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出欠をめぐる攻防

今週で前期の講義が終わる。

 

明治期後半から昭和期前半の小説などを見ると、講義をさぼった話しや子規のようについて行けない講義(つまらない講義というべきか)のエピソードが出てくる。最初、大学は、一つの科目でも不合格となると留年だったので、講義の合否は死活問題だった。

敗戦後の大学風景では、マスプロ化が進行して、名前を呼ぶと別人が応える代返などが横行し、出席と欠席をめぐる風景は軽薄に流れた。

10年以上前になるだろうか、出欠を学生証をかざして読み取らせる機械が一部の大学で利用されるようになる。

最初は、講義の初めだけ読み取らせていたが、読み取らせてそのまま居なくなる学生が出て、講義の終わりにももう一度読み込ませるようになる。

すると、また一部の出欠が気になる学生は、読み込みを別人に依頼をするなどということがあるらしい。

するとこれをさせまいと、テストの頻度を高くする教授がいるらしい。

 

マスプロ化以降の風景はとりわけ滑稽に見えて仕方がない。

 

出欠に命をかけて、厳密に管理しようする大学、すり抜けようとする学生。

「ほんまにあほらし」と阪田寛夫なら言うに違いない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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