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教室で教えるということ
教室で教えるということ (JUGEMレビュー »)
岩垣 攝,子安 潤,久田 敏彦
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中立をめぐって発言

新渡戸稲造像。端にあるので遠かった。

 

教育学会の課題研究に教育の政治的な中立を巡る課題研究のセッションがあった。

次官の前川氏が登壇し、教育行政の中島氏と高校教師である池田氏という構成であったことから、「新通知」の性格と法的根拠を土台とした中立性の議論が主として展開された。

 

教育課程論や教育方法学の見地からはいくらか指摘しておきたくなって、おしまいの部分で発言した。

一つは、中立と文科は言うが、教科書検定方針で政府見解を書き込ませ、できあがった教科書の多くは政府見解しか記していない事実がある。

二つは、文科省作成の副読本が多数作成され、その使用を推進しているが、事実上の「国定教科書」になっていないか。

三つは、教師も国家機構の末端として中立性が求められる点の議論がなお深められる必要がある。

 

以上三点を指摘した。

一つ目は、文科省こそ中立であるべきなのにそうなっていないこと。

二つ目は、教科書ばかりでなく副読本の内容が中立に構成されていないものが多数あること。

三つ目は、教師に求められる中立性と専門性の関係が深められる必要がある。

そういうことが述べたかった。

時々ここや今年執筆した論文に触れてきたこと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

| 教育 | 08:03 | comments(0) | - |
年齢計算の法律

北大に流れる正門近くの小川。

 

年齢計算に関する法律というのがあることを知ったのは、昨日の理事会の席でのこと。

奨励賞の受賞資格の一つを40歳未満とするという原案について、紀要の発行日との関係で受賞を逃す場合があるというとても細かなことが話題となった。

 

明治期に制定された旧民法がはじまりで、その後1950年に改訂されて結局いかのことを初めて知った。

一つは、数え年と満年齢の二つの歳の数え方があるが、満年齢を用いるように「務めなければならない」という努力規定があること。

二つは、誕生日の前の日に歳をとること。

 

年齢の数え方は、3条からなる年齢計算に関する法律が規定して、その中に民法143条を準用すると規定されている。

その143条は、「週、月又は年の初めから期間を起算しないときは、その期間は、最後の週、月又は年においてその起算日に応当する日の前日に満了する。」とある。だから、前の日に歳はとる。

 

誕生日に歳をとるとばかり思っていたが、間違いだった。

そんなことを知っている理事がいるんだ!と思った。だから何ということは特になし。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 暮らし | 07:15 | comments(0) | - |
ついにきた高校の「道徳」

昨日、文科より「まとめ案」が公表された。

大量の文書で、「案」だけで329頁。

他に概要の文書と言葉の定義、資料がついてくる。

 

本日の「ついにきた」というのは、以下の話題が別の文書にあったからだ。

昨日配信の道徳部会のワーキング配付資料。

そこに次のような発言があったことが記されている。

公民科において必履修科目として検討されている新科目「公共」(仮称)と道徳教育の関係をどのように整理するか。
→例えば、公共(仮称)を道徳教育の中核的指導場面と位置づけ、関連を図ることを明示すべきではないか。

科目「公共」の一部を、心の操作や説教といった「道徳教育」にしてしまえという委員がいるわけだ。

そうなると学問の香りのしない「公共」となる。

これはいただけません。

学問は、世界の真理や作法といった基準が一方にあり、その実証過程を通じて学ぶ。道徳は権力者の恣意的判断によって選ばれ、しかも権力的に迫ってくる。「公共」が学問を背景とする教科であり続けられるためには、「道徳」と手をつながないでおく必要がある。しかし、ここでも『生活指導』8/9月号で論及したように、看板と中身が違ってくる危険性は極めて高い。すなわち、考える道徳(看板)=押しつけ道徳(中身)。

 

こうして高校にあった道徳教育が、「道徳」に成り下がるかもしれない。

そうしない品と教養のある委員と官僚はいるだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 社会 | 06:26 | comments(0) | - |
傘を忘れて

