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サークル論1

本日が、西三河サークルを私の研究室で開催する最終日。

この集まりは、最初は富士松駅近くの個人宅で開催していた。1980年代に後半まで続いた。時々、岡崎で開くこともあった。実践の構想づくりが中心で夜の10時頃までやっていた。疲れたが、教師というものが新たな授業を創ろうとする時、どんなことに関心を寄せるかが参考になった。三河的な教育の伝統もそこにあるらしいことを知ったのは数年たってからだった。

 

その後、しばらく休会の時期があったが、20世紀末頃から今度は私の研究室で再開した。最初期の参加メンバーはほとんど入れ替わったが、その後はほぼ毎月一度開催してきた。ネットに接続していることを入会の条件ということにしていた。それ以前は、封書で会員通信を発行していたが、その経費と手間を省いてメールで連絡することにしたからである。

どっちがいいのかはわからないが連絡が手軽になった。

以後、メンバーは変化しながら続いてきた。少ないときに3人という時期もあった。このところは数人から10人ほどで二つぐらいの報告をしてもらってきた。

 

ところで、私は、こうしたサークルのようなものに参加していない人をどこかで信じていないところがあるようだ。著名人の特徴的な実践をつまみ食いしているような実践者や研究者をどこかで信じていない。

著名な教師でも、いつもうまくいっているわけでもないし、すっきりと構想ができたとは言えない時を抱えながら、時につまらないと思えることにこだわっている姿がある。著名でもなんでもない教師が明日どうしようと思ったり、時間がひたすらたつことを願っているだけのような状況を抱えていたり、いろんな出来事がある。その時間の経過を共にする経験を持たない人を信じていないところがあるのだ。

官製的なそれだとだめなのだ。そういう中でも実践を中心においてきた人がいることを知っている。

興味深い取り組みをしていることもあるのだが、どうにも私の問題意識との時間的ずれが生まれるようなのだ。

 

雑誌などの実践記録は、どうしても一部しかそこに記されていない。サークルの場合には前後が見え、聞いてみたいことに即座に応えてもらえる。周辺情報も重要だったり、話し方のトーンだったりが具体的に見える。これは映像記録とも異なるものだ。

 

私はいろんな集まりに参加してきた。それごとに進め方も報告の仕方も違うが、学校的制約のない世界が私の研究上では大きな意味を持ってきた。これらの集まりに集う人のその先の世界につながることもできた。

小出隆司、杉山雅、大西忠治、安井俊夫、加藤公明、ここに名前を挙げきれない人々と出会った。そうした人々から研究へのヒントを沢山いただいた。これらの著名な教師と知り合ったのも小さな集まりがきっかけだった。また、普段の、突然飛躍があるわけでもない集まりで聞こえる一人一人の声が、日常の問いを形成し続けてくれていたように思われる。経験年数など関係なく、「教育の応答がここにあるな」と思われる瞬間に立ち会える時が時々ある。それが大事だったと思われる。

 

その2はいつになるかわからない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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