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久しぶりの研究会

大学を移動したので、おしまいにした研究会を開く。

今度は別の大学に勤めることになったメンバーの研究室を借りることになった。

私は勤務の都合で、開始時間に間に合わないが、出かけてみようと思う。

 

実践を中心に置いたこうした研究会は、学会のような場とは違って欠かせない。

また、学校などが開催する実践検討とも違う場として私は、重要な存在だと考えている。

 

学会的研究会は、データや主張の普遍性を広く問いかける場として貴重だ。だが、そこにしか出向かない人を信じてない。実践と研究との接点がこの分野としては欠いているから。

 

他方で、学校に沢山出向く人がいる。それらの地域的集まりのようなものに出かける人がいる。切断している人よりはいいのだが、学校内の検討会やその地域版にしか行かない人も信じていない。時流に合わせて特定のパターンを普及して歩いてることがあって、それは研究じゃないから。

ここは多様な人がいて一概に言えないのだが、一つ一つの実践をそのたびごとに正面に据えて、考えようとするかどうかで別れるのかなと思う。

 

今度の集まりが続くかどうかは分からない。

始めたら終わる。

時々参加できるといいなと思う。また、新たなメンバーたちによる新たな提起が生まれてくることを期待したい。

 

 

 

 

 

 

 

| 暮らし | 07:05 | comments(0) | - |
教科書原稿の公開申請

教科書検定規則に関わるパブリックコメントが始まった。

 

検定期間中において、教科書会社が教員らに検定中の教科書を見せ、意見を聞くかわりに謝礼を渡すことを不正と見なし、罰則を科し不合格にするという。なんだか一年中禁止と統制されている気分にさせる報道だが、実際はそうではない。

 

私は、教科書会社が広く検定教科書の内容を公開する方がよいと考える。検定申請する原稿を隠しておく必要がない。検定意見の箇所と訂正箇所は検定後に公開されることになっている。

採択のために金品を送るやり方は不正と言っていいだろうが、意見を求める行為は不正に何ら当たらない。

 

5月の教科用図書検定調査審議会の答申「教科書の改善について」は以下のように記している。

「教科書検定の対象となる申請図書については,厳しい情報管理が求められており,その内容を教科書の著作・編集者等以外の外部の者に閲覧・流出させる行為は禁じられている。近時,教科書発行者が教員等に検定中の申請図書を閲覧させただけではなく,教員等に意見聴取の対価として金品を支払うなど,教科書発行者による教科書採択の公正性・透明性に疑念を生じさせる不公正な行為が相次いで発覚し,社会的に大きな問題となった。」

なぜ情報管理が必要なのかについて、静謐な中でなどと説明してきている。だが、検定内容への批判に答えられない事態が検定側にあった歴史を糊塗するためではないか。それは、検定側の結局誤りと歴史的には判断されている「進出」か「侵略」か問題等であった。

 

答申の終わりの部分には猶書きではあるが、次のようにある。

「なお,教科書発行者が,より良い教科書づくりのため,教科書作成に当たって実際に学校現場において使用する教員の意見を聞くこと自体は必要かつ有益であるが,その場合には意見聴取の相手方を,その関与の度合いに応じて,教科書の著作・編集に携わる者等として位置付けた上で,採択権者の判断で採択に関与させることがない仕組みにより,教科書採択の公正性に疑念を招かせないようにすることが必要である。」

この表現は、私の主張の一部と重なる。しかし、想定が10人20人を想定している。もっと多くの教員の意見を聞くことがあって何の不都合があろう。

政権が政権の政策を書き込ませる行為の方がずっと不公正で不正だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 社会 | 06:38 | comments(0) | - |
カリマネはミドルのプログラムがお好き

講義の資料探しをしていると、北海道から沖縄までの大学が教師向けに提供している研修プログラムの一覧がヒットした。

百数十あるプログラムの中で、一番多いのがカリマネ用のミドル・スクール・リーダーと呼ばれる中間管理職向けのもの。問題の発見から、関連する教師たちと対策をどのようにつくり出していくのか、その組織論・活動論が提供されているらしい。

