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時代遅れの子どもの見方

学校の規則や慣行について朝日新聞が「地毛証明書」「無言給食」などを例に学校のルールを考える記事を掲載している。

 

http://www.asahi.com/articles/ASK815T7FK81UTIL04X.html?iref=comtop_8_08

 

どの事例にも共通する変さは子どもを見るまなざしが管理統制・拘束するまなざしばかりの規則・慣行で、それが批判の対象となっていること。他の意図が感じられない規則だ。

地毛の色に統制し、地毛の色をしていれば善の証明になると思っている。

無言給食に無言清掃も統制の意味しかない。

万引きしない宣言に到っては都教委の子どもを見る目が犯罪者扱いになっている。

統制のまなざしばかりが見える。

 

そのまなざしは、まなざす者に返ってくる。

強制・監視する者として子どもに見られることになる。

 

こうして指導は成立しなくなる。子ども自身に意欲的に取り組んでほしいという願いは永遠に成立しなくなる。

強制する者からの誘いは、裏があると考えるようにならざるを得ない。

今の時代は、そういう子どもの見方の変化を期待しているのだろう。

 

新聞記事で唯一説得力のある反論は、「学校だけを責めるな。社会が要求している」というものだ。この反論の発言者は、学校のおかしさを容認させたいのだろうが、論理としてはそういう反論にはなっていない。おかしな社会の側も変えようという議論にもなるからだ。

例えば、いつの頃からかリクルートルックが黒ずくめの服装となった。それにあわせた対応で埋まっている。しかし、ほんの少し前の時代にはなかった服装だ。黒い服装をしていればよいと見ているのは社会の側だが、黒い服装をしていても多くは採用されない。

 

これだけ批判的まなざしが発生している学校の慣行は、すでに時代遅れとなっていることを記事が証明している。

慣行は変えられる運命にある。

現在の慣行を普遍的なもので後生大事に守らせるなどと言う馬鹿げた位置づけをしないことだ。

必ず変わる。

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| 社会 | 07:16 | comments(0) | - |
事実を取り出す

私の部屋にはチェルノブイリ子ども基金のカレンダーがある。

このカレンダーはよくできている。

そう思う一番の理由は、矛盾しそうな二つを事実に基づいて提出し、同時に主張しているからである。

 

2年前にベラルーシを訪問した時に、ミンスクやゴメリそれからナデジダでお会いした何人かの方々がそこには映っている。

チェルノブイリ原発の放射能を浴びて被爆したことが原因の甲状腺がんの手術をした人、その人が今では30歳代となって家族をつくり子どもと映っている月のカレンダーもある。

他方では、被爆の影響で体調不良が続いている人、生まれた子どももガンの人の写真、あるいは祖母と水浴びをしている写真を撮ってからしばらくして亡くなってしまったと説明書きのある月のカレンダーもある。

つまり、放射線を浴びたり、甲状腺ガンの手術を受けたからといって、結婚できないとか子どもを持てないということはないことを事実としてはっきりと示す。他方で、断固としてその放射能被爆の影響が今も続いていることもはっきりと示す。

そういうカレンダーとなっている。

 

「もう影響がない」と帰還困難地域を危険なままに解除してしまったり、「風評だ」と不備を隠してしまうことをしていないのである。事実をそのまま提示する努力がカレンダーの構成に見ることができるのである。

不都合なことを示さないのではなく、率直に広く提出する。このことがほんとうに大事だと福島に行って帰ってきて思う。

 

とりわけ「隠蔽体質内閣」がこのところ続く中では誠に大事だと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 社会 | 06:45 | comments(0) | - |
愛知の教員育成指標案

「愛知県教員育成指標」の案が示されて、パブコメになっている。

 

教員版と校長版、養護教諭版、栄養教諭版の4つが示されている。

残念ながら項目数が多い方に属するものとなり、多い割に項目の一つ一つは包括的でごたごたした文で項目間の重複を感じさせる。

以下のサイトアドレスから中身を読むことができる。なお、グーグルの教員版のアドレスは間違っていてたどり着けない。

http://www.pref.aichi.jp/soshiki/kyosyokuin/sihyou-an.html

 

