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教室で教えるということ
教室で教えるということ (JUGEMレビュー »)
岩垣 攝,子安 潤,久田 敏彦
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ガンディー

竹中千春、岩波書店、820円と税金。

ガンディーの名前は有名でインドの独立に貢献した人として世界の多くの人に知られている。しかし、私は、それ以上のことを知らなかった。本書によって、来年が1869年に誕生してからちょうど150年だということ、若い頃は南アフリカで弁護士として活動していたことなどはじめて知った。

 

インドでもだし、南アフリカでもだが、植民地にされた地域の人々は、植民してきた英国の官民両方から虐げられる。博愛を説く宗教とともに暴虐の限りを尽くす。この構造はなぜなのだろう、とずっと以前に浮かんが疑問が本書を読みながらよみがえった。キリスト教に限らない。類似のことを本書に登場する宗派もその内部や外部に対して為している。

 

ガンディーも平和を希求し、無抵抗による抗議を続けたが、他方で、13歳で結婚した妻のカストゥルパに対しては自分の方針を一方的に守るように宣言し実行させたようだ。ここにも一貫して生きたわけではない人を見いだす。

こんな場合、「人間○○」と言って済ます行き方がよくあるわけだが、それは思考停止の言説のように思われる。一貫しない点を様々に残しながらも、関心の体系に即して選択的に前を向くものなのだろう。その内部構造を探るまなざしは残しておきたい。

 

もうひとつ、本書を読みながら考えていたことは、権利を持たないものはいかに闘うのかということ。ガンディーは何度もわざと逮捕されている。インド人が乗車することを禁止された列車に居座り続けたり、禁止された行動を何度も実行している。これを抵抗というのだろう。ただ禁止された行為一般をするわけではない。弱者の側に寄り添ってそうしたようだ。そうである場合にのみ抵抗になる。

 

権力に寄り添って禁止行為をする政権支持市民には加害の言葉が送られるのだろうが、政権自体にはどの言葉が似つかわしいのだろう。読了後も言葉を探している。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| | 07:41 | comments(0) | - |
短歌は最強のアイテム

千葉聡、岩波書店、860円と税金。

岩波ジュニア新書のシリーズの一冊。

実は、別の本を探していた。

副題に「高校生活の悩みに効きます」とあって、高校の短歌の教育に関する本かなと手にしたままカウンターで購入手続きをした。

 

開くと全く違った。国語教師ではあるが、現在の勤務校の生徒とのおしゃべり・対話の実践記録だ。転勤してきた最初の挨拶、学級通信を毎日発行して、読まれなくなった話し、名前の呼び方の話し、部活生徒との話し、どれも突っ込みすぎずに関わっていく。

それぞれのエピソードの合間に短歌が引用されたり、自作の短歌が織り込まれている。それが短歌であることによって、一つ一つの話題(エッセー)の意味を読み手に想像させる。

話しをしてくれない生徒の話題の後に次の一首が引用されている。

信じない信じられない信じたい投げつけられたトマトのように

(三原由起子『ふるさとは赤』)

 

著者の連句の中の二首も引用しておく。

 

「プリントを配るよ」と言うと「え?ぷりん?」と寝ぼけまなこで言う奴がいる

 

教師とは幻 みんなが去ったあと教室に一人影を落として

 

熱血教師などとあるが、そういう雰囲気は文章からは伝わらない。まっすぐだが、生徒の声を聴いている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| | 07:54 | comments(0) | - |
高校生活指導205号

初めての公園。

どこからどこまでが範囲かよくわからない。

記事は、写真と無関係。

 

高生研編『高校生活指導』205号、教育実務センター、1200円と税金。

特集1は、学校に「もうひとつのあり方」をひらく。

高校が息苦しい場所となっていることが、時原報告やスマホ指導の状況からよくわかる。朝登校するとスマホをクラス単位で回収する学校がかなり存在し、それに対する生徒の従順さと教師の従順さが耐えがたい暮らしにくさを一方でつくっている。画一的統制を当然と思ってしまう教師の大量出現、スマホを持ってこなかったことにして提出しない生徒が出現すればそれへの対応が必要となることなどがリアルに示されている。

