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道徳教科書の趣意書から

文科省のサイトに、道徳の各教科書会社の編修趣意書が公開された。

http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/kyoukasho/tenji/1384939.htm

 

あの悪名高い「手品師」がすべての教科書会社に確かに載っていた。5年に載せた会社、6年に載せた会社という違いはあるが、まあ全社に載っている。知性を欠如させた手品師がどうして正直・誠実の事例なのだ?

「青の洞門」も掲載率が高い。何がいいのだろう?

 

ところで改めて思うことは、道徳とは物語の中にあるのか?という懐疑だ。

長短、実話か創作かといった違いはあるが、物語りオンパレードだ。

物語で道徳性が形成されきってしまうかのようだ。

元は文学なのに、道徳教科書に採られるととたんに胡散臭くなる。

本来、道徳は人の行動そのものと共にあるのではないか?道徳の物語を読むと「いじめ」がなくなるなどということはない。ゼロとは言わないが、可能性としてきわめて小さい。

 

東京書籍の趣意書は、「伝統や文化に立脚し・・・」と2014年の中教審への諮問文を引用するところから始めているが、伝統や文化に立脚してしまって「主体的に考える」なんて事はできるのか?と疑問に思った。特定の立場を決めてしまっておいて、主体的も何もないだろう。「考える道徳」の考えなさがそこにある。

 

もうあと一月で教科書展示が始まる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 教育 | 06:26 | comments(0) | - |
「教育勅語の使用に関する声明」に賛同を

正確に言うと、

「教育現場における教育勅語の使用に関する声明」

を発表した。

これは、2月末からの教育勅語に関する国会での質疑、並びに政府答弁書等において、教育勅語の教材としての利用あるいは朗読・朗唱等を容認する姿勢が国会答弁等であった事に関して、教育研究をする見地から声明としてまとめたものである。

 

政府と議員の一部に、教育勅語を教育現場で使用することを容認する姿勢が目立つ。

しかし、教育勅語は、家父長制と天皇のために死ぬことを求めるものであり、その内容が日本国憲法にそぐわないことが衆参の国会決議でも確認されている。平和な社会と民主主義社会の実現という今日の国際社会の合意にそぐわないものであり、これと訣別した教育でなければならないことを声明は記している。

 

全文は以下のサイトにある。お読みいただきたいと思う。

https://sites.google.com/site/kyoikuchokugonikansuruseimei/

 

ここには、資料として教育勅語の失効決議、過去の文部大臣の答弁、2月以来の質疑や答弁書が資料として収められている。

教育関係者の賛同者を募っており、賛同者は毎日増え続けている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 社会 | 07:09 | comments(0) | - |
問いと選択肢のズレ

本日の朝日新聞に「勉強が好きになるには?」という東大とベネッセの調査結果の報道がある。

見出しには、「好き」とカギ括弧をつけているが、紹介されている選択肢が対応しないように思われる。
選択肢には、好きになった子の特徴が並べられている。「テストで間違えた問題をやり直す」「繰り返し書いて覚える」「分からない点を確かめながら覚える」が並び、これらをする子が勉強が好きと言うことらしい。
これはおかしいだろう。
勉強が好きになるには?と問題が建てられているのに、好きな子がやっていることを列挙している。
好きになる原因を明らかにしたいらしいのに、原因ではなくて結果が選択肢に並ぶ。
その後に続けて「新しいことを知るうれしさ」が原因としてならぶ。こちらの方が原因に近い。
だが、惜しいことに、これは昔から新奇性が興味を引くと言われてきたそのままだ。
また、新奇性が原因であるなら、多くの子どもに新奇性をもった現象が提示されたはずなのに、なぜ分岐が生じたのか?そここそが問題なのではないかと私なら考えるが、そこは報道の限りでは問われていないようだ。
惜しいもったいない調査。
| 社会 | 07:09 | comments(0) | - |
韓国の新米教師に聞く

今日は晴れ。

2年前の留学生が、久しぶりにやってきました。

今は、韓国で小学2年生を教えている新米教師です。

去年の秋から教壇に立って、騒がしいクラスになってしまってうまくいかなかったといいます。3月からは厳しめに担任を務めるようにしていると言っていました。新任にありがちな揺れです。

 

せっかくやってきたので、学生たちの質問に応えてもらうことにしました。

いろんな質問が出されましたが、学生の印象に残ったらしいことを少しだけ記します。

朝は、8時30分に出勤すること、帰りは5時ジャストに帰る。学年の始まる3月はいくらか忙しかったが残業はほぼない。部活が日本と違ってないからだと思うといっていました。(地域によってちがったり、中高の進学校などでは補習のようなことがあったり違いがありますが、日本の長時間労働よりはずっとよさそうです。)

