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新学習指導要領に関する論文掲載

あいち県民教育研究所発行、『あいちの子育てと教育と文化2017』、年報第25号、800円が刊行されました。

この中に「新学習指導要領の批判読み」と題した論文を寄稿しました。私の論文の小見出しを並べると次のようになります。

1 国家主義と汎用的能力の育成をめざす新学習指導要領

2 新学習指導要領の特質

3 「コンピテンシー・ベース」とは何か

4 ALの定型化とその批判

5 学びづくりーその三つの切り口

6 補論

 

以上となっています。

地方誌なので入手しにくいと思いますが、部活の特集があり、名古屋の教師の勤務時間データが載っていたりします。あいち民研のホームページから申し込みください。

 

一昨日まで書いていた原稿は、おそらく9月末には発行されることになると思います。何とか書き終えて気分はゆったりモードになりましたが、次の準備に今夜からはいります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   

 

 

 

 

 

 

| | 06:45 | comments(0) | - |
モラルの起源

亀田達也、岩波書店、760円と税金。

副題に「実験社会科学からの問い」とある。この意味は、政府の人文科学を役に立たないと削減する動向に突き動かされて、役に立つということと今の科学の動向とつなげた手法の可能性とを示すことらしい。亀田の見地は、人文科学削減政策に批判的とも受け取れるし、迎合しているとも受け取れる。

つまり、人の社会心理学的行動を大脳の活動状況のデータで実証する手法を採用して、役立つことと脳研究との結合という手法の新しさで存在感を示そうというわけだ。そういうアプローチもあろうが、そのほかの人文科学のこれまでのアプローチの意義を何か変更することを示唆したかというと、そうではなさそうだ。新たな取り組みの一つではあるが、取って代わるということにはならないように思われた。

 

実験は、巣の引っ越しをミツバチはどう決めているかという群れ行動と、人の場合の文化市場の曲がヒットするかどうかの現象との比較が2章。ミツバチは、よい場所という情報が徐々に広がって引っ越しが決定されるのに対し、人の場合は何がヒットするかは分からないという結論が提示される。群れが判断基準となるミツバチにたいして個体レベルでも判断する人は、空気を読んで強く同調しもするが、個体レベルの反応もする点で異なるという。

 

3章では人の利他行動と大脳の反応が取り上げられる。自分勝手な行動を皆がとるかというとそうはならないという事例を動物のチスイコウモリのえさの配分行動、人の共有地の利用方法の事例、公共財ゲームの事例などで紹介していく。

 

4章では、共感という情動反応を大脳の活動と関連づけた実験結果が紹介される。

利己的行動が世界を支配すると信じている人も多いが、これらの実験や現象は、その反対であることを紹介している。

手際よく紹介されていくので、4時間かからずに読み終わった。

 

タイトルはモラルの起源だが、これが起源だとまで言ってしまっていいかというと、起源かどうかはわからない。人というものの行動を各実験が示してはいるが、文化性/歴史性に依存し、個体の諸関係が影響するものである以上、そこまで普遍的と言ってしまっていいとは思われなかった。

ただ、こういうアプローチもあるのだなと記憶の片隅に配置はしておきたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| | 06:43 | comments(1) | - |
民主主義教育21Vol.11を読む

『民主主義教育21Vol.11』は、全民研(正式には全国民主主義教育研究会)が発行する年報で、同時代社から刊行されている。

今号は、「憲法施行70年主権者を育てる教育」という大見出しが付いている。

特集は、新指導要領と科目「公共」が1つ。もう一つは憲法教育の実践。

 

この号には、くしくも小玉論文と佐貫論文が並ぶ。教育の脱政治化という議論とそれに批判的な佐貫論文が同居している点でそろえておくべき本となっている。この議論は、小玉が述べたい趣旨をいくらか言葉を緩く選んだ側面もある気がする。「脱政治化を偽装する」という言葉の周辺を用いていると、また違った議論があるのかもしれない。もう少しそれぞれを読む気になってから考えて見たいと思う。

 

新藤宗幸は、科目公共に明確に否定的。桑山俊昭も中教審の議論に即して国家を基準に考えていることを明らかにしている。岩本賢治は、私の昨年の高生研に寄せた論文を参照いただいたらしく、「公共」の向く方向を転回する教育実践のあることを示唆している。

水野は選挙を取り上げて実践を報告している。18歳選挙権でない時代の学習の方が本物のポスターを持ち込んだり、実際の各政党の政策を調べて発表したりとリアリティがあり、18歳選挙権以後の方が法律を「過剰に」意識して現実から遠ざかることになった事態を報告していて奇妙さを覚えた。

