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教室で教えるということ
教室で教えるということ (JUGEMレビュー »)
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教育2月号

教育科学研究会編、癸牽僑機いもがわ出版、667円と税金。

特集1は、私の「主体的・対話的で深い学び」。

馬場久志は、中教審のスローガンが成果主義に陥っていること、「主体的」というけど子どもを主体の位置に置いてないぞ!と指摘する。

その後に、高松麻貴が夏休み明けの報告を絵と文にする実践と体育の側転を運動会の悟空の誕生物語に創る取り組みを報告している。子どもと一緒に考えながら創ったという論旨は読み取れるのだが、どんな風に対話がそこで展開されたのかが記されると子どもの様子や育ちが見えてさらにいい。

松本恭子は、鮭の解体を国語の教材と関連させて食育にも位置づけたりと、栄養教諭の知見をいかした実践を給食完食に拘らずに取り組んでいるところがいい。

山本敏郎論文は、「主体的・対話的で深い学び」というスローガンにいたる経緯が従来の自立論や学習論と指して変わらない側面のあること、しかしそこに教育内容としてALが追加されていること、その一つが「学びに向かう力」がひどく道徳主義的であったり、それらの数値化動向と関連のあることを記している。

山田綾論文は、教材研究に向かうよう促す。科研で一緒に議論してきたこともあってコンピテンシー・ベースなんてという感じの主張だ。

 

特集2は、特別活動の可能性。書き出しは石橋勝治の自治活動の実践を紹介し、後半は新学習指導要領の特別活動の規定を検討しながら、学級でのさまざまな実践がなお取り組めるよという論調で片岡論文。これは、藤田論文と対応させるとこの分野の位置づけの変遷がよく分かる。「取り組めるよ」ということではあるが、自治の側面はなかなかきびしいところだ。

 

スローガンに対抗して実践を書くのは難しいだろうなと思った。ALではじまっている実践動向がいくつかあるらしいが、それらの検討がいるなあと思った。

 

短い記事としては、小中一貫校の記事。もう一つインプロ。インプロは遊び的要素の強いモノならいいが、そうでないブラインド・ウォークのようなものは危険性ばかりが頭に浮かんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| | 07:50 | comments(0) | - |
分断と制限の体のつくり学習

小学校4年の理科で「人の体のつくりと運動」を学ぶ。内容は、次の二つ。

(ア) 人の体には骨と筋肉があること。
(イ) 人が体を動かすことができるのは,骨,筋肉の働きによること。

 

5年では「動物の誕生」が取り上げられる。内容は次。

(ア) 魚には雌雄があり,生まれた卵は日がたつにつれて中の様子が変化してかえること。
(イ) 人は,母体内で成長して生まれること。

上記については制限がかけられている。

「4) 内容の「B生命・地球」の(2)のアの(イ)については,人の受精に至る過程は取り扱わないものとする。」

 

6年でも「人の体のつくりと働き」が取り上げられる。包括的表現の箇所を引用すると下記。

人や他の動物について,体のつくりと呼吸,消化,排出及び循環の働き に着目して,生命を維持する働きを多面的に調べる活動を通して,次の事 項を身に付けることができるよう指導する。

 

何でこんなにばらばらに3学年にわたって学習するんだ。表に見えやすい筋肉からという理屈は成立しないだろう。同じ四年で磁石や電気の回路が取り上げられている。電気が付いたり消えたりは見えるが、見えない電気を扱っている。骨と筋肉だけで運動は成立しない。神経系をはじめ人は全体的生命体だ。

また、受精に至る過程はなぜ扱わないかは、以前から指摘されてきたように性については教えないという非科学的な保守思想に支配されているためと考えざるを得ない。

 

こんな分断と悪弊を続けていて、小学校学習指導要領理科の目標には「自然の事物・現象についての問題を科学的に解決するため に必要な資質・能力を次のとおり育成することを目指す。」(77頁)とある。

問題を科学的に解決する資質・能力はこの作成者にも必要かもしれない。(以上、全部「新学習指導要領」から引用)

 

個々の内容についての検討が広く行われる必要がある。小学校道徳科の教科書の改訂がもう始まっているように、すべての内容についての検討が議論の俎上にあげられるべきだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 教育 | 07:49 | comments(0) | - |
珍しく『教育学研究』

先日到着した教育学会の紀要『教育学研究』84巻第4号が面白かった。

『教育学研究』は、年4回発行されるが、総合学会ということで関心のあまりない論文掲載率が高い。専攻分野に近い論文が掲載されても手堅いなと思うことはあっても、「参考になったな」ということは、数年に一つ二つ。そういうイメージなのだが、珍しく読んだ。今の私の関心とかみ合う部分があった所為だろう。

 