 

韓国の体罰問題。

体罰が禁止になったのは、5年前からで、それまでは手をたたくなど沢山あった。(映画になっている事件などがあります。それまではいろいろあった事が知られています。)

彼は、法律ができる頃までは体罰は必要だと思っていたが、今は、よくないと思うと言っていました。体罰がすべて一掃されたかというとそうではない実情があるようですが、日本よりは体罰禁止は徹底してきているように話しを聴きながら思いました。

 

教師のやりがいは?という質問に、「3年生でもハングルを十分に書けなかった子が、今はかなり書けるようになったこと」と応えていて、この辺りはどこの国の教師でも変わらないようです。子どもが育つことが一番。

 

終わってからランチを外に食べに行って、駅まで送ってお別れ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 教育 | 06:13 | comments(0) | - |
今週の心配事

人は、ほんとに些細なことが気になるもの。

今週の周辺身辺的気がかり。

 

・今日は元留学生がやってくる。初めての場所に迷わずに到着できるだろうか?

 

・週の半ばに雑誌原稿の締め切り日がある。終わるだろうか?

 

・科研の報告書の提出予定日だが、経費の計算書がまだだ。

 

・何種類かの出張書類の探し方と書き方がわからない。

 

・二つの関連する講義の展開の順番迷い中。

 

もっと細かい今日のお昼予定のお店は空いているかどうかさえ気になる。

来週になれば、また別の些事が気になるに違いない。

きっとそれぞれの日々にずっと続く。

 

気になる些事のいくつかは、私が選択した結果発生した些事。いくつかは私が選んだわけではなくて、遭遇してしまった些事。

選択した気になることだけになっても、偶然に支配された気になる事だけになってもつまらないのだろう。

 

気になる些事は、家にこもっていると増える傾向がある、とだけは言える。

外に出よう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 暮らし | 06:41 | comments(0) | - |
ご都合主義的単位増

報道によれば、「政府は、2020年東京五輪・パラリンピックに向けて、教職課程で障害者に対する教育に関する科目を必修にする方針を固めた。」読売新聞4月22日より。

 

何ともご都合主義的な単位増に見える。

 

障害者教育への理解の必要ではなくて、オリンピックを誘致したツケを払うために実施するかのように見える。

障害児者への政策を抜本的にすすめるのではなくて、お金をほとんどかけず、負担を強いやすい所に強いる政策と映る。

 

教育を担う側からすると、教職課程のまた単位増で、がんじがらめのカリキュラムとなる。

いつかは介護等体験の必修化が田中真紀子の思いつきでなされた。必修にするほどの意義があるか?毎年やってくる学生に施設側も負担を感じているところもかなりある。

 

こうした単位増は、現職教師の研修にも跳ね返る。

 

意味を検証することなく政治で教育を振り回すやり方は転換が必要だ。政治家は教育から退場すべきなのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 社会 | 06:20 | comments(0) | - |
教育勅語は憲法に反すると確認

昨日、政府は、「衆議院議員長妻昭君提出教育勅語を道徳科の授業で扱うことに関する質問に対する答弁書」を公表した。

答弁書は、教育勅語が基本的人権を損ない平和主義に反するという勅語の失効を国会において決議していることを確認し、道徳科において「憲法や教育基本法(平成18年法律第百二十号)等に反する形で教育に関する勅語を用いることは許されないと考えている」と記した。

 

上記の点では、何人かの大臣、議員の発言とは異なる内容を持っている。

 

ただ、「憲法や教育基本法等に違反するか否かについては、まずは、学校の設置者や所轄庁において、教育を受ける者の心身の発達等の個別具体的な状況に即して、国民主権等の憲法の基本理念や教育基本法の定める教育の目的に反しないような適切な配慮がなされているか等の様々な事情を総合的に考慮して判断されるべきものである。」

とある。一応教育勅語は憲法に反すると確認をしているのだが、細かいことにこだわると、憲法理念に反するとダメだが、反しない配慮があり得る可能性がゼロではない表現ととれなくもない。そこが問題だ。

 

ともかく憲法の規定はここでも力を発揮したとは言える。

問題はフェイク製造政権のもとにあること。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 社会 | 06:48 | comments(0) | - |
何のために学ぶのか