新幹線を降りて歩き出して思い出した。

車内に日傘を忘れた。

ホームの駅員さんに「戻って間に合いますか?」と尋ねたら、業務放送を流していただいた。

降りてすぐの車両だったので定刻の発車とほぼ変わらなかったようだが、お礼を述べて改札を出た。
新幹線への忘れ物は、二度目だ。
予定と違うことが起こると気になるもの。
代替え手段がある場合でも気になる。日傘だから買い換え時と思えばいいのだが、そこは細かいことも気になる。忘れて手元に戻ってこなかったとしたら、おそらく買い換えるまできっと気が重い。買い換えると決断したときに気分を切り替えられる人も中にはいるのだろうが、私の場合は実際に買い換えてしまうまで引きずっていく。
買い換えるという訳にいかない事柄になると、長く引きずる。
時々失敗を思い出して、代案をまた考え出すことがある。理論の場合は修正の方向を考える程度ですむが、実践上の失敗はなかなか代案が浮かばないことも多い。そもそも代替え不可能なこともある。
多くの人はどうしてるんだろう。
私の場合、一部は忘れることで通過させられる。
残りは引きずり続けるしかないもの、そういうものなのかもしれないと見ている。
そう思うことに今のところしているのだが、他に何かあるのだろうか。
広告が気に入らない。国家主義的気分を演出している。
| 暮らし | 06:37 | comments(0) | - |
概念、問題事態の把握のズレ

問題の把握の仕方がおかしいだろう。

 

「学校教育の中で大勢を占める教科書による知識習得型の指導を見直せるよう「何を教えるかより、どう教えるか」という指導観を明確に示す点やアクティブ・ラーニング実現の内容を盛り込んだ教科書の改善、活用の検討も訴えられた。」(教育新聞8月19日づけより)

 

思いつくままに記述の奇妙を並べる。

学校教育の中で教科書の記述を覚えさせる授業が多いという事実に関する指摘はある程度正しい。

1)「見直せるよう」はヘンだ。現状でも見直せる。そのまま書くとするなら、正しくは「見直すよう」だ。

2)「何を教えるかより、どう教えるか」という指導観というのもヘンだ。ここはいくつもヘンが重なっている。教科書通りおしえるのも「どう教えるか」の一つだ。

3)「なにを教えるかよりどう教えるか」というとつまらない内容を教えても良いことになる。そんなつまらない指導観を推進してどうするんだ!

4)後半、教科書通りの指導を否定しておいて、教科書にアクティブ・ラーニングの内容を盛り込むとは面妖な。その通りにやれば「教科書通り」。利用しなければ無駄な記述だ。

 

結局、内容ない「深い学び」を推進するということになっていて、教師を教科内容研究の世界から隔離する議論を展開したらしい。この間各所に私が書いているのはこの問題点。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 暮らし | 07:14 | comments(0) | - |
奇跡の教室ー受け継ぐ者たちへ

原題は、副題の方の相続者。

貧困地区の多民族的高校の実話だそうで、その時の生徒も一部出演しているそうだ。

ゲゲン先生は歴史と地理と美術史の高校の先生。

冒頭は、スカーフをかぶっているために高校の敷地に入れてもらえない卒業生と教師の言い争いのシーン。教育関係者なら知っているように、フランスには公共の場での宗教的示威の禁止という法律がある。だから学校ではスカーフやブルカなどが禁止だ。政教分離の原則にしたがっているということになっているが、これは圧倒的にイスラム教徒に不利だ。

ともかくやる気のない高校生が集まったクラスを担当するゲゲン先生、厳しく要求もするが生徒を守ったり信じたりもする教師のようだ。調べたことを発表するコンクールに応募することにする。アウシュビッツ絶滅収容所のことを調べることにする。その一環で、そこから生還した数少ない人の話を聞くことにする。これに証言者本人が出演している。その証言に衝撃を受ける生徒たち。それから調べる活動の水準が上がる。

 

この映画は、問題の多い高校生も歴史に学び変わっていくことを描いていると同時に、ナチスの犯罪と悲劇を若者が継承していくプロセスを描いている。

ナチスのような民族差別をなくす課題の継承を考えているわけだが、その取り組みの困難さとともに、受け継ぐことの意味も考えさせる映画となっている。

 

また、生徒を信頼するとは何かも描いている。例えば、フランスの学校評議会の様子が一部描かれていた。この仕組みも興味深い。保護者代表が服装が問題だという。服装では生徒を処分しないと断言する校長、生徒代表の発言、そして担任のゲゲン先生の発言が興味深い。処分するのかしないのかをめぐって、生徒を守る側の発言をしていた。

 

教師を志す人は、この映画も観ておくべきだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

| 映画 | 07:05 | comments(0) | - |
読み研の『国語授業の改革16』に論文掲載

「読み」の授業研究会編『国語授業の改革16』学文社が刊行されました。そこに私の論文「コンピテンシー・ベースという縄をほどく」と題した論文が掲載されました。

今週末の読み研の研究大会で披露されるのだと思います。

 

私の論文は、コンピテンシー・ベースへの転換でALが重要という議論について検討し、その内容論的な観点の欠如を批判し、外形的にALを適用しようとする発想をまず批判しました。

