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教室で教えるということ
教室で教えるということ (JUGEMレビュー »)
岩垣 攝,子安 潤,久田 敏彦
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Society5.0という産業中心主義

今年の6月5日づけで以下の文書が配布され、それが中教審でも配付されている。

Society 5.0 に向けた人材育成 ~ 社会が変わる、学びが変わる ~」文科省内の課長クラスの検討会で作成した文書だ。

Society5.0というのが聞き慣れない言葉だろうが、これは「狩猟社会(Society 1.0)、農耕社会(Society 2.0)、工業社会(Society 3.0)、情報社会(Society 4.0)に続く、新たな社会を指すもの」で第5期の科学技術基本計画で使用された言葉で「超スマート社会」を指す。1.0から4.0に比べるとひどく見劣りがする。

 

それでもこの中身に描かれた方向を夢見る人が現れるだろうし、それを前提に教育を描いてしまう人が登場するだろう。いや、すでに現れているので資料として配付されているのだろう。

 

これに乗るということは、産業主義に身を置くということだ。この社会論は、どのバージョンであれ、産業で世界を描いている。

私が批判したいのは、世界を産業に収斂して把握する貧困さだ。

知識基盤社会論もその一つだった。

 

確かに産業は変化していくだろう。これに対応した教育の変化も避けられないだろう。しかし、知を情報に矮小化することは誤りだろう。これに対応した教育へ変質させてしまう内容論は、人を見くびりすぎだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 社会 | 07:19 | comments(0) | - |
誰と向き合う

紹介されたサイトに子どもたちが大人に抗議している記事があった。

スマホを見ていて子どもと遊ばない大人に抗議してデモをハンブルクで行ったというもの。

確かに、時々子どもが他のことを要求しているのに無視している、いや無視どころか眼中にない様子に出くわすことがある。子どもと話し子どもと遊べというわけで、もっともな要求だ。

https://courrier.jp/news/archives/138011/

 

誰と向き合うかは、日常生活ばかりでなく、研究上も重要だ。

誰とは特定の人の場合もあるし、現実のどこを見るかという場合もある。誰・どこを見るかは決定的だ。描かれる世界がまったく違ってしまう。

いつ向き合うかその適時性のようなこともあるだろうが、現実にはこれはなかなか選べない。頻度が高い場合でも、偶然に任されているのではないかと思うことも多い。よい機会を逃すこともあるし、偶然にやってくることもある。しかし、どこに関心を向けているかで変わる、そう思うのである。
何が言いたいかっていうと、研究過程を定式化しても、関心を持たない者には選べないし見つけられないってこと。
| 社会 | 06:38 | comments(0) | - |
働かせすぎの改善に遠く

今までより悪くはならないかもしれませんが、正常化には遠いという印象です。

 

「教員の働き方改革について議論する中央教育審議会(中教審)の特別部会は27日、時間外勤務の上限の目安を月45時間とするガイドライン(指針)の案を大筋で了承した。勤務時間を抑制する狙いがあるが、指針には違反した場合の罰則はなく、現場で実行されるか疑問視する声もある。指針案では時間外勤務の上限を、政府主導で6月に成立した働き方改革関連法に準じて「月45時間、年360時間」と設定した。」9月28日づけ毎日新聞より。

残業時間に見合う賃金制度に変えないのでしょうか。罰則もでしょうが、個々の教員に自律的権限をを回復しないとだめだろうと。

 

なお、台風がまたやってくるようなので、そのことと因果関係はありませんが、この更新はたぶん月曜ごろになる見込みです。

台風のコースにあたる方々はお大事に。

 

 

 

 

 

 

 

| 社会 | 06:15 | comments(0) | - |
新画一化教育だ

「破局的噴火のリスクは容認できるとする「社会通念」を理由に再稼働を認めた」判決には驚いた。リスクを考える際に、事実に即した根拠がこの論法だといらない。裁判所の忖度判決かな、と思った。

 

