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教室で教えるということ
教室で教えるということ (JUGEMレビュー »)
岩垣 攝,子安 潤,久田 敏彦
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人間性を評価!ホントにする?

「新学習指導要領」(案)に、めざす資質・能力について、総則に以下のように記述してある。

(1) 知識及び技能が習得されるようにすること。
(2) 思考力,判断力,表現力等を育成すること。 
(3) 学びに向かう力,人間性等を涵養すること。

 

めざすところということは、評価項目ということだ。

知識・技能はまあいいでしょう。

思考力、判断力、表現力は、正確につかめるのかという強い疑いはあるが、まあ何とか耐えられる。

しかし、「学びに向かう力」なんだそれ?もっとひどいのは、「人間性等」。

 

「人間性」をランキングするのか?そんな尊大なことを国家がしていいのか。学習指導要領は国家の行政文書だが、国家にランキングなんてして欲しくはないし、すべきではないだろう。

それをしていたのは戦前と戦中。

 

関心・意欲・態度といっていた時の方がまだ抑制的にみえないこともない。

まだ、これを批判した論文を見たことがない。

「人間の尊重」の精神にも反しているだろう。(この言葉は、「新学習指導要領」(案)にもつかわれている。)

平気で評価対象にしてしまおうと決めた人、ランキングしてしまう人の人間性の方が、人間としてどうよという感じは否めない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 教育 | 06:42 | comments(0) | - |
第30回原発教育研究会

第30回原発・エネルギー教育研究会の個人的な案内

 

3.11以後開催してきた研究会の一区切りとなる研究会を以下の要領で開催いたします。以下は、子安による個人的な案内で、公式な案内文書の概要版となっています。日時や場所、それに報告者は正確ですが、報告タイトルや順番は未定を含んでいます。

 

チェルノブイリ原発事故後のベラルーシの取り組み、日本の原発教育の課題とりわけ論争的なテーマとなっている原発問題をいかに教材化するか、現在のフクシマの現実を踏まえた教育をどう創り出していくのかについて実践報告を含めて包括的な提案と議論を試みる予定です。

 

論争的なテーマに関する3年間にわたる科研の調査研究のまとめを兼ねています。

参加費無料です。ご参加ください。

 

日時:3月5日(日)13時〜17時

場所:東京学芸大学 教員養成カリキュラムセンター2階会議室

報告:小寺隆幸・根岸富男 ベラルーシ・ナデジダ子ども保養センターについて

   梅原利夫・三石初雄・山田綾・子安潤 原発教育の課題と展望(仮題)

   伊藤弥 原発教育の実践

 

 

 

 

 

 

 

 

| 暮らし | 06:59 | comments(0) | - |
悲しみの教育

どうしても思い出せない。

ずっと気になっていて、時々思いだそうとする。

それが「悲しみの教育」。

『教育』が「悲しみと教育」を特集していたが、問題意識に私とはいくらかずれがあるようだ。

 

だいぶ前、暗い大人に対して、妙に明るいこどもたちという対比が話題となったことがある。その問題構成の方が私に近い。人が「悲しみ」を抱えて生きるということの意味やその意識化について考えたことがある。

「悲しい」という感情は誰しも経験するが、形容詞ではなく、名詞である「悲しみ」を抱えるということについてである。それは、悲しいことが不幸なのではなく、悲しみを知らぬことが不幸なのだという把握である。誰かの言葉であったと思う。

人は何を悲しみとするか/しているか、抱える悲しみの大きさ、自己と他者のそれを想像できること。自己を悲しみ一般に還元せず、同時に、他者の悲しみに同化せずに想像すること。そこに通じる教育が大切だなと思った日々がある。

 

どうしても思い出せないのは、このことに関わる先達の名前が思い出せない。私の先生が語っていたのだが思い出せない。

時々思い出す。今日は広島に向かう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 教育 | 06:45 | comments(0) | - |
批判的アクティブラーニング論書きました

『高校生活指導』203号に「批判的アクティブ・ラーニング論」と題する文章を執筆いたしました。(教育実務センターより発売)

 

タイトルからは論文としてALについて論じたように響くでしょうが、4つの実践記録を分析したものです。「これがALの実践です」と語る人たちの場合、触れない可能性の高いと思われるまなざしから、それぞれの実践記録の分析を記しました。

