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教室で教えるということ
教室で教えるということ (JUGEMレビュー »)
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こどものてつがく

高橋綾、本間直樹著、大阪大学出版会、2500円と税金。

鷲田清一監修とあるが、その名前で間違えて買った本なので、いつも書いている先頭の編著者名からは外した。鷲田がタイトルのような連載はしてないはずと思ってよく確かめずに手にして間違えた。しかし、前に触れたように、本書は考えるヒントを私には提供してくれた。

 

半分以上は、二人の著者が「子どものてつがく」にであっていった順番に、それがどんなものかを紹介・考察していく。最初はマシュー・リップマン。アメリカで「子どものための哲学」(Philosophy for Children略してP4C)を行っている人に出会う。翻訳があるが、リップマンは論理を中心に取り組んでいるらしい。その後、イタリア、フランス、オーストラリア、メキシコなどでリップマンの後世代の試みと出会って、P4CからPwCなどの取り組みを知り、そこに参加していく経緯が記されている。

そして著者たちにとって大きな意味をもつハワイのp4cのDr.Jと出会う。

 

この取り組みは哲学というが世間で想像する哲学用語の考察を行うわけではない。日常の生活で使っている言葉や観念が対象となる。だから、途中に出てくるがフレイレの言葉集めの手法との近似性があったり、バルネラビリティが一つの考え方として流れていたりする。

中盤に林竹二が子どもたちと行った対話が先行事例として高く評価されているが、私はそのまま評価を同じくはしないが、子どもと考え合おうとした試みとして60代以上の人にはこの取り組みがイメージしやすいだろう。

 

絵本で友だちを考えるは前に紹介したので、今回は、少年院での法務教官のメモの一部を紹介しておこう。

問い:大切な人を守るためなら、暴力はゆるされる?

答え:1いいえ。どんなことでも、人を傷つけるようなことは許されない。

  :2いいえ。話せばわかるのだから、話して解決すべき。

  :3はい。それしか方法がなければ、仕方ないと思う。

  :4はい。大事な人を守ることのほうが大切だから。

  :5いいえ。暴力は何も解決しないから。

どれかの答えに誘導するということではない。その手法については本で確認していただきたい。

 

特定の見地を想定したエセの「多様に考える道徳科」とは異なる地点がそこには含まれていると私は読んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| | 07:55 | comments(0) | - |
学びをデザインする子どもたち

秋田喜代美・和歌山大学教育学部付属小学校著、東洋館出版社、2000円と税金。

付属学校がよく刊行するタイプの実践記録集といえばそうなのだが、珍しく通読できた。

 

記されている実践は、少し短めのためにエッセンスの叙述になっているが、「学びをデザインする」という意味がいくつかの記録からは読み取ることができる。子どもが自分の課題や述べたいことをどうすると理解したり証明したりできるかなどと考えることを指すらしい。教師の側としては、そういう学びの意識へと子どもを誘うことを意味するらしい。そのために「みとり」という言葉を多用している本だった。

いわゆる近年台頭してきている「授業のデザイン論」かなと思ったがそれとは違うもののようだ。

 

実践そのものとしては、1から9までの数字を書いたカードを全部使って10になる足し算をつくるという課題の記録が後の議論と関わって読んでおく必要がある。ただ、8と9だけは一枚でそれ以外は2枚ずつ用意されているという不自然さが気になった。

 

2年生の「かさ」で容器を二つ短く見せて、どっちに多く水が入るかという問いで、子どもたちを授業に集中させていくやりとりの部分、「長く見せてほしい?」などと子どもとやりとりするのが教師だが、集中させるためにという意図が前面に出てくると、私はどうも評価しない。戦略的すぎ。その場で乗せていくということと戦略的ということのあいだは天地の違いがあると見ている。

 