奴隷の構造とでも言うものがある。

個人への心身への直接的力の行使と社会システムによる力の行使が古代からあった。時代ごとにその様相を変えながら長く続いた。

 

近代、奴隷制は一応廃止されたが、人を拘束するシステムは多様になった。

絶対主義国家は過去のものとはいえない。今も世界の各地にある。

民主主義国家と自称する国にも独裁は出現する。

 

フーコーの生権力という考え方が50年くらい前から広まった。今はそれが大文字の権力と結びついて生活を統制していると捉えた方がしっくりくる。

 

教育に関わって日本では、多角的・多面的に考える力が重要だというのに、スタンダード化という画一化が広く進行している。

「道徳科」は多様に考えることが重要だと答申され、教科書をつくるがその使用義務がないとわざわざ宣言されているのに、学校現場では教科書の使用を強制するシステムがむしろ作動している。

それぞれの「おはなし」教材に配分された「ねらい」とされた見方に強引に持って行くことがかつてより拡大している。

 

今まで以上に権力の方を向くように仕掛けられている。

そこに「忖度」が生まれ、斟酌が働き、忠誠が表明されることになっている。

こうして新画一化教育が自由と民主主義と真理をゆがめている。

 

 

 

 

 

 

 

 

| 社会 | 06:41 | comments(0) | - |
時代の定型的読みを批判的に読む

昨日、今日は安室奈美恵論が横行する。

人によって関わり方が異なるからそれぞれでいいのだが、テレビを中心としたジャーナルには意図を読む必要がある。

 

近年のテレビは、政権与党批判を避けるように、つくらないようにテレビを報道制作している。政治的課題となる事柄は極力報道しないようにし、どうしても発生してしまったモリカケ問題のような時には別のどうでもよい話題に人々を誘導した。

そして、ロシアのBSニュースを見るとわかりやすいように、毎日、プーチンに畏まって幹部が伺いを立てているシーンが織り込まれている。こうして威厳と権力の強大さを示し続けている。このベタさと「安倍頑張ってます」報道との間にわずかな差しかない。下品さにおいて違いがない。

 

こうした読みを安室奈美恵論の趨勢に読む。

まず、定型を読む。

表層の注目の言葉はどんなラインアップとなるだろう。

政権のジャーナルは一度けなそうとしたが、成功しなかった。そこで、この波にもう一度乗ることにしたらしい。乗ってどこに誘導しようとするだろう。

 

そういうつもりでジャーナルに出会ってしまうときには考える。

こんな日はそんな風に考える。裏はどこだろう。本当は、しばらく前までは昨日が敬老の日だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

| 社会 | 08:06 | comments(0) | - |
過剰な自己同調圧力

昨日の生活指導学会で参考になったことに名付けをすると「過剰な自己同調圧力」。

一番は、池谷報告。

若者の保守化というけれど、それを示すデータがないと指摘する。

この場合無いのは、保守化を政治の意味で保守政党支持率の増大という点に求めた場合、増大と言うほど増えていないことを池谷は確認する。

他方、生活的な現状維持志向という意味の保守化は、生活満足度などの数値ではそれを確認できるとしていた。

 

その動向について報告はさらに続いたが、同調圧力を周囲にもかけるが、自己自身にもかけていくらしい姿という把握が見えた。

 

その報告を聞きながら思ったのは、学校と教師が上から制定されるスタンダードに自ら画一化させていく志向と似ているということだ。ちょうど、そういう志向があると原稿に書いていた時だったので、そう引きつけて解釈することになったのだが、対象は違うがそう掴んでよいだろう、と聞いた。

そこで指摘されたデータもあるが、論理としては、子どもは社会を映す鏡という見方は過去ばかりで無く今も有効と考えられるからである。
上記把握と関係ないけれど、自由研究の報告は不満が残った。
帰りに書店に寄ったら、ビースタの新刊があった。これは、通読しておこうと思う。また、高校の科目「公共」について批判するためには買って持っておく必要がある本をみつけた。しかたなく買って帰った。ダメな本とわかってて買うのは仕事柄とは言えイヤなもの。
| 社会 | 06:53 | comments(1) | - |
「置き勉」通知について