 

原発学習については、井ノ口プランがその骨格がしっかりしていて今後も参照されていくべきだろうと読んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| | 07:01 | comments(0) | - |
正岡子規人生のことば

復本一郎、岩波書店、820円と税金。

 

「はじめに」にあるように、本書は子規の文学論や俳句論ではなくて、子規が何を泣き・望み・笑ったかなどなどものの見方や考え方をエッセー等から描き出そうとした本である。今から見れば、子規は旧いタイプの思い込みの人間であったことがわかる。病の所為といえるところもあるだろうが、思い込みが強い気がした。

 

書き出しは、子規と言えば病なので、病にまつわる有名な言葉で埋められている。私でもそのいくつかは知っているものが挙げられていた。だから、正直言うと、本書3分の1位までは、知っている分面白みに欠けた。復本はほんとによく調べ上げていると思ったが、子規の言説が有名すぎた。

だが、そこを過ぎる辺りから私としては読むことに集中できた。例えば、70頁に、時間を決めて人と会うなどということは「あまり生意気なこと也」と指摘する。今でいうところのオフィス・アワーみたいなことはするなと言っている。その理由と対策が面白い。学問をしに来ない人には、来たら学問の話しをする時間にするか、ものを知らない人が来たら本を読んで議論できるようにして帰せばいいという。それがイヤな人は来なくなるだろうと。なるほどね、という感じだ。

 

今年が生誕150年ということらしい。漱石ブームのようにはならないだろうが、ドラマの1つや2つは創作されるにちがいない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| | 07:19 | comments(0) | - |
教室は楽しい授業でいっぱいだ

山崎隆夫、高文研、1700円と税金。

3月ごろお送りいただいてそのままここで紹介していなかったことを思い出した。

文字通り、ご自身の授業のことだけを1・2ページから数ページでつないだ本。こういう体裁は意外と珍しい。たいてい、別のことが挟まっているのだが、国語、算数、理科、社会、音楽、体育など各教科にわたって山崎さんが行った授業が並ぶ。

 

ご本人の声を聞いたことがある人には、姿や文字よりも語り口が本の周囲に広がる。

山崎さんの授業は、子どもの声に穏やかに乗りながら(共感しながら)さらに疑問の世界へ誘う感じの対話に特質がある。

ぐりとぐらの絵本を読むときも、手でつくった狐を登場させたり、絵本を読む途中でも子どもとのやりとりをしながら読み聞かせている本の世界に誘い、子どもの動きにあわせながら広げる。

体育でも同じ。氷鬼の虚構の世界へ誘って、そのルール(遊び)にのって身体運動という体育のねらいを達成していく。

どの教科もどの内容も物語の世界に誘うようにつくっている。

これが山崎さんの特質のようだ。

 

他方で、各文化の世界から学んで文化の世界に誘うというアプローチもある。漢字の成り立ち、土井ヶ浜遺跡の頭骨の探求のプロセスを疑問の連鎖に再構成する行き方もある。

このアプローチに一つ目が重なる。

 

とりあえず授業のアイデアを得たい向きにも沢山の授業が紹介されているので参考になるだろうが、授業に様々な理由で入ってこない子たちを抱えて困っている人に見てもらうといいかなと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| | 06:56 | comments(0) | - |
英単語の世界

寺澤盾、中央公論新社、780円と税金。

小学校英語が始まる所為か、新書の世界にもこうした英語に関連する本が何冊か刊行された。

 

文字通り、英単語の意味の生成と変容を、できるだけ私のような素人に読んでもらうために作られた本。

 

出だしは、一番多義な単語は何かというクイズで始まる。

辞書によって違うようだが、本書によれば、take もしくはset、3番目はgetらしい。

一つの単語が多義的になる仕組みがその後解説されていた。

 

知らないことが多く書いてあったのだが、その1つが時間の進行方向。

同書によれば、時間は人の前方からやってきて、後ろに進んでいくという。(38ページ参照)

違うイメージで私は捉えていた。過去が後ろで、未来へ向かって進んでいくので、進行方向が逆だと思っていた。私の場合は、どうも歴史の影響が強いようだ。

本書によれば、なぜ時間は前からやって来るかというと、「行く年来る年」あるいは「来る5月に開催される」という表現に見られるということのようだ。そう言われれば、表現としては未来は前からやって来る。

 

もう一つは、ダブルスピーク(doublespeak)という言葉の説明(もしくはニュースピーク)。これは知らなかった用語。「反権力的な思想を防止するために語彙を制限し」「権力者側に利するようにつくられた語彙」のことらしい。例えば、強制収容所が「歓喜のキャンプ」。最近で言えば、総背番号制をマイナンバーと呼ぶようなものか。