AL派はすぐに「課題をこんな風に話し合うといいです」「こんな表現活動があります」といいますが、内容そのものの真偽との関係、子どものリアルな関係にどれほど迫ったのか、真性の社会参加とは何かといったまなざしから書いてみました。

 

ALのあのエバンゲリストあるいはあのエピゴーネンへの批判です。

雑誌ですので書店に並び始めていますので、お手にとっていただければと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 


 

| 教育 | 06:48 | comments(0) | - |
ごく不自然なこと

幼児が君が代などという間延びした古謡を聞くなどということが「自然なこと」だと思う人がいるらしい。

 

幼稚園の教育要領改訂案や保育所の保育指針改定案に、国旗や国歌に親しむについて、菅義偉官は15日の記者会見で「小学校教育への円滑な接続を図る点からごく自然なことだ」と述べたという。

 

接続といえば、何でもつながっている。

この論理でいけば、なんでもいつでも適時性など関係なく、注入したいことは注入したいときに注入することが「自然なこと」となる。まなざしは子どもに向けられていない。

 

日の丸・君が代の意味を教えるのには、それを理解する力が必要だ。古謡であること、君について複数の解釈があること、旗についても色に込めた意味、成立の時期、旗への世界の嫌悪を含めた歴史などを理解する力があってこそ学ぶべきだ。

小学校でさえもそれは難しすぎる。

21世紀型スキルには一応(いちおうだが)「クリティカル・シンキング」などということが推奨されている。あるいは話し合うなどという意識的活動が推奨されているが、こうしたことと対応しない。誠に不自然な記載だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 教育 | 07:27 | comments(0) | - |
パブコメ用学習指導要領案

昨日、空は青く鳶が高く留まっていた。だが、地上は、パブリックコメント用の学習指導要領案が公表され「ここまで書くのか!」という不穏な情報が流れた日になってしまった。

量が多すぎてまだまだ読み通せないが、一報を記しておく。

 

これまで世間は、資質・能力論に注目し、「深い学び」に関わってALに関心を寄せてきた。

対して私は、それらに冷たいまなざしを送ってきた。国家主義的な内容になることを第一に指摘してきた。

この指摘は当たっなと思う。

それは、総則の「道徳」への論及にはじまるが、それだけではない。

学校現場への影響の大きい各教科の内容の書き方の部分に現れている。それは、新聞に報道されているような「領土」の記述といった個別案件に留まらない。教科の目標・内容の記述の部分に見ることができる。

例えば、小学校国語の「各学年の目標と内容」を見るとわかる。

 (1) 日常生活に必要な国語の知識や技能を身に付けるとともに,我が国の言語文化に親しんだり理解したりすることができるようにする。(15頁)

 

「我が国の言語文・・」とことさらに入った。以下、この文言が各学年に入っている。具体的には、従来通りの昔話だけでなく、言葉遊びも伝承のものを取り上げると記してある。

以下、各教科に日本文化論的位置を与えられやすい内容が入り込んでくることになりそうだ。

 

青い空が古蒼となったとしても塗り替えをはじめないと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 教育 | 07:32 | comments(2) | - |
国民の体力と余暇を国家管理に

廣畑成志、『シリーズ1過去の戦争とスポーツーその痛恨の歴史 国民の体力と余暇を国家管理に』本の泉社、550円と税金。

正式名称は、上記のように長い。

ブックレットなので読みやすい。おおよそ1930年代から1945年の間のスポーツあるいは体力や余暇をめぐる国家管理の様子を記している。戦争遂行のためにスポーツや余暇が統制され、ひどい事態となっていたことを簡潔に示した本。

 

1939年9月に『体力章検定実施要綱』が発表され、翌月から検定が実施された。15歳から20歳の男子に始まり、やがて拡大し女子も対象となっていく。100mを14秒だと上級、15秒だと中級、16秒だと初級で、初級だと罵倒されたという。他の種目は、2000m、走り幅跳び、手榴弾投げ、運搬(60キロ〜40キログラムの俵を運ぶらしい)、懸垂、以上男子。

1940年には、『国民体力法』が制定され、「第1条 政府は国民の体力の工場を図るため、本法の定めるところにより国民の体力を管理する」と記され、体力検査の実施と検査の受検が義務化され罰則が付いていたという。体力が国防力と見なされて、体力が管理され、体力が強制となった。