この本でおしまいに、秋田喜代美と佐藤学の対談が文字おこしされている。論として賛同できる部分、賛同できない部分、言い回しとしてどうかなという部分などがある。

子どもの関係を見るという点は賛同する。

教えあいと学び合いという対比の部分は部分的に賛同しない。問うことは、応えることとセットであり、応えることは問いかけだからだ。

本の主張を日常用語に置き直していたり、特定場面とつなげて言っている部分があるので、その意味でお二人の授業のイメージを掴むのに役立つかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| | 06:55 | comments(0) | - |
ナゴヤ歴史探検

名古屋市教育委員会発行、ぴあ、830円と税金。

 

名古屋の市立中学校に配付される副読本ということでチェック。

井沢元彦が特別監修とあったのでよくない本となっているのではないかと推測したが、想像したほどではなかった。

縄文から市電の整備まで、想定よりは事実を記す内容項目が多かった。

 

しかし、井沢の巻頭言はやはりよくない。徳川吉宗と宗春を比較して、宗春の経済政策が優れていたなどと断定して、「愛着がわき、誇りがもてる」といってしまう。誇りを持つために歴史を学ぶわけではないのだが、そう断じてしまうのは井沢の思い込み。

 

縄文から古代はその点、何がどこにあるという存在と、存在に関する説を記すものとなっている。

 

信長の記述の付近は、怪しさがかなり混じっている。

『信長公記』の記述が本当であるかのように記してあるために、信長などが偉かったという論述があちこち入り込むことになっている。

以後も、所々歴史的評価の言葉や『名古屋城の天守の方が大きい」とかお国自慢的文章が散見される。

近代の人物紹介には同様の要素がより強く入って、プラスイメージだけが記されるトーンとなっている。だが、大正期以後の記述はまた事実を並べる方向におおよそなっている。

記述のダメさの象徴は、一番最後の「本丸御殿の復元」の頁。本丸の復元が歴史を未来に伝えることになるかどうか。他の遺跡の保存の方がより重要だろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| | 07:19 | comments(0) | - |
戦後史のなかの生活記録運動

北河賢三、岩波書店、2700円と税金。

1950年代の東北の農村の青年団や女性たちの文化運動として展開された生活記録を書き、読む運動がどのようなものであったかを丹念に記した本。

戦後、雑誌や新聞が読者の生活記録あるいは意見を募集したり、その意見交換の場を提供するということがあった。これをサークル運動として展開することもあった。これらが戦後の生活綴り方教育の展開にも影響を与えたといわれている。「やまびこ学校」の文庫版に鶴見和子が関連を記していたはずだ。そうしたつながりへの関心から購入した。

岩手や山形の地域で暮らす中で起こった出来事、暮らし、嫁姑問題などが記され、意見交換が行われている。これらを記し、読む意味を書き手と編集者の記録から探っている。

暮らしの中の思いを書いたり発表したりする機会も場もなかった人々が記すようになるのはわかるような気がする。60年代70年代と続く集まりもあるが、しかし、やがて衰退する。一言だけ本書に名古屋の女性運動として続いた側のいずみの会への論及があったが、大まかな枠組みのテーマと学習を中心とした活動でリーダーにあたる人が複数いると長く継続するようだ。

 

ところで、当時の人が記すようになる事情・考え方に、地域とその中での位置に関する意識は欠かせない問題であることが本書からわかる。今とつい比較したくなる。いまは、ここに記し続けているように誰もが公にすることができる手段を手にして公表している。こうした動向との違いはなんだろう。現在の文章は、生活を直接問題にしない文章も多いのだが、それも生活とかかわっていると読める。ただし、地域とは切断されているものが多い。また、当時の記録は自身を意識的に客観化しているが、今の書き手はそうでもない自身を客観化していないのではないかと思うことがたびたびある。刺激への反応だけしている。そんな感じだ。商業主義的でもある。

 

この動向はどこへ向かうだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| | 07:01 | comments(0) | - |
データサイエンス入門

