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誰が何を

何種類か持っている外貨の一つのベラルーシ・ルーブル。

上が1000で下が50000ベラルーシ・ルーブル。今朝調べたら、1000が約6円と表示された。50000ベラルーシ・ルーブルで300円。日本国内の普通の銀行では交換してくれないらしい。

日本円にするとわずかだが、関連の支援団体に寄付しようと思いつつ、ずっと忘れている。

チェルノブイリ子ども基金が長年の支援に対してベラルーシから表彰されたと聞いた。そこに送ろう。

 

ところで、何をなすべきか?はいつでも迷うところ。

そういうタイトルの本だったか論文だったかを昔見て、そのヒントがあるのかと思って読み始めて、なんだか関係なさそうな話が続いていて、途中で止めた記憶がある。

 

誰こそが何をすべきかを厳しく考えると、自分でなくてもいいとか、それをしなくてもいいということになる。緩く考えるとなすべきことが多すぎて無理となる。

言うことでも同じことがある。言わな過ぎも言い過ぎも問題だ。ここでも「誰が誰に向かって語っているのだ」ということを疑わせてしまうようなことを言うのもおかしなことになる。

立場や関係ということをそれなりに踏まえないと愚かな!ということになる。

 

結局、何をするかを生活の連続性の中で並べ、思い出しながら歩み出す。

具体的には学会関連業務、研究会関連業務、講演の資料作成など、必須事項はいい。だが、必須でない事柄は難しい。

ほんとに何を言うべきかは難しい。


 

 

 

 

 

 

 

 

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