文科の三つの課の名前で「児童生徒の携行品に係る配慮について」という通知が全国の教育委員会等に出された。

http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/keikohin/__icsFiles/afieldfile/2018/09/06/1408967_001_1.pdf

 

要するに子どもの荷物が重くなっていることについて、事例を参考に配慮を求める通知だ。

 

今年中学生になったばかりの子のリュックを持たせてもらったことがあるが、重かった。無駄に全部持ち歩くことも確かにあるらしい。そういう場合には通知も限定的に意味があるだろう。

 

話題になっているから一応記すが、学校が持ち物を全部家に持って帰らせようとするのは、通知で言えば「児童生徒の持ち物について、盗難防止等の観点から、放課後は施錠するようにしている。」ということに関わる。

学校教師なら知っているように、学校内でモノはよくなくなる。落として行方不明となることも多いし、盗られてしまうこともよくある。ちょっと借りるつもりが返し忘れるということも含めてよくある。このトラブルを減らしたいと考えると持ち帰らせることになる。

勉強に必要などという理由はたぶん二の次だ。

 

この心配をする心性からの解放、その条件が学校とその周辺には求められる。モノがなくなったりいたずらされるのは「いじめのサイン」などというではないか。だから、通知が出たから学校は対応を考えるだろうが、モノの管理とトラブル対応における寛容と見守り対応を変えることとセットでないと学校と教師と子どもの暮らしづらさは変わらない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 社会 | 07:42 | comments(0) | - |
高校学習指導要領の移行期の領土

高校新学習指導要領が告示されて来年から移行期に入る。

その移行期間の取り扱いで奇異な印象を与えるのが「2 指導内容の変更などにより特例を定める教科」として「地理歴史、公民
→ 新高等学校学習指導要領の領土に関する規定を適用する。
」とある部分だ。細部で言えば、内容の変更は他にもあるが、他に取り上げられているのは「家庭」だけだ。

何が新規定かというと、「地理総合」の部分から引用すると以下の規定だ。

また,我が国の海洋国家としての特色と海洋の果たす役割を取り上げるとともに,竹島や北方領土が我が国の固有の領土であることなど,我が国の領域をめぐる問題も取り上げるようにすること。その際,尖閣諸島については我が国の固有の領土であり,領土問題は存在しないことも扱うこと。

この表記は、竹島や北方領土についての日本の見解を記しただけとも言えるが、それしか記述されていないのでグローバルに見れば一方的見解が書いてある。尖閣諸島についても日本の領土だと言い領土問題は存在しないというのは日本の見解だが、それしか記していない点で一方的と言える。他方、論理を細かく読めば、そういう日本の見解を「取り上げ」「扱うこと」を規定しただけだから、それ以外の見解も取り上げることを妨げないと読むことができる。

こうした読みの妥当性を教育論の側の議論としてではなく、政府系文書に見ることができる。

 

高等学校学習指導要領の改訂に伴う移行期の扱いに関するパブコメの意見に以下があった。

「授業内容のみならず、授業方法、評価にまで詳細に介入するとともに、国家の都合による価値観を押し付けるなど、多くの問題がある新高等学校学習指導要領を前倒しで強要することは学校現場に混乱を生じさせるので、拙速な実施を断念し、前倒しを撤回するべき。」

これに対する政府回答に以下の下りがある。「具体的にどのように指導するのかは、まさに教師の創意工夫によるものであり、今回の改訂
においても具体的な指導方法を規定していません。

他方、「領土に関する内容の扱いについては、一方的な押し付けにならないよう、生徒が多面的・多角的に考えられるよう留意して指導することが必要。」という意見には、「我が国の将来を担う子供たちが、自国の領土について正しく理解することは重要であり、我が国が正当に主張している立場を正しく理解することは主権国家における公教育においては当然のことと考えています。」と政府回答にある。

 

これらの回答をそのまま承認するかどうかを棚上げにして、日本の見解について正確に理解することは求めているが、他の見解も正しく理解するように教育することを妨げるものではないという道はなお存在していると言うことがわかる。

