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教室で教えるということ
教室で教えるということ (JUGEMレビュー »)
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「社会に開かれた教育課程」のホントの狙い

ほとんど問題にしている人がいないようだが、大問題なのが、「社会に開かれた教育課程」というスローガン。

 

中教審答申では、「よりよい学校教育を通じてよりよい社会を創るという目標を共有し、社会と連携・協働しながら、未来の創り手となるために必要な資質・能力を育む」方針のことと説明されている。

通常の取り組みは、学校協議会等で地域の意見を聞いたり、一緒に活動することなどが例としてあげられている。その部分だけを見ると何も問題がないかのようだ。

 

だが、私は明らかにそういう非政治的に捉えることは間違っていると考える。

昨日、豊橋市議会は予算特別委員会で、「家庭教育支援条例」を可決した。中日新聞は次のように報じている。「子育てに行政や地域の積極的な関与を求める議員提案の「市家庭教育支援条例」を賛成多数で可決した。最大会派の自民党が提案しており、二十九日の本会議で可決される。県内の自治体では初の制定だが、賛成する方針の会派からも「公権力の家庭への介入にならないか」と懸念する声がくすぶる。

■親らに努力義務

条例案は、地域のつながりの希薄化などを踏まえ、子育てで孤立しがちな親に、行政が必要な対応を取るための根拠とするのが狙い。理念を記す条例で、具体的な施策は盛り込まないが、努力義務として市や保護者、学校、地域に子どもの健全な成長のための支援を要請する。二〇一六年末時点で同様の条例を定めているのは岐阜、静岡など八県と石川県加賀市、長野県千曲市などだ。」(中日新聞3月24日付け)

自民党政権は、同様の法律の制定を目指している。これと対応するのが中教審答申と新学習指導要領のこのスローガンだ。

二重に問題なのだ。国家による家族のあり方に関する特定の考え方・行動の仕方の強制を学校を通じて行ってしまうルートの問題が一つ。逆に、豊橋の条例が一部政党から持ち出されたように、地域の側が教育に特定の見方を強要してくる問題がもう一つだ。

ほんわかした言葉も、「夫婦相和し」など今話題の森友学園が幼稚園児に唱えさせていた教育勅語に含まれている。

こうした動向とつないで捉えることが必須だろう。

 

 

 

 

 

 

 

| 社会 | 07:12 | comments(0) | - |
初心の初心

先日見つけた満作の花。

これが咲いて、木蓮、アカシアも咲くと春だなと毎年思う。

 

今日は卒業の日。

こんな日、初心を忘れることなく暮らしてほしいと言ったりする。初心を出発の決意や方針のことだと定義しておく。誰にも初心はありそうだが、何が初心だっただろう。何だったかわからないなと思うことがある。改めて今の立ち位置から初心は何だったかなと振り返って、初心を決めることの方が多くないだろうか。

人や事柄によって違うかもしれないのだが、どうもそんな気がしてくる。卒業のような区切りとして比較的はっきりしたライフ・イベントのようなときには、初心を決める人もいるのかもしれないが、それでさえもボンヤリと過ごしてしまうことも多いのではないか。つまり、初心は後で追加されることもあるということ。

 

また、初心はいきなり創られるわけではない。そう決意させる要因がその前にある。すると、その決意させる初心がどこかにあったのではないか、ということにもなりそうだ。初心の初心だ。

 

初心が貫かれたのかどうかをどう決めるかはこれまた一つではなさそうだ。初心が抽象的な場合もある。すると初心の実現形態はいろいろありそうだ。一つの形だけが決心した事柄の実現形態というわけではないだろう。

そう考えると、初心を忘れたわけではないとも言えるし、忘れたとも言えないことはない。

 

出発の決意や方針である初心、おそらくあった方がいいのだろう。だが、その後のほうがより重要そうだ。方針そのものの価値を問うまなざしがどの程度澄んでいるか、判断する材料を豊かに積み上げ続けているかこそ大事なんだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

| 暮らし | 07:10 | comments(0) | - |
体育科教育4月号到着

連休が明けて『体育科教育』4月号がレターボックスに届いていました。

4月号には私の巻頭言が掲載されています。

私の内容は、「流行に乗った実践だけやっても、ね!」という感じを出しつつ、どっちが前かを考える、そういう文のつもりで書いてみました。短くそういうのを書くのは難しいという感想。

タイトルにある三つの波というのは、新学習指導要領で体育教師に必ずやってくる三つの波のこと。

 

特集はALのことだから今様ですが、私の見るところ内容の構成は目配りがあるようで、「やっぱり」、「でもね」、「だからさ」、「とはいえ、それじゃあね」といった声が見える陣容のようです。そういう見識が目次から見えるきがしますが、どうでしょう?