 

1938年11月の第1回日本厚生大会で発表された要項で「余暇の善用」が説かれ、余暇を「国本の涵養」を目的とすることが示された。余暇の使い方を国家が決め、体操や国防競技をすることが余暇とされ、強制された。

また、旅行も不道徳として制限を加えたのだという。

 

戦争中、体力やスポーツが戦争遂行の目的に従属して実施された歴史が記されている。強制されたスポーツは面白くなかったらしく、それまで沢山あった会社内チームが強制されるようになるにしたがって衰退していったという。

 

軍国主義や国家主義のスポーツ分野の実像を知るにはコンパクト。余暇の善用、自由時間への干渉は部分的に始まっていると見ていいかもしれないと思った。健康増進法のような法律は戦間期ほどではないが、努力を要求する形で国家による干渉が始まっていると見えなくもない。国家による干渉は、具体化されると恐ろしい事態を殊の外生むのが日本のようだと思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

| | 05:56 | comments(0) | - |
全国学テ問題の偏り

中日新聞が、2015年4月の全国学力テスト中学校国語B問題の解答が偏っているという記事を2月5日付記事で、以下のように報道している。中略で紹介する。

「【あなたは、二〇二〇年の日本は、どのような社会になっていると予想しますか。また、その社会にどのように関わっていきたいと思いますか】

こんな質問をされたら、どう答えますか?  中略 「東京五輪・パラリンピック組織委員会のホームページ」「日本の人口推移のグラフ」「生活を支援するロボットの開発」について資料が示され「八十字以上、百二十字以内」の解答が求められた。

◆十人十色を認めず

答えは十人十色になるのが一般的な感覚だろう。だが、これには“正解”がある。文部科学省が示す正答例はこうだ。

「オリンピック・パラリンピックの影響で様々なスポーツに注目が集まるだろう。今後増えていく高齢者もスポーツに関心をもつと思われる。そのような社会に、私は、スポーツ関連のボランティアをすることで積極的に関わっていきたい。」

「おそらくオリンピックの開催に向けて技術開発が進み、様々なロボットが開発されています。私は、そのような社会に関わっていくために、大学で科学技術に関する研究をしたいと考えています。」

他に「若者の代表として努力し、オリンピックでメダルを取る」「今よりも安全で性能が高いロボットを開発する仕事に就きたい」など、計六例の模範解答がある。

「正答例は、要するにテストを作った大人が思い描く『良い子』の事例じゃないですか」」

 

条件をつけることで未来像を一定の範囲内におさめさせることを合法化して、一部の解答だけを正解にしている。文科省による将来像の強制と言える。

 

実は、昨年の小学校国語B問題でも偏りのある設問と正答が出されている。

スーパーの店長が「地元の農産物が大好評」と言っている後に、インタビューアの準備したメモ「地産地消についてどのように考えているか」を基本とした質問を書き出すことを求めている。

情報を取り出して書き出す課題とすることだから問題がないと思う人もいるだろう。

だが、ここには偏りがある。

それは、地産地消という農水省起源の運動の片棒を担がせていることにある。

地産とは、どの範囲までを地産と呼ぶのか?仮に、狭い範囲を地産と規定し、それにこだわると飢餓・栄養不良が発生する。通常、同一県内の範囲を地産といっているが、これでも偏った食生活となる。また、地元だから品質が良いというわけではない。多少の新鮮さが売りとなる商品もあるだろうが、安全というわけではない。地産地消は食料自給率を一部分的に高めたい側の政治の産物だ。だから、これを推進する農水省は、同時に農産物の輸入自由化を推進してきた。

小学校5年の社会で農業の学習を通過した後であるにもかかわらず、こうした矛盾を問いただすことは想定されていない。準備メモを持ち出すことでそうした理性を排除している。

店長は地元商品が大好評と言っているのに、「地産地消をどう考えているか」とだけ聞くなどと言うのはトンチンカンな質問だ。むしろ、「外国産品も売っていますが、地産地消を推進というのは矛盾ではないですか?」と聞ける知性をなぜ正解例としないのか?

