CALENDAR
S M T W T F S
   1234
567891011
12131415161718
19202122232425
262728293031 
<< August 2018 >>
                                 
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
教室で教えるということ
教室で教えるということ (JUGEMレビュー »)
岩垣 攝,子安 潤,久田 敏彦
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
ARCHIVES
CATEGORIES
                
生活教育8月号

日本生活教育連盟編、生活ジャーナル発売、通巻第837号、667円と税金。

 

通読して一番印象に残ったのは、藤井清美の「人生は自分が主役のドラマのようには進まない」という一節。これは真実だ!と思った。これから何度か口にするに違いない。

 

妹尾成重の集団づくりとゲームをエンカウンターの仕掛けで取り組んでいる報告は、これはどこかちがう印象だ。書き方がいけないのかもしれない。一億円のカードを三枚配って、ジャンケンをして勝つともらえて、時間がきたらグループの合計が多い方のチームが勝ち、とやり方はわかりやすい。そして、こうした活動を時期に応じて取り組むと、子どもたちの相互理解が深まるとある。しかし、このクラスのトラブルの中身や相互理解の中身が見えない。こういうゲームを通じて理解をすることもあるだろうが、相互理解とはそういうことではないだろう。それぞれの生活を知ることではないのか。

 

「さとに来たらええやん」の訪問記はドキュメンタリー映像が有名になっているが、訪問記の概括もいいもんだ。

 

いじめ問題を大学生に教える木村の報告は、問題設定が参考になる。

 

大阪大会ということで久田論文がつながりと多様性のある学びをつくり出す意味を論じている。つながりや多様性を特定の学習形態に対応させるのではなくて、真理・真実の探求とつなぐことこそ重要だとしている。

 

行田の「算数の発見」学び直しは、これも大学生を対象にした自身の講義の報告。算数教育内容論になっていて興味深いのだが、一つの柱であるとしても、大学生に何を伝えるべきかはなお検討の余地がある気がする。

 

今夏の日生連の基調は、教育の領域の3領域論が和光小の教育課程に対応して打ち出されている。これは議論の余地が大いにある話しだ。

直ちに論争とはならないだろうが、個人的にはこれに賛同しないだろうなあ。

 

ともかく、興味深い話題が散りばめられていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| | 06:51 | comments(0) | - |
K-POP新感覚のメディア

金成玟、岩波書店、840円と税金。

チョー・ヨンピルを知っている世代は高齢者だが、彼が日本で演歌を歌っていた時期にK-POPという言葉はなかった。もっと後1980年代にJ-POPということが使われ、それとの関係で、韓国のポピュラーをK-POPと呼ぶようになったなどという言葉の起源とその後の動向、そして特質についてこの春頃までの動きが記してある。

キム氏によれば、ポピュラーといっても全部を指すわけではなく、アメリカのポップスやそれらに影響を受けた日本のポップス、そしてそれらの影響を受けたH.O.Tの曲の類いを指すとしている。この幅はけっこうあるように思う。最近の動向で言えば、ヒップホップとそのダンスの類いを指すとしている。

J-POPがアイドル路線(かわいさやかっこよさ優先ということ)であったのに対して、3大エンタティンメント事務所が成立する頃から、研修生システムを作り出し、歌とダンスと物語のある歌い手たちを輩出していったことなどが記されている。

特にここ10年あまりの動向が詳しく記されている。

K-POPの全体像を掴むには文章も平易で読みやすい。

 

副題に「新感覚のメディア」とあるのは、例えば、梨花大学で座り込みをした学生たちが歌ったのは少女時代の歌であったなど、かつての運動の歌とは違ってきていることなどを指す。朴槿恵退陣の原動力となったキャンドル・デモでもK-POPが歌われるなど変化がそこにあるという。

 

キム・ソンミン氏は、最近の歌手としてはBTSとRed Velvetが好きらしく高く評価している。

高く評価しすぎかもしれないが、再びK-POPが日本でも人気となってきたのは事実。

 

私は、別のいつものグループの7月の作品を買って帰ってきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| | 00:03 | comments(0) | - |
高校生活指導206号

全国高校生活指導研究協議会編集・発行、教育実務センター、1200円と税金。

特集は、「学校をケアと自治の空間に」と「生徒の人権が危ない」の二つ。

 

トラブルを起こし続けた1年時に対して、二年時の出発の対話やクラスの子たちとの関係の報告。

学級への所属をめざすクラスづくりを続けてきた教師が、それぞれの子どもの居場所のあるクラスづくりへと変化した部分を中心とした報告。

とにかく「それでいい」という乗り気のない文化祭行事の決定から、決定の意味を見つけ出そうとする報告。

今号は、この雑誌の本道を行くような記録がまず並ぶ。

 