竹村彰通、岩波書店、760円と税金。

知らないことはいろいろ書いてあった。しかし、知りたいことはあまり詳しく書かれていなかった。そんな印象が残った。

データという概念とデータ処理の手法と、そしてその誤った処理と結果の事例が並ぶ。ビッグデータへの期待が世間では大きいわけだが、それが明らかでにできることとできないこと、現状の幼さはよく分かった。

私が知っていたのは統計学がスタティックスstatisticsと英語でいうがその語源がstateの国家からきていることと国家を数字で比較表現したからということと、パソコンの進化の歴史の部分ぐらい。

滋賀大学にデータサイエンス学部ができたことも知らなかった。

 

NHKが昨年に放映したAIに聞いて出してきた結論がまったくナンセンスだったことがその幼さというかダメさを表現している。そういう番組があったことを知らなかった。

いわく、

・健康になりたければ病院を減らせ

・少子化を食い止めるには結婚よりもクルマを買え

・ラブホテルが多いと女性が活躍する

・男の人生のカギは女子中学生のポッチャリ度

などなど、なんだそれ。

これらがディープラーニングの結果だそうだ。かなり呆れる水準だ。

 

高校数学Bの内容が新学習指導要領でかわるが、それについて数学研究者の厳しい批判の記事を読んだが、データサイエンスへの期待がそうさせているのだと本書からも了解させた。だが、まだ、位置を持つことにたいする説得力が弱いことも感じられた。

 

 

 

 

 

 

| | 06:42 | comments(0) | - |
歴史地理教育5月号

歴史教育者協議会編発行、648円と税金。

今月号の特集は、「変えていいの9条」。

憲法改訂をめざす自民党の9条の案について小沢が、自衛隊を憲法にどんな形であれ記述すれば、武力そのものである自衛隊の認知となるので、戦争や武力の放棄の意味が失われるもしくは今以上に縮減すると記す。

渡部は戦後の新憲法を秋田で普及するために憲法カルタを制作した中学教師の受け止め方を記す。

早川は、爆笑問題がネタで政治家を笑いにしようとしてNHKで却下された問題について、小学校6年の子どもたちに意見を聞いている。表現の自由の問題と倫理的な問題がない交ぜになる問題でむつかしい事柄だが、表現の自由の問題に限定する方向に授業の中心を持ち直しているが、最後の子どもの感想は、やはり難しさをにじませている。

辻は、北朝鮮危機の雰囲気が流れていた時期に、対話か圧力かを中学生に問いかけた記録を記す。こう問いかけると、時の情勢に左右された意見分布になる気がする。そうではなくて、危機の時のどんな選択肢があり得るのかを議論する方向の問いにしないと行き詰まるように思われる。

今号の特質は、大学生が授業を作った記録が載っていること、あるいは本多の授業論への大学生の批評があること。花岡事件を素材に大学生が歴史を調べて授業にまでつくるのは大変であったろうが、そのつくり方を通じて何を明らかにするかが文章構成上は課題。花岡事件の教材化事例として、外池は戦後補償などそれ自体を目的に教えるというよりも、平和を希求する取り組みを取り上げる中で平和をつくる力を育てる観点が重要だとしている。この辺は議論がありうるだろうが、そのことと学生のつくった授業との関係はどうだと問うといいだろう。

読者の広場に、加藤公明が8世紀の偽籍について記している。戸籍に女が不自然に多いのに受理されたのはなぜかに当時の社会関係を見ている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| | 09:54 | comments(0) | - |
脳の意識機械の意識

渡辺正峰、中央公論新社、920円と税金。

ここでの意識論は、脳のニューロンレベルの機序を取り上げているので、社会意識とか対人関係の意識のようなものではない。そちらのことばかり読んできたので、最初は何の話しを書いているのか分からなかった。徐々に言っていることがいくらか飛び飛びに理解できるようになった感じ。

 

