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教室で教えるということ
教室で教えるということ (JUGEMレビュー »)
岩垣 攝,子安 潤,久田 敏彦
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問題は忖度の後の検討

真意を推し量ることが忖度だから、それ自体に善し悪しはない。問題はその後の対応だ。

安倍昭恵からの問い合わせ、政治家からの問い合わせ自体が対応の方向を示唆し、国有財産を安く売るという違法・不適切な行動をとらせたと皆考えている。

 

道徳の教科書検定でも、22項目の徳目基準から教材をより純化できるとみなす偏向した検定官の意図をくむ教科書会社側という構図が、奇妙な物語を創造する。奇妙な物語で道徳を学ぶと奇妙な道徳性が育つのではないかと忖度する。

すなわち「道徳科」とは不自然なものの見方を「正しい!」と言い合う時間という見方だ。

これまでも不自然な道徳用教材は、奇妙な時間となっていた。本当の行動の指針は別に形成することになっていた。今までは、個々の学校・教師の意図をおもんぱかればよかった。検定教科書以後は、国家の意図をおもんぱかることになった。

 

そこで困ったことは、その国家に違法と不法、不適切の塊が他方に見えてしまうことである。違法行為が横行し、ウソを流布する存在であることだ。

すると、国家の示す道徳は、国家の代表者たちやその下僕には適用されないモノらしいという見方が広がる。国家にとってはまことに不都合な事態が生まれる。国家の側でない人々に見切りをつけられるというのは悪くはない事態だが、国家には不都合きわまりない。

 

だが国家が入れ替わっても問題は解決しない。見切りをつけた側にはどんな道徳の世界が生まれているかは未定だ。代表と下僕のメンバーが入れ替わっただけなら同じだ。

 

別の世界を生み出す一つの試みは、現在の出来事に孕まれている道徳問題を議論の俎上にのせることだ。

それこそが本来の議論する道徳だ。予定した範囲内の偽装された議論(偽装するのが「議論する道徳」の本性なのだが)ではなくて、事実に基づいた、知に基づいた推察(忖度)をすることだ。あまりにばかばかしいお話しにリアリティを回復する一つの道だ。(なお、これは一つであって、他により実り多い道が本当はある。)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 暮らし | 07:18 | comments(0) | - |
初心の初心

先日見つけた満作の花。

これが咲いて、木蓮、アカシアも咲くと春だなと毎年思う。

 

今日は卒業の日。

こんな日、初心を忘れることなく暮らしてほしいと言ったりする。初心を出発の決意や方針のことだと定義しておく。誰にも初心はありそうだが、何が初心だっただろう。何だったかわからないなと思うことがある。改めて今の立ち位置から初心は何だったかなと振り返って、初心を決めることの方が多くないだろうか。

人や事柄によって違うかもしれないのだが、どうもそんな気がしてくる。卒業のような区切りとして比較的はっきりしたライフ・イベントのようなときには、初心を決める人もいるのかもしれないが、それでさえもボンヤリと過ごしてしまうことも多いのではないか。つまり、初心は後で追加されることもあるということ。

 

また、初心はいきなり創られるわけではない。そう決意させる要因がその前にある。すると、その決意させる初心がどこかにあったのではないか、ということにもなりそうだ。初心の初心だ。

 

初心が貫かれたのかどうかをどう決めるかはこれまた一つではなさそうだ。初心が抽象的な場合もある。すると初心の実現形態はいろいろありそうだ。一つの形だけが決心した事柄の実現形態というわけではないだろう。

そう考えると、初心を忘れたわけではないとも言えるし、忘れたとも言えないことはない。

 

出発の決意や方針である初心、おそらくあった方がいいのだろう。だが、その後のほうがより重要そうだ。方針そのものの価値を問うまなざしがどの程度澄んでいるか、判断する材料を豊かに積み上げ続けているかこそ大事なんだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

| 暮らし | 07:10 | comments(0) | - |
体育科教育4月号到着

連休が明けて『体育科教育』4月号がレターボックスに届いていました。

4月号には私の巻頭言が掲載されています。

私の内容は、「流行に乗った実践だけやっても、ね!」という感じを出しつつ、どっちが前かを考える、そういう文のつもりで書いてみました。短くそういうのを書くのは難しいという感想。

タイトルにある三つの波というのは、新学習指導要領で体育教師に必ずやってくる三つの波のこと。

 

特集はALのことだから今様ですが、私の見るところ内容の構成は目配りがあるようで、「やっぱり」、「でもね」、「だからさ」、「とはいえ、それじゃあね」といった声が見える陣容のようです。そういう見識が目次から見えるきがしますが、どうでしょう?