一番リアルな報告は、トラブルメーカー・Y子の行動と生活に関するもの。すさんでいてとりつく島もないような関係がよく見える。教師と子どものやりとりがごちゃごちゃと記されている。DVにさらされている子と諦めずによくつきあっていることがよく分かる。

「もうひとつのあり方」ははっきりとは見えないけれど、問題点がよく見える。

 

特集2は貧困問題。

こちらは課題が鮮明で、もうひとつのあり方は見える気がする。実態報告も中西新太郎や武信三恵子らの論考からも現代の課題が鮮明だ。国家と地域の行政が無策で何よりも追いついていない。

 

息苦しい中で、どこで息をしている?共に息する場所はどこにつくれる?と問うと、特集1の執筆者たちは加筆するかもしれないと思った。

 

 

 

 

 

 


 

| | 07:11 | comments(0) | - |
英語教育の危機

鳥飼久美子、筑摩書房、780円と税金。

「はじめに」に現在の英語教育への危機感がよく表れている。英語を使えなければダメだ、英語は英語で教えなければダメ、話せる英語でなければだめだ、などの主張こそが英語教育をダメにし、この間の英語教育改革方針こそが英語の学力を低下させている、と主張が鮮明だ。

この間の英語教育改革とこれからの新学習指導要領における小学校英語や中学・高校の英語教育方針が、1章と2章で検討される。そこに上述の方針がなぜ間違いかがまとめられている。1英語で授業が目的化されるのは本末転倒だ、2生徒は十分に理解しない、3内容が浅薄になり知的関心を喚起しない、4英語を言葉として分析する機会を奪う、5社会文化的な状況におけるコミュニケーションを考える機会を奪うと整理している。

続けて、英語教育理論としての批判的検討が展開されている。複言語主義の理念なしにCEFRを導入したこと、レベルわけとcan doの理解が誤っていることを指摘している。今導入されようとしている民間試験の問題点についても簡潔に指摘されている。

 

このところ広まっている主体的な学習だと称する取り組みが、子どもも大学生も育てることにならないという主張にも賛同する。むしろ本を読むことに負荷をかけた取り組みを基礎とし、その上にコミュニケーションを丹念に積み上げていくことという大枠は、英語教育に留まらない方針として賛同したいと読んだ。

英語教育関係者に留まらず、読んでおくべき年明けの一冊。

 

 

 

 

 

 

 

 

| | 07:23 | comments(2) | - |
教育2月号

教育科学研究会編、癸牽僑機いもがわ出版、667円と税金。

特集1は、私の「主体的・対話的で深い学び」。

馬場久志は、中教審のスローガンが成果主義に陥っていること、「主体的」というけど子どもを主体の位置に置いてないぞ!と指摘する。

その後に、高松麻貴が夏休み明けの報告を絵と文にする実践と体育の側転を運動会の悟空の誕生物語に創る取り組みを報告している。子どもと一緒に考えながら創ったという論旨は読み取れるのだが、どんな風に対話がそこで展開されたのかが記されると子どもの様子や育ちが見えてさらにいい。

松本恭子は、鮭の解体を国語の教材と関連させて食育にも位置づけたりと、栄養教諭の知見をいかした実践を給食完食に拘らずに取り組んでいるところがいい。

山本敏郎論文は、「主体的・対話的で深い学び」というスローガンにいたる経緯が従来の自立論や学習論と指して変わらない側面のあること、しかしそこに教育内容としてALが追加されていること、その一つが「学びに向かう力」がひどく道徳主義的であったり、それらの数値化動向と関連のあることを記している。

山田綾論文は、教材研究に向かうよう促す。科研で一緒に議論してきたこともあってコンピテンシー・ベースなんてという感じの主張だ。

 

