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通じない授業通じる授業

歴史地理教育3月号を読む。

この号の実践記録は粒がそろった感じだ。

私の関心からすればフクシマだが、それを越えて問題提起的なのは浅尾弘子「生徒の本音と向き合う授業をめざす」だ。

転勤した高校で、それまで通用したバナナの授業、子どもの権利条約を易しい言葉に翻訳する授業、外へ出かける授業といった定番が通用しない事態にであう。高校生たちの貧困と隣り合わせの暮らし、つらいことの多かった被教育体験、これらがベテラン教師の定番を通用させない。

 

そこで行ったのが「いじめの授業」。ここでようやく高校生たちが自身の体験を語り始めたという。自身のいじめられ体験からいじめが社会にもあることを語りあう。これですべてうまくいくようになったわけではないとあるが、刺激的な問題提起となっている。

 

この浅尾の指摘は、タイトル通りに「生徒の本音が出てくる授業」づくりをただ報告をしているのではないだろう。

たしかに、高校生のおかれた生活と向き合った授業でなければならないというのが表の主張だろう。

そして、貧困や「学力」の低さといった問題も見ている。

また、学問的正しさを踏まえた内容と教材をそろえれば良いという定型的科学主義を批判しているだけでもないだろう。

それだけではない提起があろう。

 

それは、最近の動向との関連でいえば、活動的で探求的な授業であれば良いというわけではないことを提示しているのだと読めよう。これは、ALが教科内容や生徒の暮らしと乖離していれば何の力にもならないことを実践で証明している。

言い方を変えれば、生活とたいしてつながらなくても学習してしまう生徒の「愚かさ」を批判している。さらに、そんな授業で「うまくいった」などと本を書いている「浮遊の徒」を手厳しく批判していると言えよう。

さらに読み方はあるかもしないと思う。

 

 

 

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