教諭版の学習指導の第一ステージには次の項目が並ぶ。

・適切な発問や読みやすい板書、意図的な環境の構成などの基本的な授業力を身に付け、児童生徒の主体的な学びを引き出す指導力を培うとともに、個に応じた指導を行おうとする。
・児童生徒の実態を把握し、授業のねらいを明確にして教材教具の工夫をするなど、事前の教材研究の大切さを理解して授業をする。
・他の教員から学ぶなど自分の指導を改善しようとする向上心をもつ。

 

発問や板書と具体的な事柄の書き出しが授業力という包括的な言い回しに着地し、主体的な学びを引き出す指導力とさらに包括的表現となり、できれば「個に応じた」方がいいみたいな弱含みな表現。授業力と指導力の包含関係が分からない。個に応じるとの関係も不明だ。次の項目は教材研究のことらしいが、独立しているところを見ると、教材研究と授業力や指導力は関係ないらしい。

つまり、項目内での言葉の相互関係がよく分からない。よく分からない方がいいとも言えるし、ご都合主義的に悪用される危険もあるとも言える。ともかく、要するに変だろう。

 

同じく学習指導の第三ステージでは、次の項目となっている。

・高い専門性を基に、周りにある教育資産や新しい指導方法を効果的に取り入れ、他の教員の模範となる授業を行う。
・学力向上や授業改善、授業評価などの視点を常にもち、学年や教科の授業改善をリードする。
・学校全体の学習指導上の諸課題を把握し、校内の教育課程や授業づくりについて改善の視点で考え、組織的に実践を進める。

 

教育資産は教育資源の間違いだろう。ほぼ「改善」のオンパレードだ。だが、冷静に考えれば、第一ステージに書かれた「基本の授業力」あるいは「指導力」で十分じゃないだろうか。

子ども理解という枠組みが別にあるが、学習指導とも重なっている。

「子どもを理解しながら教材研究に基づいた授業を実施する」で要するに十二分ではないか。

 

一覧表づくりは担当した人にとって大変だったに違いないのだが、表を埋める発想がごたごたを引き起こす。問われているのは教委のマネジメント力かもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 社会 | 06:06 | comments(0) | - |
政治性は多層的

米国のボーイスカウトの集まりで問題な大統領が政治的な演説をしたために「ボーイスカウトの活動の場に政治」を持ち込んだことが批判を呼んでいるという記事があった。

かなり偏見に満ちた話しをしたようだ。

 

だが、大統領を呼ぶ時点でボースカウトの政治的意図が読める。社会的認知を狙っていることは明らかだ。団体内的に異なる意見の人々が多いために不都合だったということだろう。

 

そもそもボーイスカウトは、1908年に植民地であった南アフリカでイギリスの軍人ロバート・ベーデン=パウエルによって創立された。植民地での生活を植民する側の視点からその必要が構想された点は否めない。

 

政治的というのは、国家レベルの政党間の政治だけではない。宗教・性・民族・階層など集団を構成するものの間に存在し、重なり合っている。支配的なグループと少数派との間に存在している。自身が所属していると意識している集団ばかりではない。他者に勝手に分類されてしまっている(幻想の)集団であることも多々ある。

 

そう考えると、政治的発言批判は一面的で、そうした政治家を呼ぶこと自体を止めることを視野に入れるべきだし、ボースカウトの歴史を反省的に捉える作業からはじめるべきではないか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 社会 | 06:51 | comments(0) | - |
安倍・加計隠し

一昨日は、蓮舫辞任。明けた昼には籠池聴取、夜には稲田防衛相辞任の速報が流れた。

 

これは終末のワイドショーで安倍・加計問題の報道量を削減させる情報戦略だろう。

そのことによって夏を乗り切ろうという世論操作だと推測した。

 

大手新聞・テレビ局がそこに動員される。

さらに追加の小ネタが配信されるだろう。

 

問題は、それで収束するのかどうかだ。

それらでだまされていくのかどうかだ。稲田の辞任で済むような話しではないだろう。安倍込みで議員辞職・疑獄事件であり、そういう社会システムの問題性の追求へと向かわねばならないだろう。