特集2は、特別活動の可能性。書き出しは石橋勝治の自治活動の実践を紹介し、後半は新学習指導要領の特別活動の規定を検討しながら、学級でのさまざまな実践がなお取り組めるよという論調で片岡論文。これは、藤田論文と対応させるとこの分野の位置づけの変遷がよく分かる。「取り組めるよ」ということではあるが、自治の側面はなかなかきびしいところだ。

 

スローガンに対抗して実践を書くのは難しいだろうなと思った。ALではじまっている実践動向がいくつかあるらしいが、それらの検討がいるなあと思った。

 

短い記事としては、小中一貫校の記事。もう一つインプロ。インプロは遊び的要素の強いモノならいいが、そうでないブラインド・ウォークのようなものは危険性ばかりが頭に浮かんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| | 07:50 | comments(0) | - |
たのしい授業470

「たのしい授業」編集委員会編、仮説社、1600円と税金。

この号は、去年の11月臨時増刊号で、特集が「教師のための教育相談」となっていて、子どもの叱り方、保護者トラブルへの対応、いじめ問題、子どもに寄り添う支援とはなどの事例がならぶ。

 

仮説研の人の文体として定番の書き方の方の文章もあって「そういうこともあり得る」(確率的同意で全面的に賛成というわけではないという意味)という主張も並ぶが、群を抜いて興味深い文章は、山路敏英氏の「叱る5つの規準」をめぐるもの。中学生に氏は次の5つを叱る規準として初期に明示しておくという話し。

1.危ない

2.迷惑

3.失礼

4.ずるい

5.下品

数字の若い方がよりきびしく叱るという。具体例は、山路氏に学んだ滝本恵氏の報告がわかりやすい。中学生は規準が示され、それに納得し、無駄な言い訳が減っていくという。この5つになってきたという山路氏のまだ研究中という短い文章はベテランの含蓄がある。かつて一部には「たのしい授業」さえ行っていればいじめはないなどという主張もあったが、そうでもなさそうだと独自の研究の必要性を記している。同様の趣旨を石井氏も記してあって変化しつつあるんだと読んだ。

 

もう一つ、とりわけ検討すべき内容のある記事は、「盗難トラブルをどうおさめるか?」の中一夫氏が移動教室で発生した盗難を全体の子どもたちにどう話したかの記録である。だれが盗ったかが結局判明し、それが周囲にわかってしまった状況で、当該の子どもとその周囲の子どもたちに語った内容が記されている。噂を止めること、きちんと事実を話すこと、当事者はどんな罰を受けたか、当事者は責任をどう引き受けていくのか、周囲はどう対応するのか、中氏は「僕は応援する」という言い方をするなどの記録が並ぶ。

これは滅多にない具体的な記録だ。盗ってしまった子がどんな子であるのかが不明な点があり、この対応でよかったのかどうかなお検討の余地はあり得るが、山路氏と並ぶ記事で、じっくり考えたいものだと思った。

 

いじめなどその場の対応と学級全体をどうするかの取り組みを必ずしも区別していない短いエピソードのような記事などもあるので、その時の対処法的応答を一般化して理解するとうまくいかないこともありそうな記事もあったが、上記二つはこの号の山場を形成している。手に取る価値ある号だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| | 07:49 | comments(0) | - |
語る歴史、聞く歴史

大門正克、岩波書店、860円と税金。

 

副題に「オーラル・ヒストリーの現場から」とある。歴史学の分野では人の証言の史料的位置は長い間、低かった。今も、低いままにしておきたい人が世俗にもいる。

 

第一章は、声の歴史をたどると題して、聞き書きに類する事例が取り上げられる。福翁自伝や柳田国男の聞く、その背景に速記の発明や声の文化の変遷が前田愛の枠組みで語られる。

