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ディベートは国語じゃない

「ディベートは国語じゃない」という発言を聞いた。

発言者は国語教師。

国語の教師としても実績のある人の発言であった。

 

これは何を意味しているのか。

文脈からすると、論理ばかりを追求していて、言葉あるいはコミュニケーションの総合性が失われた活動であり、国語もしくは日本語教育ではない、ということと受け取った。失われているものとは、例えば、内容にかかわる感情などのことだろう。

 

国語・日本語教育ではないと述べながら、この手法を採用する他教科も同時に批判したのだと解される。すなわち、述べたいことがあるわけでもないのに語るディベートで社会的テーマを取りあげても、そこに「声」(人の熱を伴った語り)はないのではないか。そんな音の行き交いを社会科と言うのか!という批判である。

 

傾聴に値しよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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