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ウサギとカメの下心

先日の続き。

ウサギとカメのお話しの教訓(下心)は何か。

府川によれば、大半は「油断大敵」となっていたとある。

カメの側に即すと休まず努力という把握もあるようだ。

どちらであれ立身出世の競争させたい日本の近代にあわせて読まれた下心であった。

 

だがもう少し考える。下心はどっちととる方が自然だろう?

両方あろうが、読み手(読者)を能あるウサギと見るか、愚鈍なカメと見るかで変わるだろう。話者が読者をどのように想定して語るか、あるいは読み手(読者)の自己評価がどちらであるかによっても変わるだろう。

 

ところで、能あるウサギがわざわざ愚鈍なカメに競争を持ちかけるものだろうか?

そういう疑問もある。

あるいは、愚鈍なカメが挑発に乗るのか?たゆまず努力するタイプのカメが無意味な競争に乗るのはおかしい?という疑問も成立する。さらに言えば、どのカメもたゆまず努力するものだろうか?

 

府川の本の終末にも記されているが、カメはなぜ寝ているウサギを起こさずに通り過ぎるのか?

先に冷やかしたウサギの性格は悪くてもいいのだが、カメの性格描写としては一貫せずよくないだろう。

 

本によってゴールはまちまちなのだが、ゴールすることに何の価値があるだろう?

冷やかしてきたウサギに勝ったところで何の意味もない。

ウサギにしたところで同じだ。愚鈍なカメに勝利しても何の名誉にもならない。

 

下心をこのように現実の世界に適用させて読み取ろうとすると、現実と対応しない不都合が多岐にわたって浮上する。

カボチャのつるはのびのびしてはじめて実をつけ、のびのびしないスイカは大きな実をつけることができない。それが現実のカボチャとスイカだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 教育 | 07:23 | comments(1) | - |
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コメント
論旨をよりわかりやすくするために加筆。
| koyasu | 2017/06/03 10:41 AM |
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