 

鶴見俊輔の評論集に『像が消えた動物園』というのがある。タイトルの評論は3頁あまりと短いのだが、出来事のなかに何を読むのかが知。本日の書き出しは、何の知もなくそのままを書いた。他に書きようがなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 社会 | 08:09 | comments(1) | - |
無為と有為

すべてを有為な時間で埋めようとする思想は、貧困だ。

無為を無意、有為を有意と置きなおすこともできる。その場合も有意な有為で埋め尽くすそうとする思想は貧困だ。

 

春頃取りあげた高校生向けの分単位で学習計画を記載させる手帳は、貧困の思想そのものだ。

リア充を語り続けなければいられない癖も貧困の思想。

「高プロ」などという働き方を強いる労使は貧困だ。

研究などと言うものも、無為なまま終わることや人も少なくない。こんな場合、無意だが無為に有意がある。

 

他方、無意で埋め尽くされた時間、とりわけ強いられた無為な時間で埋め尽くされた時間に人は耐えられない。

携帯を使ったゲームは無意(プログラムされた結果しか発生しない)だが、強いられてこれを行ったとすると耐えられないだろう。

 

無意と有意の基準が問題だ。

基準は、自身の内側と外の世界をどこまでいくつつないで捉えているかで変化する。しかも内と外の基準を絶対化しない場合に貧困から逃れられる。『矢内原忠雄』を読みかけて考えたこと。強制される内面世界と自由を拘束する社会を通過するということ。

 

 

 

 

 

 

 

 

| 社会 | 06:49 | comments(0) | - |
学校の働き方部会資料から

正確に言うと、「学校における働き方改革特別部会」の第1回配付資料が公表された。

http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/079/siryo/1388265.htm

 

その中に昨年度の小中学校教師の勤務実態調査データがある。

その速報値概要版の特徴付けに以下のようにある。

 

「平日については、小学校では、授業(27分)、学年・学級経営(10分)が、中学校では、 授業(15分)、授業準備(15分)、成績処理(13分)、学年・学級経営(11分)が増加し ている。土日については、中学校で部活動(1 時間 4 分)、成績処理(10 分)が増加している。」

 

この場合の増加というのは、10年前と比較した数値だ。

それは学力低下論に席巻された後の時代で、詰め込み教育が復活した時期だったが、現在実施されている授業時間増の学習指導要領が始まる直前の時期2006年である。教科書の厚さが20数%増加し、授業時間が週当たり1コマ増える直前の時と比較したものだ。

そこと比べてわかることは、授業持ち時間の増が勤務時間のいっそうのブラック化と一致することだ。授業準備の時間増とあわせると増加分と比較的対応する。

そう考えると、小学校の10年間の主たる原因は特定できるように思われる。しかし、それは、せいぜい月に10時間だ。残りの40〜50時間の説明はこれではできない。

ところで、授業時間一つの分が月に10時間あまり増やしたのだとすれば、とりあえず6時間分授業負担を減らせばよいと試算することは可能だ。他の要因の探求とは別に、週当たり持ち時間数を6つ減らすと機械的計算としては時間外労働がほぼ解消する。

 

中学校も週当たり1時間増えたが、こちらは小学校のほどではない。部活時間の増加が目立つ。この要因は何だろう。

推薦入試の比率の拡大など複数考えられるが、さて何だ。

 

私の推測では、勤務時間の増加というブラック化はPDCAという仕組みが真の原因であり、学校から民主主義を奪っていったことが原因だ。だが断定するにはまだデータ不足。自分の研究分野に即して探求したいと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 社会 | 06:42 | comments(0) | - |
「まずいこと言わない」の言明

都ファの最初の教えは、「まずいこと言わない」。

この意味するところを列挙する。

 

都ファにはまずいことを言いそうな人が多い。

都ファにはまずいことがたくさん隠れている。

都ファの言うことは「いいことだけ」で、ホントは別にある。

いいことだけ言っていれば人は騙せる。

新人の都ファは黙っていろ。

 

