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学校と教室のポリティクス―新民主主義教育論
学校と教室のポリティクス―新民主主義教育論 (JUGEMレビュー »)
子安 潤, 湯浅 恭正, 山本 敏郎, 照本 祥敬, 福田 敦志, 山田 綾, 山本 理絵, 久田 敏彦
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閣僚も適格性審査を
国家公務員の幹部について、「適格性審査」を行うという案。

ならば、閣僚と議員にも「適格性審査」を行うといいな、と即座に思いついた。
議員は、選挙が適格審査だという議論も当然あるだろう。
しかし、当選することと、最低限適格だということの間には、現状では落差がありそうだ。

審査が法定上無理というなら、過失を含めて違法もしくは潔白の証明が不能の場合、議員自動罷免とするといいのではないか。
そんな気がした。
どうしてそんな気がするかは、それは、どうしてもこの間の議員の方々の言動があるからに違いない。

審査する側に審査できる力がある場合に審査は可能なはず。
しかし、現状は、その証明がない。

無為なことを考えてないで、今日は、雑務を片付けて有意な一時を確保しよう。
| 暮らし | 07:18 | comments(0) | trackbacks(0) |
誰のための手当
修論を提出したと院生から連絡が来て、とりあえずめでたい。

ところで、親が誰かや生死そのものがわからない子ども約2000人が、「子ども手当」の支給対象外の扱いとなっているという。
この記事を見て、ふと「手当」とは誰のための手当なのか疑問が頭をかすめた。
親が不詳なので支給しないという考え方からすると、子ども手当とは子どもを持つ親のための手当と考えているからだろう。
いやそうではなくて、子ども手当とは子どもの養育を支援するためのものだ、と考える見方もあるだろう。こう考えれば、親が不詳かどうかは関係なく、未成年だから保護責任者はいるはずだから、その個人か団体に支給するという考え方も成立するだろう。

さて、この場合の「手当」とは何だったんだろう。

同様に、一部の学校が奨学金を管理していた問題も発覚しているが、そういう取扱いをした学校の説明では親がその金を使ってしまうからだと報道にはあった。その説明が真実だとすれば、奨学金の場合も誰のための奨学金支給かという点を明らかにしないとまずいなあ、と思う。
まあ、それでも学校の扱いは、自分のところだけ取りはぐれないように優先的にとってしまおうという措置だから、不適切だと思うけれど。
| 社会 | 07:12 | comments(0) | trackbacks(0) |
低学力対策から脱却しなきゃ
 毎日新聞が紹介した日教組教研の処方箋について。

貧困ゆえに低学力となっていると思われる子どもたちについて以下の対策を取っているという。

(1)入学前面談: 入学式前に個人面談を行い、どの段階でつまずいたかを事前把握する。
(2)入学前学力診断:中学校が新入生にテストを行って診断する。
(3)校内検定:国語、数学、英語について実施し、不合格者に放課後などに個別指導をしたり、級別にグループ分け補講をする。
(4)「朝学」:始業前の8分間を、国語、数学、英語のプリントで学習。

こうした取り組みで、中退者が30%減少したという。また、半分くらいは役にたっていると応えているという。しかし、中退者の減少との関連は不明だが、(1)から(4)の取り組みの有効性は、確認できない。

役にたっているという数値は中退した生徒を含んでいないと思われる。それを勘案すると、評価しない生徒の方が多いことになる。理由は、「学力」注入的なドリルばかりが行われているからだと思われる。もう1970年代に試され済みの失敗対策を繰り返しているように思われた。生徒に敬意を払った授業そのものの転換が必須だ。

もう一つ別の問題も提起している。「教諭がショックを受けたのは、「勉強しても将来に関係ない」という理由を 挙げる生徒が多かったことだ。」この記事に続く記者の文章は学習意欲の話しになってしまっていたけれど、この生徒の反応は、別の問題を指摘した発言だ。進路指導の問題ではなくて、社会システムに問題があることをこの生徒は直感しており、そこに今どんな問題とどんな希望があるかを示せといっているのだと思う。

そういうことに応えないと教研もね。

| 教育 | 07:08 | comments(0) | trackbacks(0) |
平和と人権の発表会
水曜日の午後に「平和と人権」という講義の発表会があった。
会議があって遅れて会場に行くと、私が担当したグループの発表は終わっていた。すべてのグループの発表がやがて終わった。
すると、発表を終えた学生の私がいなかったことを責める眼差しがそこにあって、「録画してるテープを借りてコメントする」ことにした。