この仕組みが最大限動員されている今日この頃。

 

少々、途中でだれてしまったが、上記の2つを知ったので有意義な読書時間を提供してもらえたと言える本。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| | 06:41 | comments(0) | - |
どうなる日本の教員養成

日本教師教育学会編、緊急出版どうなる日本の教員養成、学文社、1400円と税金。

週末の理事会で入手した。

昨年の12月4日に早稲田大学で開催したシンポジウムの記録である。

会場は、200名あまりで満席状態であったとある。

 

これは、2015年12月に中教審が教員養成に関する答申を出して、免許法も変わることとなっている。その答申と教員養成の改革の方向をどう見るかに関する議論がそのまま本となっている。口語なので読みやすい体裁だ。

 

報告者は、福井大学の教職大学院を事例とした松木健一報告から始まっている。わたしは、この報告にはあまり賛同しない。

 

続いて坂井俊樹報告は、社会科教育を専攻する研究者の視点から、教科に関する科目と教職に関する科目の区分の撤廃を問題とし、教育実践力を狭く捉えることを批判している。

 

油布佐和子報告は、日本の改革動向と海外の改革動向の違いを例示しながら、答申は現場・体験主義に陥っていると批判する。この辺りは、私も賛同する見方。

 

最後に登壇した浜田博文報告は、教師教育の学的研究の見地から、答申が教員養成に教育学研究の知見を踏まえようとしていないと批判的に論じている。

 

最後に会場からの意見を含めた総括的文章が掲載されている。

何が問題かを口語で鮮明にしてくれる一冊で読まれるべき4月の本。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

| | 06:35 | comments(0) | - |
不平等を考える

斎藤純一、筑摩書房、880円と税金。

 

これには、政治理論入門の副題が付いているが、原理的に考察されているという意味で入門と言えなくもないが、原理的研究書であって、易しいお手軽な概説書という意味の入門書ではない。

不平等とはなにか、人には様々な違いがあるにもかかわらず、「値しない」ことが不平等である、といった原理的規定が与えられていく。「値しない」とは、その人にふさわしくないという意味で、社会的不利な条件のために値しない教育しか受けられなかったり、差別を受けることを指す。

こうした平等を巡る基本概念に規定を順次与えていっているのが本書である。先行研究の根本規定にたいして、今日の日本や世界にみられる格差やそれへの抗議と従順の諸相を念頭に、批判的・論理的に目配りをしながら論述している。近年の新書には珍しい文体だが、これはお奨めの本だ。

 

私は、茗荷谷の辺りで斉藤氏の講演を聴きに出かけたことがある。このときは確か公共性の歴史から現代の公共性概念の議論をうかがった。分厚い資料とともに丹念に語られていくその構成は見事だなと思った。

濃縮した専門の語りだけで90分あまり引きつけ続けることは私にはできないなと思ったものである。

 

あからさまな不平等を肯定する人々が台頭する中で、平等な関係がなぜ必要か、平等な関係とは何かをこの時代に考えるための1冊、そう思う。所々確かめるように記憶したいと思った所がいくつかある。一つは、「憲法パトリオティズム」。気になる方は78頁にあるので確かめてもらえたら、と思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| | 07:24 | comments(0) | - |
人はなぜ物語を求めるのか

八鶴湖の桜を待つ風景。バスを待つ間に寄ってみた。

昨日はまだ開いてなかったが、屋台はもう何台も並んでいた。

 

千野帽子、『人はなぜ物語を求めるのか』筑摩書房、840円と税金。

ブログで本を取り上げるときに章立てを紹介することはほとんどないのだが、珍しく記す。

第1章 あなたはだれ?そして、僕は誰?

第2章 どこまでもわけが知りたい

第3章 作り話がほんとうらしいってどういうこと

第4章 「〜すべき」は「動物としての人間」の特徴である

第5章 僕たちは「自分がなにを知らないか」を知らない

こう並べると著者の物語論の枠組みがなんとなく見える。出だしはアイデンティティ論としての物語論だ。次は、心理機能としての感情のつくる物語。その次は文学としての物語に焦点が当たっている。その次は、物語に拘束される問題。最後に、ストーリーに落ち込む危険への処方箋。

 

アイデンティティ論や物語論は、定番としてのフォスターなどから書き始めてくれている。また、以前読んだことがある文献に依拠している部分など違和なく読める所も多い。ただ、引用文献の学問的つながりよりは、千野の捉える物語につなげる意図から引っ張り出されている感じのところもある。簡単に言うと、千野の物語論の枠組みをそれとして示してもらった方が私には読みやすい。「人」と括っているので「一般化」がなされているわけだが、論及されてない点もありはしないかなどと思い描いたときに、否定も肯定もしずらい。

