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教室で教えるということ
教室で教えるということ (JUGEMレビュー »)
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反・ファースト

小池という人が「都民ファースト」をスローガンにしている。

私は、ひどい違和感を覚える。

対となる語は何かと考えるとまことに恐ろしい。

都民以外を置き去りにした対応をとるということだろう。

それは、住民票を置かないものすべてをないがしろにすると公言しているようなものだ。

これに違和を感じない人が本当に多数派なのか?

私には差別主義者であることを公言したスローガンにしか見えない。

 

優先される側に入っている「都民」は痛みを感じない人たちばかりなのだろうか。

政治は公共的性格を強く持つはずだ。

 

憲法は人が差別されないことを各所で謳っている。

とりわけ第十四条では「 すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。」

 

これらの否定を公然と語ることは、政治家にも許されていない。

私はそう考える。

 

 

 

 

 

 

 

 

| 社会 | 06:33 | comments(0) | - |
グループ用ボード

グループ討論の結果を張り出してもらうためのボードを自作している。

写真は、商品として売っているものだが、大学で講義に持って歩くのはかさばって不便だ。だいたい高い。安くても1つ千円〜二千円もするし、重い。

タブレットを使えばなどという人がいるが、今のところそれはもっと高くてかつ面倒だ。

 

手軽なのは、自作のもの。

百均で買ったA3サイズの光沢のある画用紙と、はさみで切れるのり付きの磁石を貼っただけで完成。

これに水溶性のサインペンで書いてもらう。

書き込んだものを黒板に貼りだしてもらえば、意見分布がだいたい分かる。

 

終了後は、濡らした黒板ふきで拭いて水分を拭き取れば再利用ができる。消すのがちと面倒といえば面倒。

紙を配って、磁石で押さえて使い捨てが一番簡単かなとも思うのだが、何度も使うぞという構えがないのが欠点。

 

ともかく、どっちであれ、この道具があると、グループの話し合い作業の参加度は高くなってしまう。
 

昨日、使ってみた感想では、講義室のサイズによって見えにくくなるのが問題。横に広い場合も席によって見えない。学校の教室程度がよさそうだ。人数の多い場合には、使い捨ての大きいサイズの紙媒体がベター。(汚れが落ちないので油性ペンが嫌いで使わないだろうけど。)

 

 

 

 

 

 

 

 

| 暮らし | 07:13 | comments(0) | - |
研究会案内その4

愛生研の学習会案内です。

 

私が報告する予定となっています。その報告タイトル候補が以下。

 

道徳科教科書の論議から

教科書は部分的にしか見られない時期なので、入手可能な公表されている資料に限定されます。月が変わるとすべて見えるので、データ的に少々不満が残りますが、各教科書会社が公表しているデータはすべて見ました。学年別の目次と教材一覧とが異なっている会社があった。たぶんミスだろう。

 

副題は以下にしようとメモしてある。


「考える道徳」の技(偽)法と課題

 

場所:名古屋市南生涯学習センター(JR笠寺駅下車500m)
日時:5月28日(日)13:00〜16:30

 

知性を働かせない主人公が登場する教材として評判の高い「手品師」が高学年の教科書のほとんどに掲載されている。なぜだろう。

非民主的な野球チームの監督が登場する「星野君の二塁打」を載せている会社もある。民主社会にふさわしくないという宇佐美寛の批判があるのだが、これに反論できている人と実践をしらない。

2つの素材だけで反知性主義と独裁政権にマッチさせたというつもりはないが、まだそんなのを載せているんだという感想は持たざるを得ない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 教育 | 06:58 | comments(0) | - |
虚構の真実性の崩壊

来週の日曜日に「道徳科」について報告を行う。

今年ということがあるので、初の教科書を素材に話しをしようと思う。

 

8社が検定申請をして「合格」となった。

その過程でお話しについてパン屋がうどん屋に変えられたり、消防団のおじさんが「おじいさん」に変えられたりといった変更が加えられたと報道されている。

 

お話しを使うという点で、国語の場合では考えられない変更だ。文学作品を勝手に改作するなどあり得ない。子どもの作品を用いる場合でもありえない。実際は、漢字をひらがなに変えたり、一部修正が加えられたことがなくはない。だが、お話しの基本構造が変わってしまう今回のような変更はあり得ない。