 

カリマネは、ホントは学校長向けがもっとあっていい気がするが、それほど多くない。

一般教員向けもこれまたさほど多くない。

 

これはなぜか。

人を集めるのに、校長では数が集まらないという理由はあるだろう。ならば、一般教員向けがもっとあっていい気がするが、カリマネに関してはミドル対象が多い。カリマネを推進している霞三丁目志向にミドルを取り上げたものが多いという理由はいくらかあるだろうと思う。

それらの理由の他に、私は、カリマネの嘘っぽさが影響している気がする。

カリマネによる改善策は、学校の中期目標を超えられない。つまらない学校目標を撤回するという改善策はほぼ登場しない構造だ。

そのために、学校全体のレベルでのカリマネには小手先の改善策となる可能性があるために、一般教員の側やミドルの側に虚しさが漂う。

その点、ミドルが中心になって取り組む個別課題は、本当は中期目標の枠内だが、直接にはそれが意識されない。当面の課題への対応となる。そのために、意味をいくらか見いだすことができるためではないか。そう推量した。

カリマネの欠陥の一時的回避という要因があるという推定である。

 

本当は、意義と意味を感じたがっている証拠ではないだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 社会 | 06:11 | comments(1) | - |
実習生の授業三態

実習生の授業は、その指導教員の授業づくりとの合作だとつくづく思った。

 

一つ目は、グダグタの授業となった。指導教員は「この辺面白いよ」と誘うタイプだが、それを事細かく言わないタイプのようだ。実習生は、それを汲み取って細かく気にするタイプではなかったので、誘うところを子どもと一緒に活動してしまうので、他の多くの子どもたちが視野に入らなくなってしまう。

 

二つ目は、子どもの一挙手一投足が細かく指示されている。プリントを渡すときでさえその振る舞い方が指定されているようだった。授業もそうした指示を漏れなく踏襲するように気遣われていた。きわめて堅い進行の授業となった。

 

三つ目は、それほど細かく指示されているわけではないが、自由に発言するように促される日常があるらしい。高学年だったがフランクだが崩れてしまってはいない。課題がもう少し面白いといい授業と言えそうな感じになっていた。

 

私の見方としては3番目が一番いいが、2番目の人はどこかで何かあったのではないかと推測した。実践的な力量は高いのだが、教育観が堅すぎるのが惜しい。緩やかに見られるようになるとだいぶ変わるに違いない。

 

学生にとって、どのタイプの指導教員が学びがいがあるかは、分からない。

思うところがどれほどあるかに依存する。

実習が終わって学生が大学に戻ってくるので、講義が再開してしまう。残り少ない回を何で埋めよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 暮らし | 00:07 | comments(0) | - |
実践研究のトレンド見えた

岡山と言えば、今や加計。

加計がなぜ獣医学部の新設かといえば、子がその分野の研究をしているためなんだと聞いたが、本当かどうか分からない。そうなら獣医師が不足かどうかは関係ない話しになる。

本題。
しばらく前に受け取った教育学会理事会の議事録にあったプロジェクト研究のテーマをみて思ったことの一つは、「そうその辺不明だよね」だった。つまりコンピテンシーの形成論。存在論的に語られてばかりで、形成論は希薄と浮薄だったからだ。
そして昨日。
いくつかの発表を聞き要旨集録をみると、資質・能力の一覧づくりとカリマネが「霞3丁目志向」のトレンドらしいことが分かった。
一覧づくりは、要素に分解してしまいたがるので、不自然な一覧になる。「自分の成長」についてというと、社会的な課題と関係ないかのように分類していく。しかし、社会に触発されて自身の生き方を考えたりするのが普通だが、そういう風には考えない人々が多いらしく、不自然がいろいろとあるようだった。
また、内容論がないと、「戦国時代の武将たちの誰が現代の首相にふさわしいか?」などという過剰に非歴史的な課題を設定できてしまったりする。人物の史実を必ずしも踏まえず、現代の課題も策定せずに意見交換しても歴史学習としては意味不明に思われた。これも「コンピテンシーベースの」「AL」志向の「深い学び」のなせる技かなと推量された。
反応動向を軌道修正して、有意義な授業をつくり出す方向に。
| 暮らし | 00:11 | comments(0) | - |
本日よりカリキュラム学会