第二特集は、「指導死」と言われるようになった事態が広く存在するが、そんな学校にどこから風穴を開けていくかの取り組みが並ぶ。例えば、問題があるとすぐ「チケット」と呼ぶ交通違反切符のようなものを発行し、その枚数が一定枚数溜まると機械的に処分が決まっていく制度の廃止をさせた報告。そうした事態が発生するものの見方の問題点を指摘した論文が並ぶ。

 

今年は鳥取で第56回の全国大会が10日から12日まで開催される。その基調報告も本号に掲載されている。

基調のタイトルは「若者の生活現実からはじめる主権者教育」とあるが、その中心的問題関心はものの見方・考え方が育つことにつながる主権者教育にあるようだ。これは、選挙投票教育になりがちな主権者教育に対抗する意味があろう。もう一つは、「資質・能力」論が広がる中で、その中身を問うという問題意識もあるだろう。

さらに、どこから取り組むのかその広がりをつくり出そうという意図もあるのかな、と読んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| | 07:37 | comments(0) | - |
民主主義教育21Vol.12

全国民主主義教育研究会編、同時代社、1500円と税金。

刊行は4月の日付がついているが、購入したのは6月だったか?しばらく放置状態にしてあった。

 

特集は、「新学習指導要領批判と主権者・憲法教育」となっている。

だから出だしの三本は、青井未帆が憲法改正問題、新垣毅は沖縄問題、箱田哲也は北朝鮮問題と、現代社会における論点が憲法と民主主義の側から説かれる。政府報道に疑問を持つ水準の人のその次の疑問に答えてくれる。

その後に、「主権者・憲法教育」の部では、まずは大阪誠が中学校の立憲主義の教育を三時間のプランとして提出している。沖村は9条、桑山は三権分立。内容に比重をおいてポイントはどこかを提案している。授業プリントまで示して構想が見えやすい選挙の授業は山本が記す。前田は恵庭事件と得意分野が並ぶ。教科の授業の領域に限られているが、現代の焦点が全体として見える感じ。

 

私的に関心をさらに向けることになったのは、渡邊弘のおしまいの部分。憲法的価値について、それを教えるということでいいのかどうかという以前にもあった議論を最近の斎藤や西原の議論を持ち出して紹介している。どういうことかというと、憲法が制定された時点あるいはその後の展開を辿ると、ある程度の憲法的価値について一定の内容的理解の中心が決まるが、それをだから教えるとすると、例えば思想信条の自由という問題に突き当たる。これは身につけてほしい価値などとすると憲法規定と合致するかどうかということである。あるいは思想信条の自由を保障しながら思想・信条の自由とはこれだと教えることは可能かどうかという問題である。ここをそれでもいいのだとする見地もあるだろうが、そうすると憲法規定と矛盾する可能性がなくはない。この関係をどう捉えるかということだ。私はそういう問題だと受け取った。この議論を私は学生の頃に聞いた。だから古い話なのだ。民主主義を民主主義的に教えることは可能かどうか、という問いでもある。

 

新学習指導要領の検討の論考は、高校の学習指導要領案が公表されてすぐに書いた所為だろう全民研らしい手堅さに留まっている。近代化論批判にしろ、大衆社会論批判にしろ、公共の批判にしろもうほんの少しの踏み込みが期待。とりわけ、実践に期待が高まる状況にある研究団体であれば、だ。

民主主義を政党名にいれている所に民主主義がない時代となったが、民主主義こそ自由と並ぶ価値であればこそこの夏の議論を聞いてみたいところだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| | 06:40 | comments(0) | - |
読めばなっとく日本語文法

児童言語研究会編、子どもの未来社、1300円と税金。

 

日本語文法の本は、意外と少ない。専門書はかなりある。特定品詞や用法、それらの解釈をめぐる論争を取り上げたものなどは探すとたくさんヒットする。しかし、コンパクトに全体を記そうとした本は少ない。

今日紹介するこの本は、コンパクトで小中学校の教師が書いているので易しい言葉で説明されている。

例えば、「文の種類」は、次のように説明される。

「文の述語となることばのはたらきによって、3つの種類にわけることができます。

(ア)おじさんが 働く。    (ドウスル文)

(イ)おじさんが やさしい。おじさんは 元気だ。(ドンナダ文)

(ウ)おじさんは パイロットだ。 (ナンダ文)

用例付きで、規定の仕方が平易だ。」

 

この本を読みながら思ったことは、私は、いわゆる「国語」でここに記されている文法をあまり学ばなかったなという記憶である。私は、それを英語やドイツ語を学習した時に意識したなという印象である。客観的事実としては、少しずつ「国語」の時間に学んだに違いないのだろうが、小出しにされすぎて、体系化する作業はそこでは果たされなかったのだと思う。

