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考えないままの道徳

今回の「特別の教科道徳」は、「考える道徳」というスローガンが世間に振りまかれている。

道徳の検定教科書を作成した各会社の説明にもその言葉が並ぶ。

 

しかし、できあがった検定教科書からは、それをくみ取るのがむつかしい。

 

例えば、朝、人がであっている絵が提示されていて、「こんなときなんていえばいいのかな?」とある。

考える余地があるだろうか?挨拶をする以外に応答は期待されていない。

 

「黄色いベンチ」の上でおもちゃの飛行機を飛ばしてベンチを汚してしまった二人。もうこの後の展開はどのように聞こうと結論は見えている。

 

どこに考える余地があるだろう。

 

パン屋が和菓子屋に変わったことからも分かるように、細部まで教科書作成者や文科省の意図ははっきりしている。和菓子だと日本風でパン屋だとそうではないという固定観念の塊=「思い込み」でつくられている。

 

取り上げられた作品の中には、元はそうでなかったものがないではない。だが、教科書として編修されて、教科書の頁がふられると意図は考える余地のきわめて少ない作品に変貌をとげてしまっている。

それは、権力が正解を定めることによって変質するのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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