次に、それらに代わって、読みをめぐってテキスト批評となる実践こそ重要であること、とくに表現の意味や寓意を検討する授業こそ面白いという主張を展開しました。

この寓意というのを取り上げたのが今回のポイント。それを検討すると、複数の読みが読み手の体験・把握と重なってあふれ出してきます。そうしたことの方がずっと興味深いだけでなく、読みを深めると考えています。シェークスピアや風土記を読みながら近年の教育実践とあわせて構想したものです。

 

ところで、全然別の観点ですが、単なる横文字解説的な論文を批判する意図が底にそっと流れるようにしたいと思いながら書いたことを付記しておきます。

 

本書の目次は以下です。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

機屮▲ティブ・ラーニング」を生かしたあたらしい「読み」の授業
〈問題提起〉
1 「アクティブ・ラーニング」を展開する際の二つの「弱点」
 ――「アクティブ・ラーニングの優位性」「教科内容の具体」の未解明という課題  阿部 昇
2 アクティブ・ラーニングの光と影   久田 敏彦 

〈「アクティブ・ラーニング」を生かしたあたらしい物語・小説・古典の授業〉
3 「アクティブ・ラーニング」を生かして物語・小説の「全体構造」を読む力をつける 
 ――教材「きつつきの商売」(小3)を使って   永橋 和行

4 「アクティブ・ラーニング」を生かして物語・小説の「形象・表現技法」を読む力をつける―小学校
 ――教材「一つの花」(小4)を使って      鈴野 高志

5 「アクティブ・ラーニング」を生かして文学作品の「形象・表現技法」を読む力をつける―中学校 
 ――教材「字のない葉書」(中2)を使って    竹田 博雄

6 「アクティブ・ラーニング」を生かして物語・小説を「吟味・評価」する力をつける  
 ――教材「やまなし」を中心に          加藤 郁夫 
 
7 「アクティブ・ラーニング」を生かして「古典・伝統的な言語文化」を読む力をつける  
 ――教材『徒然草』「高名の木登り」「或人、弓射る事を習ふに」を使って  大庭 珠枝 

〈「アクティブ・ラーニング」を生かしたあたらしい説明的文章の授業〉
8 「アクティブ・ラーニング」を生かして説明的文章の「全体構成」を読む力をつける  
 ――教材「おにごっこ」(小2)を使って    加藤 辰雄 
9 「アクティブ・ラーニング」を生かして説明的文章の「論理関係」を読む力をつける  
 ――教材「めだか」(小3)を使って  柳田 良雄      
10 「アクティブ・ラーニング」を生かして説明的文章を「吟味・批判」する力をつける  
 ――教材「動物の体と気候」(小5)を使って   熊添 由紀子

供々餮譴痢屮▲ティブ・ラーニング」の指導のコツ――豊かな「探求型」授業のために
1 「アクティブ・ラーニング」の授業をはじめて授業に取り入れる際のポイント  高橋 喜代治 
2 「アクティブ・ラーニング」の授業で切れ味のある「学習課題」を設定するコツ  建石 哲男 
3 「アクティブ・ラーニング」の授業で「学習グループ」をいかしていくコツ  小林 信次 
4 「アクティブ・ラーニング」の授業で「話し合い」を深めていくコツ  町田 雅弘
5 「アクティブ・ラーニング」で「新しい発見」を導き出す発問・助言のコツ  熊谷 尚 
6 「アクティブ・ラーニング」の授業で確かな「振り返り」を行うコツ  庄司 伸子 

掘 屮▲ティブ・ラーニング」を生かした「こまを楽しむ」の授業――永橋和行先生の授業とその徹底分析
1 「こまを楽しむ」(安藤正樹)の一時間の全授業記録  高橋 喜代治・奥富 浩 
2 授業者へのコメント その1 ――外的学習活動より内的な思考活動の重視を  豊田ひさき 
3 授業者へのコメント その2 臺野 芳孝 
4 授業者自身のコメント  永橋 和行 

検 …鷂澄А屮▲ティブ・ラーニング」をどうとらえ、どう生かしたらいいのか
1 アクティブ・ラーニングの成立要件と授業デザイン   藤原 幸男 
2 自分の既有知識・経験から類推するアクティブな学び 鶴田 清司 
3 「アクティブ・ラーニング」につながる国語科の授業開発   町田 守弘 
4 コンピテンシー・ベースという縄をほどく   子安 潤 
5 アクティブ・ラーニングを超える授業づくり――「教科する」授業へ 石井 英真 