 

ともかく、文の仕組みの分析図や、品詞の分類表などを見ながら、これを人に易しく伝える言葉が本書にはあふれている。学校教師はもっていると便利だ。本書によれば、小学校高学年以上の子どもが読んでわかるように書いたとあるが、読める子は多いだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

| | 07:08 | comments(0) | - |
体育科教育8月号に掲載

大修館書店から刊行されている『体育科教育』8月号が発刊され、そこに私の論文「資質・能力と教材研究ベースの配置転換」が掲載されました。

 

特集は、「保健体育の「知識」を見つめ直す」で、資質・能力論ベースへと変化した理由とその問題点、その下でどのような変化が授業に起こっているのかその特徴を三点で記し、教職員支援機構にある体育の実践報告で例証し、そうなる確率がこの構想における教材研究の位置づけの弱さにあると主張した。また、内容分析とリンクしないALで「資質・能力」は形成されないこと、そうではなくて、探索的真似、学問的見地の違いを直接討論の俎上にのせた授業にすることが期待されると記してみた。

 

この号には、おそらく私と見方の異なる論文が掲載されている。おそらくとあるのは、まだ読んでないからだ。

知識は位置づいていると記した論調もあると思われる。

だが、「資質・能力」論における知識は、脳内的な知識であって、客観的知識、学問の成果としての知識ではない。この区別をつけて論じているかどうかは雑誌が届いたら確認したいと思う。予想を裏切ってくれるとありがたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

| | 06:58 | comments(0) | - |
教育8月号に

教育科学研究会編、教育8月号、.871、かもがわ出版、667円と税金。

夕方戻ってくると、配送されていた。書店にはまだかもしれない。早くて今日明日だろう。

新学習指導要領の全体的な性格の検討が本号の特質。

 

佐貫浩が、人格と教育実践の関わり方を新学習指導要領の把握との区別において描こうとしている。新学習指導要領についてこういう議論の立て方はあまりないかもしれない。新学習指導要領は子どもたちの人格と学力を管理しようとしているが、子どもを変革主体に育てるように働きかける所が私たちの教育実践との違いだと、対抗の方向を指している。

 

池谷壽夫は、中学の「道徳科」の教科書の批判を記している。「議論する道徳」からは遠い教材が並べられていること、歴史物は脱文脈化されたストーリーになっていること、内面の自己コントロールばかりを求められることになっているなどの問題点を指摘している。

 

河合美喜夫は、高校の「社会科」の再編動向を記す。歴史総合が特殊な歴史概念を中心においていること、公共が憲法的価値を根底においていないことを指摘している。

 

その次が私の論文。「パターン化する授業を変えるー探究学習へのシフトに抗う」と題して掲載いただいた。子どもたちの勉強のしすぎ問題から説き起こして、探究学習に世はシフトしていることと、その問題点を論じた。編集後記で佐藤氏が私の論文に言及してくれているのだが、今度の探究学習を高く評価しないのは、内容研究をしないこと、汎用的スキルに溺れて、特定パターンを強要する力が作動しているから。

 

本田伊克は、算数教育の動向に対して、生活を視点として組み替える方向を示す。

 

折出健二は、「資質・能力」という構想を人格論の見地から批判する。新学習指導要領の「資質・能力」は子どもを無矛盾な存在としてとらえて管理しようとするが、そうではなくて、自己と他者と生活の諸矛盾に向き合う中で生きており、その主体となるなかで形成されるものだという点を力説している。

 

第二特集は教科研大会が神奈川で開催されることから、その地域の課題を4人が提出している。私の関心からすると野本の外国につながる子どもの母語による教育の保障という提起。自前の団体がごく一部実施しているだけで、公立校にはない。

 

何人か知り合いが執筆していたが、自身の来歴に関わって書いてあった部分がそれぞれ印象に残った。

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

| | 06:16 | comments(0) | - |
ビデオによるリフレクション入門

佐伯胖・形部育子・苅宿俊文、東京大学出版会、2600円と税金。

遅まきながら通読。

帯には「反省会」になっていませんか?とあるが、リフレクションと言葉を置き直しても、「反省」をやっぱりしている側面が抜きがたく文字に見えた。

 

文字記録から音声記録が可能となり、さらに映像記録が可能となり、さらに同時複数の映像記録が可能となった。その結果、利用の仕方、見る観点に一部変化をもたらしているので、使えるよと本書には書いてある。

例えば、見逃した表情が記録されていたり、音声と表情の対応関係が違っていたり、Aという子とBという子の関係が見えたりするというわけである。

こうした可能性に関しては、「そうだね」と思った。

また、そうした言語と身体表現の中に関係を見る研究がデータとして残せるようになるというのも「そうだね」と思った。

 

