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教室で教えるということ
教室で教えるということ (JUGEMレビュー »)
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中部経済連合会の提言について

このところでは珍しく、ローカルではあるが、経済団体が教育や人材育成に関する提言を発表した。

珍しくというのは、1980年代は多かったが、その後はまばらとなり、経産省による「社会人基礎力」以後はもっぱら行政があれこれ答申類を出していたことによる。

 

それは、中部経済連合会の「中部圏の未来を支える人材の育成」(12月4日付)である。

http://www.chukeiren.or.jp/policy_proposal/pdf/171204_jinzai.pdf

期待される人間像を示した後に、「時代の変化を踏まえた知識・技術の習得に加え、その礎となるいつの時代においても通用する基礎能力を備えた人材の育成は重要」と強調の意味のアンダーラインが引かれている。

何気ないと読む人もいるかもしれないが、基礎能力とか基礎学力が不足していると強調している点に文科省等の近年の政府文書とのトーンの違いを私はみた。提言とあるが、対策に目新しさはなく、現在進行形の教育政策に追随しながら、モノづくりだとか産官学連携だと述べているだけに留まる。

とはいえ、基礎学力の強調は、近年では、少し横に置かれてきている中で、中心に座っているというという意味で、わずかだがトーンの違いをみた。これは古さなのか、それとも芽生えなのか、経営者の素朴な実感データに基づいているためなのかわからない。ただ、この実感は意外に強力と見ておく必要はあるだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 社会 | 07:20 | comments(1) | - |
センターよりましな大学入学共通テスト問題

大学入学共通テストの試行問題と結果が公表された。

http://www.dnc.ac.jp/corporation/daigakunyugakukibousyagakuryokuhyoka_test/pre-test_h29_01.html

 

国語は、生徒会部活動委員会の規約等の資料が示されて、議案の検討場面から原案を作らせる問題などが並んでいた。ものすごく面白いかというとそれほどでもないが、従来のセンター試験よりはいい。(問題と関係がないが、生徒会決定が「職員会議に提案」となっていて、簡単にひっくり返る可能性のある規則となっている非民主性の方が気になったが、全国的にそういう規定のところが多いんだろうなあ、と思った。)

 

数学では、Tシャツの価格設定によって購入希望者が変動し、原価に対して利益が最大となる販売価格を問う問題などが出されていた。

朝日新聞には高校生の感想として「数学らしくない」とあったが、この進学校は普段どんな数学の授業をしているのだろう。

穴埋め問題や式が与えられて計算させるだけの問題よりは面白い。だが、アンケートで購入希望価格について回答した結果と実際の結果が一緒になることを前提に計算しているなど、現実とは異なる設定ではありそうだ。

 

機械的暗記と適用ばかりの授業をセンター試験は強要してきたんだなと思う。

しかし、今度こうしたタイプの問題が並ぶと、それへの適応が始まってしまうにちがいない。するとまたつまらない授業が蔓延し、つまらない評価論とテスト論が出回っていくのだろう。

 

共通テストという枠組みが元凶。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 社会 | 07:04 | comments(0) | - |
教職コアカリキュラム公表

文科はかねてより小出しにしてきた「教職コアカリキュラム」の中身を公式に昨日公表した。

下記サイトに二つの文書が入っているので参照されたい。

http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/shotou/126/houkoku/1398442.htm

 

この基本問題は、教員養成の講義の内容を過度に統制する点にある。

科目によって濃淡がいくらかあるが、時の教育政策に影響されすぎた「コア」となっている。一番濃厚なのが「学習指導要領」の取り扱いがひどく強調されている。私の担当科目で言うと、カリキュラム・マネジメントが今回強調されるようになったのでそれが一つの柱になっている。カリキュラム・マネジメントは、その内容においては無内容で、融通無碍であるために独裁を生みやすく、視野を狭くさせる手法なのだが、柱に位置付いている。

 

教職論も相変わらず「教職の意義」が強調されている。教職の意義に燃える管理職や教師ほど現在の教育のブラック化をもたらすと指摘されているのだが、知らないかのようだ。

 

すぐにこれが課程認定申請に影響を与える。コアカリに従ったように見える文書が山積みされる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 社会 | 06:51 | comments(0) | - |
破綻しててもPDCA

教育振興基本計画が教基法によって作成されることになっている。

その振興計画をどう創作するかに関する検討を行う「教育振興基本計画部会」というのが中教審の下位の部会として存在し、報告を出そうとしている。

現在、第18回の配付資料が公表されたばかりだ。

 

「客観的な根拠(エビデンス)を重視した教育政策の推進について(案)」という文書というかイメージ図が作成されている。その中に書いてあるのは、PDCAのサイクルで埋められている。イメージ図の後の文書らしいその冒頭に次のようにある。

 

「○今後、より効果的・効率的な教育政策の企画立案等を行っていく観点や、国民への説明責任を果たしていく観点から、客観的な根拠を重視した行政運営に取り組んでいくことが必要である。