私が担当したグループのテーマは、生活保護の実態を調べることに決まった。
当初学生の問題意識は、貧困問題が話題になっていたことがある一方で、これを悪用した一部の人の問題が混在する状況にあった。そもそも福祉としての生活保護という意味について理解していない印象もあった。

そこで、生活保護法を調べること。
生活保護行政の実態を調べること。
外国の仕組みを調べること。
生活保護を受けている人や支援している人と話をすること。
という課題を決めて、それぞれ調べてもらうことにした。

途中何度か相談にのったけど、概ね真面目な学生さんたちで、年末には炊き出しボランティアに行って話しを聞いてきたようだ。

発表ビデオを見ると、生活保護でいくらくらい支給されるのか、生活保護行政の実態で窓口で追い返されて亡くなった人の話しなど結構うまくまとめていた。ことに、炊き出しボランティア体験は学生の認識に大きな影響を与えたようだ。
寒い中行列することの大変さと、炊き出しとして食事を出し続けることの共体験というのだろうか、そういう時間の共有と青テントの人たちとの短い会話から受けたイメージが、それまでの認識に変更をもたらしたようだ。
偏見のすべてがなくなったということではないだろうが、主要な問題は今の保護行政の不備の側にあること、受給されて当然の人が受けることができない事態こそ問題として見えてくるようになったように思われた。他に一つちょっといい発表グループがあったけれど、そこを越えてるかもしれない、と贔屓目かもしれないけど思った。

こういう点では、体験こそ重要ということはあるかな。
ご苦労さんでした。
| 教育 | 07:01 | comments(0) | trackbacks(0) |
海の解釈
朝日のCMを兼ねたようなネット記事に「ウミ」についての解釈がのっている。

ウミは広いな大きいな〜、月がのぼるし、日がしずむ〜♪
という童謡について、「童謡「ウミ」を大声で歌うと平安な気分になりませんか? おおらかな詞に優しいメロディー、果てしのない大海原が思い浮かびます。」と言って、これを肯定的に書き出しているから、結論は見えている。

「ところが、この歌には「戦争協力」の意味があるという説があります。本当でしょうか。 問題視されるのは、第3節です。「ウミニ オフネヲ ウカバシテ、イッテ ミタイナ、ヨソノ クニ」という歌詞が、大日本帝国の海外進出への期待を、子どもたちに歌わせたのではないか、というのです。」

と異説を紹介して、これがつくられ、国民学校の音楽教科書に載せられた頃(1941年)の状況を紹介し、これを作詞した林柳波 (1892〜1974)は、軍歌も作り、文部省の教科書編集委員を務め、国策に協力する立場にあったことも認める。

しかし、山中恒の意見を持ち出して否定する。「 『ヨソノクニ』は南方を指しているようにもみえる。でも……、「ウタノホン」の教師用手引書を見せて、「海国日本国民の憧憬と意気とを歌ったものである」」との解説があって、それは「海事思想とは、南方雄飛の意味でしょ うが、露骨に海外進出を強調しているわけではない。決め付けてしまうのはどうだろうか」と山中さんは話します。」と言う。

しかし、山中も露骨な海外進出をうたったわけではないと言っただけだ。露骨でない海外進出などというものがあるのかどうか。海外侵略を「海外進出」と言っているこの記事を書いた人と同じで、言葉は違っても中身は同じじゃないか。

もう一つ理由を持ち出す。「近代音楽史を研究する戸ノ下達也さんも「国威発揚なら『日ガシズム』は変だ。むしろ子どもの感性や想像力を養う意識がみられる」と言います。」

日が沈むはおかしくない。日の本でも必ず沈む現象は発生し、そこを侵略してその地の付近に日が沈むと想像する感性が意識されていたと解釈することもできる。だから、反論になっていない。

結局、「自由への渇望を感じとるか、海外雄飛へのひそかな野心をみるか…林の生きた時代と、彼の作詞家人生を見てみましょう。」と本やCDの宣伝に繋げます。それらを見ても問いに答えることはできないのですが、なぜか宣伝。記事の効果は、軍国主義の一翼を担わせられた歌の免罪と商売。

| 暮らし | 13:41 | comments(0) | trackbacks(0) |
中身のないアバター
映画として凡庸な中身だったのは、アバター。

3流の西部劇にもののけ姫を足したストーリーで、面白いところがない。

今年観た映画の中で一番出来がよくない。

ちょっと前に記したように、この映画のいいところは、そのタイトルにある。
「死にながらの生」という今日的状況にぴったりなアバターをタイトルに使った点。状況とその存在とを繋げられる点にある。