形部がカンファレンスを一人称的に見るとか三人称的に見るとか二人称的に見るとか述べている。突き放してみるのではなく、授業をした人や授業中の子どもの意図を読み取るように見るということを力説している。これも、ワンステップとしては「そうだね」と思う。(こういう論調をどこか別の人の議論で見たことがあって、既視感が残った。)

 

「そうかな」と思う点もある。

私は、近年、ほとんど映像を撮らなくなったのだが(許可が取れなかったりすることもあるが)、研究のためにデータを集めたり見たりしてきた。だから、意図も読もうとしてきたが、それが読めたからよしとしてきたことは一度もない。

どこが興味深かったか、あるいはいつもどこが課題かを探してきた。それは、どこを変えるとどんなことが起こりそうかと考えてきた。

その意味で、問いかけ、時に批判し、時に提案してきた。研究というものはそういうものだと考えてきた。佐伯が言うように、自説の広報のようなお話しの意図しか読めない場面に出くわすと、残念に思ってきた。

研究会は研究のためにある。そこは、問いかけ、批判が基本だ。啓蒙や癒やしがメインの場はあってもいいが、その場合は研究の場ではない。

 

出来事の拾い方でエピソードは変わる、という図があったが、これも既視感。ずっと前に読んだ物語論にあったなあ。

ともかくカンファレンスの仕方を模索している方は参考になる議論もあると思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| | 00:07 | comments(1) | - |
ジェンダー教育の未来を開く

愛知教育大学男女共同参画委員会編、愛知教育大学出版会、非売品。

非売品ですが、出版会に問い合わせると入手できるようです。

ISBN978−4−903389

 

第1部学校教育編では、山田綾がジェンダーとセクシャリティと人権を子どもたちに問いかけようと総論で呼びかけます。

幼稚園での靴袋の絵から区分をつくってしまう事例などの角谷麻子報告。

小学生のお手伝いに見られるジェンダーなど日常を取り上げた今関和子報告。

色んな人がいるのが当たり前という原田真知子報告。

男女の区別があるものを並べてそれらに区別が必要かと問いかける丹下加代子報告。

人見絹枝の生き方を取り上げた中村ひとみ報告。

家庭科の男女共修を考えた濱崎タマエ報告。

性の多様性と教育の課題をまとめた渡辺大輔報告。

これらの報告の合間にコラムが入れられています。ここに霜村三二さんなどとともに私のコラムも入っています。自分のだけタイトルをいれると、ジェンダーギャップ指数と社会科教育の課題(P.88-89)と国際指標の一つから見える課題をエッセイ風に。

 

第二部は、生涯教育編で、大人を対象にした課題が論じられています。

パートナーとの暮らし、働くこと、ケアするされる世界、男性性、国際移動とジェンダー、格差・貧困とジェンダー、自己像と身体加工に関する論文がならびます。こういう並びの本は意外に少ない気がしました。まだ届いたばかりでこれから読む予定。それらの合間にコラムが続きます。

 

いろいろあって発刊が遅れましたが、山根真理さんの努力で日の目を見ることができたことを喜びたい。個人的にはY.O.さんのコラムが読めたことが一番重要です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| | 05:51 | comments(0) | - |
現代社会はどこに向かうのか

見田宗介、岩波書店、760円と税金。

帯の見出しには、「巨大な視野、最新のデータ、透徹した理論」とある。

私の読後感としては、そういう印象は半分正しい。

 

もっと前の著作の「まなざし地獄」などに論及したインパクトの方が強い所為だろう。ダメというわけじゃないけど、過去の著作と比較してしまう。名前で期待が高い数少ない人だ。

それでもこの本も続けて読み通せた。

 

全体のモチーフは、ロジスティクス理論に今の社会を当てはめて、第三ステージなのだという。この後、高原を行くのか、それとも絶滅崩壊に向かうのかと問いかける。この問いへの解はおしまいの部分に、絶滅崩壊に至らないためにとして提案がある。世界を創造する実践的公準は、肯定的であること、多様であること、現在を楽しむということ。の三つだという。部分的には示唆に富むということでいいだろう。宗教のように未来に生きることにして現在を犠牲にすることを否定したり、妥当する見方の一つかもしれない。

 

最新のデータというのは第2章を指している。世界青年の価値観調査の結果から、寛容と他者の尊重、脱物質主義、仕事に励むなどの新たな価値観に関わる動向が見えるという。概要ざっと眺めただけなので、ここは後で確かめたい箇所。

 

この新たな動向について、新しいかどうかまだ決めがたいが、思い当たる節がいくつかある。後半の章は、根拠のある議論というよりも着想の展開。

 

 

 

 

 

| | 07:12 | comments(0) | - |
| 1/16PAGES | >>