冒頭の水木論文は、普段ならパスするタイプの論文なのだが、「学習観の転換と経営管理主義の行方」と題されて、いわゆる目標管理批判の近年の動向が気になって読んだ。論文中の「そうだね」と思った論理は、中教審は「教科の本質」「学びの本質」と23回使って(最近はこういうのを機械で数えさせるので昔と違って楽)、中教審は「「学びの本質」という正解があることを暗に示し、中教審は知っているという形式になっている。正解のない世界でどうすればよいかの正解を私たちは知っているので、あなたたちは受容せよ、という形式になっている」という下り(7頁)。中教審が知っている正解が正解のない世界で正解かどうかわからないという趣旨の文章を私も昨年書いたのだが、中教審の文書に即した批判の書き方として「いいね」と読んだ。

 

さらに面白いと思ったのが斎藤里美の「人工知能とエンハンストの時代における「学ぶ意味」と「学力」」。エンハンストというのは、ここでは能力増強、AIタイプのロボットスーツをイメージするといい。最近、中教審は、「何ができるようになるか」が知っていることより重要だと主張しているのだが、斎藤はそこを現代の人工知能の研究の動向から批判する。人が学ぶのは、何かの「役に立つ」と「教養となる」という二つの動因があることをまず先に紹介する。時代ごとに二つの動因の影響やそのとらえ方は異なるが、ともかくあることを確認する。そこに人工知能の研究が加わると、「役に立つ」側面はどんどん人工知能のアシストを受けるように変わっていくと推測している。すると、人間が従来のように「できるようになる」必要度は低下するだろうというわけである。そうだとすると、今の方針は?というわけである。未来予測の内閣府の懇談会報告の検討も興味深いものであった。私がコンピテンシーベースではなくて、教材ベースにと『人間と教育』96号に書いたわけだが、それとも通底する部分が内閣府の報告書にあった。

 

水原論文もシニカルに事態をとらえ、田上論文も私とは枠組みが全く異なるが、見ている事態のひどさは共通すると読んだ。

2月締め切りの原稿で図書紹介する同じ本が取り上げられていたので、それは読まなかった。
有意義な昼下がり。

 

 

 

 

 

| 教育 | 07:02 | comments(0) | - |
旧すぎ

「中学校の部活動について、学期中は週2日以上を休養日とし、1日の活動時間は平日2時間、休日は3時間程度までに抑え、合理的で効果的な練習」とスポーツ庁の会議案。

おそらく20年以上前に問題点・対策として聞いた内容だ。

無駄に長い練習。

中学生の健康を害する部活。

特定種目に特化しすぎ。

ついでに部活における上下関係と暴力。

これらについての議論は旧すぎ。

それらをやめるという方向はもう決まっている。どう現実化するかだけが課題だ。

 

旧すぎ。

夕刻のNHK地域ニュースに連日、自衛隊の日常関連のエピソードが織り込まれていた。以前は見かけることがなかった。政府広報放送局と呼ばれるようになったNHKがその姿を拡大したのだろう。

しかし、それより80あるいは90年前頃は、テレビはなかったが新聞・ラジオは軍関連プログラムであふれていた。そこへ今風に回帰しているのだとすれば、やはり旧すぎ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 暮らし | 06:36 | comments(0) | - |
折る回数は10回

折る回数は10回。以下の画像は順番。

単なる輪切り。
正方形になって1回目。
四角を半分にして三角。2回。


三角を小さい四角に。3回目。

 

 

 

 

 

 

 

正方形の対角の部分を引っ張る。4回。

 

 

 

 

 

 

 

裏側を同じように引っ張ると右の形。5回。

 

 

 

 

 

 

できた長方形の端を中に、中を端にした所。一度折っています。で6回。

 

 

 

 

 

 

長方形の真ん中を離して広げると、右の写真。7回。

 

 

 

 

 

 

 

裏側も引き出すと三角形。8回

 

 

 

 

 

 

 

 

 

三角形を広げると右の写真のように四角。9回

 

 

 

 

 

 

 

四角形の対角線の部分を開く。10回でひっくり返る。

 

よって、私のカウントでは10回でひっくり返る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 


 

| 教育 | 00:06 | comments(0) | - |
カリキュラム学会研究会の案内:高校における探究科目の導入と課題

公式の案内は別に近日あるはずです。報告者は、「探求」や「歴史総合」の研究や実践を積み重ねて来られた方々、SSHやSGHの指定校の経験を有する方々です。

探求や探求系科目に関心のある方にはお奨めの企画です。まもなく高校の学習指導要領案が示されるはずで、そのことと深く関わっています。

 

2018年カリキュラム学会中間研究集

主催:日本カリキュラム学会

 