ニューロンのネットワークの個々の仕組みについて、電気スパイクの仕組みなどはじめて知った。神経伝達物質が一定量で電気スパイクを発生させ、その連続で情報が伝わったり伝わらなかったりという仕組みらしい。

 

世界がカラーで見えているのは、人間の脳内で創作したものであって、もの自体としては色はないという。モノの発する電磁波を色に変換しているだけなのだとある。花がきれいだなどと言うが、花そのものに色をつけているのは見ている側の意識。そういう風に考えたことがなかったので思考の転換ができて気分転換になった。

 

また、人の錯覚現象の仕組みの説明もはじめて聞いた。いままでは、錯覚なのだという説明に留まっていたので、この分野に関する認識が一歩前進した実感をえた。見続けていると縦縞と横縞が交代していく錯覚も脳の仕組みによるという。

 

VRとか手軽に映像を立体化して見せようとする道具が販売されるようになったが、なぜ平面が立体的に見えてしまうのか、逆に言えば立体を平面に変換しているのかに関する脳活動の仕組みを分子レベル以下の機序と係わらせて説明した本。

 

わかりずらいであろう話しを何とか見えるようにしようという著者の努力が感じられる一冊だ。どんな現象を問題にしているのかが少しだけ分かった。まだよく分からないが、確実にそういう世界の扉があることだけはわかったと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| | 07:24 | comments(0) | - |
教育5月号への寸評

教育科学研究会編、かもがわ出版、667円と税金。

 

まだ読んでいない論考がある。先に読む読まないは、私の関心の向き具合に依存している。第1特集は、中村(新井)清二の「どのように「正しい」判断かー評価の三視点からつくる道徳の授業」は、中盤まで明晰な筆の運び。三つというのは、倫理の基準をどこに置くかで区分すると、功利主義と義務論と知性論に分かれ、それらが倫理学で競合状態が続いているとし、その競合状態から道徳の教材や授業の構成や評価を考えようという提案をしている。三つの論を紹介するところがわかりやすくしようとしているのだが、そこはそれで面白く読めるのだが、道徳教育事例と結びついていないのでヒントにはなっているが、イメージを広げることは簡単ではない。しかし、今号で読むべき二席ではある。

 

一席は増田陽の「響き合いで読む「ごんぎつね」」だ。授業の記録がある。最近の教育雑誌にはベタに近い授業記録がなかなか載らない。そうした中で、六頁中四頁にわたって記録がある。この記録が対話になっている。ベタ記録にも無意味なつまらない記録も世の中にはあるのだが、そうではない。テキストに沿いながら一人ひとりの読みとその読みの妥当性を問うというか、関与するように他の子が発言している。

ただ担任でない私は、子ども同士の関係がわからないので、授業のねらいを子ども同士の学び合う体験を通して深めるという時の前提になっている関係が分からない。しかし、学び合う体験をしていることは分かる。また、「正解」の読みじゃなくてと増田が述べている当たりは、宮川のスイミーの読みにも係わっていると読んだ。

 

三席は、その宮川論文「物語の力をもとめて」。スイミーの原作と教科書版の文章の違いを取り上げて、そこにある物語の違いから、私たちが物語を読むことの意味を提示しようとしている。ただ、伝わりにくい。それでも読み物としては大変興味深かった。昨日のここに全国学テのことを記したが、そこでのテストがひたすら論理的読解力だけを問題にしていた。無味乾燥な物語文の読みに終始していた。物語を読む意味を喪失させた問題になっていた。虚構の物語世界に入ってみたりそれを相対化してみる読みが消去されているのに対して、人が物語を読む意味を何とか示そうとしていると読んだ。

 

他短いけれど、中澤恵理の文章など教育実践として良いものを内在させていると読んだ。

他まだ半分読んでいない中での私中心批評。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| | 07:06 | comments(1) | - |
日本の公教育

