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話題のグアム

グアムにミサイルだかなんだを飛ばすとか、飛ばしたいとか、撃墜できるといいなとか、無理だろうとかワアワアと言い合っている。ほんとうに飛ぶまでは無邪気な子どものようだ。この無邪気は大人の偽装だ。

 

昨日は、そのグアムを占領していた日本軍が「玉砕」という全滅をした日だった。

読みかけの西村京太郎の『十五歳の戦争』集英社によれば、つくることにされた防空壕は当時の爆弾が落ちたら役に立たないとすぐにわかったという。現代の武器ではなおさらだ。

 

西村京太郎が陸軍幼年学校経由とは知らなかった。西村は当時のエリート中のエリートということになる。西村が言うには、そこを志望したのは、十九歳で徴兵されたとき士官になっているために志望したと言う。この事例から、子どもが純粋というのは嘘だと西村は断言する。私もそう考えてきた。子どもが純真とか純粋とかいうのは幻想だ。無邪気とは、限度を知らない餓鬼のことだ。松本清張の伊豆を舞台にした小説もそういうトーンで書かれていたものがあった。

そういえば、以前の同僚にも幼年学校出身者がいた。日常は礼儀正しくきちっとした印象の方であった。生まれがどちらも1930年、入校してすぐに敗戦となった。

 

人はなんてだまされやすいのだろう。鬼でさえ邪鬼が無いと呼んでしまう。

 

 

 

 

 

 

 

 

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