 

大修館のHPからとった4月号の目次です。

 

口絵]優れた体育授業を観る・創る 男女が共に学ぶベースボール型の授業(近藤智靖)
[巻頭エッセイ]三つの波の後に残る仕事(子安 潤)

特集 [学習指導要領の改訂]主体的・対話的で深い学びを体育でどう実現するか

知識基盤社会における学習観の転換(奈須正裕)
〈座談会〉近未来の体育を展望する(友添秀則・今関豊一・丸山真司・高橋修一・佐藤 若)
体育で育成を目指す資質・能力とは(日野克博)
保健で育成を目指す資質・能力とは(森 良一)
「主体的・対話的で深い学び」を体育で実現するために(岡野 昇)

 

 

 

 

 

 

 

 

| 暮らし | 06:31 | comments(0) | - |
今中講演会の案内と前説

チェルノブイリ子ども基金の事務局長さんよりメールをいただいた折に、添付されていた案内を紹介します。

元はポスターだったのですが、このサイトの制約からテキストで以下に紹介します。その前に、なぜ取り上げたいかの私の前説が次です。

昨日も、フクシマ一号機がメルトダウンしていて、水の中でさえも高線量で5時間ほどで死に到る値と報道されていました。状況さえもまだわからないままです。また、肥田氏が亡くなったという報道もあったのが昨日でした。少し前には福島から避難してきた子をいじめる話題が流れました。実は、あれ大人にあるのではないでしょうか。研究会の折に、某有名中学の中で「福島出身教師であることを黙っているように」と言った管理職の話を聞いたことがありました。子どもの世界にあることはその前に大人の世界にたいていあるものなのです。

そんなこんなの状況がある中で、どうしてもここに記しておきたいと思ったのです。

以下講演会案内です。

 

今中哲二講演会

「放射能汚染の時代をどう生きるか、子どもたちをどう守るか」

■2017年4月28日(金)19:00開演(18:30開場)

■練馬文化センター 小ホール
(西武池袋線・西武有楽町線・都営地下鉄大江戸線「練馬駅」北口 徒歩1分 )

■定員 520名

■入場料 予約1000円 当日1300円

【講演】今中哲二

京都大学原子炉実験所研究員。
チェルノブイリと福島の放射能汚染の実態について調査・研究を続け、原発の危険性を訴えている。

「研究者に知識はあっても、人々が抱えた苦しみは本当には分からない。答えの出る問題ではないからこそ自分の言葉で話したい」
(2016.8.1 京都新聞「時のひと」より)

【報告】

黒部信一 : 「未来の福島こども基金」代表、小児科医

佐々木真理 : 「チェルノブイリ 子ども基金」事務局長

■共催: チェルノブイリ子ども基金 未来の福島こども基金

■予約受付・問合せ先:チェルノブイリ子ども基金

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 暮らし | 06:42 | comments(0) | - |
天使のいる図書館

奈良県広陵町の図書館が舞台の映画。

新人図書館司書の吉井さくらは、「性欲の美的表現が恋愛」と言ったり、なぜかモノ化して人の精神活動を捉える。あるいは機械的包含関係で対象を分析するために、対人関係がうまくいかない。

 

図書館に一人の高齢の女性が昔の写真を持ってやってくる。その場所を探しに一緒に出かけたりするようになる。ところが約束の日に現れなくて、、、という物語。

 

この映画を見ていると、図書館と図書館司書の役割がみえる。レファレンス係は、単に本を探すだけでなく、ブック・トークをしてみたり、所蔵している過去の新聞で調べたりといった役割があることがわかる。結果的に、TSUTAYAなどの利益中心主義の本販売業の運営する図書館とは異なることが浮き上がる。本業で売れ残った本を買い取ったり、都合の悪い本は並べなかったりといったことをしないのが図書館。多様な期待に応える公共性がほんわかと映し出されていた。

 

印象に残ったのは、本等を貯蔵する施設が図書館なわけだが、先輩司書が「本には読んだ人の記憶が残っている」という台詞。多少厳密さに欠けるが、そういう趣旨の台詞であった。「そうだ」と思った。映画と直接的関係はないのだが、知識のため込みと記憶の区分ができるなと思った。