 

大修館のHPからとった4月号の目次です。

 

口絵]優れた体育授業を観る・創る 男女が共に学ぶベースボール型の授業(近藤智靖)
[巻頭エッセイ]三つの波の後に残る仕事(子安 潤)

特集 [学習指導要領の改訂]主体的・対話的で深い学びを体育でどう実現するか

知識基盤社会における学習観の転換(奈須正裕)
〈座談会〉近未来の体育を展望する(友添秀則・今関豊一・丸山真司・高橋修一・佐藤 若)
体育で育成を目指す資質・能力とは(日野克博)
保健で育成を目指す資質・能力とは(森 良一)
「主体的・対話的で深い学び」を体育で実現するために(岡野 昇)

 

 

 

 

 

 

 

 

| 暮らし | 06:31 | comments(0) | - |
今中講演会の案内と前説

チェルノブイリ子ども基金の事務局長さんよりメールをいただいた折に、添付されていた案内を紹介します。

元はポスターだったのですが、このサイトの制約からテキストで以下に紹介します。その前に、なぜ取り上げたいかの私の前説が次です。

昨日も、フクシマ一号機がメルトダウンしていて、水の中でさえも高線量で5時間ほどで死に到る値と報道されていました。状況さえもまだわからないままです。また、肥田氏が亡くなったという報道もあったのが昨日でした。少し前には福島から避難してきた子をいじめる話題が流れました。実は、あれ大人にあるのではないでしょうか。研究会の折に、某有名中学の中で「福島出身教師であることを黙っているように」と言った管理職の話を聞いたことがありました。子どもの世界にあることはその前に大人の世界にたいていあるものなのです。

そんなこんなの状況がある中で、どうしてもここに記しておきたいと思ったのです。

以下講演会案内です。

 

今中哲二講演会

「放射能汚染の時代をどう生きるか、子どもたちをどう守るか」

■2017年4月28日(金)19:00開演(18:30開場)

■練馬文化センター 小ホール
(西武池袋線・西武有楽町線・都営地下鉄大江戸線「練馬駅」北口 徒歩1分 )

■定員 520名

■入場料 予約1000円 当日1300円

【講演】今中哲二

京都大学原子炉実験所研究員。
チェルノブイリと福島の放射能汚染の実態について調査・研究を続け、原発の危険性を訴えている。

「研究者に知識はあっても、人々が抱えた苦しみは本当には分からない。答えの出る問題ではないからこそ自分の言葉で話したい」
(2016.8.1 京都新聞「時のひと」より)

【報告】

黒部信一 : 「未来の福島こども基金」代表、小児科医

佐々木真理 : 「チェルノブイリ 子ども基金」事務局長

■共催: チェルノブイリ子ども基金 未来の福島こども基金

■予約受付・問合せ先:チェルノブイリ子ども基金

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 暮らし | 06:42 | comments(0) | - |
答申本並ぶ

書店に行くと、新学習指導要領案と資料をほぼそのまま紙媒体にした本が2冊。この2冊はやたら厚い。概要版と中教審の委員に特質を解説させた本が各1冊。関係者以外を含めた解説本が2冊並んでいた。

中教審答申と新学習指導要領のキーワードごとに単行本化したような本も並んでいた。

 

やたら厚いまんま本について。ネットでただで読めて、単に紙媒体にしただけの本を買う人がいるのか?とまず思った。

 

次。中教審委員等の解説本をめくって見ると、「こんな意味なんですよ」というトーンが「感じわるい!」と思った。

 

いろいろ集めた感じ本は、ほぼ中性的に書いてあるから結局、そこに筋の通った眼差しがなく、春のかすんだ空気をつくり、花粉症を発症させそうな印象。核心を突かない、突けない?情報操作で流行らせられた流行歌みたいなもので、ほんの少し時間がたつと恥ずかしくなるタイプの本。(この印象は本の廃棄をしていたので、かつて「新学力観」を解説して歩いた人の本が出てきて、憐憫の情がわいたことに起因するのだと思う。)

 

オランダは極右の5議席増であった。日本のポピュリストと極右の期待するような事態にはならなかった。だが、日本は憲法的価値と仕組みの世界に踏みとどまれるか危険な状態がまだ続く。だから、あの棚の模様とは違った模索が生まれているかどうかと、他の棚に視線を移動させた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 暮らし | 07:37 | comments(0) | - |
新学習指導要領案の検討会

あいち民研で話をします。

 

タイトルは以下です。

新学習指導要領の読み方 学びのつくり方


日時:2017年3月26日(日)14:00〜16:30
会場:愛知県教育会館 7階 第3,4会議室
(JR鶴舞、地下鉄鶴舞駅から徒歩7分)

もう少し詳しい公式案内は以下のアドレスを参照ください。

http://aichi-minken.sakura.ne.jp/_src/2153/lecture.pdf

私の他に学校現場の先生の報告もあると聞いています。
資料代が300円で、学生・18歳未満は無料だそうです。

 

先日、東京私教連でお話をうかがった印象では、受験一辺倒の授業から抜け出すチャンスという受け止め方がそれなりにあるようでした。学校によってはそういう局面があるかもしれません。しかし主要な側面は、そういうことではないと見なしています。この辺りを問題意識の核とした報告になるような予感がしています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 暮らし | 06:52 | comments(2) | - |
フレンドリー

