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教室で教えるということ
教室で教えるということ (JUGEMレビュー »)
岩垣 攝,子安 潤,久田 敏彦
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教職課程のための憲法入門

西原博史・斉藤一久編、弘文堂、2200円と税金。

大学において教員免許を取る学生は、憲法が必修だが、そういう学生のための講義のテキスト。

憲法のテキストはたくさんあるが、この本は珍しく面白い。

 

教師あるいは学校や子どもに関わる実例を多く並べ、日本国憲法の考え方と関わらせて書いてあることが面白い理由だ。中学や高校の公民分野の教材あるいは教材研究の手助けともなる本である。

取り上げられている実例を二つ紹介する。

「みんなで決めること」と「一人ひとりが尊重されること」の関係について、クラスの出し物が「かちかち山」に決まってタヌキ役は久子、ウサギ役は康彦に決まった。久子のあだ名がタヌキと呼ばれていたとすると、久子はみんなで決めたとはいえ我慢しなければならないかと問題を突き出す。康彦もウサギがタヌキを殺すことは役柄だとしても自分の生き方に反しているから演じたくないと言う場合はどうか、と問いかける。(個人の尊厳、プライバシー権の侵害の可能性があるのかどうかなどがその後に指摘されていく。)

 

表現の自由では、滋と康彦が対立し、滋がSNSに悪口を書くようになった例が挙げられる。これを康彦が止めるように言ったが止めない。そこで教師が校長と相談の上で滋を一週間の出席停止とした。これに対して滋の両親は表現の一種であるとして、表現の自由の侵害であると裁判を起こすという。悪口を書き込むことを止めさせることは表現の自由の侵害かと問いかける。(護られるべき表現の自由であるためには公共性など条件がつくなどの議論が紹介されていく。)

 

もう一つのおもしろさは、それぞれに関わる法学的学説が複数紹介されていく点にある。また、それらの学説を踏まえて読者のアンサーを書くように勧めている。この複数性もおもしろさのもう一つの要因である。

 

他に話題は、教師の権利・権限、教育を受ける権利、選挙権、平和主義、教育権のありか、立憲主義などが取り上げられている。

私の見地と同じでないものや、議論としては途中で終わっていると思われる教師の政治的中立性の問題などがあるが、憲法の考え方と教育の現在を見直す良い材料を提供してくれる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| | 06:39 | comments(0) | - |
部活指導を巡る四大問題

部活の指導を巡る問題。あくまで「指導を巡る」だ。

つまり二つを除いている。一つは、練習環境の貧しさ。二つは教員の加重負担の問題である。

 

四つの問題とは

一つは、教師の体罰問題

二つは、部活内のいじめ問題

三つは、先輩後輩という異常な上下関係

四つは、やる気・参加の落差問題

 

以下は、先週来学生からの情報。

部活で教師から体罰を受けたという体験を語る学生は以前からそれなりの比率である。楽しく部活をやってきたという学生の方が多いが、ひどい精神的傷を負わせられている。熱心さの表れと当時は思い込まされてきたが、全然異なる顧問教師の指導を知ってからは、二度とあんな思いを子どもにさせたくないと語っていた。

 

二つ目のいじめも上級生によるものだけでなく、同学年の中でかなりある。技量の上下を人格的上下と見なしたり、執拗な嫌がらせなどがあったという。意地で部を辞めなかったが、今も地元でいじめの先頭に立っていた子を見かけるとドキドキする学生、絶対に許せないと今も思うと言う学生などもいた。

 

三つ目の年齢による上下関係を異常とも思わない感覚が広く存在している。人への敬意の払い方の教育を受けてきていないらしい。学校外も含めて、これへの取り組みは社会的に後進国だ。

 

日常的に問題となるのが、四つ目。話し合いが必要だという意見は多いが、学生の話によると、話し合うと上下関係が顔を出していっそう亀裂を拡大したり、いじめ関係に陥っていくことも多々あるという。「楽しく気楽にやれば」という学生が必ず居るが、「楽しく」を実現するためには「お気楽」には取り組めないことを知らない気もする。

 