現代社会を知識基盤社会などと言って、知識をモノ化・無意味化しているが、人が知識と向き合うのはそんなこととは全然違う、と思いついた。人はただ知識を蓄積しない。そのときごとの必要や思い出や理解の仕方と共に「記憶」する。無機質な知識としてため込むのではない。ここに知識基盤社会論の欠陥というかモノのとらえ方の偏りを見つけた。

 

小さい劇場だが7割くらい席が埋まっていた。ヒロインは「あさが来た」に主人公の子ども役として登場していた小芝風花さん。登場人物それぞれに人生のエピソードをもう少し重ねた台本になっているとさらによい映画となる。

 

 

 

 

 

 

 


 

| 映画 | 07:33 | comments(0) | - |
社会にこそ道徳問題はあふれている

道徳に教科書がつくられる。

推測では、「お話し」がかなりの量を占めそうだ。

だが、道徳は、人が関与するところ何にでも付いている。

架空の「お話し」より、現実にある出来事、学ぶ人と関わりのある出来事の方がリアリティも切実さも格段にある。

 

例えば、今話題のできごと。

法令の問題は別にあるとしても、「道徳科」の素材、すくなくとも「シティズンシップの教育」の素材に適している可能性がある。

 

防衛省の情報隠しの道徳問題。例えば、以下の道徳が作動していたと考えられる。

南スーダンにPKOとして派遣した政策を擁護するためのやむを得ない行為という見地、法令に抵触するスーダンの事態に対応した処置を厳正に遂行することこそ国家の責任という見地、あるいは派遣された自衛隊員の生命を守る見地など、いくつかの道徳が交錯していると考えられ、議論が可能だ。何を基準に考え判断すべきだったのだろう。

 

あるいは、森友学園問題では、知り合いだと便宜を図るという松井知事の道徳の適否の検討もいいかもしれない。

文科省では、天下り問題で浮上した月に2回勤務で年収1千万の道徳。

針金一本切って5ヶ月間拘束の問題。

社会は道徳問題にあふれている。

道徳は、徳目を唱える中にあるのではない。

現実の人の行動の中にある。その影響がより強い。

 

道徳は、人の行動の判断基準であり、行動の仕方であり、人や物との関係の仕方にある。

しかも面白いことに、自分で選んだものだけが道徳性としてそれぞれの人に残る。強いられた基準、強いられた行動の仕方、強いられた人との関係で判断すると、何をしても不道徳になるという性質がある。

世の中に起こっている出来事と関係者の言動を見るとそのことがよくわかる。

 

 

 

 

 

 

 

 

| 教育 | 06:35 | comments(1) | - |
答申本並ぶ

書店に行くと、新学習指導要領案と資料をほぼそのまま紙媒体にした本が2冊。この2冊はやたら厚い。概要版と中教審の委員に特質を解説させた本が各1冊。関係者以外を含めた解説本が2冊並んでいた。

中教審答申と新学習指導要領のキーワードごとに単行本化したような本も並んでいた。

 

やたら厚いまんま本について。ネットでただで読めて、単に紙媒体にしただけの本を買う人がいるのか?とまず思った。

 

次。中教審委員等の解説本をめくって見ると、「こんな意味なんですよ」というトーンが「感じわるい!」と思った。

 

いろいろ集めた感じ本は、ほぼ中性的に書いてあるから結局、そこに筋の通った眼差しがなく、春のかすんだ空気をつくり、花粉症を発症させそうな印象。核心を突かない、突けない?情報操作で流行らせられた流行歌みたいなもので、ほんの少し時間がたつと恥ずかしくなるタイプの本。(この印象は本の廃棄をしていたので、かつて「新学力観」を解説して歩いた人の本が出てきて、憐憫の情がわいたことに起因するのだと思う。)

 

オランダは極右の5議席増であった。日本のポピュリストと極右の期待するような事態にはならなかった。だが、日本は憲法的価値と仕組みの世界に踏みとどまれるか危険な状態がまだ続く。だから、あの棚の模様とは違った模索が生まれているかどうかと、他の棚に視線を移動させた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 暮らし | 07:37 | comments(0) | - |
子ども共通の反応と異なる反応

部屋の資料整理をしていると「日韓歴史教育東京シンポジウム開催要項」が出てきた。

1994年にはじまり、1997年の8月14日、初めての日本開催とある。記憶が薄れているが、神田の明治大学に何となく出かけた記憶がある。その要項の石渡さんの挨拶文に、山本典人さんが韓国の子どもたちにベルリンオリンピックのソンキジュ氏の日の丸抹消報道を教材とした授業を行ったところ、日本のこどもたちと同じ反応をする部分があることに言及している。