昨日から岡山にやって来たのは、カリキュラム学会のため。

長尾代表理事が定年で、今度は松下佳代さんが代表理事になる。

 

課題研究は、4つあるが、どれも新学習指導要領に関連したものばかり。シンポも同様のテーマ。告示された年とはいえ、テーマ的に偏りすぎかもしれない。

 

私の問題関心からすると、本日の午前の課題研究犬研究的には聞いてみたい報告。批判的教育学の課題と展望と題して、その見地の記念の動向が報告されるだろう。

他も本日の午前の部などは、カリキュラム評価に関わって考えたい向きにはいいかもしれないが、少々内向き過ぎな気がする。
また理事に選出されたので昼に新理事会。続けて午後は、自由研究の司会を務める予定。
研究的に新しい指摘が聞こえることを期待したい。
自分のことを棚に上げて言うと、新しくても意義を見いだせないこともかなりあるけど、まあ研究というのはそういうもの。
明日もプログラムはあるが、仕事がまわらないので今夕名古屋に戻る。
来年は、北海道教育大の旭川校が会場の予定となった。
| 暮らし | 07:16 | comments(0) | - |
小英対応の奇怪

今、小学校英語の教科書会社が主催する研究会というのか説明会というのか、そういう類いへの参加が教育委員会によって止められているという。

理由は、教科書採択と連動した便宜供与と受け止められることを恐れてのことのようだ。

代わりの研修プログラムが紹介されてこないので、準備が十分できないらしい。

 

小学校英語の帯取りはやはり全体として不都合のようだ。

すでに実施している学校からの情報によれば、授業らしい授業はできない。細切れに覚えさせる活動を少ししておしまいになる。短いアクティビティで終わるので長く集中させなくてよいため「すぐ終わるからいい」という人もいなくはない、という。

やはり不都合は、この授業にならない点が一つ目の問題のようだった。

二つ目は、朝の打ち合わせができない。いろんなことが予定され、突発的なことが起こる学校の朝に「これには困った。意思疎通ができない」と。

三つは、冒頭のような研修の不備。意欲はあってもプログラムも時間もない。

 

今日からカリキュラム学会。理事会やら司会やら努めなければならないが、こうした諸問題に関する会員の各種反応動向が感じられさえすれば私の目的は半分以上達成される。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 暮らし | 07:16 | comments(0) | - |
二段階悪化の法則

新学習指導要領の公式解説書が小学校は全部、中学校は半分ちょっと公開された。

http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/new-cs/1384661.htm

 

日経が報じるように、学習指導要領よりも解説書はさらに内容を悪化させている。

「文部科学省は21日、2020年度以降に小中学校で実施される新学習指導要領について、教科書作成や指導の指針となる解説書を公表した。中学社会で憲法改正の手続きに触れるよう求めたほか、小学社会では自衛隊の役割について指導要領より踏み込んだ記述となった。」

憲法改正手続きに触れるより、憲法99条「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。」の意味が記されるべきだろうに。

 

具体化されるといっそう悪化するのは、昔からだ。

いろいろ批判はあるとしても、多様な読みが可能な学習指導要領を、これらの解説書が悪い方へ導く。これが第一段階。

次に、ほとんどの教科書がさらに悪い内容記述になる。これが第二段階。

 

この二段階を多くの場合経る。これを「二段階悪化の法則」と私は呼ぶ。

それぞれのステップで悪化を食い止める努力が全くなされないわけではないが、全体としては悪化してきた。悪化の程度もそれぞれの時期で異なる。

 

この悪化を実践のレベルで食い止め、押し返す試みもある。次のステップはどちらの方向をむくのか。

三段階悪化の法則にしたい向きもあるようだが、実践は書き言葉のように定めることはできない。自由と反乱のタクトが振られる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 社会 | 06:23 | comments(1) | - |
習熟度別クラス編成は「いや」