今青山学院の原監督が話題だが、監督対学生の観点では上記問題に取り組めている気がする。学生間の決定や関係については聞こえてこないが、どのようになのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 社会 | 07:01 | comments(2) | - |
問題に想像する

センター試験中はすることがないことが苦痛で、しかたなく問題を眺める。

 

理科は、物理と化学を解答科目に選択する受験生が多かった。私の担当する部屋では、生物は10数パーセントの選択率でそれでも回答者がいたが、地学はだれも選択していなかった。

問題を眺めると、人気の高かった化学は濃度の問題などが細切れで並んでいた。「つまらない問題をよく解くよ」と思った。

他方誰にも見向きもされていない地学は、地球のプレートテクニクス理論に基づく地表の模式図で用語を選択させる問題から始まっていた。私には、こっちの問題の方が人類の生存に関わる問題に見えた。しかし、高校生には人気がない。人気という尺度じゃないのかもしれない。センター試験の解答科目に選ばれない理由は別にあろう。

 

ともかく、コンパクトに最低限必要な情報を込めてすぐに解答を要求するので、面白みのない問題が並ぶ。そこに反応だけしている方が時間もかからず得点するには効率的なのだろう。だが、問題のその裏には本当は想像に値する世界がある。地球内部の対流、マントルの対流と地球表面に浮いた陸地の移動と沈み込みなど崩壊と再生が、生物の誕生と消滅に深く関わっていることの想像へとつながるなら、なんと壮大な悲喜劇かがわかる。

雪の降る寒い試験中、温暖化と氷河期への向かう地球の同時進行など興味が尽きない。だが、地学は選ばれない。無駄な紙となる確率が高い。

 

問題の一つ一つにそうした想像をすることが可能なのだが、想像をしないように支配的な学習は行われている。そういう仕組みをセンター入試等の制度は持っているようだ。

これは、単に、論述式に変えたら変わるということではない。

想像するように学ぶかどうかの違いなのではないか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 教育 | 07:04 | comments(0) | - |
理系の選択する社会科は

今年も忍耐の試験監督。

 

以前は、受験生は単に名前の順に席順が決まっていた。今も名前順の原則は残っている。

しかし近年は、受験生を社会二科目受験か、理科二科目受験かといった受験科目によって区分された上で名前順となっている。こうすると、試験の準備が合理化される。また、部屋ごとに試験を遅く始めたり、早く終えたりということが可能となって、交通や試験場の混雑を回避できる。

 

私は理科二科目で社会は一科目受験の部屋の試験監督を割り振られた。これは同時に、理系志望を意味することになる。また、だから7対3から6対4の間ぐらいの男女比となる。そんなことがわかる。

不思議なことに、この部屋は、席の前半が男性、後半が女性の席順となっていた。偶然だろうか?別のスクリーニングが掛けられていたのだろうか?

 

出欠や本人確認で席を一巡してわかったこと。

一科目受験で何を解答科目とするかということ。

社会科の解答科目で最も多かったのは「現代社会」で、半数近かった。次にだいぶ離されて地理。地理と僅差で日本史。政経と世界史は少数。

文系受験組の比率はわからないが、相変わらず世界史は少ないと推測される。固有名詞の覚えにくさが敬遠されるゆえんなどといわれてきたが、今もそうなのかどうかはわからない。

それに比べて「現代社会」はなぜ選択されるのだろう。ある程度新聞を読んでいれば回答できそうな問いが多い所為だろうか。現代社会への関心からではない気がするのだが、本当の理由は何だろう。

 

ロンドン出身の知り合いは、高校卒業試験は、社会系科目の場合、三つの時間に三つの課題レポートを書いてその成績で大学に入学したと言っていた。受験の仕組みは、こういうタイプと、日本のセンター試験タイプと二区分される。何よりいいと思うのは、その試験を行っているのは高校だということ。それを大学は受け取っているだけということ。(オックスフォードとケンブリッジは制度が違う。試験が別にある)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 暮らし | 06:15 | comments(0) | - |
汎用的スキル批判の裏側ー不都合なことは嘘に

以下に記すことは、時事問題だが、意図するところは本職と関わる。とりわけ汎用的スキルが注目される中で、とらえ方を検討したいと考える私の問題意識に関わっている。

 