○その際、教育政策には、他の政策分野と比較して、成果が判明するまで長い時間を要するものが多いこと、成果に対して家庭環境など他の要因が強く影響している場合が多く、政策と成果との因果関係の証明が難しいものが多いことなどの特性を踏まえれば、数値化できるデータ・調査結果のみならず、数値化が難しい側面(児童生徒の課題、保護者・地域の意向、事例分析、昨年度の実績等)についても可能な限り情報を収集・分析し、あるべき教育政策を総合的・多角的に判断して、企画立案等を進めていくことで、PDCAサイクルを構築していく必要がある。」

 

上の一つ目の○と、二つ目の○の前半は矛盾したことを並べている。だが、おしまいの文章では、それもPDCAサイクルに飲み込むと言っている。

結果が出ないとか、要因が確定できないのに、飲み込んで政策を出すという。恐ろしいエビデンス論。

原因や対策がわからないものに対しても政策を打ち出すらしい。

それでは打ち出された政策がいいかどうかもわからないではないか。

反省はするのだろうか?

これまで、文科は自らの政策の反省をしたことがない。原因をいつも現場に押しつけたり、社会一般に求めたりしてきた。そうした行き方はいつ止めるのだろう。

これまでの振興計画で皆が賛意示すうまくいった政策はどれなんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 社会 | 06:48 | comments(0) | - |
教育の画一化動向について

現在の教育の統制のトレンドを以下に並べる。

(1)学校(授業など)スタンダードの設定

(2)教員スタンダードの設定

(3)書かせる教科書基準の設定

(4)教職コア・カリキュラムの設定

(5)カリキュラム・マネジメントによる統制

(6)「チーム学校」による協力の強制

 

これらの背景に教基法や学校教育法等の改訂がある。

 

(1)から(6)は、教育の画一化を強く志向している。

この画一化を実現するにあたって、上からの権力的統制が従来通り存在する一方で、内部からの力を調達しようとする施策となっていることがわかる。各種スタンダードに向けて活動するように、個別教職員の協力を引き出すようにというわけである。

ここに一つの矛盾がある。目標を定められた中での協力だからである。目標そのものが歪んでいる中では協力しない方が正しいことが多々あるからである。

 

もう一つは、現在の教育の画一化動向は、いつも過剰を生み出す。内部からの協力を調達しようとすると、教育過剰を生み出す。だが、教育の過剰は、すなわちいじめ対応や黒髪証明のような教育の過剰は、批判の対象となる。今の言葉で言えば、教育のブラック化だ。その表現に見られるように、社会的には批判の対象となる。

画一化が過剰を生みだし、その過剰は批判の対象となる。ここにもう一つの矛盾がある。

 

この仕組みを変える。その契機を探しましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 社会 | 07:27 | comments(1) | - |
授業改革が受験教育と日本主義

「時々あるんだ、これ」と思ったのが、読売新聞掲載の教育記事の聖徳大学附属女子中学校・高等学校。

記事になっているやってることを並べる。

一般目標は「人間性と礼法を土台として学力向上」。

私の感覚では、もう怪しい。

具体策

1.和の礼法:小笠原流の礼法の時間と全員で昼食。

2.和の各種行事:10人11脚レースなど。

3.学力向上:基礎の徹底と海外旅行とiPadの利用。

評価基準

国公立大および難関私大への合格人数。

 

記事の趣旨を要約するとそうなる。

 

人間性が礼法で育つというのは簡単すぎだろう。

行事で団結というのもありがちすぎだ。団結すべきかどうかもっと考えた方いい。和だそうだが競争のレースだ。競技が象徴しているが、その10人からは抜けられない。江戸時代の5人組や戦争中の隣組制度が思い出される。英語に特化するんじゃなくて、自然を含めて社会と世界に目を向けた方がいい。

学力が進学先で決まるじゃ一面的すぎだろう。(特進クラス29人は難関だが、それ以外の14人生徒は切り捨てられてる。それ以外のクラスは最初からなんなんだ?)

勤務先にもそういう方針があちこちに散見されることがある。

ありがちすぎる旧い方針がなぜ記事になるんだ。

新聞とは旧聞か?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 社会 | 07:27 | comments(1) | - |
ひどいネット指導案

指導案づくりで学生が忙しい、と言う。

最近は、ネット検索する学生・教師が多い。

 

試しに単元を特定して検索すると読み切れないほどヒットする。

 

しかし、これがひどいものほど上位に来る傾向がある。

東北地域の個人名付きの指導案が一番上だったので特定は避けるが、基本的に内容を理解していない.表層だけなぞって、その地域の形式に落とし込んだものだった。

 

その次は、右翼の教育保守化運動団体の指導案だった。

歴史上の人物に最初から「偉人」などと紹介していく、とんでもない問題外の指導案だった。

 

内容的知見がなく、ネット検索におけるリテラシーがないと騙されていくだろうなと思った。

 

現職のそれなりの経験のある人も、だれが教育の保守化運動の担い手か知らないことに過日驚いた。また、現在のトレンドの社会的意味となると経験豊かな人も引っかかる。ネット検索も指導案を直に読もうとするのはやめた方がいい。ダメなものから先にヒットするぐらいに見ていないとな、と思う。