テーマ:高校における探究科目の導入と課題

趣旨:2018年3月に高校学習指導要領の答申が発表され「考え判断する教育」への転換の一環として、「理数探究」「日本史探究」「世界史探究」「総合的な探究の時間」など、探究をキーワードとした科目が導入される。それらの科目をカリキュラムにどう位置づけるのか、各探究科目の内容や指導方法、生徒に意味ある探究学習は何かなど、課題が山積している。導入に向けての課題を整理し、探究科目に関する考え方や、実施している高校での実践内容・工夫・課題を聞きながら、カリキュラム創造の方向を考え合うことを目的に研究会を開催する。

 

日時:2018年3月18日(日)14時~17時(受付 13時30分~)

場所:お茶の水女子大学共通講義棟1号館301室

 

報告者:
石川久美教諭 (名古屋大学付属中学高校)
坂井俊樹教授 (開智国際大学教育学部)
玉谷直子教諭 (お茶の水女子大学附属高校)
林 尚子教諭 (和光学園高校)

趣旨説明:高橋亜希子 (南山大学)
司会:子安 潤 (中部大学)

 

公開研究会として開催されますので、非会員の方も参加できます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 教育 | 07:09 | comments(0) | - |
見方・考え方について

タイトルを課題とした原稿の締め切りが近づいた。

 

中教審による規定は比較的簡単なものに幸い留まっている。細かく勝手に行政が定めることほど迷惑なことはない。

この点に関しては、要するに、教科の基礎概念には物事を捉えていく見方・考え方があり、個別の知識や事柄を一貫してとらえる観点のことだとしている。これには、教科等に固有なものと、教科を越えたものとがあるとだけ指摘している。

これを受けて学習指導要領の各教科等の目標の出だしに、見方・考え方に関わる目標が機械的に配置されている。書き方の形式的な画一性にはびっくりさせられたものだ。どこか不自然な文章が並ぶ。

 

とはいえ「見方・考え方」の内容を除けば、それらの枠組みとして「見方・考え方」があることについては間違ってはいない。

 

だが問題は、二つある。

一つは、見方・考え方には、観と深い関わりがあるものがある点だ。

人間観や宇宙観あるいは言語観などなど微妙な問題をはらんでいる。そこで、その中身として何を想定するかは問題だ。その見方・考え方が妥当かどうかという問題がある。数という概念一つをとっても、記号と考えるのか実体と考えるのかそれら二つ以上と考えるのか、把握に違いがあった。地域概念も同様だ。

 

もう一つは、観をどう教えるかという問題である。中教審は気にしていないそぶりだが深刻だ。

特定の概念に単純化して、つまり知識のように観を教えるのか、観となるように教えるつもりで取り組むのか、子どもの思想信条の自由を担保した教育を念頭に置くのかで天地ほどの開きが生まれる。

 

この二つがまだ話題になっていない。「見方・考え方」の一覧は比較的抽象度を高く記してある。そのことだけが救いだ。実体が姿を現したときには問題が深刻になっているときだろう。

 

観を鍛えよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 教育 | 06:37 | comments(0) | - |
全国学テの時間は何の時間?

センター試験の日ということで、テストの話題から。

来年度は、4月17日に実施されるのが全国学テ。

この時間について次のような教育課程上の読み替えをすると文科から通知が先日出された。

 

4)教育課程上の位置付け
  調査の教育課程上の位置付けについては,教育委員会及び学校の判断により,以下のとおり取り扱うことを可能とする。
ア 教科に関する調査については,以下のとおり,当該教科の授業時数の一部として取り扱うことを可能とする。
(ア)小学校調査
1 国語及び算数:それぞれ1.5単位時間相当
2 理科 :1単位時間相当
(イ)中学校調査
1 国語及び数学:それぞれ2単位時間相当
2 理科 :1単位時間相当
イ 児童生徒質問紙調査については,特別活動(学級活動)の一部として取り扱うことを可能とする。

 

国語や算数あるいは理科に読み替えるのは、ホントは変だけれど、まあわからないでもない。

ホントは変という理由は次のことにある。教育課程の編成権は学校にあり、それを上から悉皆テストを強制し、権限がないのに教育課程上の位置を指示するのは越権行為と考えることができるためである。その意味では「ホントは変」と言えなくもない。

 

もっと変なのは、「児童生徒質問紙調査」の時間が特別活動の時間に読み替えていいよという点。かなり苦しい説明になるだろう。アンケートに回答しているだけで、教育活動ではない。子どもの生活に係わることも質問項目にはあるが、「自己の生き方に ついての考えを深め,自己実現を図ろうとする態度を養う。」(小学校学習指導要領特別活動の目標)にあたるだろうか?アンケート結果は数ヶ月先だ。自分がどう答えたかも忘れているだろう。

教師としては、何の時間でもないことになるとキツキツの時間割をさらに圧迫することになるから、何の時間であれ読み替えられてればいいと思うだろうが、「教育は意図的活動のはずなのに」とまじめに考える誠実な人はいぶかしむに違いない。