トランプは自分に不都合な報道は「偽ニュース」と叫ぶことがCNNによって明らかになった。

安倍はテーマや問いと無関係なことを言うことがすでに判明している。(これらは常套スキルにみえる)

この局面だけをとると、理解力としてはトランプが上となる。事態に対してホントと嘘を区別できている。
ただ、日本の場合は、安倍が何を言おうとNHKやフジサンケイグループ、読売グループを先頭とした安倍組翼賛会がカバーする仕組みを持っている。この点でまだトランプは未知数だが、グローバルな情報操作で当選したことが実証されると、そのその力は上と言うことになる。おそらく上だ。
ところで、かつてはメディア論の中で、人はだまされる存在なのか、そうではないのかというテーマに関して、だまされるがだまされない存在という把握が有力だった。この点は汎用的スキル論と直接関係ないが関連している。今は、修正が必要なようだ。
彼らの手法は三つ。
1)嘘を言い続ける。
2)知らないことにする。
3)他者の声を聞かない。
具体的には、1)の例としては、真珠湾を訪問した最初の首相などと報道させる。「駆けつけ警護」のように、事態を誤認させる言葉に置き換え、問題点を長所と言いくるめ、批判報道をさせない。
2)の例としては、自民党がずっと前から核問題でやってきたように、問い合わせなかったり、聞かなかったことにする。
3)の例は、日常的に実施されていて、不都合な事実を語る人の声は聞かない。冒頭のトランプの例のように1)や2)と結びついて行われている。
他方で、嘘というわけではないことも行っている。
それは、政治への関心を喚起しないよう、癒やし報道と三面記事を創作し続ける手法だ。どうでもいい報道で情報を埋めて、それが世間の関心であるかのような話題づくりという手法だ。
これに戦前から行っているように、反復して情報を流す手法だ。安倍翼賛報道を毎日・毎回流し続ける。
これらの手法に対して、かつてのメディア論はやがては必ず嘘は暴かれ人はだまされないとしてきた。たしかに、長期的に見ればそうなることも多い。だが、短期的にはだまされる。イラク戦争についてアメリカでは90%以上が戦争を正当と見なす世論となった。
いつか真実は明らかになるが、眼前では別のことが起こる。眼前が問題だ。
上記の手法は、ある種の汎用的スキルとなっているようだ。そんなことでいいのだろうか。
先日来の気象報道さえも恣意的操作をどこかに私はみる。
リスコミ的表現にそれを見る。
「雪が○○センチ積もる恐れがあります。」恐れはどこでもいつでもあるから嘘ではないが導く先に意図が見える。
「平地でも○○センチ」というが、平地とはどこかを特定しない。言葉の曖昧さを利用している。
事柄に本質的問題と周辺的問題とがある。この混同もよく用いられる手法だ。これについては別の機会に。
ふーむ!
| 社会 | 06:40 | comments(0) | - |
皆様、ごきげんよう

フランス映画。

この映画は、映画案内を見てから出かけないと、なんだかわからないと思う。

構成・筋立てを何となく知っておく必要があろう。

 

筋立て。場所は、主にパリ。

時間の最初は、フランス革命の貴族の処刑場面。次は、パリじゃないがフランスと関わりのある場所での戦争場面。戦車や兵士の服装から判断すると第二次世界大戦より後で植民地戦争か。

その後に主人公が管理人を務めているパリの今へと時間は飛ぶ。

これらの時間に直接的な関連はない。だが、それらの出来事の上に今につながるものがあると見ているようだ。

 

その後は、パリの強盗団、のぞきが趣味の警察署長、アパート管理人の主人公と頭蓋骨収集をする友人らが紹介されていく。これらの描き方はシニカルなユーモアで構成されている。管理人とその友人は知り合いだが、それ以外の人々とは直接的な関係がない。強盗団のメンバーの姉妹を住人として知っている程度の関わりだ。

街のホームレスが署長らに公園から追い出されることになって阻止に駆けつけるが、うまくはいかない。住人の日常が少しずつだけ描かれて、ほんの少しだけ関わる場面がつなげられていく。主人公とその友人の関係以外は、わずかな関わりとして描かれ続ける。