第二章は、戦後の聞く歴史の波ということで、やはり聞くや語るの歴史。生活記録運動にはじまり、70年代から80年代の戦争体験等の聞くの隆盛とその特徴。

第三章は、女性が女性の経験を聞くで、森崎和江・山崎朋子・古庄ゆき子の聞き書きの手法が取り上げられる。

第四章は、大門自身の農村調査の聞き書き体験。

第五章は、聞き取りを歴史叙述にいかす、聴き取ったことをどのように編集叙述したかの体験。

 

大門はいくつかの聞き方の違いを事例に則して細かく挙げていく。

聞き手に即して三つの局面をあげる。

一つはask。どう尋ねるかだ。聞き手が聞きたいことを尋ねるところから始まったが、それじゃダメだという。聞く相手の語りたいことを尋ねないと、という。

二つはlisten。だから語り手の話したいことを聞くようにしないといけないという。聞き手の聞きたいことを聞くという態度を否定する。

三つはtake。受け止める。語り手の語りたいことを聞き手が選別せずに丸ごと受け止めることが必要だ。

以上の三つに気がついていった過程だと記している。150頁あたりが大門が気づいていった歴史と聞く語るの先行事例とが重ねられた表現でまとめられている。

 

三つはかなり困難なことだ。また、なお解明すべき課題が残されていると読んだ。

一つは、聞いたままを聞いた人が聞いた人の意図に即して編集して叙述することはいかに可能となるかという問題だ。聞いたままというが編集によって、意味が変えられていく可能性があるからだ。

「丸ごと受け止める」というが、聞いた人が語った人の意図を斟酌する作用がそこに働く。本当に「丸ごと」となぜ言えるか、それはいかに担保されているかはなお検討の余地があろう。

 

第六章になって、歴史の広がり/歴史学の可能性というまとめが行われている。ここに来て聞く者と語る者との「関係」という言葉がようやく使われる。おそらく大門は両者の「関係」という言葉を意図的にそれまで避けたのではないかと思う。

社会学調査にもインタビューは多用され、両者の関係をかなり早くから問題にしてきた。社会学系の考え方や手法は参考文献上は取り上げられていない(しかし、いくつかは読んでいると思う)。それらの議論と接続してもらった方が私としては大門の手法の位置が掴みやすかったかもしれない。
ともかくこの新書は、読むべき一冊。そして、語り手の語りたいことを聞くとは何か?丸ごと受けとめるとは何か?丸ごと受けとめられているのか?聞くことの聞き手にとっての意味はどこにあるのかを考える重要な一冊だ。
(研究課題があるというのは、六車の聞くを高く評価しているのだが、六車の枠組みを徹底すると聞き手と語り手の限りないおしゃべりに行き着く気がしなくもないなどと思うからだ。そういう関係になれるのは聞く者と語る者の関係属性に依存している気がしている。だいぶ前に、六車の本を紹介する仕事をしたことがあってずっとそう思っている。)
| | 08:32 | comments(1) | - |
蒙古襲来と神風

服部英雄、中央公論新社、860円と税金。

蒙古が襲来したが、神風が吹いて蒙古軍が敗北したという今も教科書にのる伝説に関する本。

服部は、いつ、どれくらいの船や兵員が対馬や北九州方面にやってきたのかを資料で確かめる。やってきた日にちや人数についてもウソがまかり通っていることを検証する。

また、蒙古軍というが、中身は朝鮮半島や中国南部の支配地域からの軍であったこと、そもそも日本に兵を差し向けた理由は火薬の原料である硫黄を元の敵対国に輸出していたことにあることを明らかにする。

 

その上で、台風によって蒙古軍が一日にして撤退したわけではないことを資料から丹念に読み解いている。台風は来たし双方の船が沈んだことも一部は事実だが、一日で逃げ帰るようなことはなかったことを中国・高麗・日本の各史料から論証していく。長くウソがまかり通っていたこと、今もそれが残っていることを提出している。

 

