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何のために学ぶのか

「現文なんていらない。」

「漢文も古文もいらない。」

「事実かどうかもわからない歴史も不要だ。」

それなら、「三角関数も微分・積分なんて使わないしいらないね」と私。

 

近代学校の始まり以来、変わらず教えてきた内容に、例えば「四則計算」がある。

しかし教えなくなったもの、教える量としてずっと少なくなったもの、例えば虚偽の天皇の事績やソロバン。

新しく教えることになったもの、例えば小学校英語など多数に上る。

変化を示しながら、なぜ変わったのかと聞いた時に出てきたのが、冒頭の不要な教科や教科内容。

 

ここで気がつくのは、「いらない」と言った学生が何のために学ぶのかを教えられたり、実感することなく通過してきたことだ。「身近で直接生活に役立つ」という学ぶ理由しか賛同していないことだ。これは、とても重要な観点だけれど、それだけしか気づかせてもらえずに学校を通過してきたかのような反応だった。

もっと丹念に聞き出すと他の観点も知っているかもしれないが、このときは「何のためにそれらを学ぶのか検討しましょうか」といって終えた。

 

学生の「○○はいらない」という応答は、現代におけるコンピテンシー・ベースだとか「資質・能力」だとかいう議論を自明なものとして語る人々の問いの不在を突いている。知識基盤社会という言葉を持ち出す程度ですべては済まされて、多数の内容を多数の「資質・能力」を教え形成することにしている。

本当か?

何のために学ぶかを子どもに即して掴まえられているのか?

きわめて疑わしい。

 

何のために、その内容を学ぶのかを問うことからこそ始められるべきではないか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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