五つぐらいのことがすぐに頭にうかんだが、要するに「未然防止」を意図したなんとも後ろ向きな研修だ。

まずいことが発生しそうなことが最初からわかっているとしたら、これはもう環境問題等で言うところの「未然防止原則」を適用して行った研修ということになる。

というのは、「因果関係が科学的に証明されるリスクに関して、被害を避けるために未然に規制を行なう」ものが「未然防止原則」(Prevention Principle)だからである。

 

それとは違って、「予防原則」というのもある。こちらは「重大かつ不可逆的な影響を及ぼす恐れがある場合、科学的に因果関係が十分証明されていない場合にも、規制措置を可能にする考え方」である。こちらはまだ分からないのに措置をとる対応だが、都ファの実績からすると、「未然防止原則」が採用されたのだろう。新旧党首の行状の実績があるからだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 社会 | 06:35 | comments(0) | - |
水商売

学内のコンビニで売っていたペットボトル90円。

大学のキャラクターがついている。キャラと言われて分かるキャラ。

 

そういえば、三田キャンでも売っていたことを思い出して写真を検索。

こちらはペンが交差して言論で戦うというイメージか。

もっとも福沢諭吉なので、たたかうと言ってもきわめて偏見に満ちた差別的言論だったが。今は変わっただろうか。

どちらの水も軽井沢とか富士山麓の水とあるが、良さを売りにできるわけではなくなっているのが惜しい。

 

ともかく各大学ともこういうグッズのようなものを作る貧しい時代になった。

もっと前、米中の留学ビジネスの高額さが話題になった。それも問題だがまだ教育に関わりがあった。いまや研究にも教育にも関係がない。

残念な時代になった。

 

 

 

 

 

 

 


 

| 社会 | 06:44 | comments(0) | - |
教科書原稿の公開申請

教科書検定規則に関わるパブリックコメントが始まった。

 

検定期間中において、教科書会社が教員らに検定中の教科書を見せ、意見を聞くかわりに謝礼を渡すことを不正と見なし、罰則を科し不合格にするという。なんだか一年中禁止と統制されている気分にさせる報道だが、実際はそうではない。

 

私は、教科書会社が広く検定教科書の内容を公開する方がよいと考える。検定申請する原稿を隠しておく必要がない。検定意見の箇所と訂正箇所は検定後に公開されることになっている。

採択のために金品を送るやり方は不正と言っていいだろうが、意見を求める行為は不正に何ら当たらない。

 

5月の教科用図書検定調査審議会の答申「教科書の改善について」は以下のように記している。

「教科書検定の対象となる申請図書については,厳しい情報管理が求められており,その内容を教科書の著作・編集者等以外の外部の者に閲覧・流出させる行為は禁じられている。近時,教科書発行者が教員等に検定中の申請図書を閲覧させただけではなく,教員等に意見聴取の対価として金品を支払うなど,教科書発行者による教科書採択の公正性・透明性に疑念を生じさせる不公正な行為が相次いで発覚し,社会的に大きな問題となった。」

なぜ情報管理が必要なのかについて、静謐な中でなどと説明してきている。だが、検定内容への批判に答えられない事態が検定側にあった歴史を糊塗するためではないか。それは、検定側の結局誤りと歴史的には判断されている「進出」か「侵略」か問題等であった。

 

答申の終わりの部分には猶書きではあるが、次のようにある。

「なお,教科書発行者が,より良い教科書づくりのため,教科書作成に当たって実際に学校現場において使用する教員の意見を聞くこと自体は必要かつ有益であるが,その場合には意見聴取の相手方を,その関与の度合いに応じて,教科書の著作・編集に携わる者等として位置付けた上で,採択権者の判断で採択に関与させることがない仕組みにより,教科書採択の公正性に疑念を招かせないようにすることが必要である。」

この表現は、私の主張の一部と重なる。しかし、想定が10人20人を想定している。もっと多くの教員の意見を聞くことがあって何の不都合があろう。

政権が政権の政策を書き込ませる行為の方がずっと不公正で不正だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 社会 | 06:38 | comments(0) | - |
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