敵を蹴散らしてしまうような神風は吹かなかったことの論証とともに、絵の読み解きをする教育実践がかなりあるが、150頁あたりから有名な竹崎季長の絵の読み解きに関する論述があるので参照しておきたいものである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| | 10:02 | comments(0) | - |
ハングルの誕生

野間秀樹、平凡社、980円と税金。

 

朝鮮半島を中心に流通している文字の仕組みとその誕生物語りとその後の歴史の本。書き出しこそハングルとは何か、誰がつくったかが記されているが、そこからかなりの分量は、言語学的枠組みの説明となっており、私には大変有益であった。その後の章でハングルという文字の構造、ハングルの導入をめぐる反対論との論争、導入された後の歴史が記されていた。

 

曖昧だったハングルという言葉の正確な意味をまず知った。ハングルを韓国語と同義に理解してはならないこと。15世紀に生まれたハングルは何よりも文字であること、だからネイティブはチョソンクル(朝鮮の文字)と使うこと。ハングルを韓国語と言うことが日本ではあるが、韓国ではハングゴ(韓国語)、共和国ならチョソノ(朝鮮語)と言うらしい。どれを使うかに政治があるという。

 

文字は、形と音と義の三つの要素があり、それぞれの言語ごとに関係が異なる。形が音を表すが義(意味)は表さない英語の文字、形音義の三つが揃っている漢字。ハングルは、音から形を作ったこと、その仕組みが詳細に記されていく。

 

本書の中で印象的な指摘は、テクストは身体を持っているとし、そこに肌触り、質量、香りがあるという見方。角筆の発見に関わって記されていたが、野間の使用する意味はそこに留まらない。「あらゆるテクストはそれを支える身体と共に在る」(97頁)という。広がりと奥行きのある言葉だと受け取った。

これは手元においておく一冊となるだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| | 06:29 | comments(0) | - |
2018年初の論文公刊

教育科学研究会編集『教育』2018年1月号、癸牽僑換罅△もがわ出版(667円と税金)が到着。

そこに「単線的教員指標の教師像に抗して」(29−35頁)と題した私の論文が掲載されました。

発行日は2018年1月1日なので、形式的には来年の最初に刊行されたものということになります。未来のことなのに過去形となるところが面白い(文法的になんか名付けられていた)。儀邱罎坊悩椶箸いΨ亳海蓮△海譴泙任砲發△辰燭もしれませんが、日付を気にしたことがありませんでした。

 

論文の中身は、各自治体で作成が続く教員指標(教員スタンダード)の動向と問題点を整理したものです。教師教育学会の紀要に書いたものをデータを新しくして、コンパクトにして読みやすくしたもの。頁数の制約からスタンダードの事例はほとんど載せてないので、紀要論文を見ていただくか、各地の教委を探索していただくといいでしょう。日々作成されているので新しい動向がひょっとするとあるかもしれません。スタンダードの設定は、画一化、単線化、特権化の三つの問題点がそこにあります。

 

特集1は教育実践への誘い。実践の読み方としては片岡論文から読むという手もあるかもしれませんし、「やっぱり実践からだ」という人は大江氏の記録からというのもあるかもしれません。

特集2は指導とケアの狭間。ここは実は微妙です。今号にはなぜか竹内常一の教育実践論とケア論が何回か引用されていますが、1950年代からの生活指導論はケア論を内包させていたと思われます。ケアを生活指導として追求してきたという側面がありそうだと思っています。貧困問題や子どもの暴力問題にケア的取り組みが行われていたと言えそうな気がします。

当時の実践記録には、弁当を持ってこられない子やストリートチルドレンの存在があります。綴り方には働く子どもたちの姿が記されています。団塊世代の人にはいくらかそういう記憶があるのではないでしょうか。

 

特集外の短い文章が面白かった。脅迫的に本を読むということがあることをはじめて知りましたし、声の「ものさし」をめぐる子どもの疑問は学校の奇妙さを描いています。

 

 

 

 

 

 


 

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