 

それでも「道徳科」では変えてしまった。これが意味することを素材の側の力に焦点を当てていうと、虚構の真実性を奪うことによって、作品もしくは言葉の力を崩壊・喪失させたということだ。そう考える。

つまり、作品であるお話しは、虚構だが虚構として必然を持っていることによって、伝えるべき世界がそこにあった。しかし、その虚構としての必然を不自然な改作によって奪った。そのために虚構が持っていた真実性が失われ、単なる虚偽となった。

「おいしそうなくりのまんじゅうをかってだいまんぞく」とあるが、それはウソだということであり、「まちのことや、はじめてみたきれいなわがしのことを、もっとしりたいとおもいました。」というのが全くのデタラメな思いだということを露わにしたのである。

 

手を入れられた作品は、虚構の真実性を崩壊させていることが明らかになった。すると、そこで意図された徳目項目、伝統文化などの愛国心に連なる信念が危ういものであることを露わにさせたと言える。

 

では、手を入れられていない作品は真実性を保持しているのか?わたしは、徳目項目に射抜かれることによって、作品の保持している虚構性がゆがめられてしまう可能性が上昇していると読む。いかがだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 教育 | 07:04 | comments(0) | - |
考えないままの道徳

今回の「特別の教科道徳」は、「考える道徳」というスローガンが世間に振りまかれている。

道徳の検定教科書を作成した各会社の説明にもその言葉が並ぶ。

 

しかし、できあがった検定教科書からは、それをくみ取るのがむつかしい。

 

例えば、朝、人がであっている絵が提示されていて、「こんなときなんていえばいいのかな?」とある。

考える余地があるだろうか?挨拶をする以外に応答は期待されていない。

 

「黄色いベンチ」の上でおもちゃの飛行機を飛ばしてベンチを汚してしまった二人。もうこの後の展開はどのように聞こうと結論は見えている。

 

どこに考える余地があるだろう。

 

パン屋が和菓子屋に変わったことからも分かるように、細部まで教科書作成者や文科省の意図ははっきりしている。和菓子だと日本風でパン屋だとそうではないという固定観念の塊=「思い込み」でつくられている。

 

取り上げられた作品の中には、元はそうでなかったものがないではない。だが、教科書として編修されて、教科書の頁がふられると意図は考える余地のきわめて少ない作品に変貌をとげてしまっている。

それは、権力が正解を定めることによって変質するのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 教育 | 06:42 | comments(0) | - |
引き込むひとり芝居

ひとり芝居といっても、舞台俳優のそれではない。

落語の演じわけ。それほどうまくなくていいのだろうが、教師にもそういう語りを授業などに入れる人がいる。

教師の場合、私が直接見たことがあるひとは、演技としては大げさすぎて不自然なことが多い。だが、わかりやすいと言えばわかりやすい振りの人が多かったように思う。

 

先日取り上げた山崎さんの記録にもそれがある。

大森貝塚を発見したモースの写真を黒板に貼って、

「これはだれだ」

「日本人じゃないな」

などと授業を始める。

 

教師が「この人は誰でしょう?」

と質問で授業を初めてもいいのだろうが、そうではなくて答えの方を教師が言い始める。

山崎さんの場合は、答えを言って、子どもの興味の向きどころを指示している。

こういう授業への引き入れ方があるんだなと感心する。

 

解が問いとなる教授行為だ。なるほどと思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 教育 | 07:06 | comments(0) | - |
里山モデル事業を見つけた

勤務地はJRの駅からバスで10分あまり、歩くと25分から30分(まだ歩いたことはない)。

敷地内に農林水産省関連の里山事業空間だという看板を見つけた。

 

別の学部の事業らしい。人が歩けるように整備されている。

山林がいくらか広がり、今の季節は気分をいくらか落ち着かせてくれる気がする。

抜け出た辺りにはなんだか観測しているらしい手作りの実験器具が放置されていた。

 

山林を切り開いて大学をつくり、一部を残して里山というのも矛盾している気がするが、すべてを見晴らしよく整備してしまうよりはいいのかもしれない。

 

