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探索の旅

まもなく福島と静岡に向かって移動を開始する。

目的は、実践を探すことが第一。

第二は、私が報告をするため。

その他数え上げると色々あるが、上記の二つ。

 

ずっと昔のこうした研究会への参加に触れた文章を読むと違った目的に出会うことがある。

多いのは啓蒙的動機である。

啓蒙する側であったり、啓蒙される側であったりと立場は異なるがこの二つが上位にあるという実感がある。(実感であって数ではない。)私が読んでいるぐらいだから、当時はまだ無名であることもあるが、比較的有名な研究者であったり実践者であったりする。

その次は仲間作りというのか、同士の発見というのか、そういう人を探すことが目的となっている気がする。

戦中は上からのアジ演説みたいなものが多かったようだ。

戦後はコア連の研究会、民科や草創期の民間研究団体への参加記に上記に該当するものがある。なにより文部省筋に近いところのものは、最初は啓蒙的な性格ではじまるが、すぐに研究であることをやめて研修となり、命令一下の伝達講習という儀式という性格を極端に強めている。

 

啓蒙的性格をじょじょに民間団体は弱めるが、一つの方式を発見すると絶えず啓蒙化の顔がのぞくことがある。しかし、これを正す人々が他方にいる場合には前進する。遠山啓に関する著作広告を昨日見つけたが、氏の業績は偉大だと思うが、これを絶対化すると量の指導の範囲で終わっていた。量分数と割合分数の間のような教育実践的な地平は開かれなかったに違いないと思う。同様のことが各種団体に言える。

実践研究的発見も絶えず見直される対象に、つまり批判の対象にする団体と個人だけが今を前に進める。そういう発見をそういうまなざしを持って出かけたいと思う。

 

かつて大西忠治が仕切る分科会にいたことがある。氏は、報告文書に赤い書き込みが満載されていた。読み研の線引きはそこからきているのではないかと思う。

私は中心部分にしかメモを残さないが、氏の姿勢はそこに現れていたと思う。(ただし分科会運営がよかったかどうか意見があるかもしれない。)

 

 

 

 

 

 

 

 

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