中澤渉、中央公論新社、880円と税金。

副題に、「学力・コスト・民主主義」とある。実際に議論されているのは、主に高等教育に公的税金をわずかしか投入しない世界でも数少ない国である日本を支配しているその考え方と、無償化を支える考え方の違いを社会の中の大学の位置やその位置を評価する社会理論を紹介しつつ検討している。

もう一つの柱は、教育の役割を「客観的に」把握しようとするさまざまな社会学理論を紹介し、結論的には教育が社会に貢献していることを提示していく。

本書の新しさは、教育における階層格差などの不平等をいかに値踏みし、改善するかに関するその考え方の理論構造を示そうとしたり、社会学理論の対抗関係において示し、現状の不平等を批判している点にある。また、論点の見方を理論と接続してくれている点に、私のような分野外の者には新鮮に感じられる点が散りばめられている点にあるだろう。

例えば、教育に官僚制を持ち込もうする動向の誤りについて、学校を近代国家の一つの組織と見なすのは神話だとするマイヤーの理論を紹介し、近代国家の組織原則の一つである官僚制を学校に持ち込むのはなじまないのだという議論をしている。例えば、私の研究分野に近い高校の履修主義と修得主義の対立と補完関係を事例に説明している。何のことかというと、高校で教える内容を理解して卒業させるのが修得主義だが、これを完璧に要求すると落第する者ばかりがでて、高校を卒業できなくなる。それに対して、一定の授業等を履修したことをもって卒業させていく考え方が履修主義だ。履修主義だけで卒業できるなら、ほぼ理解していなくても良いとなることもあるが、そうなると高校それ自体の信頼度がなくなる。そこで、現実には、両者をほどほどの関係において卒業としているのだというわけである。だから、厳密な基準を設定しようとする動向は、教育にふさわしくないというわけだ。他の事例でもそうしたことを論じている。個々の論点について異論がないわけではないが、最終的結論の部分では意見が類似するところがいくつもあった。

 

私の分野からすると、公教育の公的性格を規定する教育の内容をめぐる問題はほぼ議論されていないのが、本書のタイトルからすると不満な点であった。だが、私が気がつかないでいた見方をいくつか提供してくれた。例えば、国際的には上位の学力を日本の学校は子どもたちにつけているのに、日本の生産性が国際的には必ずしも高くないのは、無駄に細かいチェックを入れる仕組みなどなど日本の企業や社会の仕組みの側にむしろ問題があるのではないかというデータと議論を提出している。

有意義な本。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| | 07:23 | comments(0) | - |
『学校教育』四月号に掲載

『学校教育』四月号1208(広島大学附属小学校学校教育研究会編)が到着した。

戦前からある(大正3年1月創刊)教育雑誌に私の論文を掲載いただいた。

 

タイトルは「教科に固有な見方・考え方の教育をつくる」(pp.22-29)と題して、近年の「見方・考え方」についての理解について検討し、その中身は必ずしも明確ではないことを指摘した。決まりきったものがあるかのような把握が広がっているが、複数あることなどを指摘した。

また、同一の資料が、「見方・考え方」の違いによって全く異なった取り扱いとなることを白雪姫の物語で通常の物語的把握と法教育的把握の違いを具体的に示し、教えるべき内容に依存していることを示した。

 

ところで、四月号の執筆者に、無藤隆氏、天笠茂氏の名前がある。中教審の中心メンバーらしく、中教審の答申のキーワードの解説を読むような文章の構成だ。雑誌論文なのでコンパクトな文章となっている。

他方、田中耕治氏は、実践史をよく執筆されているだけに、特集テーマを過去の議論と接続させた教育学者らしい文章を寄せている。

それらに比べると、私の文章は、答申類の規定を直接的に相対化して批評している。ただ、具体例という点では一番詳しいと思う。

 

他に関連する実践事例が並ぶ。実践そのものが書かれない最近の教育雑誌とちがって、教師と子どものやりとりが掲載されている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

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