今日は、一冊の本から授業を構想するそのステップを考える。ボンヤリとイメージしてほしいと思うのだが、きっちりとした答えをほしがる人にこそボンヤリと理解してほしいと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

| 暮らし | 06:24 | comments(0) | - |
研究会案内その3

日本教育方法学会主催の研究集会です。

 

テーマ:「特別の教科 道徳」への対応を検討する

日時:2017年6月10日(土)13:30〜16:30(受付:13:00〜)

場所:慶応大学三田キャンパス 西館517教室

 

司会者:梅原利夫(和光大学) 子安 潤(愛知教育大学)

提案

  松下良平(武庫川女子大学) 「道徳科の可能性と課題」

  塩崎義昭(浦安市小学校教諭)「批判的学びの道徳の授業実践」

 

これは、新に教科書がつくられ、8月には各地で教科書採択が行われますので検討すべきテーマということで企画しました。従来の道徳教育を変えるんだ!といわれていますが、はたしてどこがどう変わるでしょう。どんな向き合い方があるでしょう?という企画です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 教育 | 06:11 | comments(1) | - |
教室は楽しい授業でいっぱいだ

山崎隆夫、高文研、1700円と税金。

3月ごろお送りいただいてそのままここで紹介していなかったことを思い出した。

文字通り、ご自身の授業のことだけを1・2ページから数ページでつないだ本。こういう体裁は意外と珍しい。たいてい、別のことが挟まっているのだが、国語、算数、理科、社会、音楽、体育など各教科にわたって山崎さんが行った授業が並ぶ。

 

ご本人の声を聞いたことがある人には、姿や文字よりも語り口が本の周囲に広がる。

山崎さんの授業は、子どもの声に穏やかに乗りながら(共感しながら)さらに疑問の世界へ誘う感じの対話に特質がある。

ぐりとぐらの絵本を読むときも、手でつくった狐を登場させたり、絵本を読む途中でも子どもとのやりとりをしながら読み聞かせている本の世界に誘い、子どもの動きにあわせながら広げる。

体育でも同じ。氷鬼の虚構の世界へ誘って、そのルール(遊び)にのって身体運動という体育のねらいを達成していく。

どの教科もどの内容も物語の世界に誘うようにつくっている。

これが山崎さんの特質のようだ。

 

他方で、各文化の世界から学んで文化の世界に誘うというアプローチもある。漢字の成り立ち、土井ヶ浜遺跡の頭骨の探求のプロセスを疑問の連鎖に再構成する行き方もある。

このアプローチに一つ目が重なる。

 

とりあえず授業のアイデアを得たい向きにも沢山の授業が紹介されているので参考になるだろうが、授業に様々な理由で入ってこない子たちを抱えて困っている人に見てもらうといいかなと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| | 06:56 | comments(0) | - |
LGBTの教育はいつでもどこでも

過日のこと。

LGBTを取り上げた教育を構想する途中経過を発表する学生が、照れがあったのだろうが「僕はまっとうな側」と発言しました。

私は「あらら」と思いました。

LGBTの問題を取り上げるときに、多数派と少数派にそれぞれ「正常」と「異常」を割り振るのが一番の問題点なのに、そこをスルーしてただいろんな人がいるとだけ捉えていたようです。

当然、それだと線引きを行うことで当事者を傷つけ、差別してしまうことになるという話しをしました。

こうした問題は、意図的に取り上げつつ、他方ではいつでもどこでも取り上げることが必要だと思います。

 

本日朝日ネットニュースに以下の記事がありました。

http://www.asahi.com/articles/ASK586T95K58UTIL05P.html?iref=com_alist_8_08

 

「中学生でもまだ早い」などの昔からある「寝た子を起こすな論」など両論が記事となっていました。

世間に取材すれば両意見があるでしょうが、実体上と研究上は「寝た子を起こすな論」は破綻しています。政府の青少年の意識に関する調査でも、すでに悩みを抱えていることが明らかだからです。

橋本紀子らの調査研究でももう自明のこと(「日本の中学校における性教育の現状と課題」ならネット上で読める)となっています。

 

どうして50年60年も前のゆがんだ認識のままなのかと言えば、もうはっきりしています。差別の意識構造をそのままに放置してきたからです。だれがかって?それはもう、まずは、誰でもが思い当たる部署です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 教育 | 07:21 | comments(0) | - |
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