 

ところで、これからは「ものの見方・考え方」が検索されるだろう。

この夏・秋からのトレンドだからだ。だが、その中身は恐ろしく空虚だったりする。もっと具体的に言うと、社会科で「歴史的に考える」としか言ってなかったりする。何も言わないに等しい。

あるいは、「ものの見方・考え方は科学を教えない議論」といった昔の批判議論のままだったりする。見方や考え方があるのは間違いない。その内容と位置付けの議論を欠くと使えない。

 

補足、これからのトレンドになるというのは、新教育課程説明会の資料にそこが焦点だと書かれたからだが、それも浅薄の批判を免れない。個別内容抜きの見方・考え方は空虚だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 社会 | 07:10 | comments(0) | - |
適切さへの疑問

福井で教師が原因とされる生徒の自殺があったと報道されている。

ゼロ・トレ(不寛容)という非教育論の浸透が原因だろうか。愛知にも相当浸透していて危ない、そう思うことがある。福井の教育については下記のごとく新聞に報じられていたりするのだが、そんなに持ち上げていいのか疑問だ。

http://www.chunichi.co.jp/article/feature/kyouiku/list/CK2017101502000003.html

この記事は何だったのか?

 

ところで、新聞報道に調査委員会のメンバーの名前に福井大の松木氏の名前があって、最近の役割からすると名前があっても不思議じゃないのだろうけれど、ほんとの専門は赤ちゃんと親の関係が専門だ。本職じゃないことをやらされてる感があるのではないか、などと思った。

 

そういえば、政府の審議会にも、何の専門なのかわからない人がいたりすることも多い。方針の決定に関わっていたりすると「あーあ」という残念感が残ることがある。

 

いろんな立場というなら、それこそいろんな立場を前提に選出されていれば専門家でなくてもと思う。その一貫性がなくて、恣意的な印象はぬぐえない。答申類の権威が最初から権力の後ろ盾なしだとゼロになる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 社会 | 07:38 | comments(0) | - |
着陸?不時着?墜落?

米軍ヘリがまた「落ちた」。

朝日とNHKは、「着陸」。

毎日と読売は、「不時着」。

 

予定外の場所に機体がほぼ燃え切った状態になって、「着陸」はないだろう。

ネット辞書には不時着とは「航空機が、故障や燃料欠乏等のため、初めに予定しなかった場所に降りること」とある。予定外の場所に降りているから「不時着」の範囲内に入ることにして、危険性を緩和した表現に見せたいのだろう。

だが、すぐに燃え切っている。「不時着」だろうか、「墜落」だろうか。

曖昧に政治的意図を読むことができる。

 

現在、「資質・能力」論について原稿を書いている。

この言葉も曖昧だ。議論の大まかな経緯があって持ち込まれているが、定義らしい定義はない。

いろんな要素を持ち込んでいる。

書き出しは、社会論。それが子ども論になり、子どもの人間像になる。それが教育論になって、知識も能力も態度も性向もみんな持ち込んでいる。

みんな持ち込んでいるのに、個別教科の単元のところになると定型的表現になる。

面妖な概念。

この面妖な概念ベースの教育に変えるという。

何とも面妖。

 

この面妖をどう評価する?

面妖だから、好きに組み替えるという議論がある。わたしは、それに賛同しない。

いつか記した魯迅の「阿Q正伝」の「「精神勝利法」にすぎない(馬鹿にされても負けても、心の中で都合よく自分の勝利と思い込むことでプライドを守る幻想)。それと同じ思い方で最後は決着させる。そんなことなら学問は要らない。

 

曖昧に包まれた中心は、誤謬・謬見の塊だ。周辺に希望があるからと面妖を評価することはできない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 社会 | 07:08 | comments(0) | - |
体験的学習活動等休業日

あれ?なんだかな!

とまず思ってしまった。

1  大学を除く公立の学校の休業日として,新たに家庭及び地域における体験的な学習活動その他の学習活動のための休業日(以下「体験的学習活動等休業日」という。)を例示すること(改正後の第29条第1項)。
2  市町村又は都道府県の教育委員会(以下「学校設置者」という。)は,体験的学習活動等休業日を定めるに当たっては,家庭及び地域における体験的な学習活動等の円滑な実施及び充実を図るため,休業日の時期を適切に分散させて定めることその他の必要な措置を講ずるように努めるものとすること(改正後の第29条第2項)。

 

これは、「学校教育法施行令の一部を改正する政令等の施行について(通知)」の通達。

「学習活動のための休業日」っておかしくない?

休業日は休業日でしょう。

学習してしまったら休業日じゃないでしょう!

 

家庭が「学習活動の実施」というのはおかしいでしょう!休みは休みで何してもいいでしょうに、努力規定とはいえ政令が作られて通知が省庁から出される。

○○国家の姿がそこに見える。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 社会 | 06:55 | comments(0) | - |
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