また、物語に関する物語論としての説明だと割り切れば多少理解できないことはないが、事実との関係を問わずに物語の中で記しているので、本当はどうなのかというまなざしが弱くなる。文学の物語の場合は、書いてある状況から物語の妥当性の範囲を読むことになるので、唯一の読みはない。だが、人の物語りの場合は、事実との対応をかなり確かめていくことが可能な場合がある。アイデンティティが起こった出来事のつなぎ方による物語りと記してあるように、基には出来事という事実がある。出来事との対応関係をある程度確かめることができる。この観点がハッキリしないように思われた。
例えば、地震や津波ではなく、人は原発の設計を攻めたくなってしまうのである、などと書かれている。しかし、それは違うだろうと思う。原発の不可能性や設計の問題点という事実を飛ばして、人の心性のように記してしまっている。事実問題が飛ばされて、心性として説明してしまっている。
もう一つ、物語は共同で編まれる要素があると思うのだが、その危険性をもっと率直に打ち出してもらった方が、思い込みの誘惑への処方箋が鮮明になったように思う。
そんな引っかかりを感じたが、心理学的な物語論のイントロ的話題の振り方としてわかりやすい書き出しとなっているし、私の知らない先行文献からの議論もあって、すっと読み続けることができた。「一般論」という思い込みの危険性に関する議論が本書のポイントの一つだと思われるが、事例がわかりやすいので参考になったところもある。

 

 

 

| | 06:26 | comments(0) | - |
板倉聖宣セレクション1

板倉聖宣、仮説社、2013年、1900円と税金。

1963年に提唱されたという仮説実験授業。自然科学領域の授業書に関連する議論は確かに多いが、それに負けずに多いのが社会や教育に関わる発言。この本は、社会、とりわけ民主主義に関わる論考を集めた本。

 

仮説実験授業の批判は、かつて始まった頃にいくらか聞かれたが、その後はほとんど聞かない。それは、内容が面白くまっとうだからという要素もあるかもしれないが、批判されていい中身もいくつかあるように思う。

評価されていいのは理科関連の授業書だけではない。社会や「道徳」の授業書がある。ただ、内容的には吟味が必要な部分もある。「授業風」の「道徳」をしなければならないご時世に、参照されるべき先行研究が仮説研の「道徳」だ。仮説実験授業のいい点を認めた上で、どうかなという主張を選り分けるとこれまでに板倉氏や会員がつくってきた良い内容がもっと見えてくるに違いない。

 

理論枠に関わる手法についてだと次の点がある。おそらく、近代科学論を狭く捉えているせいかもしれないと推測しているが、誰かに確かめて欲しいものだと思っている。どういうことか。仮説選択の討論の後に実験をして、実験結果に関する解釈をしないと主張していたことがあった。これは、実験がすべてだとその理由の説明をかつてしていた。しかし、この点は必ずしも妥当とは思われない。真性の科学の場合には、すぐに結果の解釈をめぐって議論をすることがしばしば行われる。科学過程論研究をしていた時期に疑問に思って以来ずっと?をつけている。いつも実験後に議論を、とは言わないが、必要なときがあると私はそう考えてきた。

 

今回のこの本にも、興味深い指摘とそうは言えないという指摘が混じっていて、賛同したい人も批判したい人も読むといいと思う。

「民主主義が最後の奴隷制だ」という板倉の指摘などは、その通りだ。かつてチャーチルが1947年の下院演説で「民主主義は最悪の政治形態と言うことが出来る。これまでに試みられてきた民主主義以外のあらゆる政治形態を除けば、だが。」や若い頃の体験に範をとっていると思われるが、少数者の声をいかに聞くかというきわめて今日的な問題といえる。

 

他方で、問題な指摘も存在している。例えば、正義を強要するからいじめが発生するといういじめ論。板倉が指摘するような場合があるのだが、それがいじめの原因だといってしまうと部分的な正しさにもかかわらず誤ってしまう。親密圏におけるいじめなどにはあてはまらない。また、楽しい授業で解決すると言ってしまうのも言い過ぎ。それは作り出したらいいが、それで解決というわけにはいかない。この辺りは言い過ぎというか、データ不足な主張に思われる。

社会の法則性に関する基準の立て方も、同じように、「良さ」と「どうかな」が混在している。事実に即してさらに検討して欲しいと言っている本として読んだ。

 

 

 

 

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