私の実感だが、「習熟度別クラス編成はいや!」が増えた。

授業のつくり方・考え方に賛成か反対かを○△×を学生につけてもらった。

授業のつくり方・考え方には授業観だけでなく人間の見方が表れる。効能ばかりでそのつくり方を見てはいけないのだということへの気づきを期待した。

 

一番嫌われたのは、習熟度別授業。

支持が集まったのは、思考力を育てるように授業を作ろうとするもの。

賛否が分かれたのが、ドリル中心の授業。

それと最新の研究成果を取り入れた授業。

 

中学・高校時代の経験が特に反映しているようで、以前よりも習熟度別クラス編成やプリントが変えられるのがイヤという声が大きかった。そう思う。「効率的なんじゃないか」というイデオロギーを吹き込まれているのだが、イヤだったことを記してあったものが多い。

 

ドリル中心は、ホントにつまらなかったらしく、賛否どちらの側であったとしてもこれまたイヤそうな顔では共通していた。しかし、入試やテストにはどうしても必要かな、という効能の側を見る学生は賛成する者も半分いた。

 

「最新の成果を取り入れる」が支持されなかったのは、それが大変だからというのが一番だったのは意外だった。そういうのを取り入れる人の授業が細かすぎてつまらなくなるという理由の方が多いかと思っていたのだが、それは二番目の理由だった。これは発見。そういう教師が減っているのかもしれない。特定の研究分野に力を入れる教師を沢山知っているけれど、大変さよりそれを楽しみにしている人が多いので、この辺は体験していない学生には想像できないのかもしれない。

 

授業の構成の仕方には、授業観や人間観が入り込む。

それぞれ宣伝されている効能のうち、本当はどうか証明されていないものも多い。

その一つが習熟度別クラス編成。それがよい結果をもたらしているというデータをまだ見ていない。

思考力を育てるという授業も、その暗記ややり方だけの授業が弊害を生み出しているというデータは沢山見た。だから、「このやり方はダメ」という方は分かるが、「これでうまくいく」という方はまだ少ない。

だから、これで完璧みたいなタイトルの本を見かけると、そういう本を出している人をそれだけで信頼できない人の側にいれることがある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 教育 | 06:47 | comments(0) | - |
「夏の楽しみ」の不整合

光村図書の国語の小学校3年生に「夏の楽しみ」と題された2頁がある。

七夕の歌、祭り、夏の行事や風習の挿絵が並ぶ。

正岡子規の俳句なども添えられている。

 

だが、どうも変なのだ。

夏の楽しみの夏とはいつか?現在の暦で夏と言えば、6月から8月、気温を考えれば9月も入れたいくらいの日々もある。

だが、添えられている俳句の七夕は、季語としては秋だ。天の川も夏じゃなくて秋の季語だ。

だから、7月の上旬に七夕を行うところは夏だが、俳句では秋となって不一致。旧暦で8月に行うところは季語と一致して秋となる。すると、単元名の夏の楽しみは夏か?秋か?ということになる。

 

また、挿絵では、二昔ほど前の家の縁側に七夕飾りに「星映し」がある。しかし、名古屋に住んでいる所為ばかりでなく、農村地域でも個人の家で七夕飾りを見ることはほとんどなくなった。七夕飾りをするのは学校と行政、商店やイベント会場ばかりだ。まして、「星映し」など見たことがない。

見たことがない風習は風習か?

 

七夕の起源は中国の南北朝より前にさかのぼるらしい。季節も起源の地と日本ではズレるだろうから、風習と季節感が一致しないのだろう。

 

この教材、日本の伝統とか風習をイメージさせたいらしいが、現実とあわず、幻想もしくは錯覚、もしくは前の時代の日本の風習だ。こんな幻想に浸っていていいのだろうか、と思った。

 

 

 

 

 

| 教育 | 00:12 | comments(0) | - |
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