通りの途中、塀に普段は見えない入り口が現れるシーンがある。その中は「秘密の花園」のような場所で、そこに携帯が鳴ってしまうとそこに居られなくなる。これは何を象徴しているのだろう。それぞれがそういう時間と場所を持っているであろうに、それが浸食されているということか。よくわからない。

 

織り込まれた意味を読み取り逃していると思うが、一人一人にとっては重大かもしれない出来事とほんの少し関わって一人一人は暮らしていることを描いた作品と見てよさそうだ。

ストーリー重視派の私としては、イマイチの映画だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

| 映画 | 07:31 | comments(0) | - |
写真で毎日を再掲

9日の毎日新聞東京本社版に載っていた記事が、中部本社版では10日に載ったと教えられた。

勤務先の図書館に行って写真に撮ってみた。
研究室を出る前に、堅紙の組み立て式書類入れの中身を確認していると大量の不要会議資料とともに、学習研のメンバーのところに授業を見に行ったときの写真(小林さん、池田さん、加藤元さんの授業風景)が写っていた。
他には、平成6年発行のビール券、教育方法ゼミの当時の住所録、700円あまりの小銭、未使用の切手、卒業生からの手紙2通。これらだけいったん脇によけて、図書館入館用のカードを取り出して部屋を出た。
図書館の入り口でカードをかざすが開かない。見るとカードが運転免許証だった。職員の方に顔認証をしてもらって撮影したのが下記の写真。

 

| 暮らし | 07:08 | comments(0) | - |
パブリック・スクール

新井潤美、岩波書店、820円と税金。

 

イギリスにおける「パブリック・スクール」の成立から現在直前の状況について、主に小説としての学校物語のたぐいを素材に紹介した本。

 

現在のパブリック・スクールの前・前身である教会付きのグラマースクールが一番古いもので597年。教会がラテン語で書かれた聖書を教えてキリスト教に勧誘するために設立された説明から始まる。成立の事情だけは教育学を専攻してきたので知ってたが、そしてアッパー・クラスは家庭教育が中心だったことまでは知っていたが、そこから後の初期パブリック・スクールの位置づけなどは知らないことが多々あった。

今日の見方と違って、上流の家庭で手に負えない子どもを隔離する学校として設立されたのだそうだ。そこに、アッパー・ミドル・クラスが職を得るための手段として高い授業料を払って入学するようになり、手に負えない子どものための学校のイメージから変質していったことなどが、記されている。

ただし、新井の本職が比較文学なのだそうで、小説の描かれ方からの論述である。19世紀から20世紀のパブリックスクールの文化が小説としてどう描かれたかが紹介されていく。つまり、歴史史料的追求としては、文学に偏っている。だが、だから読みやすいとも言える。

 

印象に残った指摘は、「学校での成功が人生のピークで社会に出てからはぱっとしない人間がよりどころとする幻想」とパブリック・スクールを懐かしむ人々を断じている下り。実態はそんな良いものじゃなかったという。「学校が人生のピーク」という言い回しが私好み。

 

次は英国の階級による言葉の違い。「ノート・ペーパー」は下層で、writing paperがアッパークラス。ハンドバックは下層で、purseがアッパー。このように普通名詞を階層区分できることを知らなかった。

 

また、成績でランキングされて教科を受講することになっており、成績のよい子は化学、次は物理、成績の良くない子は生物の順だったそうだ。生物を受講すると、暗記だけが期待されたという。今は、楽勝科目としてのソフト・オプションはメディア・スタディーズだという。

 

文学に描かれたパブリック・スクールなので、どれほどそれが一般的だったか確実という訳ではないのだろうが、社会の側のまなざしも記されている。パブリック・スクールそれ自体の分析としては物足りないが、英国の学校物語の変化としては手軽に庶民が読める。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| | 07:19 | comments(0) | - |
メリル・ストリープのスピーチ