つまらないのに値段が高いのはいかがなものか、そういう思いを強くした。
値段を高くしておいて記録更新という宣伝も詐欺的情報だなあと思う。

よって、別の記事を後でアップしたいきがするけれど・・・
| 暮らし | 07:46 | comments(0) | trackbacks(0) |
小沢・朝青龍問題
なんだかはっきりしないおわり方だ。
当然一つは朝青龍の話題。
本人は、実際と世間で言われていることが大きく違うと言っている。
報道だって、何をしたかを断定的に知っているわけではないのに、問題だと言っているというお粗末さ。殊にTVはひどい状況をさらけだしている。
わけのわからない人に限って、「品格」を持ち出して話しをおわりにしている。
事実に即して決着させることが大切でしょうに。

小沢問題も同じ。
何がどうであったか、どこまでわかったかをはっきりさせていない。
おかしなことがあるのに、不明なままにしておいて、だから不起訴という決着であるように見える。検察の皆さんは、解明した事実を明らかにして、それから結果を言ってくれないと、わからない。
なお、論旨からそれるけれど、「人にまかせておいたのでわからない」という論を政治家と政治家の管理団体について適用するのは間違いだろう。保守系政党の場合、秘書期間=リスク期間みたいなものだ。

論理を通そうとする姿勢のある朝青龍と小沢という印象を持っていた者としては、当該の二人が何をしたのかに即した決着を付けないと、お二人に失礼だと思う。事実に即した決着を付けられる社会となることを期待したい。
| 社会 | 07:16 | comments(0) | trackbacks(0) |
送りがたく
昨年2月9日に卒業生がモンゴルでなくなった。それは、事件だったけれど、「なくなった」と記したい。

右の写真に入れなかったけれど、元気だった頃の笑顔と日本語学校教師の職が決まった頃の一言が側に記されていた。
それは二十代を過ぎる頃の不安と無邪気さとともに、この仕事をしていくんだという初心が読み取れる言葉とともにあった。

本当に残念な出来事であったけれど、こうしてみていると、そういう初心を持つ人たちの側にいたんだなと思う。私は、直接関わりがなかったけれど、いろんな初心を持つ人が本当はたくさんいる。何ほどか役にたつかもしれない仕事になっているいるといいなと思う。

愛知教育大学図書館の一角に展示されている。近くの方は見てあげて欲しいと思う。
 
| 暮らし | 05:12 | comments(2) | trackbacks(0) |
にせたる者
 ジェームズ・キャメロン監督の「アバター」がいくつかの部門で第82回アカデミー賞候補になったそうだ。
私は、観に行っていない。
けれど、気になっているのは、そのタイトル。
アバターと言えば、だれかに似せてつくったキャラクターで、これに代理させて発言したり行動したりする。このアバターは、ニセであると同時に似せである。
アバター表示を常とするブログサイトもあったりする。
そう、だから、その顔は全く別人であり、ひょっとすると発言も本人の真意かどうかわからない。別人を演じ続ける人も多いらしい。
それがアバター。

アバターというのは、人から分離させたものだ。
分離して自立することは、本当はない。だが、分離させていったん演じさせてしまったアバターは、やはり、二度と統合することはできないのではないか。
少なくとも、分離させた側には、分離させた経験によって、何が内側に生成されるのか、少々こわそうな想定だと思う。(こんな想定をした理由は、『哲学から未来をひらく1』青木の巻頭論文)

こうした想定と映画は関連があるのかないのかは、見ていないからわからない。だから、みてみようかという気持ちはあるんだけれど。
| 社会 | 07:07 | comments(0) | trackbacks(0) |
おとうと
どうにもはた迷惑な人が、幸せを祈ってもらえるまでのお話し。

考えてみれば、たいしたことではないけれど、面倒を起こしたり、周りから見ると「それってどうよ」という人は、どこにもいる。
自分がそうなっている時もあるに違いない。

映画だからそれを極端に描いているところもあるだろう。迷惑がられている人にも、それでも受け入れてくれる人や施設があるというお話し。
だから、最初は、姉だけが幸せを祈っている状況だが、それがちょっと外に広がる話し。そのちょっと外は、狭義の家族だけではない。

受け入れてくれる理由は、はた迷惑な人も全部が全部ダメなんじゃなくて、いいところや人に役立つところがどこかにはあって、それゆえに幸せになってほしいと思ってもらえるのだ、という話し。
以上、アンモナイトさんへの応答を含めての感想。

| 暮らし | 05:51 | comments(0) | trackbacks(0) |
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