カタカナで書くフレンドリーというニュアンス。

英語のFriendlyの日本語訳では「友好的な、好意的な、敵意のない、人なつっこい、(…と)親しい、仲がいい、友愛的な、親しみのある」とある。少し堅い印象を与える言葉も並ぶ。辞書によっては世俗的な訳語も並ぶ。

とりあえず、カタカナのフレンドリーと使う。

 

関係の質を表すこの言葉の関係の取り方が、普段の暮らしでは難しい。

家族の中では、それぞれの状況と役割に応じて行動する。ついつい子には、子とみて応答する。

学生には学生の求めに応じて対応する。

講師として呼ばれれば、質問にわかる範囲で講師として応答する。

相手の立ち位置を見ながらの応答となる。

 

それぞれの立ち位置からの言動と振る舞いが基底にある。これは避けられないのかもしれない。だが、その応答の仕方にプラス、時にはマイナスしてフレンドリーという要素がつく人あるいはつくことがある。

対義語としては事務的とか、権威的とか並ぶのだろうか?ともかく、「これぞ適度な親しみのある振る舞い」に遭遇することがある。

私がよくない振る舞いに出会うことは少なく適度の範囲は広いと思うのだが、自分ではそういうことはうまくできない方かもしれない。

しかし、周囲には、まさにこれがフレンドリーな振る舞いというものに長けている人がいるように思われる。形式的な振る舞いの形や礼儀などというつまらないものではない。そう、まさにフレンドリーという言葉がぴったりする人がいる。いつもそうなのではないかと想像させる人がいる。

 

そんな印象を残して10日に旅立たれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

| 暮らし | 07:14 | comments(0) | - |
誰が何を

何種類か持っている外貨の一つのベラルーシ・ルーブル。

上が1000で下が50000ベラルーシ・ルーブル。今朝調べたら、1000が約6円と表示された。50000ベラルーシ・ルーブルで300円。日本国内の普通の銀行では交換してくれないらしい。

日本円にするとわずかだが、関連の支援団体に寄付しようと思いつつ、ずっと忘れている。

チェルノブイリ子ども基金が長年の支援に対してベラルーシから表彰されたと聞いた。そこに送ろう。

 

ところで、何をなすべきか?はいつでも迷うところ。

そういうタイトルの本だったか論文だったかを昔見て、そのヒントがあるのかと思って読み始めて、なんだか関係なさそうな話が続いていて、途中で止めた記憶がある。

 

誰こそが何をすべきかを厳しく考えると、自分でなくてもいいとか、それをしなくてもいいということになる。緩く考えるとなすべきことが多すぎて無理となる。

言うことでも同じことがある。言わな過ぎも言い過ぎも問題だ。ここでも「誰が誰に向かって語っているのだ」ということを疑わせてしまうようなことを言うのもおかしなことになる。

立場や関係ということをそれなりに踏まえないと愚かな!ということになる。

 

結局、何をするかを生活の連続性の中で並べ、思い出しながら歩み出す。

具体的には学会関連業務、研究会関連業務、講演の資料作成など、必須事項はいい。だが、必須でない事柄は難しい。

ほんとに何を言うべきかは難しい。


 

 

 

 

 

 

 

 

| 暮らし | 07:51 | comments(0) | - |
別れの季節に

ついに3月を迎えた。

高校は、昨日が卒業式のところが多かったようだ。

卒業を祝い別れを惜しむ様子が綴られていた。

 

学校の卒業は、不安や寂しさがあったとしても、次の世界に行く期待と隣り合わせの別れだ。

だから、卒業後に期待と違った人生を送ることになったとしても、切なさとともに振り返ることができる。

「スタンドバイミー」のラストシーンの世界にいることができる。(これが一つ目の多数派の別れ)

 

そうではなくて、待つもののない別れというのもあるような気がする。(これが二つ目、少数派だが必ず誰にもある別れ)

 

また、谷川俊太郎の「三月のうた」を紹介されて、それらとも異なる別れがあると思った。

普通とは異なる道へ歩み出すとしても、谷川のそれには別れていく者の決意がそこにある。別れゆく側のまなざしで、一つの形に思われる。(これが三つ目。開拓者のような別れ)

 

私の場合、どうなっていくかなと少しの心配もする。しかしそれらとも違う感じだ。きっと、笑って泣いて突き進んでしまうんだろうなと思ってしまう。

私にとってはこの大学で卒業生を送る最後なのだが、思いあふれるといった風情とならない。(これが四つ目。少々の距離感がある)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 暮らし | 07:37 | comments(1) | - |
弥生三月梅桜

白梅が満開となった。紅梅はまだ咲き始め。

3月1日で弥生という当たり前すぎなのだが、当たり前すぎることに人は惑わされていくようだ。

 

原稿の落ちを考え、考えれば考えるほど解が単純なところに行き着く。

何を深めたのか。そこがまだ断定できない。

 

今日も一日考える。

 

 

 

 

 

 

 

 


 

| 暮らし | 08:21 | comments(0) | - |
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