ゴールデン・グローブ賞の一部門の受賞スピーチでメリル・ストリープは、トランプが障害のある記者を嘲笑したことに触れて、以下のように話したと報じられています。

トランプにこびる政治家と企業それに報道が目立ち始めた中で、心に留め置かれるべき行動と言葉だと受け止めました。

「何ができるか」とはこうした場でこうしたスピーチができるということ、「何を知っているか」とはトランプの行情を記憶にとどめ、「どのように学ぶか」とは自身が何をなすべきかを見つけるように学ぶということでしょう。

三つのカギ括弧の言葉がどこから持ってこられたかはこのブログの読者ならすぐにおわかりでしょう。一方で人に共感し、他方で暴力に怒り、真実の前に立つ勇気と自由への希望を欠いては何の意味もないということでしょう。

 

全文は、以下のサイトで読めます。

https://www.buzzfeed.com/bfjapannews/meryl-streeps-speech?utm_term=.hxBd9lqPl#.ncR9blrEl

 

「私たちの国で、最も尊敬されている場所に立とうとしている人が、特権、権力、そして反撃する能力において、自分のほうがはるかに上回っているにも関わらず、体の不自由な記者の真似をしたのです。

私はそれを見たとき、胸が張り裂けそうでした。私はまだ、自分の頭の中からそのときの記憶を消し去ることができません。なぜならそれは、映画の中の出来事ではなく、現実の出来事だったからです。

誰かに屈辱的なことをする。公の場で権力を持っている人がそのような行為をした時、他のすべての人生に影響してきます。他の人たちも同じような行動をとっても良いと、許可を与えることになるからです。

無礼は無礼を招く。暴力は暴力を呼び起こす。権力者が、その地位を利用していじめをすると、私たち全員が負けることになります。

ここで、報道陣の話をさせてください。私たちには、怒りで声をあげなくてはならない事態が起きた時に、信念のある報道陣がしっかりと声をあげてくれることが必要なのです。

だからこそ、私たちの国、アメリカを建国した人たちは、憲法の中で、報道とその自由を守ることを決めたのです。だから私は、裕福なことで有名なハリウッド外国人映画記者協会と、ジャーナリスト保護委員会への支援を呼びかけたいのです。真実を守りながら前に進んでいくために彼らの力が必要だからです。」

 

記憶では、この女優さん、クレイマー・クレイマーで見たのが最初、中年の役のイメージを広げたのはプラダを着た悪魔だろうか。尊敬に値する人だなと改めて思う。

| 暮らし | 06:57 | comments(2) | - |
毎日新聞に道徳科についてコメント

1月9日付毎日新聞東京版に道徳の教科化についての記事の中で私のコメントが掲載されています。

ご参照ください。

 

以下のアドレスから読むことができます。

http://mainichi.jp/articles/20170109/ddm/013/100/014000c

 

記事全体は、道徳の授業の具体例を中心において危惧される問題点を取材したものとなっています。

 

私のコメントの周辺部分だけを以下にペーストしておきます。今年初の公となる文書化された業務でした。

 

小中教員7割以上、教科化に反対
全国の小中学校教員の7割以上が道徳の教科化に反対している−−4教育系大学の調査でそんな結果が出ている。

調査は北海道教育大▽愛知教育大▽東京学芸大▽大阪教育大−−が2015年8、9月、全国の公立小中高校の教員を対象に教育改革に対する賛否などを問い、5373人(有効回収率55・3%)から回答を得た。道徳の教科化に「反対」「どちらかといえば反対」と答えたのは小78・9%、中75・9%、高56・3%に達した。

調査の研究代表を務めた子安潤・愛知教育大教授(教育方法学)は「現場の教員に直接話を聞くと、評価することへの懸念が強い。その理由は大きく分けて二つあり、一つは評価を記述することによる業務負担の増加。もう一つは善悪を一方的に決め児童生徒の内面に踏み込んで評価することへの恐れだ」と話した。

子安教授は道徳の教科化について「今まで以上に特定の徳目へ児童生徒の考えを誘導する可能性が危惧される。文科省は『読む道徳』から『考え、議論する道徳』への転換をうたっているが、教材の筋立ては決まっているので、その範囲を超えた議論にはならない」と指摘した。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 暮らし | 07:33 | comments(0) | - |
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