CALENDAR
S M T W T F S
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293031    
<< October 2017 >>
                                 
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
教室で教えるということ
教室で教えるということ (JUGEMレビュー »)
岩垣 攝,子安 潤,久田 敏彦
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
ARCHIVES
CATEGORIES
                
<< 定義とその普遍性の開始 | main | 誘導を「考える道徳」 >>
再びのわれもこう

テレビでは原子力委が「原発が低コストの電源」と嘘を並べている。

続けての報道は、「防災を世界に」と人の話を聞かない政治家の営業活動。

 

前期最後の講義にもう一度、岸田衿子の「われもこう」を送った。

秋の花で今回も季節外れだが、もう一度。

 

われもこう
 

うたをうたうのはわすれても
ゆうぐれののべの花は目にのこります
都をでて 中仙道をバスにのって
バスをおりてから 橋をわたり
手をふった人の顔をわすれても
のべのほくろのような
えんじ色の花が 目にのこります
川の音が とおくなり
きのうの電話の声をわすれても
のべには のべのしずけさあふれ
花々に 花々のつぶやきあふれて
わたしは わたしを見失います。

 

前は、一年を振り返って何が残っただろうか?と問いかける入り口として読んだ。つまり、無数にある忘れてしまったものを含めて、その一つ一つに経験と生があると。

 

今回は、忘れるものは人の行った事柄、のこるものは自然の花々。

人との交わりはうつろい消えていくけれども、自然の営みは関係なく続く。

私も人も自然の営みのなかでは消えてしまうが、自然の営みは続く。

それでも人は自然の中にどんなときをつくるのかと読んでみた。

 

なお違う気がしてくるが、またそのうち考えよう。

 

 

 

 

 

 

 

 


 

| 暮らし | 06:38 | comments(0) | - |
スポンサーサイト
| - | 06:38 | - | - |
コメント
コメントする