 

これを「マジ卍」に言語化すると、教師と子どもの時間を奪っておいて、教育課程上に位置づけたことにして不当性を隠している、という感じだろうか。

 

雪がひどくならないことを願って本職の原稿を書こう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 暮らし | 06:20 | comments(0) | - |
たのしい授業470

「たのしい授業」編集委員会編、仮説社、1600円と税金。

この号は、去年の11月臨時増刊号で、特集が「教師のための教育相談」となっていて、子どもの叱り方、保護者トラブルへの対応、いじめ問題、子どもに寄り添う支援とはなどの事例がならぶ。

 

仮説研の人の文体として定番の書き方の方の文章もあって「そういうこともあり得る」(確率的同意で全面的に賛成というわけではないという意味)という主張も並ぶが、群を抜いて興味深い文章は、山路敏英氏の「叱る5つの規準」をめぐるもの。中学生に氏は次の5つを叱る規準として初期に明示しておくという話し。

1.危ない

2.迷惑

3.失礼

4.ずるい

5.下品

数字の若い方がよりきびしく叱るという。具体例は、山路氏に学んだ滝本恵氏の報告がわかりやすい。中学生は規準が示され、それに納得し、無駄な言い訳が減っていくという。この5つになってきたという山路氏のまだ研究中という短い文章はベテランの含蓄がある。かつて一部には「たのしい授業」さえ行っていればいじめはないなどという主張もあったが、そうでもなさそうだと独自の研究の必要性を記している。同様の趣旨を石井氏も記してあって変化しつつあるんだと読んだ。

 

もう一つ、とりわけ検討すべき内容のある記事は、「盗難トラブルをどうおさめるか?」の中一夫氏が移動教室で発生した盗難を全体の子どもたちにどう話したかの記録である。だれが盗ったかが結局判明し、それが周囲にわかってしまった状況で、当該の子どもとその周囲の子どもたちに語った内容が記されている。噂を止めること、きちんと事実を話すこと、当事者はどんな罰を受けたか、当事者は責任をどう引き受けていくのか、周囲はどう対応するのか、中氏は「僕は応援する」という言い方をするなどの記録が並ぶ。

これは滅多にない具体的な記録だ。盗ってしまった子がどんな子であるのかが不明な点があり、この対応でよかったのかどうかなお検討の余地はあり得るが、山路氏と並ぶ記事で、じっくり考えたいものだと思った。

 

いじめなどその場の対応と学級全体をどうするかの取り組みを必ずしも区別していない短いエピソードのような記事などもあるので、その時の対処法的応答を一般化して理解するとうまくいかないこともありそうな記事もあったが、上記二つはこの号の山場を形成している。手に取る価値ある号だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| | 07:49 | comments(0) | - |
主張しない防衛機制

レポートを書いてもらったり、報告をしてもらったりすると、学生は講義室に座っている時よりずっとまじめに取り組み前に出てきて話しをする。

 

惜しむらくは、その報告の仕方。

「○○でした」

「△△とも考えられますし、××とも言えます」

と、事実風の文言を並べたり、並記だけする傾向がある。

 

もう一つは、きわめて曖昧な形容詞や形容動詞を結論や理由に挙げることである。

「わかりやすい」「考えやすい」「楽しい」「自由に考えられる」などと言う。

なぜ「わかりやすい」のか、なぜ「自由に考えられる」のか、それがなぜいいのかに関する論及がないことがかなりある。

 

そこで私は、しばしば指摘することになるのが、「事実を並べるだけでなく、だからなんなのかを主張をしてしまいましょう」あるいは、「わかりやすいのはどんな事実と対応しているのか、その論拠はどんなことかを言語化しましょう」と。

 

主張を明示しない理由の一つは、防衛機制が働いているのではないか、そう推測している。特定の自己の見解や主張をして、それを批判されると自己を否定されたと思うのではないか。あるいは、自己の判断ではなく、「正しい答え」を言うことだけを求められ続けた結果であり、自分を表現しない言い回しを強いられ続けた結果ではないかと推測している。だから一方では、正解が単純で決まっている事を覚えればよいのがよいとする見方をしてみたり、他方で曖昧な基準であるにもかかわらず単純に割り切ることができてしまうのではないか。

それらはまた、自分への自信のなさの表現にもなっているように思われる。

 

しかし、学ぶということは、そうではない。自己の判断とその理由を明示し、別の事実や判断に意識的に出会い、理非を確かめ、それらとの距離を自分でつけていくことだ。

長年の慣習を越えていくのは大変なことだが、越える体験をするのは比較的簡単だ。本当かと問い、どの事実と対応しているのかと探せばいいだけだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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