CALENDAR
S M T W T F S
    123
45678910
11121314151617
18192021222324
252627282930 
<< June 2017 >>
                                 
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
教室で教えるということ
教室で教えるということ (JUGEMレビュー »)
岩垣 攝,子安 潤,久田 敏彦
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
ARCHIVES
CATEGORIES
                
<< 移動一ヶ月 | main | 小野さつき訓導殉職事例から >>
スタンダード二つの恐怖

スタンダードの始まりは、米国。

1980年代、教育予算削減をめざす中で始まった。教育内容を基準化し、基準に満たない所は削減する。その基準作りがスタンダード化。この頃はレーガン。これは、ブッシュに引き継がれていく。トップ権限の拡大が行われ、設定された基準に満たない所の予算と人を削るという悪法の実施だ。

これがさらに、落ちこぼれゼロ法(NCLB法2002年)で学力テストを実施して、点数が低いと子どもに転校を進め、得点の低い学校の予算をカットする等の政策が進められた。

 

これらの政策の基準がスタンダード。

 

日本にもこれらを真似た政策が入っていることが分かる。現在、困った悪い影響を与えているのが、日本における教育のスタンダード化。日本の場合はさらに悪い形でつくられてきている。

米国の場合は、基準を超えているかどうかで脅されるだけだが、教育する側の振る舞い方の指標も設定されているので、スタンダードがそのまま教師の基準にされてしまう。スタンダードの遂行が教師として失格かどうかの基準にされている。そのために教育の画一化が昂進することになる。

 

到達基準と資格基準という二つの脅しがかけられている。

 

スタンダードはやめるしかない。

教育予算の削減ではなく、無条件の増額の政策への転換。

教員統制という不信の構造を転換すること。これが必要だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 社会 | 06:38 | comments(2) | - |
スポンサーサイト
| - | 06:38 | - | - |
コメント
同じ記事が二回アップされていたので訂正したつもりのところが直ってなかったのか!よって1つを削除。
| KOYASU | 2017/05/01 11:00 AM |
10時12分に打ち間違い等を修正。
いっぱいあった。
| KOYASU | 2017/05/01 10:12 AM |
コメントする