后 屮▲ティブ・ラーニング」を考えるための読書案内――私が薦めるこの一冊
『学習原論』(木下竹次著)(世界教育学選書64・中野光編)  田近 洵一 
『国研ライブラリー 資質・能力﹇理論編﹈』(国立教育政策研究所編)  折出 健二 
『国際バカロレアとこれからの大学入試改革―知を創造するアクティブ・ラーニング―』(福田誠治著)森岡 修一 
『アクティブ・ラーニングの考え方・進め方』(加藤幸次著)木内 剛 
『思考の技法 直観ポンプと77の思考術』(ダニエル・C・デネット著、阿部文彦・木島泰三訳)大野 栄三 
『活動的で協同的な学びへ「学びの共同体」の実践学びが開く!高校の授業』(佐藤学ほか編著)藤原 顕 

此]∈棔Χ戯犖Φ罎離櫂ぅ鵐函 梁荵芦鵝
 「白いぼうし」(あまんきみこ)の教材研究――ここがポイント   熊谷  尚

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| | 06:27 | comments(0) | - |
昔の議論から

議論は行きがかりで思わぬ方向に展開することがあるようだ。

そういうつもりはなかったのに、予定外の方向へ行ってしまうことである。

 

過去にいくつも論争があった。

論争は途中で終わることが多いが、終わった後に批判された論点の方向に事態が進んでいることがある。不思議だと思うが、議論の行方と現在の捉え方を知っている側から見ると、論敵の否定した方向に進んでいることがかなりある。

 

不思議なことだが、対立する二人は対立しているようだが、どうも同じことを別の角度から見ているだけではないかと思うこともある。同じ事態に異なる言葉をあてているので違っていると思い込んでいる、そう見えることもある。

 

だれも言語化せず、議論せず、前提として共有していることが他方である。これがなかなか意識されない。

例えば、科学への無条件の信頼である。これは、ようやく批判の対象となってきた。

まだ他にもあると見ている。共有と相互理解されうる組織と関係の存在に関する信頼と不信という両極への揺れである。信頼を前提にして議論していることがある。他方で、不信を前提に議論していることがある。それぞれがそれぞれの時期とコミュニティでは前提となっている。

この問題をいつかもう少し考えたいと思っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 社会 | 07:39 | comments(0) | - |
AERAにコメント

教師の多忙問題をAERAが取り上げてくれて、そこに私のコメントが掲載されています。

国際調査でも、私たちの調査でも、週あたり20時間以上の超過勤務。もっと多い教師も多数いるという結果となっている現状が取り上げられています。

部活に、会議に、書類作成に、保護者対応に、子ども対応などに追われ、授業の準備が1日1時間強しか取れない現実があります。

 

なぜそんなことになっているのか。原因は色々あります。部活問題についてはこの間指摘されているように、学校への部活の押しつけ、とりわけ若手教師に押しつける悪弊などがあります。

それ以外の大きな時間を占めている会議と書類作成は、学校に導入されたPDCAというサイクルが原因だと私は見ています。これが数字などの「データ」が大好きで、書類と数値化を教育に要求するのです。数値化できないものを無理矢理数値化したり、改善したことにする書類づくりや実績づくりに追われる事態を生み出しています。

PDCAの仕組みが最悪な上に、文科省や財務省はお金を出さないで諸問題を学校で「始末」をつけようとするので、教師の負担だけが違法状態になっているという枠組で私はコメントをしています。労基法違反なのに教員増をしない、小学校英語は時間増なのにその人数を確保する話が出てこないなど、あきれる仕事放棄の文科省と財務省そして安倍政権です。

(学校で始末、教育で始末をつける悪弊は戦前に始まります。ごく最近では産経の「教員次第」などというコラムにそれを見ることができます。)

 

ご参照下さい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

| 暮らし | 06:12 | comments(0) | - |
プログラミング教育における英国とイングランドの間

文科省が「諸外国におけるプログラミング教育に関する調査研究」という報告書を公表した。

プログラミング教育を小学校から導入するかどうか議論が中教審であったが、その時の基礎資料の一部となったと思われる。

導入したい側は、報告書の体裁を見ると「英国」を主として参考にしたかったようだ。

報告書の「はじめに」でも「英国(イングランド)」に殊の外論及し、小学校から必修化が始まっていると宣伝している。

 

「英国(イングランド)」とあるからイギリス全体が小学校から必修化したのか?と思いきや英国を構成する4つの内のイングランドだけだった。そういう意味の括弧書きのイングランドだった。ロンドンなどの人口の多いところでは違うということ。間違うところだった。

さらに報告書を見ると、イングランドで小学校から必修といっても、それまでのICTの衣替えで年間30時間、狭い意味のプログラミング教育ではないことが記されている。

 

プログラミング教育における英国とイングランドの間はかなりイメージの違いがある。

報告書は下記アドレス。

http://jouhouka.mext.go.jp/school/pdf/programming_syogaikoku_houkokusyo.pdf

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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| 社会 | 07:17 | comments(0) | - |
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