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WS形骸化の中でリアリティを

福島駅近くの岳陽中学校の放射線量。毎時で0.123マイクロシーベルトという数値は、基準の6割ぐらいなので、基準内だが高い。

 

福島原発事件から6年半あまり、フクシマからの距離に応じて記憶も切実感も薄れる傾向がある。

他方で、教育実践は、ALの流行・ワークショップ(WS)的活動の流行がある。その中で、ALやWSの形骸化すなわち学習者の感想・認識表現の定型化が進行している。

 

これに対して、リアリティの回復が喫緊の課題。これがあるかないかが教材研究の当否と並んで実践の質を決定する。つまり、定型化されたWSを反復する実践は問題外なのだ。

 

そういう立ち話を福島の教師とした。福島でも、リアリティを生み出す取り組みを新たに織り込んでからでなければ、福島の柱となる学習活動は成立しない。これは、だから、学習者の学ぶ時と場所と状況と切り結んだ変換が必須だということである。

定型化された学習、マニュアル化された進行では学びの不成立といっていいのだということ、だからフクシマから遠くても成立するとも言えるし、近くても成立しなくなるのだと述べた。

 

今日は、静岡。

 

 

 

 

 

 


 

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