 

この間の一部の行政主導の運動を宣伝する役割を学テに担わせている。この年度は、早寝早起き運動も取り上げられていてきわめて説教くさい問題が連続している。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 社会 | 06:51 | comments(2) | - |
世界3月号によせて

岩波書店の世界はいつも春頃に教育の特集を組む。「現代思想」も春に特集を組む。私の関心に近い場合にだけ通読することがある。今号は読んでみた。

特集は、二つ。一つは山城博治さんの解放を訴えるもの。沖縄辺野古で起こっている移設反対運動への国家による弾圧の問題を4人が記し、声にしている。

もう一つが、教育の問題。「学び方改革への視座」とあるので関連が種々ある話題。

 

別の所につぶやいたが、読者談話室で神崎氏が「これからは生きた学びが得られる」というAL宣伝に対して、これまでは死んだ学びだったのかという批判を記している。流行に乗るだけの発言への批判として印象的だ。過去がうまくいっていたとも思わないが、センターに座り始めた考え方と手法が良いとも私は考えない。


地下鉄の中で読んだ氏岡・広田対談は、良いところがいっぱいあると広田教育学会会長が言うと、氏岡さんが論点を持ち出して問題点を広田さんが並べるというパターンで進行。
問題点の列挙はおおむね首肯できるが広田さんは楽観的な印象だ。私には良いところがいっぱいではなくて、問題点がいっぱいに見える。
続きは新幹線の中で読んだ。学び論それ自体については、渡部淳さんが「中教審答申」の言っている学び論の紹介をしていて、特集の中心記事のようだ。学習システムの一大転換点になっているという。今までの答申があまり踏み込まなかった論点を大きく取り上げているのは事実だが、このあたりから私の見方と少しずつ違いを孕み始めていることが感じられた。とはいえ今回の答申がグローバル化への一つの対応だという点は渡部さんの指摘通りだ。私は、国家主義的対応がまず前提にあると読んでいる。またこのグローバル化の方向それ自身に批判的なまなざしがある。ALが「自立的学習者」を育てるかどうかに関してもいくらか渡部論文と評価が異なる。

鈴木大裕論文は、氏の本の概略版で、米国における教育統制の仕組みが80年代に変わったこと、結果責任論を教育に持ち込み、教育の市場化と貧困化が生まれたことを記している。本を読むことがお奨め。

次の内田・中沢対談は部活話。学校における部活の実態と位置づけの抱える問題を簡略に語り合っている。他で露出していることもあってあまり新鮮味がない。労働問題やリスク無視の部活指導の問題点は対談の話が一つの焦点だが、部活指導の抱える課題は別に広大な世界がある。

中嶋論文は、教育の中立性がゆがんで捉えられている問題を論じている。2015年通知を誤って理解している向きは、一読することが必要だ。これは、このたび辞任した次官を含む北海道大学での学会の折の報告を文章化した感じだ。

 

感想を私の関心事からまとめると一つは、中教審答申が国家主義的学習指導要領を呼び込むという視点が弱いと思う。

二つは、ALが21世紀に期待される力を育てることに必ずしも成功しないことへの論及が一頁の半分の半分にとどまっている。

三つは、21世紀に期待される力そのものに疑義を提出すべきなのに、そのことへの批判的まなざしが薄い。

そんな三つの印象をもった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| | 07:08 | comments(0) | - |
思惑はどこまで見えてる

週の前半、「思惑」は元名大生事件に振りたいようだった。だが、「思惑」は失敗だった。そっちを見てもらえず、稲田の情報隠しや戦闘行為という言葉をいかにごまかすかに関心が向いてしまった。

 

今日の「思惑」は、ABとTの宣伝。朝からテレビと新聞は「うまくやった」と誇大広告する時間を製造している。

この「思惑」は世間、そう社会ではなくて世間はどれほど意識しているだろう。

 

今日は、博士課程のセミナーが一日中続くために、「思惑」がほとんど届かない。無理矢理届けられる「思惑」に世間はどう反応するかが私の関心。

ところで「思惑」の「惑」の字は、まどうという意味で、惑星という言葉が当てられたのはフラフラするように見えたからだと天文学の本にあった。すると、「思惑」それ自体がフラフラするものということか。

他方で、仏教の言葉では、正道のさわりとなる煩悩のことだそうだから、揺らすことが簡単で、あてにならないものが「思惑」となる。あてにならないものに持って行かれることが恐ろしいと思う寒めの朝。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 社会 | 07:38 | comments(0) | - |
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