 

(なお、領土の基準の改訂を通知したときの初等中等教育局局長の前川喜平の名前でその通知は出されている。)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 社会 | 08:14 | comments(1) | - |
学校の業務改善調査から

文科省が「平成30年度教育委員会における学校の業務改善のための取組状況調査結果」を公表しました。

http://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/detail/__icsFiles/afieldfile/2018/08/22/1408345_001.pdf

概要は、上記で見ることができます。

県別の集計結果なども辿ると見ることができます。

 

文科の分析にも書いてあるとおり、都道府県は一応取り組んでいますが、市区町村は取り組みが遅れているのが特徴です。

都道府県43(91.5%)、政令市17 (85.0%)、市区町村358(20.8%)という数字が示しています。だから、実態は、あまり変わっていないところが大多数ということになります。

 

問題は負担軽減の中身。質問項目がその軽減策の貧困を表しています。事務の共通化とか、アンケートの削減とか、部活の負担減策が一部の外部委託などなどで、実施しないよりはいいけれど、根本的でない策がかなり並びます。

 

勤務時間管理も同様で、管理職の現認が多いのですが、これは恣意的運用の源です。他方、カード等を導入しても同じことが起こっています。

 

事務職員の参加についても、質問項目は参加することがよいことのように質問を聞いていますが、単純によいことと見ることはできないでしょう。弊害も生まれます。事務職員の負担増というばかりではありません。どう参画するかとセットでないと問題も発生するでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 社会 | 07:53 | comments(0) | - |
AB問題の一体化の意味

全国学テのA問題とB問題の区分が来年からなくなる。

毎日新聞は、「基礎知識と思考力などを一体的に問う出題に統一する」のは新学習指導要領の方針に従ったものと説明した後に、「B問題の正答率がA問題を上回ったことは一度もない。長年の指摘を受けながらも思考力などに裏打ちされた応用力が伸び悩む状況は改善されず、有効な指導法も示されていない。そうした中でA、B問題を統一することは、児童・生徒がどこでつまずいたのかを不明確にし、対策を立てにくくすることにつながらないか。」と書いている。(毎日新聞8月22日づけ)

 

しかし、Bタイプの応用的な問題がAタイプを上回る国や地域は存在しない。B問題の難易度が高いのだからあり得ない。

また、伸び悩むといっても、何と比較して伸び悩んだかを特定しないと言いがかりになる。

さらに、必ずしもこれまでもAとBは関連づけられた問題ではなかった。どこでつまずいたかはAとBの回答を見てもわからない。むしろ一連の問題として提出された方がわかる可能性は高いと言える。
記事は、無理を言っているように思われる。もし世間にそういう要求があるなら世間が間違っている。
それよりAとBの区分を無くして一体化するという方針に別のことを読むことができる。
AとBは、従来の授業のタイプのスローガンに対応していた。すなわち、習得型の授業がA、活用型の授業がBに対応していた。こうした区分を文科省と中教審は打ち出していた。その方針で本を書いていた人が何人かいる。そう市川伸一周辺の人々だ。AとBは関連があると言ってはいたが、区別していた。市川の著作で「教える段階」と「考えさせる段階」と区分していた(「教えて考えさせる授業」を創る、図書文化、55頁以下)。今度、文科と中教審は、区分せず一体化だという。
従来の方針はどうなったのだろう?かつての主張は誤りだったと言っているのだろうか。まだその声を聞いていないが、「関連を捉えてもらえないので改善した」とでも言い出すのだろうか。
政策の時流に乗ることの意味をそこに見るのである。
政策に振り回されるのではなく、授業の論理の探究を中心にすえたいものだ。
そう言えば、かつても「個性化の時代」だと言ったり、一人で強く生きることを主張する人々がいたことを思い出す。ところが今や協同だとか共同が重要だと世界が言っている。90年前後のあの人たちはどこにいるのだろう。
| 社会 | 07:39 | comments(1) | - |
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