「現文なんていらない。」

「漢文も古文もいらない。」

「事実かどうかもわからない歴史も不要だ。」

それなら、「三角関数も微分・積分なんて使わないしいらないね」と私。

 

近代学校の始まり以来、変わらず教えてきた内容に、例えば「四則計算」がある。

しかし教えなくなったもの、教える量としてずっと少なくなったもの、例えば虚偽の天皇の事績やソロバン。

新しく教えることになったもの、例えば小学校英語など多数に上る。

変化を示しながら、なぜ変わったのかと聞いた時に出てきたのが、冒頭の不要な教科や教科内容。

 

ここで気がつくのは、「いらない」と言った学生が何のために学ぶのかを教えられたり、実感することなく通過してきたことだ。「身近で直接生活に役立つ」という学ぶ理由しか賛同していないことだ。これは、とても重要な観点だけれど、それだけしか気づかせてもらえずに学校を通過してきたかのような反応だった。

もっと丹念に聞き出すと他の観点も知っているかもしれないが、このときは「何のためにそれらを学ぶのか検討しましょうか」といって終えた。

 

学生の「○○はいらない」という応答は、現代におけるコンピテンシー・ベースだとか「資質・能力」だとかいう議論を自明なものとして語る人々の問いの不在を突いている。知識基盤社会という言葉を持ち出す程度ですべては済まされて、多数の内容を多数の「資質・能力」を教え形成することにしている。

本当か?

何のために学ぶかを子どもに即して掴まえられているのか?

きわめて疑わしい。

 

何のために、その内容を学ぶのかを問うことからこそ始められるべきではないか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 教育 | 07:16 | comments(0) | - |
単位不足からの

図書館の吹き抜け。

まだまだ新しい勤務先の本の配置がわからない。図書館のカウンターや案内の人の配置は、前よりよい配置だ。ただ私の専門分野の本はすくない。教育学部しかない単科大学の図書館と7学部ある大学の図書館との差だから当然かもしれない。

 

新勤務地には、学年毎に進級できるための単位数の規定があるらしい。そこに何らかの理由で満たないと、休学という道が一つあるらしい。普通は、「単位取得に向けて来期こそ」となるのだろうが、必ずしもそうではないようだ。

留年する期間の学費捻出が課題となるために、休学を選ばざるを得ない学生が少なからずいる。その期間にバイトして貯めてから復帰をめざすという。
しかし、これはリスクが高い選択肢だ。
というのは、バイト暮らしが復学を難しくすることも少なくない。貯めるほど稼げなかったり、稼ごうとすると「バイト生活」の習慣から戻れなくなることがあるようなのだ。
今までの勤務先にもなくはなかった選択だ。だが、学費の差もある上に、下宿生の比率の高さもあって、休学の目的?意味が違う割合がより高い。昨日知ったこと。
大学の学費を下げる政策がとられないと、厳しい学生には厳しい選択だけが待つことになる。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 暮らし | 07:15 | comments(0) | - |
18日の答弁書について

時事通信が最初に報道し、ついで今朝は朝日新聞も取り上げているのが、教育勅語の取り扱いに関する18日の政府答弁書。

 

http://www.asahi.com/articles/ASK4L6V0PK4LUTIL04Z.html?iref=comtop_list_edu_n01

報道に寄れば、以下のようにある。

答弁書では、道徳の授業を含む教育の場で、憲法や教育基本法に反する形で教育勅語を用いることは「許されない」とした。そのうえで、「まずは学校の設置者や所轄庁において、憲法の理念などに反しないような配慮がなされているか、様々な事情を考慮して判断されるべきもの」

 

教育勅語にいい所もあると言ってしまう大臣たちよりは慎重な表現となっているように見えるのだが、なお問題がみえるのである。

憲法に反しないような配慮とは何を指すのか。何らかの配慮によって教育勅語を用いることが可能となる道徳の授業はあり得るのか?事情の考慮の仕方によっては可能な場合があるのか?

これらが問題となる。

 

歴史等の教科において、その時代に教育勅語のような政策がとられていたことを取り上げるのは当然で、その時に資料として配付することはありうることだが、ここで念頭に置いているのはそんなことではない。教育勅語を唱和させていた森友学園関連幼稚園、あるいは他にもそうしたたぐいの学校があることが知られている。それらが明確に憲法に反すると政府は見なしているのかどうかが問題だ。

 

3月末からの国会における答弁と関連報道よりはましに見えるが、なお怪しむに足る答弁書の可能性がある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 社会 | 06:36 | comments(0) | - |
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