層によって学習時間は大きく異なるために、勉強しすぎはごく一部の子どもととらえられるらしい。

しかし、そうとらえていていいのか。

そもそも、学習時間は遊びの時間とちがって、長くても問題にされないが、そうした思想が充満する社会でいいのか。それが、ブラック企業や高プロ容認の意見を容認してしまう土壌となっているのではないか。

 

子どもの生活を全体として見なおすことが必要だ。よいとされることをやっていればよいとする偏狭な見方は廃棄される必要がある。

人生に何を積むのか内容と共に時間の組み替えが必要だ。そういう意図だったのだが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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