なぜ、日の丸をつけて走ったのか、また、なぜ写真から日の丸を抹消したのかについて類似の反応があったという。

 

私は、同じ反応もするし異なる反応もするように思われる。

たしかに、同じ反応がある。それぞれ近代国民国家で暮らしているので、その枠組みが小学生にも作用していて、それぞれの国の人はそれぞれの国旗を国際大会ではつけるものという常識を教えられなくても持っているのが当然なのだろうと思う。たしかに、それぞれの国の子がそう思っている。これは近代国民国家の枠組みで考えるという共通性の一つだが、同時に子どもは自分をそれぞれの国家に帰属させて、その側からなぜか出来事を捉えた見方を開陳する。この側面では異なる反応となる。疑問に思うことなくそれぞれの居住する国家の側から見ていることが多いのである。同じ国家を巡る眼差しにも共通性と違いがある。

これが不思議でこの研究会に機会あるごとに以後参加している。

 

不思議に思わない人に出会うと、不思議に思わないことが不思議で私はひどく驚く。そうなる仕組みはもう解明されているのか!と以前は思ったのだが、近年はそういう人を信じていない。たいてい「当然じゃないか?!」という反応に過ぎないことが多いからだ。

自分を一方の側に躊躇することなく同化できて、そっちの側の眼差しで発言することに違和感を持たないでいられることを不思議に思う。例えば、歴史で言えば、片方の側がいつも正しかったなどということがないなかで不思議に映るのである。もっと別の側面で考えても同じだ。

知り合いの数や親密さ時間など差も大きいのだが、その差を軽々と超えていく人も多い。そんなことを考えると、不思議は続くのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 教育 | 07:20 | comments(0) | - |
通じない授業通じる授業

歴史地理教育3月号を読む。

この号の実践記録は粒がそろった感じだ。

私の関心からすればフクシマだが、それを越えて問題提起的なのは浅尾弘子「生徒の本音と向き合う授業をめざす」だ。

転勤した高校で、それまで通用したバナナの授業、子どもの権利条約を易しい言葉に翻訳する授業、外へ出かける授業といった定番が通用しない事態にであう。高校生たちの貧困と隣り合わせの暮らし、つらいことの多かった被教育体験、これらがベテラン教師の定番を通用させない。

 

そこで行ったのが「いじめの授業」。ここでようやく高校生たちが自身の体験を語り始めたという。自身のいじめられ体験からいじめが社会にもあることを語りあう。これですべてうまくいくようになったわけではないとあるが、刺激的な問題提起となっている。

 

この浅尾の指摘は、タイトル通りに「生徒の本音が出てくる授業」づくりをただ報告をしているのではないだろう。

たしかに、高校生のおかれた生活と向き合った授業でなければならないというのが表の主張だろう。

そして、貧困や「学力」の低さといった問題も見ている。

また、学問的正しさを踏まえた内容と教材をそろえれば良いという定型的科学主義を批判しているだけでもないだろう。

それだけではない提起があろう。

 

それは、最近の動向との関連でいえば、活動的で探求的な授業であれば良いというわけではないことを提示しているのだと読めよう。これは、ALが教科内容や生徒の暮らしと乖離していれば何の力にもならないことを実践で証明している。

言い方を変えれば、生活とたいしてつながらなくても学習してしまう生徒の「愚かさ」を批判している。さらに、そんな授業で「うまくいった」などと本を書いている「浮遊の徒」を手厳しく批判していると言えよう。

さらに読み方はあるかもしないと思う。

 

 

 

| 教育 | 07:25 | comments(0) | - |
新学習指導要領案の検討会

あいち民研で話をします。

 

タイトルは以下です。

新学習指導要領の読み方 学びのつくり方


日時:2017年3月26日(日)14:00〜16:30
会場:愛知県教育会館 7階 第3,4会議室
(JR鶴舞、地下鉄鶴舞駅から徒歩7分)

もう少し詳しい公式案内は以下のアドレスを参照ください。

http://aichi-minken.sakura.ne.jp/_src/2153/lecture.pdf

私の他に学校現場の先生の報告もあると聞いています。
資料代が300円で、学生・18歳未満は無料だそうです。

 

先日、東京私教連でお話をうかがった印象では、受験一辺倒の授業から抜け出すチャンスという受け止め方がそれなりにあるようでした。学校によってはそういう局面があるかもしれません。しかし主要な側面は、そういうことではないと見なしています。この辺りを問題意識の核とした報告になるような予感がしています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 暮らし | 06:52 | comments(2) | - |
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